1-5 雇用契約 -Contractor-

「無礼を許して欲しい。しかし、私には信じる術が無い。月から来た、とかね」


 ガブリエルは紳士的に応じているが、決して友好的には見えない。


「ええ。仕方のない事です」


 一方リストは冷静その物に見える。それを俺はこう捉えた。


 お互いの見えている物の違い。不安の度合いという点。ガブリエルは外の世界、特にリストが言う月の事情を知らない。


 これでは話にならないのは誰の目にも明らかだ。誰の目にもだ。


「しかしな、この玉、これは初めて見るものだ。この事実は捨て置けないと思うがな」


 横から水を差したのはタコ頭の少年。七番区の大物らしいが、こちらもちゃんと目は付いていたらしい。今日は定例会時と違って幾らか冷静に見えるが、こちらが地なのかも知れない。


「勿論それの調査は徹底させます」


「それでは不足だ。君の仕事はそこ止まりであってはならない」


 今度は花頭の少年が口を出した。こちらは五番区の大物だ。ここに押し掛けたという事は騎士団内に支持者がいると見て間違いない。他にも三人押し掛けている。この五人は赤の権力者たちの中でトップファイブに入る実力があるという事だ。


「いいかね。ここにいる五人は君の仕事に大いに期待しているのだ。月から来たというその少女の情報を精査したまえ。必要ならあちらまで調査に出るという事だ。分かるかね?」


 言うに事欠いてこの花頭は側近が見ている前でガブリエルを虚仮にしている。


「分かっています」


 ガブリエルは苦悶の表情で何とか食い下がろうとしているが、策が無いのは明白だ。騎士団で調査隊を組織するという事は、二度と戻って来られない決死隊の面子を指名するという事だ。


 死ねと命じられる程この騎士団長殿は非情ではない。多分だが。


「では、結果を報告書にまとめて後でこちらに届けるように」


 花頭がそう命じるとお開きとばかりに権力者たちは部屋を出ていった。


 扉が静かに閉まり、はぁ、と重いため息が聞こえた。勿論ガブリエルのため息だ。聞いているこっちが浮かない顔になってしまう。それはリストも同じようだが。


「済まない。仕事をさせて貰う」


 口先だけはきちんと礼儀正しく。ガブリエルの作法のようだが、表情から憂いが消えているのを俺は見逃さなかった。頭の切り替えが早い。そうでなくては団長は務まらないのだろう。あの権力者たちを見ていれば分かる。


「まず、月の情勢について教えて欲しい」


 ガブリエルがペンを走らせ始める。


「三つある月にそれぞれ国が多数存在して、それぞれの覇権を求めて戦争と休戦を繰り返している。月同士の戦争は今の所起きていない」


「それは自分の月の覇権がまだ取れていないからだね?」


「ええ。それが完了すれば間違いなく別の月の覇権を求めるでしょうね」


「君は何処の月にいたんだ?」


「赤の月のリネウスという小国です」


「その国の規模は?」


「この村よりは大きかった。人の数も二十倍以上あったと思う」


 ガブリエルの手が止まった。口元を手で押さえて、視線を横に逸らしている。まずいと思っている時の仕種だ。そんな雰囲気がある。


「赤の月の最大規模の国になると兵士だけで一億を超える数だと思う。新聞ではそう書いてあった」


 リストがそう追い打ちのように話すからガブリエルは頭を抱えてしまった。俺はちらりとリストの顔色を窺って、目に涙が浮かんでいるのに気付いた。


 あー……こりゃ、国滅ぼされたな。


 話の流れを追うとそうなる。だから逃げてきたと言ったのだろう。


「分かりました。では、リネウスという国は今はもう無いのですね?」


 ガブリエルも話を理解している。リストは小さく頷いて、腰に下げた布袋から何かを掴み出した。机の天板にそれ等が転がる。


「玉? 黄色のがこんなに」


 全部で五つはある。


「六つに水と食糧を詰め込んで、歩いて下りてきた。他にも仲間はいたけど、途中で裏切りや喧嘩別れが起きて……」


 リストがぽろりと涙を零す。嘘……ではない。とても演技には見えない。


「貴女一人が塔の一階に辿り着いた、と。運良くシドウに発見されて、ここに連れて来られた。そういう事なんですね?」


 ガブリエルの問いにリストはこくりと頷いた。


「大変な思いをされましたね。お疲れでしょうから今日はこれで結構です。この城の客室を一つご用意致します。小さいですが、お風呂とシャワーもありますのでどうぞ使って下さい」


 ガブリエルがそう言うのを待っていたかのように傍に控えていた黒髪の少女が一歩前に出た。


「こちらに。ご案内致します」


 確か騎士団の双剣使いでセレイラという名だったか。ガブリエルの側近の一人でかなりの腕前だと思う。つまりリストの見張りと護衛というわけだ。二人が連れ立って部屋から出ていく。


 扉が静かに閉まると、ガブリエルは足を投げ出して、机の上に置いた。


「あー……」


 面倒臭そうに唸っちゃって。騎士団長殿はお疲れと見える。


「で、どうするの?」


 俺は両腕を組んで、ガブリエルをせせら笑う。


「どうしようか」


 ガブリエルが目を合わせてくる。瞬間目笑を交わした。


「護衛はセレイラでいいのか? リストはきっと村で生活したいって言うぜ?」


「多分な……ここは人権を認めているし、俺に強制する権利は無い。ただ彼女は美人だからな」


「人目に晒すのはまずい?」


「人目に付くからな。そういう場合素性について噂が流れるのが世の常だ。何処かから情報が漏れるリスクもあるしな」


「あー……」


 そうなればちょっとした混乱が起きる場合もある。月から軍勢が攻めてくるかも、とか。


「そこで一つ提案がある。長らく無職同然だった君にようやくちゃんとした仕事が与えられるという名誉ある話だ」


「え? 何です? 怖いなぁ」


 嫌な予感がするネ。


「リスト・ブレイズ女史の世話係だよ」


「ああ……」


 だと思った! 俺が世話係……また厄介な仕事を。でも、恐らく断れないんだよなぁ。騎士団長殿が笑っている。これは断れないなぁ。

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