第21話 おれと茉莉と観覧車

 ジェットコースターの出口を抜けると、そこには班員が楽しそうに笑っているのが見えた。

「お待たせ」

 そこへ駆け寄り、話しかけると竹内さんはニタリと笑った。

 ……え? 何?

 何だかすごい嫌な予感がする。

「何もないから。どうせ次はまりりんと観覧車乗るんでしょ?」

 おれの思考を読み取ったかのような発言をする。

「いや、別に決まってはないだろう」

「えぇー! みんなとは乗って、私とは一緒に乗ってくれないの?」

「何も乗らないなんて言ってないだろう」

「うんん。絶対乗らないつもりでいた!」

 無表情の彼女だが、表情があればむぅーっと、頬を膨らませておれに詰め寄っていたんだろうな。

 大きな薄紅色の瞳は、間違いなくおれしか見ていない。揺れるブロンドの髪に整った顔、抜群のスタイル。

 正直、そんな彼女の隣におれが居られることが奇跡でしかないと思う。

 その奇跡に、甘え、自惚れ、驕り、おれは茉莉のことを好きになったと言うのか。

 そんな単純で片付けられたらどれほど楽だろう。

「そんなことないって。ほら、行かねぇーのか?」

 顔を観覧車の方へ向け、茉莉から視線を外す。先ほど言われた言葉が、脳裏をかすめ正気でいることが出来なさそうなのだ。

「行くよー! もうっ。すぐそうやって先に行くんだから」

 台風の日の海のように胸の中は荒れ狂い、あちらこちらで波が立つ。

「なら私たちも行こっか。最後くらいみんなで乗ろうよ」

 スタスタと観覧車に向かって歩くおれの背後から、西明寺の声が耳に届いた。

 それに続く声に反対の意見は無いように思えた。恐らくみんな乗るのだろう。

 良かったな、西明寺。やっと、班行動らしくなったじゃねぇーか。

 そんなことを胸中で零しながら、隣に追いついてきた茉莉の顔を見る。

 もちろん無表情だ。しかし、楽しげで、嬉しげで、でもどこか恥ずかしげな彼女。

 その姿は、あまりにも可憐で触れれば崩れて壊れてしまいそうなガラス細工の如く。

「ほかのアトラクション、乗らなくてよかったのか?」

「拓武くんと乗るのは、これが良かった」

「そ、そうか」

 屈託のない笑顔は、浮かんでいないが真摯な瞳を真っ直ぐに向けられ、たじろいでしまう。その様子を見た茉莉は、唯一表現できる微笑みを浮かべる。

 儚く、貴く、おれがそれを見ることがおこがましいようにすら思える。すっと細められた目は、睫毛と重なり、陽光に当てられ光っているように見えた。


 観覧車の前に移動すると、そこにはあまり列が出来ていなかった。

 1周15分かかることもあるのだろうか。しかし、それ以上にこの観覧車は高いように思える。

 普通の遊園地に設置されている観覧車は、遊園地全体が見渡せる程だったと記憶している。だが、この観覧車の説明欄には、街全体が見渡せると書いてあり、オススメ時間帯は夜となっている。

「夜も乗れるんだったら、夜に乗りたかったな」

「茉莉でもそんなこと思うんだ」

「私のことなんだと思ってるの?」

「えっ……」

 その言葉に紡ぐべき言葉が見たらなくなる。それからあらゆる考えを脳内に巡らせ、彼女の耳元に口を近づけ、そっと囁く。

「──魔女、かな」

 その答えをどう受け取ったのか、口元を少し緩ませている。恐らく喜んでくれているのだと思う。

「正解だよ。でもね、夜景ってすごいと思うの」

「そうなのか。イメージではさ、ほうきにまたがって空を飛んでる感じだからさ、夜景とか見慣れてるのかと思ってたよ」

「バカなの? 私がそんな魔法使えるように思える?」

「知らねよぇーよ。まあでも、おれの前に現れてからの茉莉は使えねぇーな」

 彼女が魔法を使えないことは、ここ1ヶ月の同棲生活でよく分かっていた。

 でも、だからこそ彼女の真の力がどれほどのものなのかを知りたくもある。

「酷い言い方。もし私が使えたらどうするの?」

「その時はその時で、すげー褒めてやるよ」

 含み笑いでそう言い放つと、彼女は無表情のまま鼻を鳴らす。

「絶対飛んでみせるもんね」

 怒られた子どもが言い訳するような、拗ねた口調で告げられる。

「あはは、楽しみにしてるよ」

 それを言うのと同時に、おれと茉莉は観覧車のゴンドラへと案内される。


 ゴンドラは、いたって普通だ。向かい合うように椅子が設置してあり、上半分はプラスチックのような強化ガラスに覆われ360度景色を見渡せるようになっている。

 その中へと入ったおれと茉莉は、当然の如く向かい合って座る。

「何だか、今からご飯食べるみたい」

 毎晩、夕食はお世辞でも大きいとは言えないテーブルに向かい合うように座り食べている。

 要するに、これは毎日やっているそれと変わりない。──はずなのだ。

 しかし、心は、感情は、想いは、高まり何をどう言葉にすればいいのか分からなくなる。

 想いの丈は、星の数ほど溢れ出ると言うのに、そのどれもが刹那の水泡みなわ。どれほど掻き集めようとも、指の隙間からこぼれ落ち、形にすらならない。

「どうしたの?」

 そんなおれの反応に、茉莉は無表情ながらも戸惑いをのせた声色で訊く。それと同時にゴンドラの入口が閉められる。

「なんでもないよ」

 自然の笑顔、とはかけ離れたそれで答えると、茉莉はそっか、と言う。

 ゆっくりと上昇をするゴンドラは、ジェットコースターのそれとは全く違う。そして、この先加速することも無いと分かっているので、気持ちの持ち方も全然違う。

「なぁ、茉莉」

 少し傾きかけた太陽の光が、強くゴンドラ内に差し込み、眩しさすら感じる。

「何?」

「おれさ、魔女星宮茉莉と一緒に戦えて嬉しく思うよ」

「……急にどうしたの?」

 唐突だったと思う。でも、これは紛れもなく本心なんだ。

 おれの言葉に、一瞬固まりを見せるも無表情のまま彼女は驚きの声をあげる。

「実際さ、ここまで戦いっていう戦いに巻き込まれてないからさ、本当にそんな戦いがあるのか? って思っちゃうけど……。でも、茉莉のテレパシーも王鳳の魔法も全部この世の理から外れてる。だから、たぶん本当なんだって信じられてると思う──」

 そこで言葉切り、大きく息を吸い込んでから再度口を開く。

「──だからその中で茉莉と出会えたことが本当に良かった」

 溢れる想いのほんの一部分。でも、それでも言わずにはいられなかった。掻き集め、こぼれ落ち、それすらも掻き集め、言葉にしたそれは、彼女にどれほど届いたのか。おれの知るところではない。

「……うん」

 彼女は俯き、しおらしい声音で告げた。そして、そのままピクリとも表情を動かすことなく掠れるような声量で述べる。

「……私も拓武くんが私の相棒パートナーで幸せだって思ってる」

 予想だにしない一言に、心は乱れ、脳内の思考は刹那のフリーズを覚える。

 かぶりを振り、どうにかフリーズ状態から抜け出すと、言おうと思っていた残りの言葉を一気に吐き出す。

「おれは茉莉と離れたくない。だから負けない。おれの命を賭しても必ず……必ず茉莉を守ってみせる」

「ありがと。でも──」

 短くお礼を告げると、茉莉はゆっくりと顔を持ち上げ、おれの視線と交わる。薄紅色に染められた瞳が、潤んで見えたが、真摯に見つめられる恥ずかしさが勝り、自ら視線を逸らしてしまう。

「命賭けられちゃったら、私の相棒は誰になるの?」

 その声音は、今まで聞いた中で1番濡れていた。驚きが、戸惑いが、焦燥感が、胸を掻き立て逸らしたばかりの視線を彼女の顔へと向けてしまう。

 そこには、涙で瞳を濡らし、くしゃくしゃと顔を歪ませている彼女の姿があった。

「えっ……。ま、茉莉……?」

 無表情で、涙とは縁のなかった彼女だからこそ。おれはどう接すればいいのか分からなくなる。

 おれの慌て具合に気づいた彼女は、ようやく自分の頬に流れる一筋の涙に気づく。

「あ、あ……れ? なんでだろう。おかしいな……」

 涙に濡れた声でこぼし、手の甲でそれらを拭う。しかし、それでは間に合わず拭いきれなかった涙が、拭っても拭ってもとめどなく溢れ出る涙が、まつ毛を、頬を、濡らしていく。

 それと同時に、おれは胸が熱くなるのを覚えた。どうしようもない程にたかぶる想い。

 言葉や文字なんかでは表せないほどのそれに突き動かされ、立ち上がり、彼女の前に立つ。

「泣きたい時は、泣けばいいんだよ」

 そう言い放ち、彼女の背に軽く腕を回す。生暖かい体温が、触れる手から伝わる。

「う"ん」

 茉莉は嗚咽を交ぜた声を洩らし、おれの胸の中に顔を埋めた。

 制服にずっしりとした重みが感じられる。ここでもっと彼女を引き寄せられたりしたらかっこいいんだろうな、なんて思う。でも、そんなことできるおれじゃない。

 軽く背中に触れているだけでも、緊張という名の汗が滲む。

「おれを選んでくれてありがとう」

 様々な感情が複雑怪奇に混ざる中、おれはその言葉を選び、口にした。

 恥ずかしさはあった。しかし、向き合っていないことが幸をなし、すんなりと云うことができた。

 小さく嗚咽を零しながら、彼女はおれの背中に手を回し、自らの方へと寄せた。

 その力は強く、しかし優しさがあるように感じられた。

「私も、拓武くんを選んでよかった。こんな気持ちになれたのも、拓武くんだからだ。ほんとに、ほんとにありがとう」

 声は濡れている。しかし、しっかりと告げられた。

 それが妙に恥ずかしく、陽の光に当てられ、煌びやかに輝くブロンドの髪ですら視界に収めることがいけない事のように感じてしまう。

 その思考が、おれの視線をゴンドラの外へと向けさせた。


「うわぁ……」

 思わず声が洩れた。今日乗ったアトラクションのどれもが模型のように小さく、その向こうに覗くおれ達が暮らす街がジオラマのように見える。

 街の東側を流れる川は、陽光が反射してキラキラと輝きを放っており、その上に設置された橋を走る車はミニカーの如く。

 おれ達の学校やおれの家がどの辺りにあるのかすらよく分からない程だ。

「どうしたの?」

 顔全体を涙で濡らした彼女が、涙声で問う。

「外見ろよ」

 チラッと彼女を見ると、上目遣いでおれを見ていた。涙に濡れたまつ毛は反射で煌めき、潤んだ瞳もそれと同様。天使ですら彼女には勝てないのではないかと思うほどの美しさに目すら合わせられずに、すぐにゴンドラの外に視線を戻す。

「すごい……。綺麗」

 お前のが綺麗だよ、なんてキザな台詞が言えればおれたちの関係はどうなるのだろうか。

 一瞬、逡巡するも先に彼女の口から言葉がこぼれた。

「頂上なのかな?」

「だろうな」

 下を見ると、真下にゴンドラに乗り込む入口があった。今でちょうど半周。

「あーあ、全然景色見れてないや」

「なら今から見ればいい。あと半分残ってるんだからな」

「そうだね」

 おれは彼女の隣に腰を下ろし、ゴンドラの強化ガラスに額を引っ付け、食い入るように外を眺めた。


 数分の間、それを続けた時だった。

「なんか変」

 と、茉莉が告げた。

「何がどんな風に変なんだよ」

 視線は外に向けたままおれは聞き返す。

「体の中が熱いって言うか、なんか……変なの……」

 所々に吐息が混じり、やけにエロい声になる。

「だ、だから……何なんだよ」

 恥ずかしさと照れ、気恥しさ。そのどれもが溢れ零れ、否応なしに視線が泳ぎ、頬が朱に染まる。

「……っ」

 歯ぎしりのような、吐息のような、しかし嗚咽でもあるかのような音が彼女から零れる。同時に、彼女の体から微量の光が放たれる。

「ど、どうなってるんだ?」

 状況理解が上手くできず、溢れる光が多くなり、纏う光は輝きを帯び始める。そんな彼女をただただ見ているだけしか出来ない自分が歯痒く情けない。

 強く奥歯を噛み締め、彼女の華奢な肩をぐっと掴み声を上げる。

「大丈夫か!?」

 その言葉をきっかけに、堰を切ったかの如く、より一層強い光を放ちだし、数十センチ先にいるはずの茉莉の輪郭すら見えなくなってしまう。

 胸に押し寄せる、言葉にできない不安が、焦燥が、困惑がただでさえいっぱいの胸に入り、掻き混ぜる。

 自分でも理解できないぐちゃぐちゃになった感情が、行き場をなくし、溢れ出る涙となり頬を伝う。生暖かいそれが、頬を通り過ぎ顎のラインを伝う。その瞬間、光は輝きを失い、先程までの圧倒的な光圧は消え去り、ぐったりと俯く茉莉の姿が視界に飛び込んできた。

「しっかりしろ」

 掴んでいる彼女の肩により一層の力を込め、今にも倒れそうな彼女を支え、そう告げる。

「う、うん……」

 消え入りそうな弱々しい声音で、茉莉はこぼし、ゆっくりと前のめりになっていた体を起こす。

 それと同時に支えていた手にかかる負担が緩む。

「本当に大丈夫か?」

 さっきかそればっかりだな、と胸中で零しながら訊く。

「うん、心配かけてごめんね」

 茉莉は、先程までの出来事が嘘であったかのように、優しい微笑みを浮かべて言う。それに苦しそうな様子はなく、自然体の彼女から零れたような、そんな気がした。

「あ、あぁ」

 あまりにも何も無い様子なので、その事が逆に違和感を覚える。


 そうこうしているうちに、観覧車は残り四分の一ほどになった。

 あれほど高く街がジオラマのごとく見えていた景色は、ここにはなく宝楽ランドの全容が見れるかどうかといったところだ。

「結局、あんまり景色見れなかったよ」

 先ほどまでの表情はどこかに消え去り、無表情で、しかし拗ねたような口調で言う茉莉。

「また来たらいいだろ。今度は学校行事の一環じゃなくてさ」

「うん」

 彼女の弱弱しい返事とともに会話は途切れ、おれは茉莉の隣に座ったまま段々と近づいてくる地上に目をやっていた。

 それからしばらく、互いに何かを話すことはなかった。

 どれほどの沈黙が続いていただろうか。細かい時間はわからないが、もうあと一分もしないうちにゴンドラから降りなければならないという場面だった。そこで、茉莉は唐突に口を開いた。


「私ね、ちょっと思い出したの」

「何を?」

 短く訊くおれに茉莉は真摯な目を向け、言う。

「私自身のこと。帰ったらちゃんと話すね」

 それを耳にした瞬間、がたん、という音を立てゴンドラの扉が開く。

「お疲れ様です」

 案内役をしていた人とはまた別の人は、短くそう告げ、出口へと案内される。

 おれたちは案内に従い、ゴンドラ内から出る。

「楽しかったね」

 微笑み言われた言葉。

「茉莉が急に光ったりするからひやひやもしたけどな」

 軽口で返すも、心の中はゴンドラから出る間際に彼女から述べられたあの言葉が波を立てている。

「なぁ、茉莉」

「何?」

「さっき言ってたこと……」

 心の靄を払うかのように、口をついた言葉。茉莉は、しかしそれに答えるそぶりを見せない。ただ、無表情にかぶりを振るだけ。

「でも……」

 気になって仕方がない。彼女の身に一体なにが――

「ふわぁー楽しかったー」

 そう考えた瞬間、水口さんの声が耳についた。

 一つ後ろのゴンドラが降り口に到着したらしい。

「帰ったらちゃんと話すから。ね?」

 耳元でそう囁かれた。


 その後、おれらは集合場所となっている入り口のほうへと向かいながら所々にあるお土産屋を回った。

 水口さんと西明寺は家族にクッキーを買っていた。竹内さんは家族の分と余分にキーホルダーを買っており、それを見た水口さんに不審がられていた。

 慌てて、「お、弟の分なの!」と説明していたが、恐らくは王鳳の分だろう。

 おれと茉莉は何かを買うということはせず、そのまま集合場所へと向かうのだった。

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