第7話 魔女との休日

 茉莉が風邪を引いた翌日。彼女は平気な顔で目覚めた。

 1日で完全復活って……。

「おはよう」

 そんなことを思いながらも、鼻歌混じりでキッチンに立つ彼女の背中に声をかける。

「おはよう。元気?」

「それ、おれの台詞だから」

「あはは、そうだね。もうちょっとでご飯できるから待ってね」

「あ、ああ」

 予想外すぎる展開に動揺するおれに、彼女は気にした様子もなく鍋の中を覗き込んでいる。

 料理できなかったよな?

 初日の騒動を思い返しながら不安になる気持ちを抑え、彼女が作ってくれる料理を待つ。


 程なくして、キッチンから茉莉が顔を覗かせた。

「出来たよ」

 ニコリ、と微笑む彼女。不覚にも一瞬ドキッとしてしまう。

「お、おう」

 少しどもってしまった。だが彼女は気にした様子もなくキッチンの奥へと戻る。

「なんか手伝おうかー?」

 そんな彼女にそう声をかける。

「うんん。大丈夫! 今日は私の腕の見せ所よ!」

「あはは、そうか。ケガだけはするなよ?」

「分かってるってー」

 楽しげな声で答える彼女に微笑を浮かべ、敷いていた布団を畳み始めた。

「あっ、まだ準備出来ても持ってくるなよ?」

「分かってるっ! 布団でしょ?」

「おうよ。もうちょいだからな」

 布団を3つ折りにし、クローゼットを開ける。上段にある空きに先程畳んだばかりの布団を押し込む。

 クローゼットにはまだ多くの余裕があり、出し入れは容易である。布団を放り込んだクローゼットを閉め、壁に立て掛けてあるテーブルを定位置に戻す。


「おっけー」

「ん!」

 元気な声と共に茉莉は台所からちょこんと顔を出す。両手でお盆を持ち、こちらへと歩いてくる様はどこか覚束無く、無性に心配させる。

「だ、大丈夫か?」

「へーきよ!」

 ほんとかな……。

 お盆の上にある汁茶碗と床、それから前を順に見ながら歩く彼女。

「はい、ストップ」

「到着しましたか?」

「到着したよ」

 テーブルの前まで来ても歩くことをやめようとしない彼女に、そう声をかける。

 そして立ち上がり、おれはお盆の上の汁茶碗をテーブルの上に置く。

「次ね!」

 パタパタと台所へと戻る。

 そんなことを数回繰り返し後、テーブルの上には、和風な朝食が並んでいた。


「これ全部?」

「そうだよ」

「料理出来ないんじゃないの?」

「なんか今日はできる気がしたんだ」

「気の持ち方で変わるとか勘弁してくれ」

 苦笑気味にそう言い放ち、テーブルに並ぶものを見る。

 ご飯は昨日の残りだが、味噌汁と玉子焼きは茉莉が今朝作ったものだろう。

「んじゃ、いただきます」

 味に一抹の不安を覚えながら、両手を合わせてそう言う。どうぞ、と嬉しそうな声音で告げる茉莉を一瞥してから汁茶碗を手に取り、ゆっくりと味噌汁を啜る。

「……うまい! てか、おれの味付けそのままじゃん」

「何日拓武くんのご飯食べてたと思ってるの?」

「いや、そりゃあ食べてはいたけど……。普通それで再現できねぇーぞ?」

 そう言うと茉莉は少し俯いた。おそらく照れているのだろう。表情は無表情のままだから分かりにくいが、たぶんそうだろう。

「すげー高級店で何回も食べさせたらそれ再現することとか出来るのかな……」

「それは分からないよ」

「まあ、それで実は安物ばっかりでしたーってオチになるの嫌だし。やめておこうか」

 苦笑を浮かべるおれに、茉莉は天使のような微笑みを浮かべた。


「あ、そうだ。今日、買い物行くんだけど……どうする?」

「えっ!? もしかして……」

「そうだよ。初日は物を片付けるためのものだけを買い揃えて、茉莉に必要な物、何も買ってやれなかったしな」

「必要なものは全部揃ってるよ?」

「バカなのか? 今着てる服見てみろよ」

 空になった茶碗が置かれるテーブルの上に頬杖を付き、茉莉の服を指さす。

 茉莉は無表情のまま小首を傾げ、自分の着ている服に視線を落とす。

「……あれ? これ私のパジャマじゃない」

「覚えてねぇーか? おれが買ってやったパジャマは、汗で濡れてたから着替えただろ?」

「そうだった! でも服なら間に合ってるよ?」

 彼女はおれに背を向け、初日に購入した茉莉用タンスの中から魔女の服を取り出す。

「ほら!」

「それ動きにくいだろ」

「意外とそんなことないよ?」

「まあ、百歩譲って動きやすいとしてもそんな格好してる奴ハロウィンとか以外で見たことねぇーよ!」

「う、うん……」

 おれにされているのか、茉莉は動揺したような声音で返事をした。

「だろ? だから、普通の服も買うぞ」

「新しい服!?」

 如何にも目をキラキラと輝かせそうな声だ。だが、もちろん彼女に表情は無い。

「新しい魔女の服じゃないからな」

 何だか嫌な予感がし、そう念を押してから腰をあげる。

「うそっ……」

 やっぱりな。それを期待してると思ったよ。

 茉莉は絶望の声を洩らした。

「何のために服を買いに行くんだよ」

 ため息混じりにそう零しながら、おれは空の食器を手に取りシンクへと運ぶのだった。


 * * * *


「ここがショッピングモールってとこなんだ」

 エントランスで立ち止まった茉莉は、天井まで吹き抜けになっているそれを見渡して感嘆の声を洩らす。

「来たことないのか?」

「あるわけないよ」

「じゃあ、茉莉の世界では買い物とかどうしてたんだ?」

「通販一択ね」

「まじか」

「まじよ」

 通販ねー。まぁ、最近はネット注文とかのが多いらしいけど……。

 やっぱりショッピングモールも人多いなー。

 ほんとに魔女の格好やめさせてよかった。

「これなら魔女の格好のが良かったよー」

「なんでだよ!」

「だって、なんかこの服すっごい洗剤の匂いきついんだもん」

「あー、それ洗剤じゃなくて香水だから! って、それよりも人の気遣いをなんだと思ってんだよ!」

「気遣いって臭くすること?」

「いや、ほんと酷いな。香水メーカーに怒られるぞ」

「だってほんとに臭いんだもん」

 そう言うと、彼女は無表情のまま鼻をつまむ。

「なんだよ。おれの服着るの嫌だろうと思ってやったのに……」

 おれの黒い無地のTシャツに赤い綿パンを纏った姿の彼女に目をやりながら、ため息をつく。

「別にそんなことして貰わなくても良かったのに」

「なんだよ、それ」

 香水の無駄遣いじゃねぇーかよ。まぁ、元々その香水も母親から送られてきたもので、使い道のなかったものなんだけど……。

「何でもいいから、とりあえず茉莉の服見るぞ」

「はいはーい。はいは1回。わかりました。はい」

「……。1人で何やってんの?」

 急に意味不明な行動を取る彼女に目を丸くすると、茉莉は無表情のまま後頭部に手をやる。どうやら照れているようだ。

「テレビで見たの」

「テレビで見たことをそのままするなよ。恥ずかしいだろ」

 先ほどの1人ノリツッコミの声が大きかったのか、周りからクスクスと笑い声が零れている。

「もういい! ちゃっちゃと行くぞ!」

 その言葉と共に彼女の腕を取り、おれと茉莉はエントランスを離れた。


 ショッピングモール3階。おれと茉莉はその一角にいた。

 駅前の服屋のようなショーウィンドウはないが、店内に並ぶ服は高級感漂うものがたくさんある。

「ねぇねぇ、あれ見て!」

 1つ1つ回る時間は無いので、店の外から見て良い物がありそうな所を入ろうと決めていた。そこへ茉莉がある店を指さした。

 茉莉が着るものだし、まぁいいか。

「行ってみ──」

 るか、と言おうと視線を茉莉の指さす先にやる。そこは何やらゴスロリっぽい服を纏うマネキンが数多く並んでいた。

「よーし、次行くぞー」

「なんでー!?」

「なんでじゃねぇーよ。あれじゃ、今もってるのとほとんど同じだろうが!」

「あれがいいのー」

「甘えたような声出しても無駄だからな。普通の服を買いに来たんだ」

 きっぱりそう放つと、彼女はむぅと零す。

「ほら、次行くぞ」

 そう言い放つと、おれは彼女を置いて一歩、二歩と歩き始める。しかし着いてきているかどうかは心配になり、恐る恐る振り返ると彼女はとぼとぼという表現がぴったりの様で後を着いてきていた。



 ──ユニクロ

 やっぱりこういうところに落ち着くんだよな。

 ショッピングモールだからこその店外に大きく掲げられた店名を眺めながら思う。

「すごいいっぱいあるんだねー」

 茉莉は無表情のまま、しかし感嘆の声を洩らす。

「とりあえず、あれとかどうだ?」

 店内に足を踏み入れたおれは、店外からも見えていたフェア商品を手に取る。

 次の季節、夏を狙ってかまだ肌寒い朝もあるというのに、半袖の商品が多く並んでいる。おれが手に持つのは、その中の1つで七分丈の薄いカットソーだ。

 爽やかな水色は見ていても心地よくなり、それがまた茉莉に似合いそうだと思う。

「私に似合うかな?」

「きっとな」

「じゃあ、これにしようかな」

 茉莉は嬉しそうにニコりと自身が唯一できる表情を浮かべた。

「お、おう……」

 天使ですら混乱してしまいそうな微笑みに、おれは照れてしまい上手く言葉が出なくなる。

 家族ならまだしも。おれと茉莉はそんな関係じゃない。茉莉に選ばれ、たまたま3ヶ月一緒に生活するという関係だ。

 そんな奴がこんな可愛い笑顔に対処出来るわけがない。

「……奥、行ってみるか」

 少しの間の後どうにかそれを絞り出し、店外から見える範囲ではなく、店の奥の方へと進み始めた。


 店の奥の方では、冬商品の特売という名目のもと、在庫処分を行っていた。

 ヒートテックやら、手袋。それにネックウォーマーやその他に厚手の服等だ。

「ここはちょっと違うかなー」

 そう呟き茉莉の顔を見ると、彼女も同意見だったらしくこくんと頷く。

 あとはレジ付近だな。

 冬商品の特売エリアを迂回し、レジ付近まで行くとそこではちょうどこのシーズンにピッタリの服が販売されていた。

「いっぱいあるんだけど……」

 どれが茉莉に似合うのかなー。

「茉莉はどれがいい?」

「んー、どれがいいのかな」

 本人に訊ねてみてもこの結果だ。ダメだな。

 そう判断し、おれは店員さんを呼んだ。店のトレードマークの入った服を着た女性が駆け寄ってきた。

「いかがいたしましたか?」

「茉莉に似合いそうな服が全然わかんなくて。この辺りで適当に見繕って貰えませんか?」

 そう放つと、女性店員さんは少し驚いた表情を見せてから、わかりました、と答えた。



 ユニクロの女性店員さんに適当に見繕ってもらった服と、一番はじめに選んだ夏シーズンの服1着合計一万五千円の買い物を済ませた後、おれと茉莉は1階に降りた。

 1階には大きなスーパーが入っている。本当なら近くのスーパーで済ますのだが、今回は茉莉の服の件もあったため特別だ。

「何買うの?」

「何って、そりゃあ食材だろ?」

 今朝冷蔵庫の中見ただろ? 何もなかっただろ?

「あぁ、空っぽ冷蔵庫だったもんね」

「誰かさんが来てから、食べ物の減る量が早いよ」

「ありがとー」

 てへへ、と言わんばかりに後頭部に手をやる茉莉。

「全然褒めてないからな?」

「うそーっ!? 絶対褒めてるでしょー」

「褒めてないって」

 呆れるようにそう言い放つと、おれはカゴを片手に店内へと入っていく。

「待ってよー」

 茉莉はブロンドの髪を靡かせながら後を追ってきた。

 周りから声が洩れているようだ。この辺りは都会というほど都会でない。そのため、茉莉のように見るからに外人という人は珍しい。

 やっぱり目立つよな……。

 そんな目立つ存在の横にいるおれって、一体どんな存在なんだろう。

 少し不安に思う部分もあるが、おれは脳内に今日、明日、明明後日までの献立をフラッシュさせながら野菜が陳列してあるエリアに向かう。


「なんか食べたいものある?」

「チャンプルーゴーヤ」

「普通に言えよ。てか、ゴーヤチャンプルってさ、苦いだろ」

「知らなーい。今日の朝テレビで言ってたから」

「ほんと、いつの間にそんなにテレビ見てんだよ」

 ボヤきながら、あれば役に立つだろうと思う玉ねぎ、人参、キャベツをカゴに入れる。

 結局適当に買うから献立わかんねぇーんだよなー。おれ主夫向いてないな。


「ねぇねぇ」

「なんだ?」

「これ美味しそう」

「フルーチェって。どこから持ってきたんだよ」

「あそこー」

 どうやら今日はフルーチェを安売りしているらしい。赤文字で大きく値段が張り出され、如何にもと雰囲気が出ている。

「はぁー。ほんとに食うのか?」

「うん! たぶん」

「たぶんは余計だろ。まぁいいや」

 いちご味のフルーチェをカゴにいれ、それに必要な牛乳を更にカゴへと入れる。

 それから肉や魚類を販売するコーナーで必要なものを選んだ。その結果、かなり重くなったカゴを持ちレジへと向かうことになった。


 三日分買うんだったらカート持ってくるべきだったな。

 今更ながらの後悔を抱き、両手で運んでいる時だ。

「あれ? こんなことでなにしてはるん?」

 聞き覚えはあるのだが、それをどこで聞いたかは思い出せない。そんな声が耳を掠めた。

「ん?」

 カゴを一旦床に起き、下を向いていた視線を持ち上げると、そこにはくせっ毛の栗色の髪に大きなクリっとした目が特徴的な女性が立っていた。

「えっと……」

「あー、まだ覚えとらんか。ウチは、竹内翔子たけうち-しょうこやよ」

「竹内……?」

 そんなやついたっけ? なんか変な話し方だし、クラスにいたら覚えてると思うんだけど。

「そうそう。アンタ、平沢組やろ?」

「そうだけど」

「ほら、一緒やん」

「一緒なのか」

 何だか自信は無いが、どうやら一緒のクラスらしい。

「ところで、どうして永月くんは星宮さんと一緒におるん?」

「へっ!?」

 や、やばい……。どうしての言い訳を考えてなかった。

「え、えっと……」

 目線を右、左と動かしながらなんと答えるのが正しいものなのかを考える。

「これ、買っていい?」

 そこへ空気を読む、ということをしない茉莉がポテトチップスを片手に声をかけてくる。

 おいおい、タイミングというものがあるだろうが。

 何か言ってやろうと茉莉を見るも、おれの反応を期待する雰囲気がにじみ出ており、眼前に立っている竹内さんは、何かを察したような表情を浮かべている。

 これはもうダメだ、と観念してため息をつく。

「勝手にしろ」

「えへへ、やったー」

 微笑みを浮かべながら、そう言うと茉莉はカゴの中に持っていたポテトチップスを入れる。

「へぇー、そういう関係なんだ」

「断じて違うからな」

 ニヤニヤとしながら言う竹内さんにドスを効かせた声で返すも、竹内さんのニヤニヤは止まらない。

「説得力ないなー」

「あっ、翔ちゃん! どうしているの?」

 どうやら茉莉は顔見知りのようだ。

「んー、まぁ、買い物なんやけど。まりりんは?」

 そう言うやチラリとおれを見る。ふん、試してやがるな。

「拓武くんと、お買い物だよ」

 なんの躊躇もなく答える茉莉に満面のしたり顔を浮かべる竹内さん。

 もうダメだわ。

「翔子、何ウロウロしてんだよ。次、映画行くんじゃなかったのか?」

 そう思った時だった。長い黒髪を持つ男性が竹内さんに話しかけた。

 父親……じゃないな。父親にすると若すぎる。

「誰?」

「しーっ」

 おれがそう訊くと、竹内さんはいたずらっぽく微笑みながら人差し指を口の前に立てた。

「彼氏か?」

 しかしおれは、口を閉じることなく訊く。

「それとはちょっと違うかなー」

 竹内さんはそう告げる。その時には、その男性は竹内さんの真横に来ていた。

「知り合いか?」

「えぇ、まぁ。クラスメイトやよ」

 低く重みのある声音が響く。竹内さんは、それに奥した様子もなくそう答えると、長い髪の男はおれに向く。

「どうも、王鳳鳴海おうほう-なるみです」

「あ、永月拓武です」

 漆黒の瞳の中に紫色が見え隠れする王鳳。遠目からでは、ただの黒髪に見えていたそれも近くで見ると紫色が散りばめられている。

 切れの長い目も、高い背も、どれもが妖しく、惑わすようなそれは、人間とは思えなかった。

「では、我々はこれで失礼致します」

 精錬されたお辞儀をすると、王鳳は竹内さんの腕を引いて、おれたちの前から去って行った。


「何だったんだ、あの男」

 正直違和感しか覚えなかった。

「学生……なんてことはないよな」

 それだったらすぐに気づくと思う。いや、絶対気づく。

「茉莉は知ってるか?」

 そう訊ねる。しかし茉莉からは返事が返ってこない。

「ど、どうした?」

 その場で固まっている彼女に、少し戸惑いながらも声をかける。

「あの人……。なんか嫌な感じがした」

「嫌な……感じ?」

「うん。不気味っていうか、なんかそんな感じ」

「そ、そうか」

 おれにはわからない。たぶん魔女だからこそ分かるものなのだろう。

「なら早く帰ろうか」

 茉莉は声は出さずこくん、と頷いた。

 ふっ、と息を吐き捨ておれは重たくて床に置いたままだったカゴを持ち上げる。

 やっぱり重たい……。


 へっぴり腰でカゴをレジまで運び、会計を済ましそれらを袋へと詰める。

「で、どうやって帰るの?」

「あ、えっと……」

 全然考えてなかった……。茉莉の両手は、服を買った袋でいっぱい。そして、おれの両手は、先ほど詰めたスーパーの袋でいっぱい。

 これだけならまだいい。スーパーのレジ袋が想像以上に重くなり、歩くことすら困難になっている。

「は、ははは。これ、結構ピンチだな」

「私が持とうか?」

「ふざけんな。いくら茉莉が魔女だって言っても、女の子に変わりはないんだ。これくらいおれが持つよ。どうせ、バスで来てんだし」

「……そっか」

 いつも通りの無表情。だが、茉莉の声はとても嬉しそうに感じられた。


 * * * *


 どうにか男の意地を見せ、自宅最寄りのバス停にまで辿り着いた。

「あはは、しんどそうだねー」

「うっせぇ。余裕だって」

 家を出た時はまだ明るかった地面が、もう茜色に染まっている。

「明日からまた学校だな」

「そうだねー」

「そう言えばさ」

「なに?」

 バス停をまっすぐ進み、二つ目の角を右へと曲がったところにある信号がちょうど赤になる。

 両手で抱えるように袋を持ち直し、言葉を紡ぐ。

「宿題、やったのか?」

「……」

「おいおい、大事なところだぞ?」

 まぁ、たぶんやってないとは思ったよ。昨日寝込んでたし、今朝はご飯作ってくれて、それから買い物だったし。

「そういう拓武くんは?」

「昨日終わったけど」

 再度沈黙が訪れ、同時に信号が青に変わる。

「それ持ってあげる!」

「いや、いいよ」

 必死な声音で、茉莉がおれの持つレジ袋の持ち手に指を掛けてくる。

「マジで大丈夫だから……」

「いいの!」

「何がいいんだよ。てか、何か考えたな?」

「……えへっ?」

 可愛らしい声を出すも表情は無い。

「えへっ、じゃねぇーよ」

「いいから、いいから!」

「いや、いいよ。それに周りの体裁とかあるから。あの子、女の子に重たい荷物持たせてたよー、なんて言われたら嫌だしよ」

「頑固なんだからー」

「頑固なのは茉莉だよ。てか、マジで放していいから」

 言っても言っても、持ち手に手をかけたままの茉莉。

「じゃあ、放したら言うこと聞いてくれる?」

「内容による」

「約束だよ!」

 楽しげな声をあげた彼女は持ち手から手を放す。

「で、なんだ?」

「宿題、写させてね」

「……嫌だ」

「約束したから、絶対だからね!」

「絶対嫌だー!!」


 その夜。結局おれは彼女に宿題を写させたのだった。

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