君を愛してたなんて言わない

阿木みつる

第1話 理加編(1)

ため息がでるような美しい人間とは、こんな人のことをいうのだろうか。

それが、料理教室で出会ったルイの第一印象だった。

モデルのような容姿とヒールを履きこなす引き締まった足首は、

不可抗力にひきつけられてしまう。


彼女は純白のエプロンを身につけていた。

どこのブランドだろう。

まぶしいくらい、よく似合っている。

でも、汚れがついたら洗濯が大変。

私ならすぐに汚してしまうから無理だと思う。

そんな私の心配をよそに、そのエプロンはいつも汚れ一つないおろしたてのようだった。


私は、仕事後、この吉川料理教室に週に一度、通っている。

彼氏の功太と付き合って二年三か月、そろそろ結婚を意識している

二十四歳の女が、ごく自然に過ごす日常の一部なのだ。


その日は、珍しく欠員がでて私は、彼女と同じテーブルで受講することになった。

同性なのに、やけに緊張してしまう。

私の周りには、存在しない種類の人間がいると、本心は興味津々なのに行動は裏腹になって目の行き場に戸惑ってしまった。


「字がとてもきれいね。」

私のレシピノートを見つめながら彼女から声をかけてくれた。

会釈と愛想笑いでかえすのが精一杯だった。

すると、彼女が私の方へ身を寄せると小さな声で

「ブロッコリー茹でるが、お湯の湯でるになっているわよ。」

その言葉に瞬時、ノートに目をやると、たしかに湯でると書いてしまっている。


恥ずかしい。

また、やってしまった。

私は、こういうミスを忘れたころにしてしまう。

小学生の頃から周囲に字がきれいだと褒められてきた。

もちろん努力もしてきた。

だから、こういうミスをすると目立ってしまうのだ。

私は、すぐにレシピノートの誤字を訂正すると、早く時間が過ぎてくれないかと

時計ばかりが気になって料理の実習どころではなかった。

それなのに、よりによってその日は、各自、一匹ずつ鯖の三枚卸をしなければならないなんて。

人生、初めて生魚をさわる日

二十四年間、まともに料理なんかしたことがない私。

力のかぎり出刃包丁を握ると、鯖の頭を切った。

「あっ」

勢いよく切り落とした鯖の頭は、まな板から落ちると、ピカピカに磨かれた調理台で回転して、向かいにいた彼女めがけて飛んでいった。

彼女の純白のエプロンは一瞬で血まみれになってしまっている。


やってしまった。

さっきまで、誤字で落ち込んでいたことが一瞬で吹き飛んでしまった。











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