第13話 差別


 男がこの場を去ってから間もなく、警察が現場へと到着した。

 今視界に入るのは、怪我をした人間や崩れ落ちた出店の数々。

 警察が状況の確認を進め警備にあっているが、被害は甚大で、人々の混乱を治めるには、しばらく時間がかかるだろう。先刻までスクリーン上に映っていた各国の重鎮たちも、今は安全な場所へと居所を移したらしい。

 本当に大変なことになった。

 改めて町を見回す海斗の胸中に生まれるのは、男を止める事の出来なかった自分に対する深い自己嫌悪。しかし、いつまでも落ち込んでなどいられない。まだあの男の目論見は終わっていないのだから――。

 と、海斗はふと妹の存在を思い出した。柚葉は男と相対した際あの場からすぐに離脱したのでたいした怪我はないはずだが、それでも少し心配だ。

 ざわざわと込み合う人込みの中から柚葉を捜す。派手な衣装を着ていたおかげで、すぐにその姿を見つけることが出来た。

 海斗はホット安堵し、妹のいる方へ進んでいく。

 「柚、大丈夫だったか?」

 耳に付く喧騒の中でも聞こえるよう、比較的大きな声で妹の名前を呼んだ。

 少しスカートが埃で汚れているが、幸い目立った怪我はないようだ。安心した。が、いつになっても反応がないので、少し目を険しくした。すぐそこにいる柚葉はきゅっと口を噛みしめ、恐怖を顔に浮かべていた。よく見ると瞳にはうっすらと涙が浮かび、小さな体は小刻みに震えている。

「柚……」

 もう一度声をかけたまさにその時、海斗は目の前で起きている光景に言葉を失った。柚葉は同級生から、故意的に避けられていたのだ。

「みんな、そんな目で見ないでよ。私は大丈夫だから。乱暴とかしないから」

 柚葉は震える声で訴える。その場に立っているだけでも辛い筈だ。それでも今目の前で起きている現実を受け入れられず、柚葉は一歩前に出る。

「近寄らないで! よくも今まで私たちを騙してたわね。この化け物! 人殺し!」

 中学生が発する言葉には、労わりの心など微塵も介在しない。人間とは共通の敵を見つけた時のみ、本当の意味で団結する生き物だ。

 次々に心無い言葉が叫ばれ、今まで我慢を通していた柚葉もついに――。

 「どうして、どうして分かってくれないの!」

 すでに自分を失っているようだった。感情が暴れ出し、体が徐々に獣の姿へと変貌していく。

 殺傷衝動。

 獣人が危険な存在だとなされている一番の問題。怒りにや悲しみに駆られ抑制が利かなくなり、無意識に獣化が進んでしまう。野生の血が心身をともに蝕み、暴虐の限りを尽くさなければ気が済まなくなるのだ。

 このままでは柚葉は本当の意味で化け物になってしまう。海斗は焦りと悔しさの念を無理やり押し殺すと、柚葉の矮躯をぎゅっと抱きしめた。

 「柚。大丈夫だ……。そんなに悲しむことはない。また友達なんてすぐに出来るよ」

 「はあ……はあ……」

 耳元で繰り返される妹の喘ぎ声には、憎しみの音など微塵もない。そこにあるのは悲壮感と、何もできなかった自己への憐みだった。

 「柚……」

 声が出ない。妹の顔が見れない。

 多少は落ち着きを取り戻したのか、柚葉の獣化は段々と収まり、何とか殺傷衝動を抑えることが出来た。

 怪我がなくて安心した? ふざけるな――。

 海斗は自分を強く罵倒した。

 内側がどうなっているかも知らず、なにを呑気な事を言っているんだ。柚葉はしっかりしていても、まだ幼い中学生だ。不安定な年ごろでもあるし、何かに縋って甘えたいことだってたくさんあるのだ。なのに自分はいつも柚葉の寛容さに甘え、戦争というどうにもならない問題を盾に、今置かれた状況から逃げ続けている。

 卑怯者――。

 この言葉がここまで似合う存在は、自分以外にまずいないだろう。

 首元まで涙を滴らせる妹を抱え、自分たちを見世物にする集団からすっと距離をとった。ここにはもういられない。

 柚葉は一度富雄の所にでも預けよう。普段からふざけている研究者の顔を思いうかべると、少し遠くの方から自分を呼び止める声が聞こえ、海斗はぴたりと制止する。

 「海斗君。ちょっと待ってくれ」

 声の方を振り向く。そして立っている男をみて、海斗は目を疑った。そこにいたのは、日本国大統領「キサラギ」その人本人だったからだ。

      

                      


 「国のトップがなんでここに……」

 おそらく、この場所が今の日本で一番危険な区域だ。

 海斗は驚嘆を隠せなかった。よりざわめき始めた人々の注目を一身に浴び、国の最高権力は一歩海斗の方へ出る。

 「いやいや。いきなり声をかけてすまないね」

 国を治める者特有の重厚な声音が、損壊した街並みに心なしか妙な落ち着きを与えていく。

獣人に話しかける国のシンボル。その光景が異質過ぎて、騒々しかった人間たちは一瞬で軽口をたたくのを辞めた。

 日々感じていた権力者という嫌な肩書に似合わず、大統領は非常に物腰の柔らかい人物だった。

 「……」

 海斗はすぐには答えられず沈黙した。確かに今、大統領は自分の名前を呼んだはずだ。

 以前、自分はこの男と会ったことがあっただろうか?

 いくら思いだそうとしても無理そうなので、海斗は気持ちを落ち着かせる為深く吐息をつき、改めてその男を正面に見据える。

 「俺に何か? 悪いですけど、この騒ぎは俺がやったんじゃないですよ」

 やったかやってないかなど、人生においては全く無意味なことだ。大切なのは信用。自分が獣人である以上、事実など簡単に曲げられてしまう。普段ならそれでいい。が、海斗は自分の胸の中で眠る柚葉の温度を感じ、。

 ここだけは譲れないのだ。自分たちは悪じゃない。ただの人間だ――。

 海斗は断言すると、大統領はきょとん顔になり、いやいやと体の前で右手を振った。

 「分かっとる分かっとる。君はジンクを止めただけなんだろ? 何も君を犯人に仕立てようとしたわけじゃないから安心してくれ」

 大統領の温厚な対応に、海斗は面食らった。それと、新しい単語を耳にし、反射的に聞き返す。

 「ジンク?」

 「何? 奴の名前を知らんのか? わしは君らの事は昔からよく知っとるよ」

意味深な発言が耳に残る。

 どうして? と口を開こうとすると、大統領は昔の記憶を伺うような遠い目になり、

 「とりあえず、君に話したいことがある。ついてきてくれないか?」

 海斗は小さく頷く。

 警戒を解いた訳ではないが、何故かこの男の事は信用できた。

 それ以上何も言わず、海斗は老体に続く。

 老体の小さな背中には、時間が限られているという焦りのようなものが浮かんでいるように見えた。

 

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