第4話 彼女との出会い

 海斗の住むエリア第6区は東京の中でも外れに位置し、戦後の現在も殆ど開発が進んでいない。深い森や畑、田んぼなどの緑が盛んで、ここがエリア第一区から電車で20分の距離だとは、正直信じがたい。

 駅を出てすぐのところに小さな商店街があるものの、この時間殆どの店は閉店して、あたりは本格的な漆黒に塗られていた。

 「嘘だろ……マジか……」

 少し早めに歩を進めていると、海斗は雨粒が額に触れたことに気づかされ、顔全体を顰めた。

 朝見た天気予報に雨マークがついていた事を今しがた思い出し、ちいさく舌打ち。自分の計画性のなさに、途方に暮れる。

 降り始めでまだ小雨だが雲の匂いが近いので、待たずしてすぐ本降りになるだろう。当然傘などある筈もないので、海斗は出来るだけ木々の下を通るよう心掛け歩くようにした。

 そして、予感通り、間もなくして滝のような水滴が地面をたたき始め、星一つない空には稲妻が走り始めた。もともと人口の少ないこの土地のから余計に人の気配がなくなり、残るのは自分の足音と木の葉のさざめき音のみ。

 急ごうにも既にずぶ濡れなので、無理して走るのも馬鹿馬鹿しい。開き直り、海斗は速度を、緩め道の角を曲がろうとすると、

 「きゃっ……」

 誰かにぶつかった。ほぼ感じない綿のような重量感が、胸のあたりに広がる。

 「あの、大丈夫ですか?」

 海斗は上擦った声を上げながら反射的に腕を伸ばし、しりもちをついてしまった相手の前に差し出す。

 が、目の前に広がる光景を確認したその瞬間、海斗ははっと息を呑み、まるで時間が止まってしまったかのような違和に囚われる。何故なら、嘘のように洗練された容姿を持つ美女が、潤んだ瞳で自分を見上げていたからだ。

 地面に流れる長い金髪は闇の中でも煌びやかに輝き、肌は漆黒の夜でも確認できる程の純白で、きめが細かい。澄んだ碧眼は、全ての者を魅了する妖麗さがあった。

 ただ一つ引っかかる点があるとすれば、彼女の服装が、すすけて薄汚れた一枚のローブのみということ。

 色々と訊きたいことは浮かんでくるが、まずは地面から起こすのが先決だと思い、海斗は彼女のほっそりとした手をぎゅっと掴む。寒いのだろうか。弱弱しい感触には、少しだけ震えが混じっていた。ぐっと力を込め、引き寄せる要領で優しく立たせてやると、


「逃げて……にげて……」

「え?」

海斗は急に自らの肉体が強張るのと、鳥肌が逆立つのを感じる。そして、即座に唖然とし、予感する。

 彼女の震えは寒さからくるものなどではない。恐怖からくるものだ。その証拠として碧眼には何かに対する拒絶の色が纏わりつき、すでに海斗の事など意識に無い。

 「一体何が……」

 刹那、海斗たちの周りに豪雨を断ち切るような轟音が響いた。目先に連なる木々が倒れ、水分を含んだ土が弾け飛ぶ。隕石でも落ちてきたのかと訝ってしまう程の、ものすごい衝――。が、無論それは隕石の破壊などではなく、明らかな殺意のある、「人」からの一撃。

 ――案ずることはない。

 頭上20メートル。海斗は金髪の少女を両手に抱えたまま、既に飛翔の態勢に入っていた。頭で考えての行動ではない。元軍人の反射神経が、咄嗟に警鐘を鳴らしたのだ。彼女の身に一つとして傷がついていないのは、もはや必然。

 着地し彼女を下ろすと、先ほどとは一変してしまった景色一帯に目を走らせ、懸念を高める。アスファルトを断絶する腕力と、この一瞬で海斗の視界から眩ませるだけの運動速度。考えるまでもない。

 獣人――。

 海斗は体に感じる緊張を確かなものにすると、

「どこだ! 出てこい!」

雨音をかき消す咆哮を飛ばした。気が緩まぬよう神経を研ぎ澄ませ、彼女には下がっていろと手で合図する。

 豪雨は依然として降り続け、黒は深みを増していく。

 「きっきっき……少し弱らせてから回収しようと思っていたが、まさかこんな邪魔が入るとはなあ……」

 耳に付く様な粘り気のある声が雨に混じり、海斗は即反応。臨戦態勢を崩さぬまま声のした方に目をやり、

 「何のつもりだ。あんた、殺すつもりだったろ」

 「あーあーなんだよ。説教か? そんなのは後にしてくんねえかな? いま忙しいから」

 軽口を叩きつつ悠遊と暗闇の中から姿を現したのは、白いスーツに筋骨隆々の巨躯を包んだ成人男性だった。オールバックに逆立てた黒髪と鋭い三白眼が、異様な威圧感を孕んでいる。右の頬に傷があり、その傷が幾戦の戦いをしてきた猛者だという事を容易に語っているように思えた。

 海斗は濡れた髪をかき上げると、相手を必死に睨みつけ、

 「女の子一人に乱暴して、恥ずかしくないのか?」

 「何だよそんなおっかない顔すんなって。同類同士仲良くしようぜ」

 出来る限りの殺意を向けたつもりだったが、当然のように男の残虐的な表情は怯まなかった。肩の横の当たりをぼりぼりと掻きながら、話を軽く受け流している。

そんな緊張感のない立ち振る舞いに、海斗は内心焦燥していた。

 できれば無駄な争いは避けておきたい。先刻の攻撃を自分がよけた時点で、相手も海斗を獣人だと気付いているようだ。ならばここで威嚇をし、撤退をしてもらうのが一番安全な策と言える。らしくない殺意を体中に張ったのも、それが理由だ。

雨で人の気がないからと言って、これ以上暴れられば被害は最小では済まない。

 「まあそんなに怖い顔をしないでくれよ。いい男が台無しだ。」

 が、海斗の願いも虚しく、相手の大男はまるで考える素振りさえ見せてはくれなかった。不気味に口元を吊り上げると、「それに」と言葉を継ぎ、

 「ここまできて逃がすのも何かなあ。悪いんだが、その女大人しく渡してくれねーか?」

 しゃくった顎でそこにいる彼女を指す。一縷の情けも宿らない、冷徹な声。

 そして、海斗は撤退を促すのが困難だという事を確信する。内心項垂れ、より強い眼光つくってそれを相手に向けると、

 「させないと言ったら?」

 「そりゃあ殺すよ」

 ――。

 風圧が雨を散らした。瞬きをする暇もなく、海斗の腹部に思い一撃が入る。

 「ぐはぁっ……」

 大量の唾を吐くと、そのまま後ろに吹き飛ばされる形で転倒。頭を強く打ち付け、刹那の間意識が揺れる。体を捩るようにして悶えながらも、海斗は男の狂気的な笑みを見上げ、

 「てめえ……」

 消え入るようなうめき声を上げた。

 「いやー! たまらないねえ! 結構効いたかぁ? 誰かを傷付けるってのは、やっぱ最高だなぁ」

 男は天を仰ぎ、降り注ぐ豪雨を恵みの雨とばかりに精いっぱい浴びている。戦いの愉悦に浸り、興奮で胸を上下させていた。

 数舜の静止があるも、海斗は泥に汚れた体を起こし突進。激痛は当然残るが、それでも動かなければ一気にやられるという直感がある。 

 血走る双眸で相手を注視し、顔面めがけ大きく右手を振りかぶった。

 「!」

 が、手ごたえのなさに唖然と歯を剥く。今しがた拳が捉えたのは、突き出された分厚い掌底。

 「おいおいおい。動きが散漫すぎるぜえ。少しは楽しませてくれねーと、手ぇ出した甲斐がねえってもんだ」

 相手はあしらうような態度で、手掌に埋まる海斗の拳ををグッと握ると、

 「おいおい軽いな」

 自分の胸元までぐっと引き、背負い投げの要領で地面に叩きつけた。

 「ぐわぁぁぁ」

 枯れ果てた声が絶叫を上げる。もはや痛みを感じる余裕さえなかった。体を持ち上げようにも力が出ず、重力そのものが辛い。

 「何だよもう終わりか? つまんねーなあ。ちょっと興ざめだが、殺しちまうか」

 男は心底ガッカリしたというように吐き捨て、欠伸を一つ。

 「もう少し遊びたかったんだがな。目撃者がいちゃなんだし、悪く思わないでくれや」

 生気のこもらない声で言った。これから人を殺そうというのに、あまりにもお安い口調だった。

 「辞めてください! そのにそれ以上乱暴したら……」

 その時、海斗は驚嘆で言葉を失った。

 金髪の美女が泰然と叫び、海斗と男の間に割って入ってきたからだ。

 勝てるはずのない敵に向かうなど、馬鹿げている。そうでなくとも、彼女にとって海斗はたった今あったばかりのただの他人なのだ。それに命をかけるなど、どう考えても正気の沙汰ではない。

 「あ? 乱暴したらなんだよ? 言ってみな」

 両手を広げ行く手を阻もうとする彼女に、男は含み笑いを浮かべている。

 彼女は毅然とした態度で男と相対しているが、それは実際ただの演技で、妄言でしかなかった。

 「あなたを許しません」

 厳命のような口調で言うが、ローブから覗くほっそりとした両足は、小刻みに震えている。

 「きゃははははは、泣けちゃうねえ。けど……」

 呼び動作なしに動く男の剛腕を海斗は見た。体躯に力みを入れるも、初動が僅かに遅れる。

 「勇気があるのと死にたがりは違うぜえ!」

 男がかな切り声を上げた瞬間、大気が揺れた。そこで作られた衝撃に、彼女の竦んだ両足は耐えられなかった。崩れ落ちるように膝をつき、その小さな顔は、ずっと我慢していたはずの恐怖に塗られる。

 立ち上がる寸前だった海斗は目をつむった。

 手刀が振り下ろされる。彼女の首が芸術的な断面を晒す。雨と混合した血飛沫が宙を踊る。

 そんな悍ましい光景が、暗闇の中で鮮明に投影された。が、海斗は歯噛みする。現実はそれとはまた違った危険味を含むもので――。


 「ちょっと! あんた何やってんのよ。うちのお兄ちゃんいじめないでくれない?」

 思いがけない声と辺りの違和に気づき、海斗ははっとして目を開ける。そして、目の前の存外に口元をわなわなさせながらも、

 「柚……」

 間一髪のところで金髪の彼女を救ったのは、猫耳と長いしっぽをこしらえた、一人の矮躯な少女だった。

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