1◆遭遇

 トラップフロアとなっていたビル上層部を人狼と化した少年兵は強引に突破する。綿密に敷き詰められた銃器と魔法のトラップは彼を傷つけ苦しめこそすれど撃退するにはいたらなかった。

 アッシュが罠を抜け最上階にたどり着くとプライベートプールが広がっていた。ガラス張りの天井から差し込む光が、澄んだ水面に満天の月をうつしている。

 月の光は魔力を宿し、その恩恵を受けた人狼は限りなく不死に近い生命力を得られる。小さな肉体に刻まれた無数の傷が次々と塞いでいく。


「なにやら階下が騒がしいと思いましたが迷い犬でしたか。それもずいぶんと薄汚れていますが……ここは浴槽ではありませんよ」

 プールのわきに月色の髪を編み込んだ少女がビーチチェアでくつろいでいた。

 小柄だが頭身が高く、背の開いた水着をなだらかな身体に張り付けている。晒された肌は粉雪のように白くみる者に妖精を幻想させる。だが薄氷の笑みを携えた顔立ちは、整いすぎているが故に人間味を欠落させていた。

 抑揚の低い声で語りかけた少女は、金色に輝く瞳でアッシュを一瞥しただけで手元のワイングラスへと視線を戻す。そして中の赤い液体を空気と混ぜるように揺らした。

 武装した侵入者――それも月下の人狼という脅威を目の当たりにしながらも、泰然たいぜんとした態度を微塵にも崩さない。

 それは侵入者であるアッシュの方も同様だった。指定場所にいる暗殺対象が見た目麗しい少女であることに動揺はない。

 彼にとって対象は切ると血を吹き出す的にしかすぎず、それが美しかろうが醜かろうが関係ないことだ。誰もが死ねば腐敗して悪臭を放ち、やがて見向きもされぬ骨となるのだから。

 アッシュは引き抜いたままのコンバットナイフに魔力を込める。魔力を糧に魔術が発動すると、ブォンという耳障りな音とともに刀身が振動をはじめた。

「それにしてもウッドさんたら、いくら今宵の月が見事なものでも、こんな可愛らしい子犬さんを素通りさせてしまうのは、いささか手抜きがすぎるのではないでしょうか」

 少女はグラスを置くと立ち上がり、薄手のラッシュガードに袖を通す。

 突如、灰色の影が少女の間近にまで飛び込む。影は異音放つナイフを細い首筋まで運ぼうと下から狙った。これまで幾度となく繰り返されてきた所為にアッシュは目的の達成を確信する。

 だがその経験則は少女の何気ない動作によって砕かれた。無防備に思われた少女の手に、いつのまにか深い闇色の剣が握られ、それが彼の強襲を防いだのだ。

「ずいぶんと使い込まれたナイフですね。染み込んだ血が臭うようです」

 少女はナイフを抑えた剣を振り払い、密着寸前のアッシュと距離をつくる。続けて剣を頭上にかかげると、手元の剣を模したものが背後の空間一面に浮かびあがった。

「もっと高価な品……というのはあなたの財力では難しいかもしれませんが、せめて新品かそれなりに清潔に保ったものを用いないと。相手に嫌われてしまいますよ」

 レクチャーするように戯れ言を口にすると剣を振り下ろす。それが合図となり剣の群は矢となりアッシュへと襲いかかった。

 とっさに回避行動をとったアッシュだが高速飛翔する剣の全ては交わせない。深手こそ避けたものの身体にいくつもの裂傷が走り、プールサイドに血だまりをつくる。

「あらあら、粗相とははしたない。まったく誰が掃除をすると思っているのやら。まぁ私ではないのですが。

 それとさきほどの冗談ですが、面白かったらこらえずとも笑ってもかまわないですよ?」

 感情を伴わない表情のまま少女は許可を与える。

 だがいかに満月下の人狼が不死に近いとはいえ、斬られた直後にそれを要求するのはあまりに酷な話だ。なにより彼はすでに二年以上も笑っていない。面白くもない冗談で笑えようはずもなかった。

 アッシュは今の攻防で目の前の少女の姿をした魔法使いが、これまで対峙したどんな相手よりも強いと確信した。

 意識の集中すら感じさせず無数の剣を生み出す魔法。人狼の身体能力すら上回る俊敏な動き。そして暗殺者を前に眉一つ動かさぬ強烈な個性。どれもが暗殺を阻むやっかいな要素である。

 仕事の難易度が高いことは教えられていたが、さすがにこれほどの魔法使いが存在するとは想像外だった。それでもアッシュはか細い勝機を杖に、傷ついた身体を無理矢理立ちあがらせる。

「まだ続ける気ですか? 逃げるならそれでも構わないのですよ。面倒ですから追う気もありませんし」

 能面のような表情のまま話す少女を無視し、アッシュはナイフをフォルダに納めてハンドガンに手を引き抜く。

 銃身に仕込まれた定着魔術は強度を上昇させるもの。さして珍しいものではない。だが充填された弾丸は特別仕様だ。呪血弾じゅけつだんと名付けられた弾丸は魔法使いの血液を凝縮・精製した特殊弾頭を用いる。豊潤な魔力を有した弾頭と、特別に精製された火薬の組み合わせは小型であるにも関わらず、爆弾じみた破壊力を持つ。量産にこそ向かないが、個人で携帯できる兵器としては最高峰の火力を有している。

 だがアッシュはその銃口を少女に向けなかった。いぶかしむ少女の前で弾倉を引き抜くと、込められた弾丸を一発弾き出す。スプリングの反動で浮きあがった呪血弾が彼の口元を漂う。その瞬間、アッシュはソレを噛み砕いた。

 幼い身体に膨大な魔力が駆けめぐる。獣化によって強化されているとはいえ、それは多大なる負荷となってアッシュを襲った。だが血臭漂う魔力は彼の超人的な身体能力を更に一段階引き上げる。激痛に息を乱しながらも、アッシュは再びナイフを引き抜き少女へと飛びかかった。

 それは文字通り目にもとまらぬ早さとなった……が、それでも刃は柔肌に触れることはない。アッシュがナイフを振るうたび黒剣が進撃を阻む。

「なるほど、そういう使い方をしますか、面白いですね。これっぽっちも笑えませんけど」

 飛燕のごとき連続攻撃をそれでも少女はいなし続ける。そして隙をみては斬り返すが、アッシュは常人なら動けぬほどの重傷を負ってもひるまない。

「暗殺者というより、狂戦士みたいですね。よくそんな戦い方で生き抜いてこられたものです」

 強く、美しく、住処にも恵まれた魔法使いの上から目線の言葉はアッシュの気に障った。彼の中になんとしても相手を屠りたいという嫉妬まじりの願望が込みあがる。それは彼に更なるアクセルを踏ませた。

 引き抜いたままの弾倉から追加の呪血弾を弾き跳ばし、もう一度それをかみ砕く。

 呪血弾の連続使用は意識を失いそうなほどの激痛を伴った。傷口から伝わる痛みすらも戦意に昇華させる。

 刹那に煌めいた刃が少女のラッシュガードを引き裂く。だが少女本体は無数の蝙蝠となり分散し、それを避けていた。蝙蝠は彼と距離をとると集合し、再び少女の姿を形成する。

「いまのはなかなかです。ですがそれはいつまで持ちますか? 容易くあきらめを覚えては今後の成長に障りますが、かといってなりふりかまわない行動は確実に寿命を縮めますよ。そもそもどれだけコンバットナイフそれを振るったところで私を滅ぼすなど不可能です」

 少女はあきれるように宣言するが、魔法回避からの発言はアッシュに苦し紛れであると感じさせた。

 少女とアッシュの差はあと一歩のところまで迫っている。

 それを察したアッシュは三発目の呪血弾を弾き出した。それで今度こそ魔法使いを殺すと決意する。

 だがそれは彼の口元にまでとどかない。白魚のような手が伸び、空中でそれをかすめ取ったのだ。だが強引な手法は少女の体勢を崩していた。

 瞬間、アッシュは水着で包まれた腹部を相手の剣の届かぬところから狙う。少女は空いている手の指二本でそれを挟み込むと、クッキーでも砕くようなたやすさでそれをへし折った。

 武器を失ったアッシュはそれでもひるまない。隣接した華奢な体躯へと強引に手を回す。

 大理石を思わせる見た目とは裏腹に、触れた肌は意外にも熱を帯びていた。だがそんなことに関係なく背に回した両腕に力を込める。並の魔法使いなら即死の力だが、少女はそれにも平然と耐えた。それでも簡単にはふりほどけはしない。

 そこでアッシュは目的の半分を果たした。

 アッシュの失敗を予想していた仕事の依頼主は彼の心臓にある魔法を定着させておいたのだ。彼の死をトリガーとして発動する魔法を。むしろ依頼主にとっての本題はその魔法を発動させることにある。

 その魔法とは体内に魔力の宿った血液を巡らせる中心地――心臓を爆弾に変えるものだ。発動すればビルひとつくらいは余裕で吹き飛ぶと教えられているが、万全を期すために目標を目視、あわよくば接触してからの発動が好ましかった。

 それはアッシュが死なずともキーワードを唱えることで発動する。彼は捕まえた好機を逃さぬようためらわず唱える。

「灰燼に帰せ」

 アッシュの脳裏に殺伐とした記憶が走馬燈のようにめぐった。

 初めて人を殺した夜のこと。死んでもすぐに補充される少年兵なかまたちのこと。敵も味方も死に絶えた血塗れの戦場……。

 人狼である彼ですら、これまで生き残れたのが奇跡と思いえるほどの惨状。そんな場所を日常としていれば、死への恐怖すら麻痺して消える。

 むしろ自分が死んでも約束が果たされるのであれば、幸運だとすら思えた。

 アッシュは爆弾が発動するまでのわずかな時間を待ち瞼を閉じる。だがいつまで経っても彼の心臓は爆発しなかった。

「いつまで抱きついてるつもりです」

 ついには少女によって腕をふりほどかれる。

 限界を超える力を使ったアッシュの人狼化は解け床に崩れ落ちた。彼はもう、疑惑の視線で少女を見上げることしかできない。

「よくもまぁ、あなたごときがやらかしいてくれたものです……」

 言いながらも、月光色の双眸はアッシュをみてはいなかった。掲げた手から血が伝い、少女の水着を湿らせている。

 だが流れているのは少女の血ではない。彼女の手の内で脈打つ肉の塊だ。

 そこでアッシュは己の胸に開けられた穴の存在に気づく。少女が手にしたそれは本人アッシュすら気づかぬうちに抜き取られていた彼の心臓であった。

 だが重要器官を失ったにもかかわらず彼は死ななかった。それは自分が人狼だからではなく、相手の魔法の影響だと気づく。

「乙女の柔肌に無断で触れたのです。楽に死ねるとは思わないでください……ね?」

 そう宣言すると、少女はそれに口づけをし唇を赤く染めた。

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