羚庵堂の手紙

ミロク

或る教師の話

第1話 取り残された男

秋の暮れ、太陽のオレンジの光が差し込むリビングの椅子で小説を読んでいた。

耳鳴りがする。外から聞こえる朗らかな鳥の囀りではなくキーンとした機械みたいな、でも聞き覚えのある音。


音は次第に形を変え、頭中を這いずりまわり、そして1番聞き慣れた声へとなっていく。


「……みなさま、大変お忙しい中お集まりいただきまして誠のありがとうございます……。この度は…………」


他でもない私の声だ。内容もわかる。


あの日の事だ。


私の日常が壊れた日。


一番大事な人を、失った日。


思えば、良く最後まで号泣せずに言えたものだ。

もっともその後家で一晩中泣いたものだが。


ふと感情に浸っていると耳鳴りは消えていた。


読んでいた本を置き古びれた長机から立ち上がった。


コーヒーでも入れよう。


戸棚を開けめっきり使う機会が減ったコーヒー引きに手を伸ばした。


豆をセットし、ゆっくりと挽いていく。


部屋中にコーヒーのいい匂いが広がる。


この香りが好きだった。


休日の三時を少しすぎるとこうしてコーヒーを良く挽き、彼女の作る特製クッキーとともに美味しくいただいたものだ。


以前ならば。


もうお茶を一人でするようになってから1ヶ月ほどが経った。


私はブラックで濃いめに入れたコーヒーを一口啜った。

味わい深い苦味が口に広がる。


塾も休業し、体も心も休めた。


でも立ち直れない。


気づけば昨日のように思い出す。


生活を


思い出を


そして、笑い声を。


認めたくないのだろう。


彼女———自分の妻に先立たれた事を。


………文香、私はどうすればいい?


二人でやっていた塾、子供達にどんな顔をすれば良い?


今の俺に何が教えられる?


天真爛漫な君と違い、私は今打ちひしがれている。


明くる日も明くる日も前を見ることが出来ないのだから…



家の何処かで、ギシッと何かが軋む音が聞こえた気がした。







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