第12話 むにゅん

 あまりにも楽しくてドキドキした三連休だったから、月曜日に満員電車に揺られていると……あれは夢だったんじゃないかと思ってきた。

 仕事に忙殺され、考え事をする余裕もなく仕事を終えて家に帰ると、ふうと息をつきジャージに着替える。

 

 あー、うー、とローズをやった後にベッドで転がりながら、由宇のはにかんだ微笑みとか、耳まで真っ赤にした様子とか想像しながらもだもだと転げまわる。

 我ながら気持ち悪いな……まあ、誰も見てないし。明日も仕事だし、ビールを一缶飲んでから歯を磨いてすぐに羊さんを数えて、就寝した。

 

 翌日も同じように仕事をこなし、ジェラートを食べてから帰宅すると家の前に人影が……あ、あの黒髪ロングの小柄な女の子は由宇じゃないか。

 彼女はぼーっと扉の前に立ち尽くしたまま、空を見上げていた。

 

「ユウ、どうしたんだ?」

「……せ、先輩……突然すいません……あ、あの……」


 由宇はわたわたとしながら、スマホを握りしめて何か言いたそうにしている。

 あ、ひょっとしてこれは。俺はポケットからスマホを手に取ると、ローズにログインした。すると、予想通り……

 

『ユウからメッセージが届いています』


 さっそくタップして開く。

 

『すまない、アイ、君の家から帰ってきてから、例の声がよけい気になって。君の家に行ってもいいだろうか?』


 一日仕事をして現実に戻っただけで、とても楽しくてあれは夢だったと思えるくらいの三連休だったしさ。

 こうして思わぬところで彼女と会えたことで、俺の頬は自然と緩む。だから、来てくれるのは迷惑どころか、とても嬉しいよ!

 

「ユウ、ごめん。昼間は『ローズ』にログインしてなかったよ。連絡があるならラインとかショートメッセージかなと思ってて」

「……いえ、私もショートメッセージを送ろうとしたんです……で、でも騎士ユウじゃないと送れなくて……」


 由宇の気持ちは理解できる。いくら来てもいいって言われててもなかなか言えないよなあ。それでも彼女はRPロールプレイキャラの騎士ユウとして、ちゃんとメッセージをくれたんだ。

 どんな思いで俺にメッセージをくれたのかと思うと、ニヤニヤしてしまう。

 

「……先輩、いじわるな顔してます……」

「ごめんごめん、由宇がどんな顔をしてメッセージを送ったかと思うとさ、つい」

「……もう……」

「いつでも来ていいよって言ったじゃないか。遠慮せず来てくれたらいいよ、入って」

「……あ、ありがとうございます……」


 未だ遠慮しているのか戸惑う由宇の手を……に、握って部屋の中へ招き入れると靴を脱いでコタツの電源を入れる。


「……手……」


 由宇がさっきまで俺が握っていた手を見つめてボソリと呟いていた……さっき触れたばかりの由宇の冷たくなった手の感触が思い出されて。

 うわあ。うわあ。い、いや、そんなことじゃない。彼女は寒い中、どれだけ待っていたか分からないけど、あんなに冷たくなるまで外にいたんだぞ。

 

「由宇、風呂に湯を張ってくるから、溜まったら先に入ってくれ」

「……はい。ありがとうございます」


 風呂場から再びコタツに戻ると、彼女はまだ立ったままだった。 


「コタツに入って、少しはあったまってくれ」

「……ま、まだ冷たいので……」


 由宇はあぐらをかいた俺の隣にペタンと座り、肩をよせてくる。

 ぬああ、こ、これは肩を抱いていいのかな。いいんだよな? お、落ち着けええ、俺ぇええええ。

 こ、こんな時は何かないかあ、何かないかあ。ああ、呪文でも唱えるか。エクスペクト・パトローなんだっけえええ。覚えてないから分からん!

 

 あたふたしているうちに、風呂から水が流れ出る音が聞こえる。うわああ、湯船から湯が溢れてる音だああ。

 一体俺はどれだけ、固まっていたんだよ。時の流れとは恐ろしいものだな……

 

 そんなわけで、結局ヘタレた俺は由宇を抱きしめることもできず、彼女は風呂へ入っている。

 あ、あの絶好のチャンスをものにできないとは、きっと後悔するぞ、明日の俺……ハア。

 

 ◆◆◆

 

 由宇が食材を買ってきてくれていたから、彼女の作ってくれた夕飯を食べてローズで遊んでからコタツに潜り込む。

 俺は寝る前にスマホで円周率と素数を調べ、頭に叩き込むことにした。次こそは、どっちかで落ち着いてみせる。これまでの俺よ、さらばだ……

 さて、羊さんを数えるとするか。

 

 朝起きると由宇の姿はすでになく、コタツの上に書置きが残っていた。


『先輩、いってきます。いってらっしゃい』


 くうう。いいなこれ。惜しむらくは由宇が起きた時に起きれなかったことだ。

 

 俺はウキウキとした気持ちで会社に行って、仕事をこなして帰って来る。いつもは暗い窓越しに明かりが見えて、誰かがいることがすぐに分かる。

 

「ただいまー」

「……おかえりなさい、先輩……」


 うああ。いいな、いいよなこれ。「おかえりなさい」をいただきましたー!

 って由宇が頬を少し朱に染めて恥ずかしがっているじゃないか、俺もだけど……

 

「……お食事はできてます、先輩。先にお風呂、入りますか?」


 こ、これが噂のあれか。お食事、お風呂、それとも、あ・た・しってやつかあああ。

 「あたし」がないのは残念だが、贅沢は言えぬ。もう迎え入れてくれるだけで俺は満足だ……

 

 彼女が連泊してくれることは嬉しいけど、抱えた問題が解決したわけじゃないんだよな。土曜日までは我慢してもらうしか……いや、いっそのこと俺とど、童貞、童貞ちゃうわああ。

 しかも、そうじゃなくて同棲だ。いかん、舞い上がり過ぎてよくわからなくなってきた。

 彼女は真剣に悩んで、仕方なしにここに来ているかもしれないじゃないか。行くところがないから……そうじゃなかったらいいなあ、とか。


 翌朝も由宇が出ていくところは見逃したけど、「今日はバイトで遅くなります。これ、よかったらお昼に食べてください」という置手紙と共に、お、お弁当が。

 お弁当だよ、夢にまで見た女の子が作ってくれたお弁当がここにあるんだぞ。

 すげえ、すげえよ、お弁当ぉおううう。あ、朝から興奮し過ぎて血管が切れそうだよ。

 

 ◆◆◆

 

 そんなこんなで、結局由宇は週末まで俺の家で泊まって、土曜日を迎える。

 宅配便が来る前に、工具を持って由宇と一緒に彼女の家へ到着すると、防音パネルを取り付ける準備をしてたら荷物が到着した。

 

 立方体の収納ケースの上に乗っかって、パネルを貼っていく。し、しかし、これ安定感が悪いな……


「……せ、先輩、気を付けてください……」

「うん、え、支えなくてもだ、大丈夫ぅうう」

「きゃ!」

「ご、ごめん……」

「……いえ、私が驚かせてしまって……」

「あああ、重いよね。すぐどくから」

「……ゆっくりで構いませんよ?」


 由宇が俺の腰を支えてくるものだから、くすぐったくなって真後ろに倒れ込んでしまった。

 頭が彼女のお腹に当たってお尻から彼女を押しつぶしてしまったんだよお。むにゅんとして……い、いや何でもない。

 

――二時間後 

 

「よっし、完成だ!」

「……ありがとうございます。先輩……」

「これで、ゆっくり寝ることができるね」


 俺は若干の寂しさを覚えながらも、由宇にそう言った。

 すると、由宇は両手を胸の前で握りしめて、ひしと俺を見つめてくる。

 

「……せ、先輩……あ、あの……で、できれば……できればで……」

「どうしたの?」

「……今晩、泊って行ってくれませんか?」


 何だって!?

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