第7話 ご飯粒

「……先輩、キノが女性だと分かったのは、彼女の動きが止まってしまい、とあるクエストに失敗したことからなんです……」

「へえ、キノとユウの二人がクエスト失敗って珍しいな」

「……彼女は焦っていたのか、ついチャットで『血がついちゃった』って発言したんです……」

「ほお。怪我でもしたのかな?」

「……私もそう思って、テルで『怪我だったらゲームを中断して』と伝えたんです……」

「あ、だいたい察しがついたから、もうその先は……」

「……はい……」


 具体的にどうだったとか聞きたくねえよお。由宇は淡々と話をするから、こっちが恥ずかしくなってきたよ……

 まあそのなんだ。そういうことね。俺は男だから分からないけど、そういうこともあるだろう、うん。

 

 俺が会話を止めてしまったことで、また無言の空間に。これはいかーん、と俺は首を振って残っているご飯を一息で食べきった。

 

「ご、ごちそうさま」

「……先輩、ちゃんと噛まないと……」

「え?」


 由宇の手が俺の口元に伸びるうあう。


「……ご飯粒がついてますよ」

「あ、ありがとう」


 由宇は指先についたご飯粒をペロリと舐めとった。お、俺の口についていたご飯粒をだ。

 でも、その行為が恥ずかしかったのか、由宇の頬に朱が差し丼で顔を隠してしまった。


「え、ええと、これシンクに運んでくる」

「……う、うん……わ、私も食べ終わりました!」


 ご飯を詰まらせたのか咳き込みながら返事をする由宇へ微笑ましい気持ちになった俺は、彼女の器も手に持ってシンクへ向かう。

 あ、由宇も人の事言えないじゃないか。ほっぺにご飯粒がついてるぞ。シンクに食器を置いた俺は、コタツに座る由宇へ顔を向ける。


「ユウ、人の事言えないぜ」


 ひょいっと彼女のほっぺからご飯粒をつまむと口に含む。


「……せ、先輩……」


 由宇は耳まで真っ赤にして長いまつ毛を震わせた。うわあ……お返しだ―。と軽い気持ちでやったのはいいんだが、想像以上に気恥ずかしい。何これえ、全然エロイシチュエーションじゃないのに、ここまで俺のハートへブローをかましてくるとは。

 侮れぬぞ、ご飯粒……

 

「……せ、先輩……それをやっていいのは私だけなんです……」

「そ、そうか……ご、ごめん……」

「……わ、分かってくれればそれでいいんです!」


 由宇……自爆してないか? 彼女は自分で言って更に恥ずかしくなってきたのか耳まで真っ赤にして肩を震わせ始めたではないか。

  

「あ、洗い物してくるよ。この後は……先にお風呂入っちゃうかー。洗い物終わるまで待っててくれ」

「……わ、私が洗います……」

「じゃ、じゃあ、一緒に洗おっか」

「……はい!」


 そんなわけで昨日と同じように洗い物を行う俺達。手と手が触れ合って、変な気持ちになってくる。

 

 今日は由宇からお風呂に入ってもらって、俺は昨日と同じように悶々としながらシャワーの音へ全神経を集中させた。

 ここまで集中力を発揮させたことは久しい……罪なものだな。シャワーとは……とか勝手に黄昏ていたらドライヤーの音が響き始めた。

 

「……先輩、お先に失礼しました……あ、あの……」

「ん?」

「……せ、洗濯機を回すと先ほど言っていましたよね?」

「あ、ああ。そろそろ回さないとなあと思ってたけど……」

「……わ、私のもご一緒させていただいてもいいでしょうか? ほ、干すのは私がやります……」

「あ、うん……」


 いいのか、下着とか俺の部屋でヒラヒラしてもいいのか? 俺は大歓迎だが!

 しかし、由宇の続く言葉は、俺の期待を打ち崩した。

 

「……あ、あの。今日、ファミレスで、その、私がドリンクをこぼしちゃって」

「あ、ああ」

「染みになると困るので……」


 と言いながら由宇はベージュ色のブラウスを見せてくる。なるほど、裾の当たりにジンジャーエールのこぼれた後があるな。

 

「洗濯するのはそれだけでいいのかな? だったら、ネットに入れて放り込んでおいてくれないか?」

「……はい! ありがとうございます」


 舞い上がってしまった自分が情けなくなってきた。よおし、風呂に入るかなあ。

 しかし、俺はまさか自分の洗濯機で女性物の下着を洗うなんてこの時思ってもみなかった。

 

 ◆◆◆

 

 さて、風呂である。一人暮らしらしく、一般家庭にあるような自動お湯張り機能ってものはないし、由宇もシャワーだけで済ませたから俺もシャワーだけにしようかな。

 当たり前だが、風呂の床は濡れている。お、俺の足の裏に触れているこの水が……由宇のきめ細かな肌を撫でて下に流れていったんだよな……ゴクリと俺は喉を鳴らす。

 い、いや何を考えてんだ俺は。こ、ここは電車で上手く行ったお経を唱えて心を落ち着けようじゃないか。

 ――度一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし 色不異空しきそくぜくう 空不異色しきふいっしき 色即是空しきそくぜくう、色即是、色即是、色欲、欲、だあああああ。ダメだこらああ。余計なことを考えてないでとっとと洗っちまおう。

 

 浴室から出て洗濯機を回してから、部屋に戻るとちゃんと化粧をした薄い青色のパジャマを着た由宇がコタツにペタンと座っていた。

 彼女が着ているパジャマはズボンと中央にボタンが並んだよく見るパジャマだ。し、しかし、普段パジャマなんて着ない俺からしてみればこれだけでもグッとくる。

 だって、普段パジャマなんて見る事ないものお。女の子がパジャマを着て俺を待ってるなんて、分かるだろお? 

 

「ずっと化粧をしているけど、大丈夫なのかな?」

「……い、今は眉だけです……」

「そ、そうなんだ……」


 き、聞かなきゃよかったあ。化粧しても変わらないとか暗に彼女へ悪口を言っちゃたかなあ。正直パジャマ姿に見とれていて、彼女の化粧まで良く見てなかったんだ。

 だって、眉だけ描かれていて後はすっぴんでも違和感なく可愛いんだものおお。言われてみたら確かに、頬にチークはないし、唇だって薄い色だ……


「ご、ごめん、か、可愛かったら違和感なかったよ……」

「……せ、先輩……そ、その言葉はズルいです……」


 ああああ、何言ってんだ俺はあ。混乱してとんでもない言葉をのたまってしまった……

 そして、お互い顔が赤いまましばらく時間が流れる……流れる……あああ、耐えられん、この沈黙うう。誰かあ、ヘルプぅー。

 

「ユ、ユウ……『ローズ』やろうか?」

「……う、うん……」


 つってもアイでやるのは恥ずかしい……いや、目の前に由宇がいなくてローズでイケメン騎士のユウと「こんばんわー☆」とかやっても恥ずかしくはないんだけど。

 目の前にいるってのがダメなんだよおお。


「あー、新キャラつくろっかなあ……」

「……先輩、アイが嫌になっちゃったんですか……」


 突然涙目になる由宇へ俺は焦ったように違う違うと否定する。

 

「た、たまには違うキャラで遊ぶのも新鮮かあなと思っただけだよ。でも、キャラ作るのは課金必要だし……」

「……私はアイがいいです……」

「そ、そうか、そうだよな……ははは」


 無理でしたー。

 パソコンを立ち上げてローズにログインすると、今日は昨日いなかったラサも来ていて全員が揃っていた。

 

『こんばんわー☆ みんな元気だったかなー? アイちゃんきたよー☆』


 う、打ったぞ、アイらしいチャットを。こ、これでいいんだよな? 由宇?

 俺は由宇へ目をやると、彼女はとても愛おしそうな目で自分のパソコン画面を見つめていた。うああ、アイのキャラがそんなに好きなのかよ。

 は、恥ずかしいけど、由宇があんな顔するんだったら悪く無い。俺はそう思うと、開き直ってアイになりきりノリノリのチャットを続けるのだった。

 し、しかし、この後思ってもみない事態が起こる。

 

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