21・月に憑かれた物狂い(part.1)


 ――南アフリカ共和国・北ケープ州・サザーランド。

 小規模な集落の他には何も存在しない乾燥地帯であるこの地には20世紀後半から天文台が建設されていたが、その名を世界的に高めたのは2005年に建造された口径10メートルの巨大な可視光赤外線望遠鏡である。

 広大な荒野の中に巨大望遠鏡を構えた近未来的球型ドームが聳え立つ光景は、それ自体がかつて多くの人を引き付けたものだった。

 月の大消失以降世界の主要な天文台のほぼ全てが天災人災によって失していく中、南アフリカ天文台は都市部から遠く離れた高地に存在していた故にその機能を未だ喪失していなかった。

 此処には今、遥か遠くから渡って来た私達が滞在している。


 観測所の宿舎に設えた私室で夕部ゆうべ――時計が18時半を指しているというだけの意味だが――の祈りを済ませた後、私は硬いベッドに寝転がり、打ちつける風の音と共に裸電球だけが揺れている天井を眺めながら時を過ごしていた。

 ここ数日はずっと砂嵐が続いている。これだけ吹き荒れている状況では天体観測など望むすべも無く、嵐が過ぎ去るのをただぼんやりと待っている事しかできなかった。天文学者という人種は天候に恵まれなければ全く無用の長物で、ヴァチカンに居た頃からよくある事だった。


                 ◆


「私達は少なくとも、ティコやケプラーの時代からやり直す事になるのね」

 何日か前、イタリアから連れ添ってきたイザベラ女史がそう語っていた事をふと思い出す。

 砂嵐の合間を縫うようにして観測した天体記録を整理し、かつての天体運航表の予測値とはまるで変わってしまっている星々の動きを大まかにでも掴むべく二人で計算を繰り返している時だった。私は図面と計算式に向かい合いながらこう答えた。

「ケプラーは三十年かかって集められた観測記録を三十年かけて計算し続けて答えを出したが、我々はどれだけかかるか見当もつきませんよ」

 我々がこの天文台に辿り着いて一年余りになるが、天候に恵まれて天体観測を行えたのはせいぜい百回余りだった。おまけにその観測記録は間の空いた日数で割ってみても明らかにずれが生じていた。精度の悪さを差し引いても、それは自転速度や地軸の傾きが事を示していた。

「ヒッパルコスやアリストテレスの時代でもここまで何も分かっていない状態では無かったはずだ。彼らの頃だって、一日は一日だと分かっていたのだからね」

 私達は未だ便宜上機械時計の示す時間を基準にして日数を数え計算を行っていたが、日の出から日没、そして次の日の出までの間隔は機械時計基準で約八時間の周期にまで短くなっていた。単純に考えれば地球の自転速度は三倍にまで早まりかつての一日は三日になってしまう事になる。そうだとすれば一年は1095日という事になるのか。それとも一年の長さがかつての三分の一になってしまうのか。となると星々の動きは……そんな風に考えだすともう頭がおかしくなりだしそうな泥沼だった。

 私は19世紀の珍奇な風刺画の事を思い出す。それは精神病院に押し込められた様々な狂人たちを描いた絵で、自分をナポレオンやローマ教皇だと思い込んでいる狂人達の群れの中で、自分を天文学者だと思い込んだ男が壁にわけのわからない数式を書き殴り続けながら叫んでいるのだ。

 ――『俺は宇宙の大きさを測るんだ!』と。

 ひどく厭な気持になってしまい私は強引にそこから考えをそらす。

 その時ふと、イザベラが私の事をじっと見つめていた事に気が付いた。私の心に一筋の迷いが差し込んだのを見抜いていたのだろう。気分が塞ぎ込んでいた私は些か皮肉がこもった言い方をしていたと思う。

「偉大なる先駆者には敬意を抱くのですが、ガリレオも、またケプラーにしてもそうです。彼らは当然宇宙の形も知らず、自分の何十年がかりの仕事が本当にに結びつくのかも自分では分からなかったはずだ。一生を迫害と終わらぬ苦労に費やしてでも戦った彼らのような気持ちを、私も持てるのでしょうか……」

 なかばうめくようにして目を伏せて突っ伏しながら、そうぼやいた。実際私は弱気になっていた。長い旅を経てようやくたどり着いたこの天文台で世界に引き起こされた大異変の片端についてでも理解できるのではないか、そういう期待はあった。しかし断片的に測量を重ねて積み上げていくほど、謎は却って深まっていくばかりだった。

「いつの間にか不信心になったのねぇ、パウロ神父」

 イザベラは机の上に片肘をついて顎を載せたまま、うっすらと微笑を浮かべて私の顔を見つめている。そして彼女はこう言った。

「棄教してプロポーズでもする気ならまあ考えてあげてもいいんだけどね。だけど貴方も本当は分かってるはずでしょう? それはケプラーもガリレオも、それこそが自分の信じる〝神〟の摂理そのものだと信じていたから。だから一生をかけてもその答えを知りたい気持ちに焦がれてた。――違う?」

 私を射るようにして見つめているその褐色の瞳は、出会ってから十年近く経った今も変わらず美しかった。


                 ◆


 それ以来ここ数日の間、ガリレオの盟友にして論争相手であったケプラーの話がどういうわけか私の頭の中に残り続けていた。

 彼が最後に著した風変わりな著作は、精霊の力を借りて宇宙を翔け、遂に月世界に辿り着く空想小説だった。そのタイトルを『ソムニウム』という。

 三百年前の一人の天文学者が執拗なまでの科学的考察を加えて書いたその小説を読んだ時、私はふと感じたものだった。と。

 だが未だ近代科学成立以前の世界に在った彼には、どうしてもそれを実現させる道筋を立てる事ができなかった。だから精霊の力を借りるという、まさに夢のような方法で妥協をするしかなかった。たぶん彼もまた月に憑かれた物狂いルナティックだったのだ。



〝私の『夢』の目的は、地球の運動を支持する議論を打ち立てるために月の例を使うことである。というよりはむしろ、人類の全般的無知から生じた反論をうち負かすことである。〟

 ――ヨハネス・ケプラー『夢、もしくは月の天文学』



 ――人間はその最初期から、既に月への関心を抱いていたという。

 フランス・ドルドーニュのアブリブランシャール洞窟で発掘された骨片に、二万年前の人類が蛇がのたうつような形の点線を刻んでいた痕跡が発見された事がある。アメリカのマーシャックという考古学者はこの奇妙な遺物を、世界最古の天文学者の測量器具だと推察した。その点の流れるような動きは、その洞窟内から目視で確認できる月の高度と地平線に沈む位置を示しているのだという。

 つまりその骨片は世界最古の〝暦〟であり、彼らは毎晩現れ、満ち欠けし、沈んでいく月を注視しながら、昨日と今日は違う日である事、そして明日がまた違う日である事を理解していった事を示しているのだ。〝文明〟の時代に入って太陰暦が作られるずっと前から人間はずっと月を観測し続けていたのだ。


 真っ暗闇の洞窟の中で何万年も生きてきた最初期の人類は、ある時ふと気が付いたに違いない。あの光り輝く球体がだんだんと痩せ細っていき時の暗闇になんと恐ろしい気持ちにさせられる事か。そうしてやがて再びあの光り輝く球体が帰って来た時に、なんと心強い気持ちにさせられる事か。

 だから、彼らはずっと夜空を〝見ていた〟のだ。これから一体どうなるのか、どうしても知りたくて。

 そうしてそれを何千回何万回と経験するうち、やがてある時気が付いたのだ。秩序とか、法則とか、それまでの頭の中では一切意識されなかった概念の存在に。

 毎晩現れて光り輝くあの球体は、何かを自分に教えてくれているのだ――と。

 それこそが人間に〝思考〟という能力を与えた。印欧語族のMoonMania熱狂Memory記憶などの言葉は全てが同じ語源であると考えられているというが、人間はまさに取り憑かれたように月を見続け、思考をし続けていたに違いないのだ。

 事実、ずっとずっと後の世界になってもなお月には〝智慧を授けるもの〟〝狂気をもたらすもの〟といった崇敬や畏怖が付き纏い続けていた。月が何かを与えてくれる、月にいけば何かが手に入るという幻想に人間はずっと狂っていた。

 異教の神々達、月の向こうには叡智の根源があると信じた哲人達、空想の翼で月まで飛んで行った数多くの文学者たち、月を見続けて新たな時代を切り開いたガリレオにケプラーにニュートン、叡智の結晶を駆って月に到達したアポロ計画まで脈々と続く月の夢。

 とにかく月を見続け、熱狂し、思考し続けることで、人間は人間になった――。


「月とは一体なんだったのか。狂ったのはなんだったのか……?」


 切れかけの裸電球を眺めながらそれだけぼそりと呟いた時、吹き荒れる砂嵐の音がすっかり静まっている事に気が付いた。そうして車の走って来る音だけが、微かに聞こえてきていた。

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