第1章―7

 キベルの寄宿舎で訓練を開始して七日間が経過した。初めて休暇になったその日、エイルとアンはサンディに誘われて施設内の散策に出ていた。キベル特別区はエイル達や先輩隊員の寄宿舎、訓練棟の他、小規模だが娯楽施設も存在していた。同じマルクト出身のキャミイを合わせた四人は、自動運転のエアカーを一台拝借していた。このエアカーも高圧ヘリウム充填システムが内蔵されており、その浮力で二十センチほど宙に浮いていた。磁力による推進システムにより、地下にびっしり敷かれたドーム底の金属片を反対極に変化させ、反発力で音も無く前進した。エイルたちはちょうど四人乗りのボックス席に向かい合って座った。

「久しぶりだねぇ。キャミイ」

「そうね。こっちに来てからはじめてじゃない?」

 話しかけたアンの正面に座っていたキャミイは、マルクトの学校の中でも一番の美人として有名だった。それが今日はさらに違った表情を見せていた。

唇は濃いピンク色で、分厚く糊付けされたように透明な何かが乗っている。頬は熱を持っているのかのようにほんのり紅く、肌理細やかな白が周りをおおう。黒で縁取られた瞳はもともとの大きさがさらに際立っていた。

 キャミイは中生代の人間がおしゃれでやっていたという、化粧というものを顔に施していた。エイルはマルクトの国立資料館で見た映像を思い出した。服飾業者が古典美術として取り上げてから、進歩的な若者にその珍妙な扮装が流行りだした。

「今日はエイルと一緒だから。本物のうさぎとかいるのかしら……。ね! エイル」

 扮装の理由を聞かれたキャミイは、エイルに毒々しい笑顔を向けてきた。そのわざとらしい台詞を聞いたアンは、両頬を饅頭のように膨らませた。

 サンディが案内してくれたのは、キベル特別区内にある生体研究所のサンプル園だった。行動探索班のエイルと違いサンディら研究開発班は、二日目から生体研究所に場所を移し実地研修を受けながらすでに任務についていた。ここはその生体サンプルが見られるという。

 エアカーを駐車スペースに止めると、見上げる透明な壁に囲まれた空間の中で生い茂る常緑広葉樹たちが見えた。壁の前にサンディが立ちセルフェスに触れると、入り口が象られドアが開いた。

 建物の中に入ると、強烈な光にエイルは掌で瞳に傘を作った。透明な箱に入ったエイル達の頭上には、太陽を模した小さな光の玉が輝いており、それを吸った緑は気持ちよさそうに思い思いの方向に伸びていた。すぐ光に慣れたエイルは、彼らに負けじと身体を伸ばした。

 温度コントロールされているドーム内ではあったが、緑がある場所は限られていた。エイルはこの四人でその場所に出かけた時のことを思い出した。一人で陰気な国立資料館にばかりに出入りしていたエイルを、アンが誘い出したあの時。

 居住区の内側にぐるりドーナツ状に広がる国立公園の、人工植樹に囲まれた動植物園は一日では回りきれない広さだった。人工の太陽はなく、生い茂る広葉の植樹は緑の色素が注入され、造りものの艶でも本物に近づけたと誇らしげ。スイードを出さない広葉樹はドームの外では駆逐され、人間と共存し生き延びた。動物達はほとんどが立体データ処理再現だったが、人工知能を与えられ観覧者を飽きさせない動きを見せてくれていた。本物の彼らは、工業地区地下の農業プラントや家畜プラントにしかいない。

 人工の自然の中でも、開放的な空間にエイルは嬉しくなって、右手を天に伸ばし、私服のブラウスからお腹が見えるのも気にせず思いっきり、どこかに届けと伸びをした。その細長く鍛錬された鋼のような力強いしなやかな肢体が、なんだかアイン・ソフ様みたいだねと褒めるキャミイとむくれたアン。その後なだれ込んだニトロバーで暴走したアンが酸素酔いで病院に運ばれた訳だが。

 このキベル特別区の生体サンプル園は動物も本物がいた。サンディによると、蓋外活動の探索行動班が捕獲して持ち帰った生体や、地中から発掘された化石から細胞データを抽出して再現したものだとのことだった。

 透明なガラス質のブースの前にエイルが立つと、低背の茶色い植物の茂みの向こうから、鮮やかなエメラルド色の身体を折れそうな二本の足で支える鳥類が現れた。

 エイルは国立資料館で見たデータから、それがクジャクという滅んだ種であることを知っていた。クジャクはゆっくりと進み出ると、尾に備わった独特の飾り羽を扇状に開いた。飾り羽についた無数の目玉のような模様全部に、エイルはじっと見られているような錯覚に陥った。だがクジャクが見ていたのは、エイルの足元辺りの茂みに隠れていた鳥だった。保護色のようになっていてはじめは気がつかなかったが、身体全体が地味な茶色で大きさもクジャクより一回り小ぶりだった。

「ねえ、サンディ? 手前にいる鳥は違う種類かしら?」

「どこ?ああ、下にね」

 隣にいたサンディも気がつかなかったらしく、エイルの足元に視線を落とした。

「同じ細胞データから発生しいるみたいだから、クジャクじゃないかしら?」

 サンディがセルフェスを叩いて生体情報を表示させた。

「姿は全然違うのに、同じクジャクなんだ。でもあっちのクジャクはどうしてあんなに大きく羽を広げているのかしら? 喧嘩?」

「さあ……」

 サンディは低く「うーん」と呻いた。いくら触れてもセルフェスは回答を表示しなかった。茶色い方のクジャクは威嚇に驚いたのか、茂みから出て羽を開いている方から逃げるように距離をとった。エイルにはなぜかエメラルドの方が残念がっているように見えた。

 「こっちよ」と、キャミイが別のブースに取りつき手まねきしていた。キャミイが見つけたブースはドームの外の環境を再現し、捕獲した外の生物を放し飼いにしていた。

「窒素十一%、ヘリウム三十%、酸素三十八%、二酸化炭素十五%、キセノンとクリプトンがそれぞれ二%弱、アルゴンが一%。あとはその他もろもろで気温は三十℃ちょっと」

 サンディがブースに近づきセルフェスの表示を淡々と読み上げた。ドームの外と同じ外気組成ということは、有毒なスイードも丁寧に織り込まれていることだろう。スイードの雲におおわれたことで太陽光が遮断され星のアルベドは高くなった。それ以上にモナザイト帯から発生した地熱が、蓋外性生物の活動で増加する二酸化炭素の温暖化効果で封じこまれることにより気温は保たれたままだった。

「あれ」とキャミイが指差していたガラスの先には黒光りが蠢いていた。形こそ国立資料館で見覚えのある甲虫と言う生物だったが、大きさは中生代に生息していたものの十倍はあった。

 本物の蓋外性生物。

この星に生命が息吹いてまだ間もない古生代の昔、栄えたという昆虫という種類の原型に似ていた。

 この星の創世代。原始の海の熱噴出孔で形成されたタンパク質は、コアセルベート化し周囲の有機物をとりこみ生命が誕生した。生まれた単細胞生物は荒波に揉まれ次第に複雑な構造を持ち、海から陸上に進出可能な身体を獲得し、その一部が昆虫へと進化した。

 古生代の高い気温と酸素濃度は、彼らの身体を巨大化させるエネルギー源になった。そして旺盛な繁殖力をもって多種多様な個体に分化し、この星の覇権を握った。しかしやがて訪れた氷河期によって気温が下がり、体温が失われて動きが遅くなった彼らは、爬虫類や哺乳類といった後発種に捕食され大型の個体は絶滅した。それにより天敵が減った植物が大地をおおい、酸素を吸収したため昆虫は大型化することなく小型種のみが生き延びた。

 激しい生存と進化の競争の果て、哺乳類の一種、猿という動物から突然変異で優れた頭脳を持った人間という生物が、次に中世代の覇権を握った。この星の資源を食いつぶしながら人間は、さらに急激な発展をとげ最後は大破壊で自滅し中生代は終わりを告げた。

 中生代の遺産にすがり、わずかに生き延びた人間が生きる黄昏の現代。この天蓋の外の酸素濃度と日中の気温だけなら初期古生代のそれと近い。人間と袂を分かった針葉樹がスイードを出し始め人間の活動を阻害する一方、キベルが蓋外性生物と名づけたそれが再びこの星の覇権を握りつつあった。

 「気持ち悪い」とつぶやき、それ以外の言葉を失っているキャミイの横で、エイルは両手をガラスについた。次の誕生日で買ってもらうおもちゃに、少しでも近づこうとショーウインドウにへばりつく子供のごとく鼻先をひしゃげさせた。彼は黒い光沢を帯びた背中をこちらに向けている。腹の下から出た六本の細い足には、鋭利な棘と剛毛が生えており、身体を木に捕まらせるのに役立っていた。真っ黒な瞳の先にある触覚だけが動きを見せている。彼の頭上の視線の先には、同種の緑の固体が木を登っていた。

「ドームの外で捕獲された生物……こんなのが、外にはうようよいるのかもしれない」

 エイルは鋭利な顎に手をやり感嘆の声を上げた。

「これは、カナブンと呼ばれていた種類に似た蓋外性生物のようね。大きいのは酸素濃度と気温のせい。きっと外では、同種の生物はみんな大型化しているはずだわ」

「サンディよくそんなこと知ってるわね?」

「私たちの小隊は明日この子を解剖するの」

 解剖という単語を聞いて、エイルはサンディの方を向いた。

「解剖? どうしてそんなことするの?」

「私たちが環境から逃れるためにドームに引きこもっている間、ずっと蓋外性生物は外で独自の進化を遂げた。彼らはスイードに対して耐性をもっている。その生体情報を調べることが研究開発班の目的なのよ」

 エイルはガラスに張り付いたまま動かない甲虫を必死に見つめ、あの雲の下うごめく彼らの仲間に思いを馳せた。エイルは強化ガラスに囲まれた室内にいる甲虫達に、逆に見られているような気がした。ドーム内でしか生きていけない自分たちが閉じ込められている様子を。この星の支配者は彼らである。

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