フォールスイード

横田シュン

プロローグ

 私は今から死のうとしている。この停止中の核融合炉の炉心前で、再び灯が入るのをじっと待っている。

 灯が入った瞬間、超高温、超高圧、超磁力で発生するプラズマによって、私の身体は認識する時間もなく蒸発するであろう。

 私は人間に絶望している。この未曾有の危機においても、彼らはただ享楽的に自分のことだけを優先して、勝手気ままに生き残ろうとしている。

 ただ一つ心残りとすれば、私が生物学者だった時代に、一種類だけ終宿主をつきとめられなかった寄生虫がいた。その寄生虫は人間に寄生した場合、幼虫のまま分裂し、無分別に人間の中で増殖するだけで成虫になることはなかった。その寄生虫の成虫が、どのような姿になるのか最後まで解明できなかった。

 この環境下でもしも人間が滅びたその後、この星の支配種となる生物がいるとしたなら、それはそんな恐ろしい寄生虫をも体内に飼うことのできる生物なのだ。そして彼らは全ての生物の頂点に立ち、星を本来の姿に戻すであろう。


「森に逃げ込んだ。行くわよ」

 全身を包む白いヘリオスーツの中で、エイル・アシュナージは「わかったわ」と念じるようにつぶやいた。その言葉がバイザーに文字として浮かび上がり消えたことを合図にするかのように、前に立つ人影が動いた。

 白いスーツ姿の背面に配置されたスラスターから推進ガスが噴射され一気に加速する。エイルは先行するマァイに遅れぬよう地面を蹴った。

 森に飛び込むとわずかな陽光さえも遮られて漆黒が広がった。はるか水面の底に沈んだようだ。水底から見上げると、びっしり生えそろった針葉樹は頭上で黒緑の葉を互いに広げ、少しでも高く空に近づこうとしていた。

 ――サーチモードをサーモグラフィに変更してください。

 落ち着いた声がエイルのヘルメットの中に響いた。針葉樹林帯の外から探索支援を行っているミロからの的確な指示だった。ヘリオスーツのシステムが視界を温度の世界に変化させる。頭上の樹冠が、かすかにうす緑に表示される他は深い藍色が目の前に広がった。

 斜め前で木にもたれかかるマァイの身体が赤と黄で質感を持つ。森林の奥では瞬くように暖色が寒色にさえぎられ見え隠れしながら遠ざかっていく。マァイは目標を捕捉し、スーツの右腕に内蔵されたレーザプロセスを構えた。

 ――安易に樹を撃たないでください。傷つけられた針葉樹は大量のスイードを一気に放散する可能性があります。

 ミロからの通信に反応したマァイが舌打ちをし、一拍おいて「めんどくさ」と本当に億劫そうに言葉を吐いた。

「追わなくていいの?」

 エイルはマァイとのホットライン回線を開いて聞いた。

「ねえミロ? スイードはやつらにとっても嫌なものでしょ?」

 マァイはエイルの問いに答えることも、ミロの返事を待つこともしなかった。

 突如、見え隠れする熱源に向って伸びた光線が大きな赤黄色の華を咲かせた。マァイの腕から乱射されたレーザー光が針葉樹の幹に温度の灯をともし、視界全てが真っ赤に染まった。

 エイルはあわてて視界のサーチモードをデフォルトに戻した。

レーザー光線で傷つけられた針葉樹の幹からいくつも煙が立ち込める。樹皮にできた創傷は、血液のように流れ出したヤニですぐふさがれる。樹冠付近には火の手があがり、炸裂音を立てながら何本もの枝葉が地面に落ち、いっせいに黄色い陽炎のようなゆらめきが立ち上がった。

 炎に照らされそれは、ひとつひとつの粒子が数えられるかのように、幻想的に漂いながらエイルに向ってきた。

 周囲の針葉樹も呼応して、身震いをするようにざわめいたかと思うと、黄色いもやのような埃を降らせはじめる。危険な粒子を視認して、スーツに身を包まれて安全だとわかっていてもエイルの鼓動はかけ足を始めた。

 その昔、人間がこの星の自然を謳歌していた時代、それは花粉と呼ばれていた。

 ――とにかくマァイを追ってください。

 ミロの冷静な声におされ、エイルはバイザーに示された矢印の方向に身を傾けた。土を蹴るとエイルの身体は頭の高さくらいに浮き上がり、スーツ脚部のスラスターが一気に全開になり身体が加速をはじめた。

 スーツの自動回避機構が作動し、稲妻が走るように木々の間をぬってエイルは樹海の中を飛んだ。すれ違いざま幹に手をつき、枝を蹴って微妙な角度と速度を変える。通りすぎる風圧で小さな枝葉がきしみ、切り離されて宙を舞った。

 木々に隠れるように逃げ飛ぶ目標に向ってマァイは銃撃を加えていた。マァイはゆっくりと飛行しながら、直撃を狙うのではなく少し前方の針葉樹を狙っていた。スイードと煙でいぶり出そうとしているのか。エイルはマァイに追いつきすぐ後方を飛んだ。

「針葉樹がスイードを出しはじめたけど、こっちが先にやられなくて?」

「あんたの方が先に音を上げなければ、大丈夫と思うけど?」

 銃撃しつつもマァイの嫌味な返しはかわらない。マァイは着弾点を徐々に狭めた。目標はのたうつように飛び回り、射線を微妙にずらし、針葉樹の幹を盾にして誘っているかのようだ。マァイも射撃をかすらせ、目標の足をとめようと曲芸じみたことを狙っていた。

 膠着状態に入った戦況にミロから報告が入った。

 ――負傷者にやっかいな毒の反応がありました。目標の進化種は九九パーセント オーバーの確率でホーネットタイプと推察。コモリさんが手当てしてくれているけど、手持ちではどうにもならないものです。ギザードームまで撤退しませんか?

 前方を飛行するマァイに、不意に上から塊がいくつも降り落ちた。その一つがマァイの左脚に喰らいついた。針葉樹の幹の傷からはい出た、半透明の巨大なイモムシ状の幼体が鋭い顎をつきたてたのだ。

 巨体が錘になって、マァイの身体はがくんと高度をさげた。

 エイルは右腕に装備された水素サーベルを短剣状にしてマァイの隣を飛び、柔らかい肉の身体を躊躇せず上下に切り払った。ぱっくり開いた傷口から体液をまき散らし、巨大なイモムシはマァイからはがれて落ちた。

 バランスを崩しマァイは片膝をつきながら着地した。地面に落ちたマァイに向かって、大顎をもたげた幼体を次々射撃しながらエイルもその前に降りた。

「ウジムシぃ!」

 マァイの怨嗟があたりに響いた。

「落ち着いて! それより脚が破けてるから処置をするわ」

 エイルはバックパックからスイードの侵入を防ぐための修復パッチを取り出した。イモムシの鋭い牙はマァイのスーツの左ふくらはぎ辺りに大きな穴を開けていた。マァイは乱暴に左腕をあげて拒否の意思を示した。それはエイルの手首をはたくようなかたちになり、修復パッチが地面に落ちた。

「直接吸い込んだりしなければたいしたことないわ」

 マァイは不機嫌そうに吐き捨て、糾弾する視線をエイルに向けた。

「見失ったじゃないの」

「いえ。まだ近くにいると思う」

「どういうこと?」

 ヘメットのバイザー奥のくっきりとしたマァイの眉毛が歪んで中央に寄る。マァイはいらだたしげに右足を踏みつけて、近寄ってきていたイモムシをクリームパイのように踏み潰した。飛び散った体液が原色のペンキのようにべっとりエイルのスーツを汚した。

「イモムシはロングホーンビートルの幼体で、ホーネットタイプじゃない。おそらくわたしたちが樹を傷つけるのを利用して、足止めに使おうとした……そう思わない?」

 寝床を破壊され、周囲の木々から次々とイモムシがはい出てきた。

「あいつに誘い込まれたとでも言うの?」

「おそらくそう」

 エイルの左腕に内蔵された携行モバイル端末から、森全体の状況を表示する立体映像が投影されミロからの通信が内容を補足した。

 ――煙とスイードで詳しい数はわかりませんが、進化種の支配下に置かれたホーネットタイプの下位種が、お二人の頭上に複数集まっています。アルカナから撤退命令がでました。進化種の捕獲はあきらめ、包囲を突破して早くこちらに合流してください。

 抑揚のないミロの事務的で命令口調の声にマァイは頭を振ってうめいた。

「簡単に……」

「言ってくれるわね」

 はじめて二人の意見が一致し、エイルは笑みを浮かべた。

 この針葉樹の森にこれだけ多くの幼体が息づいている。これが成体に成長したら近くのギザードームは廃棄せざるをえないだろう。それに逃げて無数にいるホーネットを引き連れるような下手を打てば、非戦闘員をかばっているミロやアンが危険にさらされる。エイルは横目でマァイの様子をうかがいながらさらりと言い放った。

「飛び回っている間にオキシマイン(液酸地雷)をまいておいた。今アクティブ状態にした」

 マァイの眉がいっそう引きつった。

「どうするつもり?」

「この森ごと全て焼き払う」

「あんたバカじゃないの?」

 オキシマインはピンポン玉大の球状のカプセル内に、液化酸素が充填されている散布型の小型地雷だ。アクティブ状態で接触圧力と温度によって起動し、液化酸素が外に放出される。放出されて気化した酸素は、千倍近い体積になり周辺を強い支燃性環境とする。それ自体殺傷能力はないが、炎がくすぶり可燃物が密集したここで、その唯一つでも起動すればどういう事態になるか。その只中に二人はいた。

「バカかどうかは生き残ってから判断して」

 エイルはバックパックから円筒状のフィールド発生機構を取り出した。

「ニトロフィールドをはるわ。ヘリオスーツに損傷がなければ耐えられると思うけど」

 マァイは慌てて地面に落ちた修復パッチを拾い上げようと体を折った。エイルは筒を頭上に投げ、不活性フィールドを形成する液化窒素の雨を降らせた。直後、前方から針葉樹の幹を飲み込み、紅蓮の炎がまるで意思をもっているかのように脈動しながらエイルを包んだ。

 ニトロフィールドの液化窒素が尽きるのと、可燃物が炎に食いつくされ静まるのはほぼ同時だった。ただでさえ酸素濃度が高い大気の中、液化酸素による支燃環境の威力は絶大で、フィールドの持続時間にエイルはほんの少し肝を冷やした。マァイは何も言わず腕を組んで背中を見せている。またしばらく口もきいてくれないだろう。

 周囲にはいぶり焼かれたホーネットタイプの残骸が散乱していた。肉体は焼き尽くされ、身体を覆う強固なキチン質のクチクラ外皮だけが遺骸を象っている。各々が一メートルを超える大きさの彼らは蓋外性生物と呼ばれ、この星の大気吸い、スイードに耐性をもって、環境から逃げるようにドームに押しこもっている人間にとって変わろうとしていた。

 エイルは幹だけが焼け残りはげ上がった針葉樹の先を見上げた。邪魔なものが取り払われたにもかかわらず、陽光が降り注ぐことはなかった。垂れ込めた分厚い雲は途切れることなく遥か彼方まで続いている。針葉樹たちが絶えず吐き出すスイードは気流に巻かれ、いく層もの濁った雲海となって星を包んでいた。そこから悪魔は全てに降り落ちている。

 〝フォールスイード〟

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