第29話 忘れ物、ひとつ

 あの子と出会った時の事は、まだ昨日の事のように思い出せるわ。もうずっと昔の事なのにね。



 小雨の降る日だったわ──店を開けようと外に出ると、パンを入れるにしては大きいバスケットが、店の前に置かれていたの。最初誰かの忘れ物かな?って思ったわ。


 でも違った。バスケットの中から、泣き声が聞こえてきたの。


 慌ててバスケットを開けたら、中に毛布で包まれた人間の赤ん坊が入っていたのよ。もう驚いたわ! 私も長生きしてるけど、人生であの瞬間より驚いた事は無いわね。

 そこから先は大騒ぎよ。トルノくん──私の亡くなった旦那の事ね──に『店先に人間の赤ん坊がいる!』って叫んだら、いつも冷静な彼が見たこともない顔でこっちに走ってきたわ。『医者を呼ぼう!』って彼が言ったから、赤ん坊を診てくれる病院を必死で探したわ。


 その間にも赤ん坊に何か食べさせようと、まだ開店していない薬局の扉を叩いて、店主さんから無理矢理粉ミルクを買ったり、泣くのを止めるため絶えず抱っこしたり……もう嵐でも来たかのような大騒動よ。



 そうこうしてる内にお医者さんがきてね。熱とかは無いから栄養をつけて、ゆっくりさせてやれって言ったのを覚えてる。その後よ、これからどうしようってなったのは。


 施設に預ける──もちろんそれも考えたわ。


 でも反対したの。私が。この子を施設に預けるのは駄目だって。可哀想とかじゃなくて、駄目だって思ったの。

 だって、今隣で寝てる子にはまだ名前も無いのよ? そのくらい小さくて、まだこの世界の事を何も知らない子を、これ以上酷い目には合わせられないって思ったのよ。


 

 ……いいえ違うわね。確かに今の気持ちも本当だけど、もっとちゃんとした理由があるわ。


 私──。今までトルノくんとの間に、子どもはいなかったの。


 私、小さい頃はずっと一人っ子で……子どもは沢山欲しいなって思ってたのよ。でも──それは難しいって色んなお医者さんに言われて……毎晩のように泣いてたわ。


 だから私にとっては、店の前にいたあの子が、神様からの贈り物のように思えたの。種族は違っても、この子は私の子なんじゃないかって……そう思った。


 それからトルノくんを説得して、必死に頭を下げたわ。この子を育てさせて。私の子どもにさせて。施設に預けないでって──


 


 トルノくんも最後には折れて、私の意見に賛成してくれた。こうして、私達の新しい家族として、人間の赤ちゃんが加わったの。


 名前はサンシア。私の故郷の言葉で『太陽』を意味するの。


 サンシアはすくすくと育ってくれた。狐の獣人である私達を受け入れて──次第に、綺麗な女の子になっていったわ。



 幸せだった。私もトルノくんも。


 でも……その幸せも長くは無かったの。



 あの──エタトスが引き起こした、種族戦争のせいで……






「種族……戦争」

 ルソーさんの口から出た言葉を、呟いて反芻する。

「それって……前ネロが言ってた……?」

 ネロの方を見て聞くと、彼はコクリと頷いた。


「魔族との戦争は、よく種族戦争と呼ばれる事が多い。魔族と人間族、そしてそれらとはまた別の種族を巻き込んでいるからな」

「でも……その戦争と、ルソーさんの子どもとどういう関係が?」

 私の純粋な疑問に、ネロもルソーさんの方を見た。


「……資格があったのよ。サンシアに」

「……資格?」



「……勇者の、資格が──」





 昔、戦争があった──そう言うのは簡単だけどね。あの頃は、すごく日々が苦しかったの。


 食べるものは日に日に少なくなっていく。商店街を出て、どこか田舎へ行く人も増える。でも私達は魔族のいる大陸へ向かう、私達より若い兵隊さんを見送る事くらいしか出来ない。


 それでも、私はトルノくんとサンシアと一緒に、この商店街で生きていこうと思ったのよ。サンシアと出会った、あの子の故郷でずっと……って。


 そんな私の小さな願いは、ある日突然砕かれたわ。



 何でもない、変わらない一日の事だったわ。エタトスから来たという、見てすぐに分かるお偉いさんが、沢山の馬車を連ねてやって来たの。

 お偉いさんは私達の店の前に来ると、私達に対してこう言ったわ。


「この家の娘に、光の加護のお告げが出た。娘はすぐにこの街を出て、エタトスの擁する光の勇者として、ダイタニアス大陸へ向かう事を命じる」と──



 勿論最初は──いえ、今もね。今も大反対してるわ。なんで十年間手塩にかけて育てた一人娘を、こんな別の国の人間に明け渡さなくちゃいけないんだって。

 それにダイタニアス大陸へ向かえですって? こいつらは私の娘を祭り上げて、知らぬ大陸で死ねと言ってるのかと思ったわ。後で知ったけど、その時来たお偉いさんは、一度も前線に立った事は無かったそうよ。そんな人達の言うことが、何の抵抗も無く受け入れられると思う?



 私は戦ったわ。私だけでなくてトルノくんや、サンシアと仲良くしてくれた商店街の皆も。


 彼らはサンシアを明け渡さなければ、この商店街で生きていけないようにすると脅してきたわ。それでも構わないと思った。覚悟は出来てたの。



 でもたった一人──サンシアだけは違った。



 サンシアは……自分が犠牲になれば皆が救われると思って……最後は自ら志願するという形で、商店街を離れたの。


 ……怒ったわ。サンシアが勇者になると決めた日、初めてサンシアの頬を思い切り叩いた。


 その日は私もサンシアも……皆泣いて泣いて泣き明かした。



 サンシアが街を出るとき、私「いってらっしゃい」も「頑張ってね」も言わなかった。言えなかった。言いたくなかったの。意固地になって馬鹿みたいだって、今は思うわ。



 だって……この目でサンシアを見たのは、それが最後だったもの。








 ルソーさんは話終えると、肩を震わせて俯いていた。

「…………」

 ネロが無言で差し出したハンカチに、ルソーさんはただ「ありがとう」とだけ言って目元を拭った。



 私はネロみたいな事は出来なかった。


 何も、言えなかった……





 その日の晩、事務所に帰ったネロは、ずっと電話で誰かと話していた。

 電話の相手が誰かは知らない。聞いても教えてくれなかった。


 私はあまり寝つけられなかった。目を閉じたら、ルソーさんの悲しんだ顔や、怒った顔が目に浮かんできた。

 結局私は、この異世界に来て初めて寝不足になった。





 それでも月日は当たり前に過ぎてって──


 ついに、閉店の日がやって来た。

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