3品目:「とりあえず生で」

 6月15日水曜日、時刻は午後9時をまわったあたり。

 チリリンというドアベルの音がして店先へ行ってみると、ひいふうみい……一気に数えるのが面倒臭い、団体様のご来店だ。



「いらっしゃいませ、こんばんは!お客様は何名様でいらっしゃいますかー?」

 にっこり微笑んで尋ねるあたしに、先頭の丸メガネおじさんは後ろを振り向くと人数を数え始めた。

「俺ら何人だっけぇ」

「え?七?あ、違う八か」

 どうやら、既にお酒が入っているみたいだ。みんなほんのり、顔が赤い。


「えーっと、八名……なんだけど、空いてる?」

 ようやく人数を確かめたおじさんは、そう言いながらあたしの頭越しに店内を伺った。––––残念、それで空き具合がわかるような作りじゃないんだなぁ、うちの店は。


「ただいま確認してまいりますので、少々お待ち下さいませ」

 再びにっこりと笑って、とりあえず・少々お待ち下さいませを使ってみる。そしてあたしは、胸元のマイクを引き寄せた。



「店長、聞こえますー?」

「なにー?」

 右耳に差し込んだインカム(トランシーバーみたいなもので、店内の全員に無線を使って指示が出せるやつのこと)のイヤホンから、間延びした後藤店長の声が聞こえてくる。

「八名様なんですけど、か?」

 ––––––個人的にはで欲しいんだけどな、という気持ちを若干声に滲ませた。だって面倒じゃん、9時過ぎてからの二軒目の団体客なんて。


「あー、奥の座敷通しちゃって」

「……ハイ」

 鈍い店長が、インカム越しのあたしの気持ちに気がつくはずがない。––––––いやまあ、まだ閉店まで二時間もあるから仕方ないけどさ!?



 はあ、と内心で溜息を吐きながら、あたしはお客様に向き直った。もちろん、営業スマイル全開だ。

「八名様お待たせいたしました、奥のお座敷にご案内いたします」





 * * *





 八名をなんとか奥座敷に詰め込むと、丁度八名用のその座敷は途端にむわんとした酒の匂いで溢れた。

 帰りの満員電車の匂いにそっくりで、ちょっと気持ちが悪い。


「それでは、ご注文お決まりになりましたらまたお呼びくださいませ」

 そう言い残してそそくさと立ち去ろうとしたら、あの丸メガネおじさんに呼び止められた。

「あー、おねーさん、とりあえず生頂戴?」



 ––––––は??



「すみませんお客様、当店生ビール三種類ありまして」

 貼り付けた笑顔で振り向くあたし。


 

 お客様が来店し席について、よく聞く一言がこれだ、。うん、経験ある!って人、たくさんいるでしょ?

 仕事終わり、疲れてやっと店に入って、喉乾いたからまず先に一杯頼んじゃえ––––そのノリで、「とりあえず生頂戴」「とりあえず生二つ持ってきて」って言うんでしょ。


 あのね、こっちからしたらじゃないんだけどね、ってあたしは思ったりしている。


 なぜなら、うちの店『白虎』のビールメニューは三種類あるからだ。ア○ヒにキ○ンに、サン○リー各社からから、それぞれ銘柄一つずつ。。三種類も置くなよ、って話なのだが、そこは社長の考えなので突っ込まないで欲しい。

 どこのお店にも生ビールはあるだろうから、「とりあえず生で」って気持ちは分からなくもないし、そんなに怒ることじゃないってのも分かる。実際、メニューを開かなければ四種類あるなんて分からないことなんだから、お客様の言葉も仕方ないのかもしんない。



 ––––––けどね?



「えー、何があんの?」

「いいよ何でも」

「あー、じゃあ俺も生で〜」


 好き勝手言ってくるこういう人たちに、いちいち三種類説明して、いちいち全員のを捌くなって、面倒に決まってるでしょ!!


 でも、そこは悲しい店員の性というもの。

「よろしければ、メニューの一番最初のページに記載してありますのでそちらをご覧下さい」

 貼り付けた笑顔のまま、あたしはそう言う他なかった。

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