III.チェインギャング
III - 01
住宅街の外れ、ぎりぎり車がすれ違えるような道幅の道路。
速度制限標識の真下。赤茶けた古い自販機が二台並ぶ隣。
僕はそんな場所で待っていた。
大きな建設現場が投げ出され、白く高い防音壁が薄汚れて立っている。斜めに傾いた電柱の根元でカラスが仰向けになり、脚を空に突き出したまま死んでいる。丸い光が遠くから音もなく近づき、ワゴン車になって僕の傍で止まった。
後部座席のドアが滑らかに開く。
そこに岸田が乗っていて言う。乗れ。
ステップを踏み、僕は乗る。
量販店のロゴが入った袋を渡され、言われる。着替えろ。
防虫剤や煙草のような苦い匂いを嗅ぎながら、僕は着替える。
車が滑り出し、僕はアーミーナイフやレンチ数本を収めた革のケースをポケットからポケットに移す。窓にはスモークが張られ、色彩に乏しい景色だけが見える。
覚悟とか決意とかそういうものは特になかった。
ああ、本当にこういうこともあるんだな。
と。
他人事みたいに、平坦に少しだけ驚いた。
運転席には上下ジャージ姿の男が座っている。ルームミラー越しに見える目元は無表情で、隈に縁どられていることもあって年齢がよくわからない。カーブを曲がるときも、ブレーキを踏むときも、ドライバーの動作はすべてが滑らかに静かで、街灯のくすんだ白色だけが窓の外を穏やかに流れていく。
僕はポケットのアーミーナイフの刃を引き出しては畳むことを繰り返す。
クリック音のようなカチ、カチという小さな感触が指先に伝わる。
現実感が希薄だったが、単純にこんなことをするのが初めてだからだろうと思った。何事も一度目を体験するまでは非現実的だが、一度こなせばどうしようもなく現実的になる。初めて他人の部屋の鍵を開けたときもそうだった。
窓の外は見知らぬ風景で、いま僕がどこにいるのかもわからない。
喉が渇いている。
「道具はあるか?」
「ああ、持ってる」
「ピッキングの道具ってのは、漫画みてえにヘアピンとかでもいいのか」
「南京錠とか手錠くらいなら開けられると思うけど、さすがにヘアピンじゃ難しい」
「そういうもんか。いや、緊急用に俺も何か持っとくべきかと思ってな。まあ、あれだな、なんなら、ポケットにヘアピンの一本でも差しとくか。何かに役立つかもしれねえ」
「どうかな」
車が減速し、ウィンカーを鳴らしながら停止する。
カチカチカチ、カチカチカチ、カチカチカチ、とウィンカーが鳴り続ける。車がカーブを切りながら動き出し、ウィンカーが止む。誰かが車の前を横切ったのか、運転手が急ブレーキを踏んだ。
ざぶり、と座席後部で液体が揺れる音がした。
独特の刺激臭が鼻を突き、ガソリンの匂いがした。
運転手は悪態をつくでもなく、また緩やかにアクセルを踏む。
車が静かに滑り続けている。
「俺が、鍵を開けられなかったら、どうする」
僕は岸田に尋ねる。
「そのときは仕方ない」
岸田は手刀をつくって首の横で左右に振った。
クビ。馘首。
「最新の、高い鍵なんかつけられてたら時間がかかるぞ」
「火を点けられるような家にそんな大層な鍵なんかついちゃいねえよ。考えてみろよ。十万、二十万の金を仕舞うのに百万の金庫を買うやつがいるか。いないだろ。それと一緒だ。安い人間、安い家、開け易い鍵、三点セットだ」
なら、僕からすれば世の中は激安人間だらけだ。
岸田は言う。お前が鍵を開けて、着火。それだけだ。簡単な話だろ。延焼材には混合ガソリンを使う。ガソリンとエンジンオイルを三対一に、アルミの粉とか発泡スチロールを混ぜ合わせたやつ。カクテル。
変わった言葉が出てきたので、僕は訊き返した。カクテル?
火炎瓶の別名。岸田が答える。フィンランド人が呼び始めた。
第二次世界大戦。ソ連。フィンランド。
岸田が言う。
ガソリンだけじゃ焼き殺すのに火力が続かねえから混ぜるわけだ。
なるほど、と僕は相槌を打つ。
カクテル。
そこだけが、変に洒落た響きをしていて滑稽でよかった。
ポケットの中で、もう一度アーミーナイフを握り締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます