II - 04
鍵と錠の仕組みは簡単だ。
鍵穴はシリンダーと呼ばれる回転部に設けられていて、鍵穴を回すと錠の内部でシリンダーが回る。シリンダーの動きは楕円形のディスクに伝わり、ディスクに合わせてかんぬきが動く。鍵穴を時計回りに回せばかんぬきが出て鍵が掛かり、反時計回りに回せばかんぬきが引っ込んで鍵が開く。
門や、公衆トイレの個室についてるような鍵を考えるといい。
原理はあれと一緒だ。
問題は鍵穴をどうやって回すかだが、これも複雑な仕組みじゃない。
鍵穴の内部には小さなピンが数本並んでいて、ピンはそれぞれ一定のラインで上下に分かれるようになっている。鍵を差し込むと、鍵のギザギザに合わせてそれが持ち上がる。正しい鍵を差し込めばラインはシリンダーの外周上で一直線に並ぶ。ピンは上下に分かれ、鍵穴、シリンダー、ディスクが回る。ピンが一直線に並ばなければ、鍵穴は回らない。
鍵が無くとも、鍵と同じように内部のピンを持ち上げれば、鍵穴は回り、鍵が開く。
鍵の側面についたギザギザの代わりがピック。
鍵の腹に掘られた一条の溝の代わりがレンチ。
先端の湾曲したピックでピンを持ち上げ、レンチで鍵穴を回す。
そうすると、開く。
多少鍵の仕組みが進歩しても、基本は一緒だ。鍵穴の中で鍵の形状が果たすのと同じことを果たせば錠は開く。鍵が単純なものなら、道具は太めのワイヤーや自転車のスポークを曲げたものでもいい。
ピンセットを削って作ったロックピックを組み入れたアーミーナイフ。
ピアノ線を曲げたテンションレンチ。
僕の道具はおよそこれだけで、これで大抵の錠は開く。
「うーん……仕組みはわかる」
「そこが伝わっただけでもよかった」
いつもの部屋で鍵や錠の説明をし、錠の断面図を書き、スマホで動画を開いて見せた。スマホの画面には透明な部品できた錠が開けられる様子が映し出されていて、隣に座った紫苑がそれを睨んでいる。
ピッキングって、どうやってるの?
紫苑に尋ねられたので一から説明することになった。
まあ、自転車の乗り方とか水泳みたいなもんで、要はコツが掴めるかどうかだ、と言いながら僕は説明を終わらせる。
「練習すれば私でもできると思う?」
「わからん」
「……正直だね」
「絶対できるって言っても困るだろ」
「訴訟社会みたいなことを言うなあ」
ここ数日で急に秋が終わりに近づいた。午後六時を前にして部屋は暗闇になり、床の上で紫苑のLEDライトが光っている。空気が乾燥し、腰を降ろしているフローリングがじわりじわりと身体を冷やす。
風が吹くのと違い、壁や床からの冷気は気づかないほど緩やかに深く骨の芯まで伝わる。
ありとあらゆる気力を根こそぎ奪われるようなどうしようもない気分にさせる。
「別に、鍵なんか開けられてもどうにもならないぞ」
「こんな部屋を確保できるだけで十分だよ」
「なら、俺にやらせとけばいいだろ」
「いまはきみが開けてくれるけど、いつ何が起こるかわかんないでしょ。急にこの部屋が使えなくなって、ついでに急にきみに彼女ができたりするかもよ。それで、いや今日はちょっとデートがあるから鍵は開けに行けないんだ、とか言われたり」
「そんな可能性のない仮定をしてどうする」
「とかいって突然告白されたり」
「その可能性こそないだろ」
「私もそう思う」
急に掌を返すな。
「……まあ今のは冗談だけど、何が起こるかわかんないのはホントだからさ。突如としてきみが交通事故に遭ったり、きみと私が険悪な仲になったり、あるかもしれないでしょ。きみだって、一人で励みたくなるときだってあるだろうし」
「励まねえよ」
紫苑が小さくあくびをし、伸びをしながら身を捩るので僅かにスカートの裾が揺れた。紫苑の脚が触れたスタンドライトがゆらゆらと揺れ、壁に映った紫苑の影が波打った。
「下手に鍵開けの練習なんかするのはやめといた方がいい」僕は言った。「ピックの材質を間違えると鍵穴の中で折れたり、曲がったり、削れたりするから、錠が壊れる。それに、あからさまに傷が残ったりすると、あとあと面倒になる。鍵を開けるのは犯罪じゃないけど、鍵開け道具を無免許で持つのは犯罪だしな」
意味のないしたり顔での知識の開帳。
自分で話しながら、自分の台詞をそんな風に評価する。
紫苑と目を合わしたり合わさなかったり、目を逸らしたり逸らさなかったりし、話題を逸らすためにコンコンコンと床を軽く叩いて尋ねる。
「床、冷たいし硬いけど、夜は眠れてるのか」
「そこそこ、寝てるよ」
「結構神経太いんだな」
「慣れだよ。ブランケットはあるし」
「起きたらそのまま学校か」
「それだと私が毎日着替えてないことになっちゃうでしょ。朝五時くらいにそっと帰るんだよ。それでシャワーを浴びたり、ご飯を食べたりする。だから九時くらいに寝る」
「めちゃくちゃタフだな」
「これぐらい強くないとこの先生きのこれないぜ」
また紫苑が冗談めかして笑う。
僕にできることは特になく、与えられるものもない。紫苑は同情や憐れみは必要としていない。何か出来ることがあったら言ってね、という何の意味のない定型句が聞きたいわけでもない。
慈悲深さを演出するポーズはいらない。
救う。救わない。
重要なのはどちらかだけだ。
ぼうっと緩やかに時間を消費する。
暗くて、静かで、雑多なモノは何もない。五感に働きかける情報が希薄な場所では時間の流れが鈍くなる。外からの情報が少なくなると、内の思考だけが走り始めて空回り、もつれて絡まる。言うことが形を成さないので僕は笑う。
隣に座ると、紫苑の肩が小さく見える。
靴下越しに触れるフローリングが冷たい。
「ねえ、明日は学校が休みだけど、きみは、明日も来る?」
紫苑が尋ねた。
「お前は?」
「私は来るよ。ほら、ウチは年中無休だから」
紫苑がもう一度質問を繰り返す。
「きみは?」
予定なんて後にも先にも入っちゃいない。
ただ、休日の僕はこんな部屋には来ない。
僕が寝ている間に父親が出ていき、僕は昼前に目覚める。
父親が帰ってきそうな時間になると家を出て、あてもなく歩き回る。
「……どうだろうな、予定は、未定だけど」
何を曖昧な言い方してるんだよ、と思い、紫苑はなんでそんなことを訊くんだろうな、と思う。ポケットに手を突っ込んで、何かのレシートを小さく握りつぶすとキチリと耳障りな音が小さく鳴った。
「お前は、明日も読書の予定か」
「……まあ、そうだね」
「そうか」
そうか、まあ、そうだよな、と曖昧に相槌を打ち、頭を掻いた。
なんとなく、台詞が頭に浮かぶ。
台詞が頭の中でまとまらないのを繋ぎ合わせながら、自然に振舞うように言う。
「なあ」言葉をばらばらと口にする。「明日、どこか、出かけでもしないか」次ぐ。「よかったら、来るか、奢るけど」
僕は自分で自分に変な喋り方だな、と思う。
紫苑が僕の顔を覗き込むように、見上げる。
大きな目をほんの少し丸くし、ぱちりと瞬きする。それから、僅かに首を傾げ、尋ねる。
「……もしかして、きみは、デートに誘ってくれてるのかな」
紫苑にじっと見られるとなぜか笑ってしまいそうで、ふ、と目を逸らした。
紫苑が口を真一文字に結び、その端が上がったり下がったりする。
「ごめんね、ちょっとからかった」
紫苑が床の文庫本に指をそっと置いて、くすりと笑う。
「いいよ、行こうか」
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