第21話 國を守る男

 すぐさまハハカラが指示を出し、酒の入った壺を他のオロチの首へも運ばせた。猩々たちが邪魔しようと飛び交うが、今度は運ぶ必要もなかった。何しろ出雲兵が酒を運んでいる途中で、他のオロチも自分から壺に首を突っ込みはじめたのだ。酒の匂いを感じ取ったのかもしれない。首を突っこんだオロチは、酒をがぶがぶと呑む。そして空になった壺を放り出すと……あっさり寝てしまった。


「しめた! オロチが寝たぞ!」


 こうなればオロチ退治は簡単だった。

酔っ払ったオロチのウロコはなぜか剣がすっと通るようになる。そうなればしめたもの。一介の兵であっても首をばさばさと斬り落としていけるのである。


「よっつ、いつつ、むっつ! ななつ!」


 出雲から威勢よく掛け声があがる。首が面白いように落とされると、最後のひとつになった。しかし、首が一つだけ酔っ払っていない。正気のままだ。


「おい、酒壺は?」


 肝心の酒壺が見当たらない。


「きっちり壺を八つ数えてあっただろう」

「最後の一個はどこにある」


 酒の壺に寄りかかっているジリに視線が集まってきた。ジリは突然注目を浴びていることに驚いて手を上げた拍子に、寄りかかっていた壺がひっくり返った。すると酒が全部流れだしてしまったではないか。


「あ、酒が!」


 顔が真っ赤になっているジリが拍子はずれな返事をした。


「んーなんじゃ? みんな、なんか用か?」

「ジリ、お前、大事な酒を呑んでやがったな!」

「しかも全部こぼしやがって、このやろう!」

 

 こぼれた酒は、ようやく国中から集めた酒である。怒りに震えた出雲兵がこぞってジリに殴りかかる。


「わーすまん、ワシが悪かったから」

「てめえ、この土蜘蛛め! 覚悟しろ!」

「そんなケンカは後にしろ!」

「来たぞ」


 一つ残ったオロチの首が大きな口をあけてジリの方に迫ってきた。


 一方。

 ジリと出雲兵が小競り合いをしている横を、ソシモリとパム、ユタの乗った鵺は死体兵を踏みつぶしながら通り過ぎた。ソシモリとパムは死体兵の放つ強烈な異臭に吐き気を催して鼻をつまみ、えづいていたのだが、それにかまわずユタはまっすぐ南を指さした。


「見えた」


 死体の兵にも猩々にもオロチにもパムにも目もくれず、ユタは森の奥を見ていた。パムも同じ方を目を凝らしてみるのだが、パムにはまったく何も見えなかった。ただ出雲の千人の兵と、狗奴軍の魑魅魍魎ちみもうりょうの兵がうじゃうじゃとそこら一帯を駆けまわり、土煙がもうもうとたちこめているのが見えるだけであった。


「行きましょう」

「行くってドコへ?」

「ククチヒコを倒しにですよ」

「ククチヒコ?」


 パムがソシモリにそれを伝えると、ソシモリも目を凝らして森を見る。


「見えた。森の中だ。あそこに笛を吹いている奴がいる。あいつがオロチの飼い主か?」


 ソシモリの言葉を、パムがユタに伝える。


「そう。ククチヒコさえやっつければこの魑魅魍魎ちみもうりょうはすべて消えるわ」

「よし、そうなりゃあ出雲はオレ様のものだ。そうなんだろ? 漁師」

 

 単純な男である。

 とにかく猩々を消すには、ククチヒコを倒せばいいのだ。つまりソシモリの攻撃対象が、スサノオからククチヒコに移ればいいわけだ。今はスサノオを殺すという目的を忘れてくれさえすればいい。パムは、「とにかく、やっつけよう」と調子を合わせた。


「鵺、ゆっっっけーーーーー!!!!!!」

「びーん」


 鵺は今まで聞いたことのないひしゃげた声で哭き叫び、行きたくないと意志表示をしたのだが、ソシモリのもう一度「行け!」という指示に逆らえず、渋々前へと向かった。


「ツヌ! パム! ユタ!」


 遠くからハハカラの声が聞こえる。

 ハハカラが必死で手や首のない兵たちと剣を交え、キジも赤い猩々と闘っているのが見えた。ジリも酔っ払いフラフラしながら棍棒をふるっている。ハハカラがこちらに近づこうとしたとたん、最後にひとつ残った大きなオロチの首がドン! と、ハハカラの目の前の地面にかぶりついてきた。ハハカラは慌ててその場を離れると、鎌首をゆっくりともたげ、首を横にブンブンと振った。

 辺り一帯、目の回りそうな怪しい笛の音と、じゃんじゃんと脳天を揺さぶる鐘の音が入りまじり、森の中に鳴り響く。


 オロチは真っ赤なホオズキのようなふたつの目を光らせ、大きな炎のようにひるがえる真っ赤な二枚舌をちらちらとさせる。森へと向かう鵺を見つけたようで鎌首をグインとこちらに向けた。そして一気に、大きな口がこちらに向かってくる。


「びーん」

「走れ、鵺!」

「びびーん」


 ソシモリは嫌がる鵺をけしかけ、なんとその口の方へと進めという。

 そして。

 鵺は一口で喰われた。

 喰われたというのは語弊があるかもしれぬ。自らその口のなかに入っていった。そしてもちろんパムとソシモリとユタはその頭に乗っていたのだから、鵺と一緒に喰われてしまったということだ。


「おい、あいつら喰われちまったぞ」

「ツヌ! パム! ユタ! 鵺!」


 ジリとハハカラの声が、オロチの口の中ではくぐもって聞こえた。口の中で、まだ全員生きている。


「ソシモリ、僕たち本当に喰われたけど」

「やあねえ」

「進め、鵺」


 なんて男だ。

 パムは何も言えなくなった。鵺も半狂乱でただ前へと進む。どこまでもつづくオロチの腹の中の洞窟。鵺はどろどろと不気味にぬめったオロチの体の中をひたすら進んで行く。

 何も見えぬ。

 その中をただやみくもに鵺はぬるりぬるりとぬめる胴の中を、ひたすら前へと進んで行った。上からデロンとした液体が落ちてきて、パムの顔にかかる。


「うわーッッッ!!!」

「うるせえなあ、漁師」

 前に進んでいくにつれ、やはりくぐもってはいるが例の笛の音が次第に大きく聞こえてくる。

 ソシモリはその音を聞くと同時にパムの懐から刀子を奪うと、何の躊躇もせず鵺の頭からひと跳び、大きな満月を描くかのように一気にぐるりと刀子を旋回させた。ソシモリがぬめった胴体の腹に着地した次の瞬間、そのオロチの分厚い胴体がぱっくりと割れ、今来し方よりオロチの断末魔の叫び声があがった。そして明るい外の世界が眼の前に現れた。

 ぬめった体液にまみれながらオロチの腹の中から出ると、猩々が、ギョッとした眼でこちらを見た。驚くのは当然であろう。まさか味方のオロチの腹から敵が現れるなど、考えもしなかったであろうから。

 ソシモリは、パムの小さな刀子を構えると笛の音を探しはじめた。


 笛の音が、ピタリと止まる。

 木の上の男が、土で作られた笛をやめ、驚きの表情でこちらを見ている。

 真っ黒い服を着た小さな塊だった。顔色の真っ青な、目のまわりにくまのある、小さな体躯の男。パムと目があうと、ニヤーと気味悪く笑う。パムは背筋がゾクゾクした。


「てめえか! ククチヒコってやつは!」


 ソシモリの怒鳴り声に首をすくめると、男は、ピーっと激しく笛を吹き鳴らし、そして……消えた。


「あいつ、どこへ行ったんだ?」ソシモリはキョロキョロと森の中を探すが見あたらない。

 しばらくすると、辺り一帯の木がめきめきと音をたてだした。今しがた斬り落としたオロチの首がまだ生きているのかと思い、ユタとともに鵺の上で背後を振りかえる。八つ目の首はまっぷたつで、すでに息絶えている。もうこのオロチは死んでいるはずだ。しかし……。


 遠くで小さく笛の鳴る音が聞こえた。


 それから森の木々をバキバキとなぎ倒す音がだんだんと大きくなり、そして次第にこちらに近づいてくる。パムがその音のする方を見上げると、一段と大きな、新たなオロチの鎌首がそこにそびえ立っていた。真っ赤な舌はまるで業火のごとくその大きな口からひらめいている。


 ソシモリはあんぐりと口を開いてさらに巨大なオロチを見上げていた。


「でっけえなあ。なんだぁこいつは」

「ソシモリ、呑気なこと言っている場合じゃないよ。逃げなきゃ!」


 パムの後ろで、ユタも「一度、出雲へ戻って立て直しましょう」と言う。


「ほら、ユタさんも出雲へ戻って立て直そうって言ってるよ。そうしよう」


 ソシモリに駕洛語でその言葉を伝えた。ソシモリは ユタの言葉に舌打ちすると、


「酒をよこせ。まだあるんだろ。酒さえあればどれだけデカくたってオロチなんざ……」

「酒はもうないんだってば! ジリさんがこぼしちゃって!」

「なんだあの野郎! なんでこぼすんだよ!」


 オロチが鵺めがけて大きな口を開いて向かってきた。鵺は恐怖におののき、ソシモリを置きざりにして走り出す。


「てめえ、オレ様を置いて逃げるんじゃねえ! オレ様を乗せやがれ!」


 鵺は、パムとユタを乗せたまま一直線に出雲に向かって走り出した。途中一緒に戦っていた出雲兵たちも、鵺が逃げるのを見て一斉に退却を始める。


「退却、退却!」

「ばかやろう、退却するんじゃねえ! 戻れ! 戻りやがれ」


 しかしソシモリの叫びもむなしく、軍はすでに退却に向けて動き出していた。そして退却する出雲軍の後ろをあのさらに巨大なオロチがバキバキと木々をなぎ倒しながら、こちらへと追いかけてくる。こんな巨大な化け物を一体どうやってやっつけろというのか。

 みな一心不乱に走り続けた。出雲の町はすぐに見えてきた。出雲の高い杭でできた塀が見えてきた。


「開けてくれ! 巨大なオロチが現れたんだ! もうすぐそこまで来ている!」

「早く! 早く!」


 門にいち早くたどりついた兵は、必死で門を叩き、のぞき窓から中をのぞきこみ、開けてくれと町の中へ叫んだ。しかし門の中からは意外な返事がきたのである。


「今この門を開けることはかなわぬ。狗奴軍の猩々が入ってくればワシらはもうお終いじゃ。すまぬが、勘弁してくれい」


 ハハカラが前へと進み出て、窓から交渉する。


「開けろ。ツヌガアラシトの軍が戻ってきた。すぐさま開けられよ。オロチがもうそこまできているのだ」


 しかし、中からは開けられぬと一点張りだった。


「誰がそのように申しておるのだ」

「へえ、オオヤヒコさまで」


 ハハカラたちに追いついたパムとユタは鵺から降りると一緒になって門をたたいた。振り返ると、すでにそこまでオロチが来ている。逃げ遅れた兵たちはすでに何人かオロチに食われ、皮肉なことにそれが時間稼ぎになっていた。


「中へ入れてくれ!」


 そこへ、高い塀の上から何かが落ちてきたのである。


「いてえなぁ。なんだよ一体」


 ジリにぶつかったらしくかぶとをなでながら声をあげると、中に入れない兵の人だかりの上に落ちたそれはうめき声をあげ、そして立ち上がった。


「ワシが、お前らを守るけぇ、安心せい」

「加茂呂さま」


 すなわち、スサノオであった。

 出雲兵が口々に「王さま」「加茂呂さま」と言いながら駆け寄るのだが、その格好に驚いた。それはそうであろう。鎧兜をまったく身に付けず、病床からそのままやってきた姿。つまり、薄い衣一枚、といういでたちだったのだ。ただ、その手にはギラリと輝く剣、ただひとつを持っている。


 スサノオは城門に顔を向けると、大声を出した。


「おい、てめえら、今すぐ城門を開けろ。傷ついた仲間を中に入れて手当じゃ。仲間を見殺しにして何が仲間だ。何が出雲の男だ。今すぐ開けろ!」

 

 スサノオの言葉に、大きな門はゆっくりと開き、傷ついた兵たちがなだれ込むように入っていった。


「ふんこの麁正あらまさの剣があれば、酒だのなんだのと、下手な小細工はいらぬわ。わしがこの国を守る」

「スサノオ」


 パムは思わず呟いた。呟いて思わず口を手で覆った。ソシモリが聞いていなければいいのだが、と振り返ると、ソシモリがそこに立っていた。


「スサノオ?」


 ソシモリの身体が次第に震えだす。

 パムは後々まで、この日のことを後悔する。


「あれが、スサノオか!」ソシモリの目が、ギラリと変わった。

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