第5話 ツヌガアラシト

「うわあああああーーーーーーー!」


 パムが叫んで目を開けると、そこは見たことのない世界だった。


「うっ……ううう……」


 叫んだ拍子に一度体を起こしたのだが、身体中に痛みが走り、あまりの痛さに、ゆっくり、ゆっくりとうつ伏せに戻した。

 ぴちゃんと音がして、右のほおが水につかる。目をつぶる。あたたかい水が行ったり来たり。ほおを撫でてはまたどこかへ去るのにあわせて、砂がサラサラと小さな音を立てて流れていくのを聞いていた。

 これは波だ。波がほおを撫でていく。その柔らかい感触にしばらく浸る。

 ざざん、ざざんと波が体を洗っていくのが、くすぐったい。

 いつまでもこうしていても仕方がないので、そろそろ起き上がるかと手を動かそうとするが、身体中にまるで雷が落ちたように痛みが走る。足の先から頭の先まで走る痛みで、しばらく動けぬまま身悶えていた。

 身悶えながら、少し目を開けた。


 美しい浜だった。

 真っ白な砂がどこまでもつづいている。波打ち際が弓のように弧を描き、パムを中心にぐるりと取り囲んでいるようだ。その周りには松の林が緑色に映え、その美しい光景を一層引き立てている。

 海はどこまでも透きとおって青く輝き、白い浜の美しさとあいまって、神の住む国とはきっとこうだろう、なんてことを思った。体がこう痛くなければ、もっと味わっていたい

ところだが、ほんの少し動かしただけで、痛みが全身をつらぬくのだ。

 なんとか体を上に向けて、仰向けに寝転んだ。空は真っ青に輝き、雲ひとつなかった。


……ここは一体どこだろう?


 海の裂け目に落ちたあとのことを、思い出そうとするが、ほとんど思い出せない。


 水の壁が壊れ、はるか頭上からパムたちのところへとすごい勢いで落ちてきたこと。とんでもない水の力に揉まれてもみくちゃになったこと。ソシモリがパムを捕まえて鰐鮫に捕まったこと。鰐鮫が波にあらがいながらどこかへと泳ぎはじめたこと。

 ここまでは思い出せるのだが、そのあとの記憶が全くない。気がついたらこの場所だった。


……ソシモリも、どこかで助かっているだろうか?

 

 体を少しずつ動かし、痛くない場所を探りながら、波の中でそっと右を向いたり、左へ向いたりしていると、どこからか人の声を聞いた。浜の方で人が騒いでいるようである。

 痛い体を動かし、なんとかそちらの方を見ると、真っ黒に日焼けした上半身裸の男たちが七人か、八人か……銛を手に騒いでいる。ぐるっと輪になって何かを取りかこんでいるようだ。

 パムはあたたかい水の中に肘をつき、そのやりとりをぼんやりと見た。


「てめえら、いいかげんにしやがれ!」


 聞きおぼえのある声である。人をバカにしたような、上から目線のもの言いは、どこからどう聞いてもソシモリである。


「……!」

「……!!!」

「お前ら何を言ってんだ? わかる言葉で言いやがれ」


 ソシモリが怒鳴りつける中、男たちは何か言葉を繰り返している。

 パムは男たちの方へと少しずつにじり寄っていった。


 近づくにつれ、男たちの姿がしっかりと見えてくる。

 半裸に腰布を巻いただけの彼らをよく見ると、全身に刺青いれずみが入っていた。鍛えられてこんもりと肉が盛り上がった肩や背中はもちろん、むき出しになった足や、顔にもしっかりと刺青が入っている。青黒い線が、彼らの体を縦横無尽に波を打ったりまっすぐに走ったり、丸や四角や三角を描いたり。一人ひとり、その刺青は違うようだ。

 駕洛からでも、刺青の入った異邦人を見ることはあったが、こんなに全身の刺青を見ることはあまりなかった。


 いや。


 金海にも一人、この刺青を入れた人間をパムは知っていた。


……ああ、じいちゃんと一緒だ。


 じいちゃんもこんな感じで、左頰に短く三本線の刺青が入っている。そして体には大きな円が、背中から腹にかけて描かれていた。普段は服で隠しているけど、足や腕にもびっしりと入っている。ただ歳のせいで、この人たちよりもっとシワシワになってしまっているけれど。


 この人たちと話したい、とパムは思った。じいちゃんの国の、じいちゃんと同じ言葉を話す人たちと。パムは痛みをこらえながら、ゆっくり立ち上がり、一歩、また一歩と足を踏み出した。白い砂、松の林……その松の向こうに三角屋根がいくつか見えた。あそこがこの人たちの集落なのかもしれない。


「ツヌガ……!」

「ツヌガアラシト……」

「ツヌガアラシト!」

「ツヌガアラシト!!!」


 半裸の男たちの言葉は聞きとりにくかったが、どうやら「ツヌガアラシト」と繰り返し叫んでいる。 

 男たちの言葉が少しずつはっきりと聞こえてくると、パムは身震いをした。

 「ツノガアラシト」→「ツノがある人」

 つまり、角がある人だ,と言っているのである。


 この言葉。


 じいちゃんと同じ言葉を話しているのである。「これは和語だ」といったじいちゃんの姿が頭に浮かんでくる。


……じいちゃんの言葉だ。じいちゃんと同じ言葉を、じいちゃんじゃない人が話してるんだ。


 こんなに感動的なことはなかった。ただ、じいちゃんしか話せないと思っていた言葉が、実はちゃんと他にも話せる人がいる言語だったのである。

 パムはじいちゃんの祖国へ来たのだと実感すると、胸が熱くなった。


「あなたたちは、じいちゃんと同じ言葉を話すんですね!」


 そう話しかけようとした時、である。


「てめえらぶっ殺す!」


 ソシモリの言葉につんのめる。なんてことを言うんだ、と急いで止めに入ろうとするが、身体が痛くて動かない。


「ソシモリ! ちょっと待って!」


 パムの声にソシモリを取り囲んでいた和人たちは振り返った。みな突然現れた小僧に驚きを隠せない。


「なんだてめえ、生きてやがったのか。てめえも死にてえのか」

「だから、ちょっと待ってよ。もういちいち言葉が乱暴なんだから……ね、もしかしたら僕、この人たちと話せるかもしれない」

「話せる? このわけわからんやつらと? ああ、そういや、お前も変な言葉しゃべれたな」


 ソシモリは大体パムを巻きこんだ理由も忘れているようだった。

 ソシモリの方がよほどわけわからんやつじゃないか。と心の中で思いながら、パムは和人たちを見た。


「こんにチわ。僕はパム……デス。はじめ……まサて」


 パムのたどたどしい言葉にしばらく和人たちは考えていた。

 ちゃんと通じないのだろうか?


「こんニちわ、言葉、わかりマシテ?」


 和人たちは、突然大笑いを始めた。


「アッハッハ。わかる、わかるが、変な言葉を使うのう」


 大爆笑である。パムは何がそこまでおかしいのかわからなかったが、とりあえず、初めてじいちゃん以外と和語で話したんだと、思った。


「てめえら、オレ様をバカにしやがったな!」


 ソシモリは和人の手からもりを奪いとると、ブンと大きく振りまわした。慌てて和人たちは後ずさる。


「ど、どうしたのソシモリ?」

「こいつら、オレ様を笑いやがった」

「笑ってないって。ソシモリじゃなくてボクの言葉がおかしくて笑ったんだって」

「いいや、こいつらはオレ様のことをバカにしている。こいつら、ぶっ殺す」


 と、云うや否や、そのまま和人たちを銛で刺そうと追いかけはじめた。


「ツヌガアラシト!」

「ツヌガアラシト!!!」


 和人たちは、ソシモリのことをそう呼びながら、逃げ回っていた。


「ソシモリ! やめなって!」


 パムは暴れるソシモリを抑えることもできないでオロオロするしかなかった。

 和人たちは逃げまわっていたが、しばらくするといつまでも、子どもごときに追いかけられることが頭にきたのか、反撃をはじめた。

 彼らはパムと同じように漁師とみえる。彼らが手にした網や銛の形は、パムの使っているものとは少し違うが、漁に使うものだというのはすぐにわかった。

 その銛を持った連中が、暴れるソシモリに向かってずらりと銛を向けた。


「ツヌガアラシト! 覚悟しやがれ!」


 和人の和語に、ソシモリは駕洛語で返す。


「てめえらごときにゃあ負けねえわ」


 和人七人とソシモリが、銛を剣のように合わせて戦いはじめた。ソシモリは強かった。大人七人相手に余裕で立ちまわっている。まだ子どもだからと手加減していた和人たちも、時間が経つにつれ、本気で銛でソシモリを刺そうとしていた。ソシモリもあの荒波に揉まれて打ち上げられたあとだというのに、動きは獣のように素早かった。

 海に這うように低く避けたかと思うと、次の瞬間は高く空へ飛び跳ねる。


 こいつは疲れるという言葉を知らないのだろうか? 


 傷一つ追わずに、取り囲まれた中を休むことなく飛びまわっている。

 と、突然和人の輪が広くなった。ソシモリから離れるように一斉に後ずさったのだ。


「はん。オレ様にビビりやがって。クソめ」

「あの、あの、ソシモリ!」

「なんだ!」


 戦いの最中にパムが、申し訳なさそうに小声で話しかけた。


「あの、いや、だから、上から……」


 ソシモリが一瞬パムの方を向き、上だというので上を向いた時、頭上から網が覆いかぶさって来た。


「網が来てるって、言いたかったんだけど」

「てめえ、早く言いやがれ!」


 パムは魚に網をかけたことはあるが、自分がかかったのははじめてだ。思った以上に身動きがとれず、幸い、ソシモリがパムに殴りかかろうとしたが網のおかげでジタバタするのみだった。


「漁師! てめえぶっ殺す!」

「だから! ボクは助けようと思ったんだってば」


 二人は網の中でもめたまま、和人たちに捕まってしまった。


「この網から出たら覚えてろよ!」

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