1-2 世界観と家族構成について

第二話 祝福の中での誕生(0歳)

 始まりは何も分からなかった。


 暗闇の中、思考が覚束ない。

 肉体が自分のものではないように、手足が十全に動かない。

 全身に上手く力が入らない。


 続いて、それ・・が混乱と衝撃だと辛うじて理解した。

 『何も分かっていない』のだ。

 分からないということすら分からない。

 漸く、自分が自分だと明確になってきた。


 嗚呼、誕生したのだ。

 ここで、俺は自分が赤子となって生まれ変わったのだと、ハッキリと実感した。

 情報という情報が頭の中へ流れ込んでくる。

 それと同時に、俺は誕生の叫び声を上げる自分自身に気が付いた。

「バブーーーーーー!!!!」

 我ながら実に赤子らしい、元気な泣き声だと思った。


 やがて小さな体を掴む感触があり、泣き叫ぶ俺の声に混ざって、周囲の騒めきが聞こえてきた。

「こっ…この子は…!」

 今や充分に聞こえる。その声は怯え、事態が受け入れられないかのようだった。


 俺を掴むこの女は…助産師だろうか?

 顔が布で隠れているが、隙間から見える肌は白く、髪は明るい緑色だ。

「こんなことが…!これは御統主様には見せられません」

「そんな…みんな、どうしたの?私の子供を見てみたいわ」

 どうやらこの場には複数人いるようだ。

 幾つかの声は皆女性で、明らかに混乱していた。


 俺はたった今生まれたばかりのようだが、すると、ここは手術室といったところだろうか。

 いや、徐々に焦点の合ってきた視界を見渡すに、どうも広い洋室のようである。


 中世風世界…ファンタジーというやつか。

 しかし、室内に響き渡る混乱と恐怖の囁き声は、次第に次第に大きさを増していった。


 混乱の中心は、俺にあるようだ。

「奥様、見てはなりませぬ」

「これは忌み子なのでは…?」

「おぞましいです…!このような子が生まれて良いのでしょうか!?」

「口を慎みなさい!奥様に心の準備をして貰うのです」

 メイド服のような衣装や、白衣を纏った女性達が口々に議論を交わしている。


 ふと俺は周囲の光景ではなく、上手く動かせない自分の手足を見た。

「バブバブ…バブー」

 成る程な…!周囲の連中も驚くわけだ!


「この子…喋っているわ…」

「どういうことなの?奥様から魔物が生まれるなんて…!」

「バブー!」

 俺の姿をみてハッキリした。

 俺の両手は、生前と変わらぬ立派なハサミが生えていたからだ。


 どうやら前世のスキルを継承して生まれ変わる目的は上手く達成されたようだ!

 これは喜ぶべきことだ!

 無敵の肉体が再び我がものに!

「バブー!バブー!」

「まあなんで元気な泣き声…早く姿を見せて頂戴」


 先程から聞こえるこの優しげな声が我が母なのだろうか。

 母の要求はしかし、周囲の女性達に阻まれる。

「なりませぬ!奥様。この子は死産となりました」

「何故そんなことを言うの。私の子供はこんなに元気に泣いているじゃない」

「バブブ」


「忌み子です!今宵の月は凶兆、星の降る夜に生まれた子は悪魔の子なのです、奥様!」

「そんなの迷信よ…早く見せて」

「いや、しかしまさか迷信が現実になろうとは…おいたわしや」


「皆の者、奥様。このことは御統主様には伏せて置くべきです。あなたもこの子の姿を見ればきっと後悔する筈でございます。

 誰か!すぐ扉の向こうの御統主様にこの子は凶兆月ゆえに死産になったと伝えるのです!」

「イヌリン…私は自分の子がどのような境遇であろうと、覚悟は決めているわ」


 俺の母が決然とした声で言ったのが聞こえた。

「この島の統主の妻として…そして一人の母として…生まれ来る子供を立派に育て上げる覚悟は出来ております。早く私の子供の姿を見せるのです」

「奥様…!そこまでお気持ちが変わらぬと申し上げられるならば、そのように致しましょう。皆の者、扉の向こうの御統主をまだ中に入れてはなりません」

 イヌリンと呼ばれた助産師が、諦めたような表情をした。


「バブブ…(早く俺の母を見せろ…イヌリン!)」

「なんと…!この赤子、私に奥様の姿を見せろと命じたわ」

 驚愕した助産師はしかし、なんとか平静を保つと振り返り、俺の母と向き合う。

 そして、自分自身も覚悟を決めたように、俺を一瞥すると、両手で布に包まれた俺をしっかりと母の腕に手渡した。

「この子が、奥様の子でございます」


 俺の母は美しく、銀髪の若い優しげな女性だった。

 しかしその優しさからは強さを感じ取れる。

「バブブ…!(よろしくな)」

「まあ、美味しそう」

 俺の母の口から出た感想は鬼畜の一言に尽きる。


「バッ…!?ブー?」

「見て、イヌリン。私の子供、すごく美味しそうだわ。海の幸よこの子」

「何を仰るのです、奥様。気をしっかり保って我が子を見るのです」

 慌てふためくイヌリンを傍に、我が母は俺を抱きしめると、勝手にハサミを開いて、中にボーガンが接続されていることを確認した。


「この子、ハサミの中にボーガンが仕込まれているわ。エビのボーガンだから名前はエビボーガンね。きっと強い子に育つわ」

「お考え直しください、奥様!エビボーガンなどと安直な名前を付けられた子がどのように育つか…!ただでさえこの子は忌み子なのですよ」

 安直は余計だ。


 しかし周囲の反対とは裏腹に、俺の母の決意は固かったようだ。

「黙らっしゃい!こんな美味しそうな子が忌み子でたまるものですか!新鮮な赤エビですよー!?」

「ああ…!奥様はこういう性格だったのを忘れていた!!」


 困り果てたイヌリンは頭を抱え、その場にうずくまった。

「こうなっては御統主様に全てを打ち明けるしかありません!」

「イヌリン侍女長!御統主様が今にも扉を破って中へ入ってきます!」


 白衣を纏った女性が叫ぶのと同時に、俺の母の背後にある奥の扉が破壊され、外から男性がタックルしながら入室した。

「俺の子が死産とはどういうことだ!?元気な声が外にも聞こえているではないか!!」

 乱暴に室内に入ってきたこの男は、いかにも高貴な赤色の衣を纏ってはいたが、その上からでも分かるほどに筋骨隆々とした偉丈夫だった。


「ゴトーシュ様!!まだ子の姿を見てはなりません!心の準備が!」

「おお…!この姿はなんと…!!」

 どうやら部屋の中に入ってきたのはこの男だけではないようだ。

 俺の誕生を今か今かと待ちわびていた男性連中は、我が父と思しき人を筆頭に、何人もの家臣たちを連れていた。

「ゴトーシュ様…!この赤き鎧に纏われた姿は…不肖この私でも聞き覚えのない姿!」

「やはり凶兆の月に出産したのは間違いだったのか…!」


 御統主様と呼ばれた我が父は、驚いた表情で家臣たちと俺の姿について話し合った。

「呪いでございます!これは魔王の呪いに違いありませぬ…!!」

「いくら魔王でもそのような話は聞いたことがない。しかし、この姿が明らかに普通の子と違うのは事実…!」

「もしや魔王ではなく、かつて若き日に御統主様が退治した島の水竜の祟りなのでは?」


「水竜の祟りだと!?それこそあり得ぬ話だ!」

「しかし、この赤き鎧の姿はまさしく海産物そのもの!島一帯の海を司っていたと言われる水竜との関連がまず考えられましょう!」

「その水竜を倒したのは何年も前の話だ!そもそも、奴はこの島の主とは程遠いただの魔物であった!」


「ではやはり凶兆としか言えませぬ…」

「まて!この月を凶兆とするのは間違っている!東の大陸では大司教が就任された折、前週より45日間は古代の祭りを復古させ、祝福の期間と定められた筈!その月を凶兆などと!」

「その大司教は己が権力を誇示するために慣例を捻じ曲げたに過ぎんじゃろうて!?凶兆の伝説は大司教の信仰より古きものじゃ!」


「おのれ、大司教の信仰を否定するか!ともかくこの子は領民たちには見せることはできるまい。御統主様、ご決断くだされ」

「黙れ!」


 我が父が一喝すると、家臣たちは押し黙った。

「…大事なのは信仰や伝説ではない。大事なのは、この子がどう育つかだ」

「あなた」

 我が母は父に強い語調で語りかけた。


「私は何であろうと、この子を立派に育て上げる所存です。それが叶わぬなら、私はこの子を鍋にして美味しく頂くつもりです」

「バブッ!?」

 えっ何言ってるのこの人!?

 我が母は口からヨダレを垂らしながら言った。


 えっ何?

 俺の命、この両親にかかってるわけ?

「バブブ…バブー」


「…アボガドニスよ」

 諦めたように、父は背後の家臣を呼んだ。

「はっ。何なりと」


「確か今朝の巡回の折、見知らぬ下郎が預言などと言っておったな?」

「はっ。うらぶれた老人が、今宵生まれる子は勇者になる定めを背負うなどと、確かに申しておりました」


「御統主様、館の外では島の領民達が跡継ぎの誕生を心待ちにされている様子。どうか今すぐにご決断ください」

「…」


 我が父は俺を見た。俺もまた父を見た。

 精悍な顔つきの、戦士である。俺は直感した。

 目と目を見るだけで、二人はお互いが幾千もの修羅場を潜ってきたのだと確信した。


「かすみよ。その子の名前は決めたか」

「エビボーガンです」


「えっエビボーガンか…エビボーガンか…。

 エビボーガンをしばし俺に預けてくれんか。決して悪いようにはせん」

「あなたがそうおっしゃるなら…そのようにします。」


 母は優しく俺を父の両腕に手渡した。

 無骨な体格ながら我が父は意外と赤子の抱き方が上手で、どちらかというと母よりも頼り甲斐のある抱擁だった。

「エビボーガンよ。そなたの運命は俺が切り開いてやろう!」

 そう言うと、父は俺を抱えたまま、部屋の大窓へと一目散に駆けた。


「いけませぬ!ゴトーシュ様!」

 家臣団や侍女達のの忠告も無視し、父は大窓のガラスをタックルでぶち破ると、階下に集う領民達に我が姿を晒した。


 外は数百人の群衆が集い、注目は一気に俺と父に集中したようだった。

 この時俺は、ここが建物の上階で、時刻が真夜中だと気がついた。

「皆の者、待たせた。我が子を一目拝ませてやろう!!」

「わあああーー!」


 民衆達から歓声の声が上がった。

 しかし、やがてそれは戸惑いや騒めきに変わっていった。

「島に伝わるところによると、今宵の月は凶兆である!」

「なんと…」

「そんな…まさか…」


「しかし、遥か海を隔てた東の大陸では、今現在は祝福を受けた祭の期間であるそうだ!」

 父は俺を両手で掲げた。

 民衆達から驚きの声が上がる。


「しかし、この勇者ブリスケはそのどちらも信じはしない!我が子の姿を見よ!」

「一体これは!?ゴトーシュ様!?」


「うむ。古くはこの島の住まうお前達領民よりも以前、また別の国の人々が住んでいたのが、この島の始まりという!!

 その古代殖民の信奉した神は、海の神だったと聞く!我が子は古代神の祝福を受けた!この姿こそがその証明だ」

 民衆達の騒めきが次第に大きくなり、それは再び歓声に変わり始めた。


「民衆達よ!俺は預言の勇者の子を授かったぞ!!」

「わあああああ!!」

 父の巧みな演説で、民衆達の喜びの歓声が爆発した。


 このように強くも型破りでカリスマ性のある我が父と、美味しそうな目で俺を見つめる優しく狂った母。

 ロクでもない世界に、俺は運命の子として生まれてしまったものだった。

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