八章 誰が為に

 末羽により白鷺一番隊の基地が襲撃された次の日、本部では緊急の会議が開催され、雅也を含む元帥らと各基地の総責任者数名に招集命令が下された。

 会議の内容はもちろん、末羽への今後の対処について。白鷺一番隊は在籍していた隊員の半数以上が戦線復帰には時間を要する深手を負わされており、事実上の壊滅状態に追い込まれている。更には、長く特攻隊長を務めていた漠夜の死亡は大きな打撃だ。

 そんな状況下で、実力の伴わない飾りだけの元帥たちではいくら話し合っても打開策など出るわけもなく、具体的な命令が冷達へ伝えられたのはゆうに三日たってからの事だった。


 カチカチと時計の針の音だけが聞こえる医務室の中で、ベッドに横たわる影が二つ、そしてその傍に座る影が二つあった。ベッドに横たわる影は動く様子が見られず、死んだように昏昏と眠り続けている。

「月華……まだ目を覚まさないのか?」

 眠り続ける青年の青い髪を梳きながら、一葵は悲痛な面持ちで呟いた。煤によって負わされた傷はとうに輝の手で治癒されているが、問題それからだった。漠夜の死を聞いて以降、彼らは他の負傷兵の治癒に駆け回っていたが、突然まるで糸が切れたように倒れ伏してから全く目を覚まさない。

 おそらく限界量を越える魔術を使ったからではないかと言われているが、それでも不安で仕方なかった。もしも精神に影響していて、二度と目を覚まさなかったら。そんな考えばかりが浮かんでは消えていく。不安から沈んでいく気持ちが、一葵の口から溜息となって漏れる。隣にいる幸も同じなのか、その表情が晴れる様子はない。幸は視線を動かさず足元の影ばかり見ており、彼も一葵と同じように自分の力不足を悔やんでいるのだと察した。

 普段ならばそこまで深く心配する事もないが、今の二人は漠夜という絶対的な存在を失った直後のため、パートナーの昏睡という事態は精神的に大きな負担となって圧し掛かる。

 そんな二人の沈黙を破ったのは、控えめに響いたノックの音。隊員が極端に減った今では医務室を訪れる人間など居ないはずなのだが、実際にドアの傍に人の気配を感じる。それも、明らかに人でないものを伴って。

「なんだ……?」

「幸は月華達の傍にいてくれ。俺が見てくる」

 立ち上がろうとした幸を制し、一葵は銃を片手に静かに扉へと歩み寄る。表にいるのは輝なのかもしれないが、それでも人間ではないものの存在が彼等の危機感を煽る。

 一葵は十分に扉に近づくと、残りの弾数を確認してから勢いよく扉を蹴り開けた。開いた瞬間に確認できた人影を仰向けに地面へ押し付け、額に銃口を突きつける。


「……って、葉邑一等兵じゃないか」

「あは……流石に早いですね」

 勢いよく飛び出してきた影にいきなり銃口を突き付けられた冷は、敵意が無い事を示すために両手を開いて見せて困ったように笑う。末羽の襲撃で気配には敏感になっていた彼らの前に、ベルゼバブという馴染みのない魔力を持った神体を伴って現れたのだから、当然の反応なのかもしれない。そう思って眉を下げる冷を見て、一葵は慌てた様子で銃口を離した。

「すまない……敵と勘違いしてしまった」

 冷の上から退いた一葵は、銃を懐にしまいながら申し訳なさそうに言う。

「あんな事があった後ですから。仕方ないです」

 困ったように笑いながら立ち上がった冷は、申し訳なさそうにしている一葵にそう言うと、背中についた埃を払いながら口を開いた。

「それより、今日は皆さんにお話があって来たんです」

「話?」

医務室の中に入った冷は一葵達の顔が見える位置、ちょうど月華達の横になっているベッドを挟んで真向かいに腰を下ろした。中で待機していた幸は第三者が現れたことに一瞬警戒した様子が、それが冷だと知って安堵したように元の場所に座り直す。眠り続ける二人の顔を見ながら、冷は表情を曇らせた。

「まさかこんな事になっているとは……すみません、肝心な時に僕は……」

「いい、気にしないでくれ。葉邑一等兵が責任を感じる必要はない」

 とても深刻そうに表情を曇らせた冷の言葉に、一葵たちが動揺を見せる。しかし冷は漠夜の死に気を取られ過ぎて、残された負傷兵のことがすっかり頭から落ちてしまっていたことに罪悪感が募るばかりだ。せめて己も治癒に参加していたら、彼らはここまで深刻な魔力不足に陥ることはなかったかもしれない。

 二人のかける声に首を横に振りながら、冷は月華たちの顔をもう一度観察した。眠り続けてはいるが顔色に問題はなく、彼らが繋がれた機械も心拍の安定を示している。

「失礼します」

 横に二つ並んだベッドの間に立ち、二人の額に手を添える。神姫も月華も身体的な異常が見られないのなら、その他の原因があると考えるのが普通だろう。それが精神的なものなのか、はたまた別の要因なのか、それを特定するのは非常に困難だ。

(微弱な呪いがかけられてる……魔力を中から削られていたのか)

 目を閉じて二人の【中】に神経を集中させる。著しい魔力の欠乏は時に精神を傷つける事があり、もしもそれが発生していたら冷にはどうする事も出来なかっただろう。その可能性を危惧していた冷は、何者かによってかけられたと思われる呪いの痕を確認して、ほっと肩の力を抜いた。まだ末期に至る前の初期段階と思われるその呪いは、対象者の魔術を食らって成長するもののようだ。彼らが戦闘していた相手から想像すると、術者はおそらく魁で間違いないだろう。

(良かった、これなら助かる)

 治癒作業に移る前に、冷は一葵と幸の様子を盗み見る。二人は一目見てわかるほど疲弊しており、月華たちが倒れてからずっと医務室に篭もりきりだという輝の言葉は本当だったのだと察した。自分のパートナーを失ってしまった今だからこそ、そんな二人の姿は冷の精神を安定させる。

『ふむ……まだ深い所まで根を張ってはいないようだ。これなら除去にそう手間はかからぬ』

 冷を通して二人の状態を視たベルゼバブは、ヒールの音を立てながらベッドへと乗り上げる。治癒を行うには体に触れていなければならないのだが、ベッドに登らずに行うには残念ながら身長が足りなかったのだ。

 ひやりとした血の気のない白い指が神姫の額に触れる。神姫の中に残る呪いの残渣を消し去る為に、一番簡単なのは術者自身を殺してしまうこと。しかし戦力の大部分を失ってしまった白鷺一番隊では魁を仕留めるのは困難を極めるだろう。そう考えると、冷はベルゼバブに自らの魂を差し出して正解だったと心の底から安堵した。

 輝の目すら欺いた強力な呪いだが、ベルゼバブの手にかかれば治療はそう難しくないだろう。

「葉邑一等兵、何をするんだ?」

「二人の中に呪いが入り込んでいたようです。彼に任せておけばすぐに治ります」

 不安そうに声をかけてくる二人に、冷はにこりと笑って月華達の状態を説明した。二人の命に別状はないと知った二人はひどく安堵したようで、崩れ落ちるようにして椅子へと腰掛ける。冷の後ろで神姫の額に手を添えたまま動かないベルゼバブの姿を見ながら、幸は漸く潜め続けた息を力いっぱい吐き出した。

「――もう駄目かと思った……」

 搾り出すような幸の掠れた声音に、冷は苦笑ともとれる笑みを浮かべる。目の前で重傷を負った上に、無茶な治癒を続けて昏睡状態に陥った彼女達の姿は予想以上に彼らに精神的な疲労を強いてきたのだろう。特攻隊の中でも一番関係の長かった幸と神姫ならば尚更。

『あのガキに一方的に戦力を削られ続けているのだ、それも負担としては大きかろう』

 二人の体内から取り出した呪いの残滓を握りつぶして消滅させたベルゼバブは、二人の心情を察したように笑う。彼の瞳には一葵や幸の体内を巡る彼ら自身の魔力が写されているようで、彼らの状態をこっそり耳打ちで教えてくれた。それが不安定な水面のように揺らめいていては、いくら感情の機微に疎いベルゼバブといえどすぐに気付いてしまうだろう。

 体が同化したことで冷の目にも見えるようになった彼らの魔力は、今の自分と違って生命に満ち溢れた眩いものだった。並々と溢れては再び満たされていくその泉は、二人の体調が良くなったことで静かに凪いている。


 それから幾らもせずに月華が、遅れて神姫が目を覚ます。身体的には問題がなかった二人だったが、三日も眠り続けていたせいで筋肉が硬直しており、起き上がる時に吐き出すような力の篭った声を漏らした。

「いってぇ……なんだこれ」

「やだ、筋肉がきしんでるじゃないの」

腰や肩を動かしながら不満を漏らす二人の様子はいっそ不自然なほど普段と変わらず、それが一葵達を安心させたのだろう。肩の力を抜いて笑う二人に、神姫は怪訝そうな表情を浮かべた。

「なに情けない顔してるのよ、幸。地味な顔が更に地味になってるわよ」

「どこかの誰かさんが眠り続けてくれたせいだよ」

 軽口を叩く二人を尻目に、月華は静かに起き上がり枕元に置いてあった隊服へと手を伸ばす。長く息を吐いた彼は、すっかり凝り固まってしまった筋肉を軽く動かしながら袖を通した。

「悪かったな、心配かけた」

「俺の力不足も原因だよ、すまなかったな」

 お互いに声をかけ合い、そして顔を見合わせて可笑しそうに笑った二人は、本題に入るタイミングを窺っていた冷へと視線を移した。

「ありがとな、冷」

「いえ、後遺症もなさそうで安心しました」

 何事もなかったように隊服を着込んでいる月華の姿に、冷も安心して笑みを零す。無事に回復した二人の様子を確認した彼は、僅かに逡巡したような様子を一瞬見せた後に口を開いた。

「回復したばかりのところ申し訳ありませんが……皆さんに雪原雅也元帥から招集命令が出ています」


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