7-3

「――どこから話せばいいんでしょうね」

 漠夜の身体を安置台に乗せた輝は、そのまま近くにあった談話室へと足を運ぶ。ソファに腰かけるよう促して全員が座ったのを確認した彼は、膝の上で指を組んでどこか遠くを見るような目をしながらぽつりと呟いた。

「私が漠夜の死期を知らされたのは、今から二年前。漠夜と未羽が婚約した時の事でした」

 輝はつい昨日の事を思い出すように目を細め、漠夜の死期を本人から直接知らされた時の出来事を語り出した。

 

 漠夜と輝は訓練校時代からの友人であり、仕事上でも欠かすことのできない相棒だった。輝が総責任者として上り詰めたと同時に特攻隊長に任命された漠夜の活躍は目覚ましく、白鷺一番隊だけに留まらず帝国魔天軍で一番の実力を持つとさえ言われていたほどだ。

 そんな彼と、己の妹である如月未羽が恋人関係にあると輝が気が付いたのは、パートナーとして登録されて暫く経ってからの事。恋愛に対する規則は存在しておらず、彼らも私情を持ち込んで任務に支障をきたす事は無かったこともあり、輝は何も知らないふりをしていた。

 そして全てを知らされたのは、小雨が窓を打つ薄曇りの夜の事だ。

『兄さん、私たち結婚するの』

 はにかみながら、しかしどこか寂しそうにそう告げる未羽の表情に輝は疑問を抱いた。普通ならば嬉しそうにするのではないかと思うと同時に、横で彼らしくもなく目線を合わせようとしない漠夜の表情がどうしても引っかかったのだ。

 何があったのか、そう問いかける輝に返事をしたのは漠夜だった。

『俺の命はそう長くないんだ……輝』

 輝が知らされたのは、漠夜の命には制限がある事。そしてその制限は、長く見積もっても四年が限度だという事。本来ならばとっくの昔に死んでいた筈の人間である事。

「当然、私はその結婚に反対しました。未羽の為――そして漠夜の為に」

「どうしてですか?」

 冷の問いかけに、輝は少しだけ伏せていた瞳を上げて談話室の窓から空を見上げた。

「知っていたんです……未羽が末羽に殺されることも」

 輝の言葉を聞いて、その場の空気が凍る。未羽が殺された事件というのは、間違いなく漠夜を白鷺一番隊内で孤立させるきっかけになった事件の事だ。パートナーの事故死、しかしその真相は単独で任務に出た挙句に討伐対象に返り討ちに遭ったというもの。その未来すらも知っていたのかという疑問が残るなか、輝は窓を見上げたまま口を開いた。

「言えなかった。二人が苦悩の末に結婚という選択をした矢先に、未羽の命も長くないだなんて……どうしても」

 窓の外を見上げる輝の横顔が、前髪によって遮られる。表情こそ見えないが、まるで泣いているかのように震える言葉尻を聞いてしまっては、彼を咎めるような言葉も先を促すような言葉も出てこなかった。

「実は、未羽が死んだのは結婚式の前日だったんです」

 未羽は、漠夜がいずれ死にゆく人間であることを知りながら、それでも少しでも漠夜の証を残そうとした。書類上としても事実上としても残らなくていいから、せめて指輪だけでも。そう懇願する彼女に対し、漠夜は最初は頑なに拒んでいたという。理由は、自分が彼女のこれからの妨げにならないよう。お互いを深く愛していた彼らは話し合いに話し合いを重ねて、教会で二人だけの式を挙げるつもりだった。

 しかし輝だけが知っていた筈のその式は、無残にもその前日に壊されてしまった。他ならない肉親である末羽の手によって。

「漠夜なら末羽から未羽を守ってくれるだろう……そうやって私は、身勝手にも彼に希望を押し付けたんです」

 輝にとって未羽は大事な妹で、漠夜は唯一無二の親友で、虚像だとわかっていても二人の幸せを願ってしまった。漠夜の強さがあれば、もしかしたら末羽に打ち勝てるのではないかと思い。

 その結果、輝に残されたのは大事な者を失った喪失感、何も出来なかった自身への苛立ちと嫌悪、そして罪悪感だけだった。

 それらの感情に苛まれながら、輝は今まで生きて来た。

 そして、これからも。

「これが私の知る全てです」

「なんだよそれ! なんで漠夜は自分が死ぬことを知ってたんだよ! せめて俺達にも教えてたっていいだろ!? そしたら死ななかったかもしれないのに……」

 激昂して輝の胸倉を掴む月華に、冷は何も言えなかった。こうなることを知っていて輝も漠夜も黙っていたのだから、それを知らされてしまっては、遺された者たちに残るのは後悔だけだ。せめて、少しでも話してもらえたならば、そう願わずにいられなかった。

『無駄じゃ。たとえ言っておったところで、結果は変えられなかっただろうて』

 月華を抑えたのは鈴を転がしたような凛とした声。訝りながら振り返った月華を見て、ベルゼバブは深くため息をついた。

「なんでそんなこと言えるんだよ!」

『あれが月折漠夜の死に方だった。全て予定されていたことよ』

「だから……っ!」

 荒々しく輝から手を離した月華は、泰然と腰を据えたままのベルゼバブを睨みつける。

「なんでそれを知ってたのかって聞いてんだよ!」

『簡単な話よ。あの者は一度死に、我が二度目の生を与えたのだからな』


 二十二年前、二人の天才がこの世に生を受けた。

 一方は強大な力を持ち、とある名家に生まれ落ちる。成功を約束されたような力を持ちながら、その赤子は体に欠陥を持っていた。十を超えられるかわからない、不治の病だった。

 一方は他の追随を許さない程の頭脳と身体能力を持っていた。誰もが羨む能力、容姿を持ちながら、他のものにはなにも恵まれなかった。

 奇異な力を持って生まれた彼は生まれてすぐに名前も付けずに捨てられ、それ以降は孤児として生活を始めた。孤児院に入ることはできたものの、スラムに位置するそれは施設とは名ばかりで、その実態は悲惨なものだったという。国からの援助金は搾取され、わずかばかりのパンや雨水で空腹をしのぐ毎日。

 そんな悪辣な環境で育った少年は、まだ幼いにも関わらずどこか達観した子供だった。誰に言われずとも施設の子供たちの治癒を進んで行い、幼い子供たちの面倒を積極的に見ていた。

『施設を管理する大人たちからは気味悪がられる一方、子らからは好かれておった。それだけならばどこにでもいる子供だったが、あ奴は不運にも目をつけられてしもうた』

「目をつけられた……?」

『スラムの中に紛れ込んだ盗賊だ。あの白銀は、盗品を隠すために殺された』

 施設で子供たちの治癒などをしながら過ごしていた、ある日の昼下がりに盗賊の集団と鉢合わせてしまったのだ。どうやらその集団はとある名家から金品を盗み出してきており、警備隊に追われている様子だった。追い詰められた彼らは、道で足を竦ませる少年を見て言う。

 ――この子共の腹に盗品を隠そう。

 とある施設長から言付かって、死体を墓地まで運んでいる最中だ。そう言って警備隊を欺こうとした盗賊団に少年は掴まり、盗品を隠す為だけに殺害。大きく腹を裂かれてその中に盗品を隠された。

 その当時、少年はわずか四歳だったという。

「なんてひどい……」

『これがあ奴の一度目の死に方。まあ、スラムでは珍しい話でもあるまい』

 いったん話に区切りをつけたベルゼバブが、こちらに目線を移す。しかし冷は彼から聞かされた漠夜の人生に絶句する事しかできず、何も反応を返せない。

 漠夜の身体に大きな傷跡が残っているのは知っていたが、まさかそんな理由で傷を負っていたのかと戦慄する。思わず当たりを見回してみると、みな一様に同じような表情をしており、誰もベルゼバブの話を遮るものはいない。先ほどまで激昂していた月華ですら、両眼を大きく見開いて動きを止めている。

『さて、ここからが本題だ。あの白銀が生まれて少し経った頃、とある家に子供が生まれた。生まれながらにして不治の病を持っていた子供はこう名付けられた――末羽と』

 末羽の名前を聞いた途端、弾かれたように輝が立ち上がる。明らかに動揺を見せる輝を見て笑みを深めたベルゼバブは、まるで物語でも紡ぐようにして話を進めた。

『偉大なる魔術師ソロモンの血を引く如月家において、一つ上の兄は将来を嘱望されるほど強い術者だった。だからその子供が生まれた時はたいそう落胆が強かったらしくてなあ……』

 物心つく前から、末羽は屋敷の離れに幽閉されて育った。遊び相手は毬や絵本といったものばかりで、ろくな遊び相手もいない小さな建物。そこが末羽の世界のすべてだった。

『自分が疎まれている事すら知りもしない毎日は、それは穏やかだったのだろうな。そしてそんな中で、子供には唯一の話し相手がいた。それが……』

「――私、ですね」

 ベルゼバブの言葉を引き継ぐようにして呟いた輝は、どこか呆然とした表情のままふたたびソファに腰を降ろす。まるで体中から力が抜けてしまったかのような仕草に心配になるが、それに構わず話を続けたベルゼバブの言葉に意識が吸い寄せられる。

『そう、子共には兄がいた。世話係の目を盗んでこっそりと通う兄と会話する時だけが、その子供が他人と接する時だったのだ。まあ、長くは続かんようだったがな』

 如月家の跡取りとして生まれた輝は、本来は奇病に侵された末羽との接触を持つ事は許されていない。しかし彼は生まれてすぐに離れへと監禁されてしまった幼い妹を不憫に思い、せめて話し相手にと通い続けた。時には自分の勉強道具を持ち出して読み書きを教えるなどして過ごし、それは末の妹である未羽が生まれてからもひっそりと続けられる。

 しかしそんな日々も長くは続かず、彼女の転機となる事件が起こる。

 それは、いつものように兄を待って庭で遊んでいた時の事。大きな垣根に隙間を見つけた彼女は、好奇心に負けてそこを覗き込んでしまった。そこにいたのはたくさんの人に囲まれながら楽しそうに駆けまわる少女の姿。あまりに自分と違う待遇に驚いて毬を落とした彼女は、幼い体に似合わずあまりにも敏い子供だった。あの少女は愛されていて、自分は愛されていないのだとすぐに気が付いたのだ。

『どうせ長く生きられないならすぐに死んでよ。――それが母親から末羽にかけられた最初で最後の言葉だ』

 自分が誰にも愛されていない事を知った末羽に追い打ちをかけたのが、彼女の母親から放たれた一言だった。

 末羽の病状を不憫に思った輝が帝国魔天軍への入隊を拒否し、医学の道に進みたいと決断した日の、その夜の事だ。誰もが寝静まった時間を見計らって末羽の住む離れへと訪れた女性は、さっさと死んでくれと言い放って更に屋敷の奥深くに末羽を閉じ込めた。この子共さえいなくなれば、また輝は帝国魔天軍を目指すようになると信じて。

『末羽は世界を恨みながら四歳まで生きた。その恨みは悪魔を呼び寄せるほど強く、奴はついに禁忌を犯した』

「禁忌?」

『生きながらにして黄泉の扉に到達したのだ』

 ベルゼバブの指先がテーブルを叩き、こつんこつんという小さな音が談話室に響く。

『奴は如月輝から教わった知識でソロモンの悪魔を使役する方法を心得ておった。その上でこう持ち掛けたのだ……世界を覆す力が欲しいとな。我に出来たのは、ソロモンに関する記憶を消すこと』

 テーブルを叩く音の感覚が短くなり、力も強くなる。目線移すとベルゼバブの表情は苦々しいものに変わっており、彼にとっても良い記憶ではない事がすぐにわかった。

『しかしソロモンの力に反発したせいで我の半身は吹き飛ばされ、地上での療養を余儀なくされた。』

 ベルゼバブが言うには、悪魔は所有する力のほとんどを失った時には人間の魂を食らって補給することが必要になるらしい。そして彼は末羽との戦闘で失った力を補給するために地上へと降り、自らの生進退が宿る事の出来る肉体を探した。そして見つけたのが、治癒魔術に優れた先天的な魔術師の子供。まだ母親の身体に宿ったばかりのそれが潜在的に持つ退魔の力を取り込むことで力の増強を図ろうとしたベルゼバブだが、そこで一つ弊害が生じた。赤子の持つ力と彼の持つ力が相反するものだったがゆえに、成熟する前に死んでしまう可能性があったのだ。赤子に宿り、内側から魂を食して体を乗っ取るには、成熟するのを待たなければならない。しかし懸念するべきことが一つ。世界への強い憎しみを持った末羽がまたベルゼバブの前に現れないとも限らない。

『そして我は見つけた。月折漠夜――世界への強い未練を残したまま死んだあ奴に、二度目の生と引き換えに【我が力の一部を預かる事】、そして、いずれ姿を見せるだろう依り代を【護れ】と契約を持ち掛けた』

 その言葉を聞いて、全員が目の色を変える。冷もまた同じで、盗品を隠す為だけに殺されてしまった漠夜の名が再び出てくるとは思ってもおらず、無意識のうちに立ち上がりかけた。

 ベルゼバブの予想が杞憂に終わらなかった事は、彼の姿を見た末羽の言葉で証明されている。ならば、彼女が再び話を持ち掛けたベルゼバブは、誰の身体に宿っていたのか。突き詰めて考えるほどに吐き気が強くなって、冷は競り上がる嫌悪感に耐えきれなくなる。

『施設にいる子供たちを養うために漠夜は蘇った。そして、我の宿った赤子の肉体が成熟したから奴は死んだ……それだけの事よ』

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