3-7

 的確に急所を狙い打つ彼の蹴りが、未羽の体力を奪っていく。徐々にふらつき始めた体に容赦なく膝を打ち付けられ、彼女の体がくの字に曲がる。衝撃を受け止めきれずに弾き飛ばされた未羽はそのまま地面に投げ出された。

「何休んでやがる」

 うずくまる体を横から蹴り飛ばし、仰向けになった未羽に向けて足を振り下ろす。腹部を圧迫されことで浅くなった呼吸を苦しげに繰り返す彼女の表情を、漠夜は感情の読めない表情で見下ろした。

「末羽のことを吐くか、このまま嬲り殺しにされたいか選べよ」

「ぁ……っ……!」

 地に染まったような真っ赤な瞳が、漠夜の姿を写す。彼女を見下ろす彼の表情は冷たく、未羽はまるで羽虫のようにもがく事しかできない。

 全く口を割らない未羽に苛立ったのか、腹部を圧迫する足に徐々に力が込められる。

「吐けよ、化物!」

『違うよ、漠夜』

 これ以上待てないとでも言うように愛剣を創り出した漠夜の耳に、聞きなれた少女の声が響いた。

ざわりと風が揺れ、総毛立つような禍々しい冷気がその場を通り抜ける。月が消えてしまったかのような静寂に、漠夜の脳が一瞬遅れて異常を察知した。

咄嗟に飛び退いたその場を、巨大な氷柱が天高く穿っている。その場にいた未羽の半分以上を貫いたそれから放たれる冷気が、地面を這って辺り一面を侵食して行っていた。ありえるはずのない場所に突如出現した氷柱が誰の作り出した物なのかに察しのついていた漠夜は、氷柱が飛んできた方向に目を向けた。 

『漠夜、いいこと教えてあげる。その女は、何も吐かないんじゃなくて何も知らないんだよ』

 目を見開く漠夜を、はるか上空から末羽が見下ろす。月光を反射する蛟の鱗は青く、彼女の赤を引き立てていた。漠夜を威嚇するかのように睨めつける蛟を制した末羽は、後ろに付き従う金髪の青年を伴って軽やかな動作で地上へと降り立つ。

 息も絶え絶えな様子の未羽を挟んで対峙する形になり、漠夜は一呼吸おいてから剣に張り巡らせた魔力を増強させた。頭上では未だに蛟が睨みを効かせており、下手に手を出せば三対一の状態にあっと言う間に持ち込まれてしまうことは明白である。慎重に気を見定めようとする漠夜の姿を嘲笑った末羽は、場の緊張状態をものともせずに足を踏み出した。

「結局役に立たなかったね、彼女」

『さよなら、未羽』

 瞬きの後、漠夜の視界に映ったのは、咲き誇る真っ赤な曼珠沙華だった。

 かろうじて残った頸部を末羽によって掻っ切られ、大きく吹き出した赤い液体が広がっていく。

「ぁ……ぁ、ぅ……ゃ」

 徐々に生を失っていく未羽の口から漏れた最後の言葉に、漠夜は目を見開いた。頸部を切られているため音としてはほとんど成り立ってはいなかったが、それでも彼の耳は鮮明に彼女の無音の声を聞き届けていた。

 彼女は以前も、事切れる寸前に漠夜の名前を呼んでいたのだから。

(今、俺の名前を……?)

 理解の範疇を超えた事柄に、漠夜は思わず立ち尽くす。吸血鬼として蘇り、生前の記憶を全て失った、かつての婚約者。そんな彼女が、漠夜の名前を死の間際に紡ぐことなどあり得るはずがないのだ。

 砂に変わっていく彼女の亡骸の向こう、砂粒の合間から覗く末羽の瞳が、どす黒い感情を浮かべる。それが憎悪なのか侮蔑なのかは判別できなかったが、しかし漠夜の知りうる限り最も陰湿で醜悪な色をしていた。

「何が目的だ……」

「実験ってやつだよ。あんたらの好きな……ね」

 剣を構える漠夜の前に、まるで末羽を守るかのように馨が立ち塞がる。

 彼の表情は末羽よりも明確に感情が浮き出ており、一見してわかるほど情が抜け落ちたその笑い方には悪寒すら感じるほどだ。

「ほんとヒドイ失敗作だよねぇ。魔術を使うのにも耐えられない上に、定期的に血液を補充しないと体を保てないなんてさ」

 飛び散り、肩にかかった砂塵を払い落としながら、馨が笑う。本心から言っているだろうことは想像に難くなく、その中には漠夜を挑発する意図も含まれているのだろう。漠夜へと挑発的な視線を向けながら、彼は直接的に彼の神経を逆なでする言葉を選んでいるようだ。

「アンタのとこの如月輝……だっけ? あいつくらい便利な頭持ってないと、人間を蘇らせるのってムズカシーね」

「――……狂ってやがる」

 頭を指差しながら嗤う彼の表情が、もはや人間とは別の何かに見えた。著しく倫理が欠如した彼の言葉からは嫌悪しか感じられず、無意識のうちに剣を握る手のひらに力がこもる。

 それは末羽からすらも感じたことのないほどの、純粋な邪悪。

『ねえ漠夜、帰る気がないなら遊んで行きなよ』

 表情を険しくさせる彼の耳に、どろりとした悪意の塊が流れ込んでくる。言葉と同時に一閃された切っ先が制服の裾を掠め、咄嗟に身を引いた漠夜はその狙いの鋭さに表情を変えた。

 休む間もないほどの速さで二閃三閃と飛んでくる刃を交わしながら、剣先の出処を見やる。とても正確に急所を狙ってくる刃の嵐の中に見えた正体は、漠夜もとてもよく見覚えのある人物だった。

彼の正体が判別できた漠夜は突き出された刀身を己の剣で受け止め、その表面を滑らせるように前進して距離を詰める。一気に勝負をつけようとそのまま勢いよく剣を弾き飛ばし、相手の鳩尾めがけて膝を振り上げた。

「まさかお前が、こんな初級魔術使うとは思わなかったぜ」

 足元にうずくまる、己と同じ姿をした男の背に剣を突き立てながら漠夜は笑う。それは漠夜自身もよく使用する、対象の影を介してその人物と瓜二つの人形を作り出す召喚系初級魔術・影法師によって作られた影人形。

 肉体的には完全に同じ人物を作り出すことを可能としているその術だが、それ自体に思考能力は存在しないため、攻略は比較的容易だ。

「これで終わりか?」

『まさか』

 溶けてしまった影をまとわりつかせながら切っ先を向ける漠夜に、余裕を崩さない末羽が笑みを浮かべる。初級といえど己の術が破られてしまったことにも何の感慨を持たないのか、彼女はたおやかな動作で掌を地面に向けた。

『この程度で終わるわけないだろ? もっと楽しんで行きなよ』

 地面から湧き出る影溜まりが、漠夜の姿を形作っていく。一体や二体ではなく、軽く目視しただけでもゆうに十数体はいる影法師の群れに、漠夜は一瞬わずかに眉根を寄せる。

 質が劣るとはいえ、ベースとなった人間の身体能力は彼自身がよくわかっている。一体ならばさして脅威ではない術だが、それが大群にもなると話は別だ。

「相変わらず性格悪い戦い方やがって……」

「末羽の悪口やめてくんないかな?」

 末羽に向けて吐き捨てられた言葉に反応したのは、一歩下がって場を見ていた馨だ。眉を吊り上げ、不快を隠そうともせずに漠夜を睨みつけていた。彼は先ほどの挑発を除いてはほとんど傍観している風だったが、それは漠夜の思い違いであったことを思い知ることとなる。

 機嫌を損ねた彼が作り出した大きな雷槍が、蛟の頭上で青く光を放っている様が目に映る。その意図を測りかねていた漠夜だったが、その真下、雷槍が狙うその先に人影を見つけた彼は大きく目を見開いた。

「――冷!」

 そこには魔術抑止型捕縛術によって拘束された冷の姿があり、彼の身の丈をゆうに越える長大な雷槍がその四肢に狙いを定めている。雷に照らされた彼の顔面は蒼白で、必死に何かを言い募っているようだが、彼が何を言っているのかは全く聞き取れない。

 口封じの術までかけてあるのかと内心舌打ちをした漠夜は、憎らしげに目の前の少年へと視線を戻した。

「……てめえ」

「いいね、その顔」

 言葉にされなくとも、彼の目的がはっきりとわかってしまう。単体では驚異ではない影法師だが、漠夜が応戦したその瞬間に冷の半身は雷槍によって消し飛ばされてしまうのだろう。

 悪態を噛み砕いて飲み下した漠夜は、馨の要求に従う形で剣の術を解く。何も持たない両手を晒した漠夜に、馨はひどく満足そうな笑を浮かべる。彼らの様子に呆れをにじませた末羽は、憮然とした表情の漠夜に向けて嘲笑ともとれるような息を一つ漏らした。

『こんな役に立たない忌童子の為に、よくそこまで出来るね』

 末羽の言葉に身を固くした冷の様子を、漠夜は無言で見遣る。動揺を表すように目線が定まらない彼に聞こえるように、漠夜ははっきりとした口調で言葉を紡いだ。

「お前の価値観なんか知るか」

 そう吐き捨てると同時に、漠夜は周囲の影法師を一体蹴りつける。闇に溶けて行ったそれを見下ろしながら末羽を見上げれば、彼女が不愉快そうに口を曲げているのが目に入る。その隣で雷槍に晒された冷の表情は泣きそうに歪められていて、漠夜は己の言葉が正しく伝わった事を理解した。

 末羽が役に立たないと決めつけようと、それは彼女の価値観でしかないのだと。役に立てるかどうかは本人次第なのだと彼が気付いていれば、下手に自暴自棄にならないだろう。そう判断しての言葉は正しく伝わったようで、彼は未だ大人しく囚われの身になっている。

 それを見届けた漠夜は抵抗の意志が無い事を示すために剣を投げ捨て、顔の高さまで両手を上げた。

『面白くないなあ……やっちゃっていいよ』

 末羽の指が降ろされ、周囲にいた影法師が一斉に漠夜へと剣を向ける。降り注ぐ県の隙間から、射出寸前の雷槍を前にしても漠夜へと真摯な瞳を向けていた冷の瞳が見えた。

「大丈夫に決まってんだろ」

 漠夜が小さく呟くのと、激しい炸裂音が響くのはほとんど同時だった。

 耳をつんざくような大きな音の嵐の中で、漠夜に剣を向けていた影法師たちの頭が一つ一つ目にもとまらぬ速さで吹き飛んで行く。残骸が散らばる中で見上げた先では馨が信じられないような表情をして身を乗り出しており、その上では末羽が憎らしそうな形相で漠夜を睨んでいた。

 雷槍に撃ち抜かれかけた冷の身体は、漠夜のもくろみ通り無傷だ。

「漠夜っ!」

 空き地の向こうから走ってくるのは、先ほど別れたばかりの長い青色の髪。月華が足を縺れさせながら駆け寄るのが目に入った。

「仲間を潜ませてたのか……!」

「ちげえよ。お前らが冷を連れてきてくれるから、別れて探す手間が省けただけだ」

 心の底から悔しそうに唾棄した馨をそう嘲ると、彼は更にその表情を苦々しく歪ませる。

 さきほど、冷を探すよう言付けて別れた月華と一葵は、その言葉にきちんと従って冷の魔力を探したのだろう。魔力探査に長けた一葵の能力をもってすれば、この街の中ではそう長くかからないだろうと踏んでいた漠夜には、勝ち誇った顔で囮として晒してきた瞬間にこの展開を想像できていた。

 大きな魔力の流れの中心に冷がいれば、間違いなく彼らは駆け付ける。そう踏んだからこそ、漠夜は敢えて末羽と馨を挑発したのだ。

「だから言ったろ、お前の価値観で物言うなって。そこの馬鹿を連れてきてくれてありがとうな」

 先ほど冷を罵った言葉をそっくりそのまま皮肉で返し、漠夜は新たな剣を作り出す。その横には月華が並び立ち、少し遅れて一葵が空地へと姿を現す。しかし彼はその肩に何か大きな荷物を担いでいて、銃を片手に息を切らしている。

 担いだそれは人の身体のようで、白い服を着た足がぶらぶらと揺れているのが目に入った。

「なんだ? あれ」

「ああ、あれは――」

 漠夜が訝しそうに眉間に皺を寄せたのを見て、月華が口を開く。しかし彼が説明するよりも早く口を開いたのは、意外にも一葵が担いでいた人物だった。

「じゃーん、真打ち登場ってね」

 一葵の肩から飛び降り、背中の中ほどまで伸びた髪を揺らしながら影が動く。ゆっくりと近付くにつれてその容貌がはっきりと見える位置まで近づくと、漠夜の瞳はわずかに見開かれた。

「日比谷玲三等兵でっす。如月輝大佐よりサポートの要請を受けてただいま参りました」

 びしっと敬礼をした彼は、冷そっくりの顔で強気に笑いながら姿勢を正す。背中まで伸びた髪はポニーテイルにしており、彼が身に纏っているのは陵ではなく皇の隊服だ。似ているようでいてまったく正反対の顔付きをした男を前に一瞬硬直した漠夜は、短いため息と共にすぐに視線を逸らして馨や末羽の方を向き直った。

 彼女らは信じられないものを見ているとでも言わんばかりに驚愕に染まった表情をしており、こちらに攻撃してくる様子は見られない。

「さっきこの男と会って、漠夜のところに連れてけってうるさいから連れて来たんだけど、良かったか?」

「ああ、問題ない」

 冷と瓜二つの顔をした玲の説明が欲しそうな瞳をしていた月華には気が付かないふりをして、漠夜は前を向く。彼らに事の子細を伏せなければならない理由が、彼が本来は処分の対象にあったものだからだ。

 日比谷玲――通称MR四二五。冷の魔鏡を呑み込み、彼の姿かたちをそのまま投影した魔物。本人たっての希望と輝の裁量によって生かされた新たな隊員は、本来ならば存在するはずのない人間である。

「日比谷、末羽は俺が仕留める。お前は手を出すなよ」

「了解っす」

 剣を構えた先に立っていた末羽は、先ほどの表情から一変して不敵な笑みを浮かべている。玲の登場にそこまで危機感を抱いていないのか、余裕すら感じられるその表情はいっそ感情が抜け落ちているような気配も漂っていた。

『喚起・水神招来』

 末羽の指が空に文字を描き、魔法陣を形作る。彼女の従える式を呼び出すための術式が描かれたそれは大量の水を迸らせ、一体・二体と次々と銀鱗の竜を生み出していく。

 彼女が乗っているのも含めて五体のミズチがその場に生み出され、当たり一帯の空気が一気に冷え冷えとしたものに変わった。

「散れ!」

 漠夜の号令で三人がバラバラの方向に走り出し、一斉に放たれた氷柱の弾丸を避けていく。自らは結界を生み出してそれらを防いだ漠夜は、遥か頭上で笑みを浮かべている末羽を見上げて唇を吊り上げた。

「その喧嘩、買ってやるよ」

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