第二章 白鷺一番隊の事件簿


 森での任務が終了し、漠夜が目を覚ましたのは謝罪ツアーを終えてから約三日後。任務からおよそ一週間が経過した頃だった。

 意識を取り戻したと連絡を受けた冷は、整理していた資料もそのままに急いで医務室へと向かう。多量の失血と深い裂傷、そして深刻な魔力不足を併発していた彼の容態をみて顔色を変えた軍医から、もしかしたら一ヶ月は意識を戻さないかもしれないと告げられていたのだから、彼の回復力には平伏するしかない。

 彼が一ヶ月も寝込むと予想された一番の理由が、体内魔力の著しい減少によるものだった。魔術師達は体内に独特の器官を持っており、そこで生成された魔力が血液と共に体内を巡る事が身体の健康を保つのに重要になってくるのだ。しかしもともと魔力をもつ事を想定して作られていない体は、魔術を使うのに耐えうる強靭さを支えるのに魔力の補助を必要としている。魔力は、いわば魔術に対する緩衝材。魔術を使用するのに魔力を必要とするが、魔力が減ることで体の負担が増していく。

「少佐、退院おめでとうございます!」

 興奮する心地を抑えきれずに扉を開けば、迷惑そうな軍医に睨まれる。視線には気付かないふりをして一番奥のベッドまで近づいた冷の目に、すっかり健康そうになった漠夜の姿が映った。

「大げさだ、馬鹿」

「大げさなものですか! 少佐は一週間も寝たきりだったんですよ!」

 点滴やら何やらを体から取り去りながら不機嫌な表情を隠さない男に、冷は諌める声を上げながら笑う。

 驚異的な回復を見せた彼の体は殆どの傷が綺麗に塞がっているが、大きな裂傷の部分だけは皮膚が引き攣れを残したままだ。治癒したそばから何度も切り裂かれ、その度に軽い治療を行っていたのだから、仕方ないといえば仕方ない。

 右半身に走る裂傷の痕と、左肩から右脇腹にかけて刻まれた切り傷がとても痛ましかった。

「……その手、随分綺麗に治ったな。輝か?」

 傷一つない肌に目を止めた漠夜は、驚いたように目を丸くさせながら問いかける。一週間のうちに跡も残さず腐敗の消えた手に見舞いの花を持ちながら、冷は首をかしげた。

「そんなに重傷でもなかったようですし、ここで消毒してもらっただけですが……大佐がどうかしたんですか?」

「いや……」

 考え込むように目を伏せる様子を見ながら、冷は緩む頬を引き締めながら掛けられた言葉の意味を考える。

 存外自分のことを見てくれているのだという事を実感しながら、何故ここで輝の名前が出てくるのかと頭を捻る。彼の名前を聞いて一番に思い出すのは、つい先日漠夜が寝ている時に呼び出された時の事。



「パートナーを変えますか?」

 開口一番に告げられた一言はまさに寝耳に水で、思わず聞き返してしまったのも仕方のないことだろう。

「どういうことですか?」

「そのままの意味ですよ。貴方が望むなら、パートナーを月折漠夜少佐から変えることができます」

 パートナーが目を覚まさない以上は暫く基地で待機との命令を受けており、この機会にと書類や資料の整理を手伝っていた彼にとってはいきなりの展開過ぎて頭が回らない。

 確かに漠夜の性格はなかなか難ありだったが、パートナーを変えようと思うまでは至らなかった。

「どうしてそのような事を……?」

 扉にかけていた手を離し、促されるままに腰を落ち着けながら質問すれば、返ってくるのは真意が全くつかめないような無表情。向かい合うように腰を落とした輝は冷静な態度を崩さないまま、書類の束を机に数冊並べてから口を開いた。

「漠夜が持つ能力の特殊性は知っているでしょう? 少しでも彼に対して臆することがあるのなら、今ここでパートナーを変更することをおすすめしますよ」

 そう言いながら、書類の束の中から比較的薄い物を手渡される。一枚一枚めくってみると、そこには年代こそバラバラだが皇隊員のデータが書かれていた。

 誰とパートナーを組んでいたのか、功績は、特徴は、などが事細かに記されており、それはパートナーのいない皇隊員のリストであるのだという事が容易に知れた。

「大佐、申し訳ありませんが、この話はお受けできません」

「おや……」

 意外そうに瞬きをする輝に、冷は冊子を返しながら口を開いた。

「僕のパートナーは、月折漠夜少佐ただ一人です。少佐から本当に必要とされなくなるまで、僕はあの人に着いていきたいんです……本当に申し訳ありません」

 深く頭を下げながら告げられた言葉に、輝は目を伏せる。想定外のことに一瞬言葉を失ったが、伏せた視線の先で冷が固く手を握りしめているのに気付いた。

 パートナー変更の提案に一も二もなく乗ってくると思っていただけに、思わず笑いが落ちる。突然声を上げて笑い始めた輝に、何事かという視線が向けられるが今の彼にはどうでもいいことだった。

「……これは随分と良い拾い物をしてしまいましたね」

 数分後にようやく笑いが収まり、息を吐きながら向けられた言葉に冷は首を傾げる。突然拾い物扱いされた事と、何故か笑い出した彼の挙動には疑問しか浮かばない。

 そんな様子の冷を気に留めず、彼から返された書類を端の方に寄せながら輝は穏やかな笑を浮かべた。

「貴方には話しておいたほうが良いのかもしれませんね」

 言いながら輝が手元に引き寄せた冊子は先程渡された冊子よりも僅かに厚く、表紙には漠夜の物と思われるデータが書かれている。

 冷の目の前にすべての紙を広げた輝は、それら全てを見ながら笑みを崩さず口を開いた。

「……漠夜はね、パートナー潰しで有名だったんです」

 耳に入ってくる言葉に、冷の口から驚きの声が漏れる。その反応は想定内だったのか、そんな彼に構わずに言葉を紡ぐ。

 それから輝は、自分自身が知る漠夜についての全てを語った。今までおよそ三十人のパートナーが漠夜の元を去った事。長期任務を除いて、入隊してから全てのパートナーが三日と経たないうちにパートナー変更を申し出ていた事。そして在軍中のおよそ半分以上の期間を、たった一人で過ごしてきた事。

 早くに総責任者へと上り詰めた彼だけが知る、もっとも多いその理由。それは、皇なのに陵の術も使えるから。たったそれだけの理由で、漠夜は数多の人間から切り捨てられてきた。

「勿論、漠夜自身の性格の悪さもあったのでしょう。それでも一応パートナーが見つかるまでの繋ぎにと、了承してくれる人もいたんです。……一年前、彼のパートナーから死者が出るまでは」

 漠夜の孤立を決定的にしたのは、本当にパートナーと呼べる人間を不慮の事故で失ったその日の事だ。それまでパートナー潰しだと言われていても、彼のパートナーにと宛てがう事のできる人間は少なからず存在していた。彼と組んだ人間が任務で負傷して帰還することが極端に少なかったからこそ、マイナス要因ばかりでもどうにかパートナーを付けていられたのだ。

「ついに死人がでた……と、いよいよパートナーになること自体が忌避されてしまうようになったんです」

 人の噂とは妙なもので、主に彼の卓越した能力ばかりが嫌悪の対象になっていた筈なのに、その日を境にすべてが一変してしまう。パートナーを単独で任務に行かせた、という事実が独り歩きし、彼のイメージを形作ってしまったのだ。パートナーのことを道具としか思っていない。気に食わない事をすると能力を吸収されてしまう。という根も葉もない噂が蔓延し、過去に少数存在した負傷者の事が大袈裟に脚色されていった。

「実際は、単なる事故死なんですけどね」

「待って下さい大佐、如月中佐は事故死じゃなくて、殺されたんじゃないですか!?」

 “事故死”と片付けられる事に、言い様のない感情が膨れ上がる。あの日、末羽は確かに如月未羽をその手で殺害したと言っていた。それは冷自身もはっきり聞いていたし、何より漠夜の様子が証明していた。

「滅多なことを言うものではありません、葉邑一等兵。彼女は間違いなく事故死です。そのように記録され、残されている以上、どのような経緯があろうと“如月未羽中佐は事故死である”というのは事実です」

 あくまでも冷静に、そして淡々と告げられる言葉に冷は息を詰める。言外に込められたその感情は、如月未羽は事故死であるというのが紛れもない事実であるということを証明していた。特定の人間に都合のいいように覆い隠され、限りなく真実から遠い位置に存在する事実。

「漠夜もね、最初は貴方と同じことを言ったんです。彼女は事故死ではない……と。その結果どうなったと思います?」

「え……?」

 意味深に向けられた笑みに、冷の表情が一瞬強ばる。

「二階級降格――月折漠夜大佐は、その日死んだんです」

 輝ほど器用に生きることに長けていない漠夜は、真実を知っていたが故に真実と共に処刑された。大佐という地位を失った彼は、実質的に上層への発言権を失ったのだ。それでも彼が二階級降格という処置だけで免れたのは、その上にいた輝というフィルターを通していたからに過ぎない。

「漠夜が今も此処に留まっているのは、よほど成し遂げたい事があるからなのでしょう……自らの全てを否定し、誇りを蹂躙されてもなお追い続けるほどの何かが」

 哀しそうに言いながら、それでも安心したのだと輝は笑う。

「漠夜は彼女の婚約者でもありました。如月未羽……私の妹を愛した生涯唯一の人間が、彼で良かったと思います」

 彼女の生き様を我欲の為に捻じ曲げた連中の下で生きる男の事を責める気は輝には無かった。

漠夜だけではなく、輝も己の感情のみで生きていけるような場所を選んではいない。輝の肩には白鷺壱番隊の隊員の命が掛かり、漠夜には特攻隊長としての責務と隊員の命が掛かっているのだ。彼女の為にそんな責任を全て投げ出していたとしたら、きっと輝は彼を許さなかっただろう。

「でも、なぜ如月中佐の死因に関してそこまで慎重になるんですか? いくらなんでも大げさでは……」

「世間体が悪いでしょう? 白鷺壱番隊総責任者の妹で現特攻隊長のパートナーが、単独で任務に出た末に完遂することなく死亡だなんて。その時仕留めそこなった化物が、今では数百人を殺し回る殺人者だとしたら尚更……」

 平静を装った声ではあるが、話している間全く合わせられる事のない視線が空を舞う。冷静であるように見えてはいるが、内心相当辛いのだろうと察した冷も、何も言わず瞳を伏せた。

「漠夜は非常に難しい立場にいます、今回は上層に言われたので貴方をつけただけにすぎません。貴方に合いそうなパートナーを見繕っていましたが……余計なお世話でしたね」

 先程と一変して穏やかに笑う姿に、冷はつられて表情を崩した。

「お気遣いありがとうございました」

 差し出された白い手を握り返しながら、冷は笑う。それは輝の見ている世界から消え去って久しい、人を殺した事のないような笑い方だった。

「漠夜を……私の友人を、宜しくお願いします」

 輝の言葉に照れたように笑う彼の顔が、記憶の中に消えていく。握り合った手を解いた冷は、これから漠夜の見舞いに行くのだと楽しそうに言っていた。若干不謹慎な表情ではあったが、漠夜の事を一心に信頼しているのだと読み取った輝は、何も言わずに彼の背中を見送る。

「大佐……僕は、少佐にとって不要な存在でいたいです」

 最後に彼が残した言葉を思い出しながら、輝は二人の為にと用意した書類の束を乱雑にデスクの引き出しへと放り込んだ。紙が擦れる音を聞きながら、彼の言葉と表情が記憶の中に溶けていくのを感じていた。


 過去に彼と同じ事を言っていた女性は、更にこう続けている。

“あの人の進む先を見てみたいんです、兄さん。あの人は優しいから、私が彼の妨げになってしまうかもしれない。そうなってしまわないよう、私は彼にとって不要な存在でいたかったのです……”

 彼女と同じように語った彼は、これから理解し理解されたいのだと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る