第28話 二人の時間(中)

 菜奈姫が去った後。

 部屋に残されたのは、未だ布団の上で起きあがり姿勢な那雪と、床に浮き上がってから、未だ正座姿勢の桜花となったのだが。


「……あいつも、あっちでいろいろあるんだな」

「そ、そうだね。厳しそうな人だったし」

「ああ、そういえば桜花は会ったことあるんだっけ」

「うん……まあ、定期報告で、何度か、画面越しに顔合わせしたことあるよ」

「……?」


 おかしい。

 桜花がソワソワしている。

 常時、完璧かつフランクな幼馴染みが、今は、落ち込んでいるようにも見えるし、何かを言いあぐねているようにも見える。

 こういう桜花を見たのは、久しぶり……というわけでなく、つい最近にも見たような気がする。それが何時だったかについては忘れてしまったが。

 とにかく、桜花らしくない。


「桜花」

「は、はいっ!」

「……そこまで改まった返事するなよ」

「え? いや、その……あー、ごめん、ゆっきー。一分だけ待って」

「?」


 片手で頭を抱えつつ、桜花はこちらを制してから、那雪から視線を外して立ち上がり、小窓の方に向けて何かを呟いている。

 そんな彼女の後ろ姿を見て、那雪は今一度首を傾げるのだが。


「……よし」


 きっかり一分後。

 自身に活を入れたのか、こちらに向き直る時には、今さっきの頼りない様子は消えていた。少し表情は硬いが、先程よりは良好と言える。

 ――これもまた、らしくない。


「ゆっきー。信さんのことなんだけど――」

「そういや、桜花は体調とか大丈夫なのか?」

「え?」


 少々、意表を突かれたかのように目を丸くする桜花だが、那雪は――今思うことを率直に口に出していく。


「確か、シュバルツブロッサムだったか。アレの初変身の後だろ? 私も初変身の日は、寝る時まで身体中がすんげーダルかったからさ。桜花もそうなってないかなって」

「え、ああ……えっと、変身直後はすごく疲れてたけど、今は大丈夫。ナナちゃんのサポートもあったし」

「そうか。これも慣れだからな。これから一緒に戦うってんなら、二回目、三回目なんかも、こういうのあるからな。身体のケアは充分しとけよ?」

「う、うん……注意するよ」

「でも、まだ心配なんだよなー。あの手帳のページを見た限り、決め技とかはまだなかったみたいだし」

「それは……」

「ただ、ガンナーもガンナーで、カッコいいのいっぱいあるよな」

「……ゆっきー」

「今から考えても遅くなさそうだ。何が良いかな」

「ゆっきー」

「いっそ、単体物よりも戦隊物のガンナーの方でモチーフにしてみても――」

「ゆっきー!」


 つらづらと自分の考案を並べていたところで、桜花が、しびれを切らしたかのように自分の名を呼んだ。

 普段の桜花らしからぬ余裕のない声であり、ついさっき良好にまで持っていった心理状態が台無しになったのがわかったが、那雪は驚かない。


「なんだよ」

「そんなのは……今は、どうでもいいよ。もっと、話すことがあるでしょ」

「いや、どうでもよくないだろ。これから桜花に背中を預けるとなりゃ、桜花の立ち回りのアドバイスをしとかないとだな」

「う……そ、それも、確かに必要だけどっ」


 そうじゃない。

 今、話すべきことはそうじゃない。

 もっと、大事なことがある。

 そう、桜花は言っている。


「――わかってるよ」


 もちろん、那雪はそれをわかっている。

 先輩であり那雪の想い人である桐生信康が怪人に変貌してしまったことや、突如として現れた謎の女性のことなど……おそらく、桜花はその詳細を菜奈姫から聴かされているのだろう。

 菜奈姫はあの女性のことを知っていたようなので、ほぼ間違いない。

 今すぐに、那雪はそれを聞き出したい。

 聞いて、先輩を助けにいきたい。

 でも、それでも、だ。

 今の桜花を、このままにはしておけない。


「そんな、話しにくそうなままで話されても、頭に入ってこねーよ。だったら、もっと他のこと話してた方がマシだ」

「……ゆっきー」 

「それに。これを話したら、私に怒られるって顔してんぜ?」

「う……」


 桜花が視線を外して、少々顔を赤くする。

 言うまでもなく図星だったらしい。

 なんでそういう空気が那雪にわかるのかって、昔、桜花にたくさん心配をかけていたこともあって、かつて自分も体験済みだからだ。

 ……思い返すと赤面ものなのだが、それは抑えておいて。


「いいか、よく聞け桜花」

「……ゆっきー」

「どんなことがあっても、私は桜花を見放したりしない。さっき言ったように……いつまでもどこまでも、絶対に、おまえを守る。絶対にな」

「――――」


 その言葉を聞いて。

 いきなり、桜花の茶色の瞳から、涙がポロポロとこぼれだしたのに、那雪はビクッと肩を震わせた。


「お、桜花?」

「ご、ごめ……もう一分、もう一分だけ待って」


 さっきと同じように桜花は顔を背けて、眼鏡を取って、こぼれ出てきた涙を拭いながら、必死に呼吸を整えている。

 自分はそこまで、桜花を泣かせるようなことを言っただろうか……と那雪は心配したのだが、それは杞憂であったらしい。

 やはりきっかり一分で呼吸を整えて、眼鏡をかけて、桜花は自分に向き直ってきた。まだ少し緊張はしているものの、今度は――


「いやー、ゆっきーはいつも、わたしのことを振り回してくれますなぁ」


 いつも通りの、柔らかかつフランクな笑顔の桜花だった。

『良好』ではなく、『完璧』な桜花だ。

 これでいい、と那雪は思った。


「ゆっきー、とりあえずシュバルツブロッサムの立ち回り案は後にするとして、まずはわたしの話を聞いてくれないかな? ナナちゃんからの伝言のほうが先だけど……その後に、わたしにとっても、ちょっと大事なお話があるから」

「ああ」


 もっと早く知りたかったことで、その本題に入る前にとんだ回り道をしたものだが……やはり、自分達に湿っぽいのは似合わない。

 本当に、世間話でもするかのように、桜花は、まずは菜奈姫からの伝言について聞かせてくれた。


「わたし達の話の最中に、いきなり現れたあの女の人、憶えてる?」

「もちろん。あいつが先輩を怪人にしたんだからな。あいつの狙いは、先輩とは違ってたっぽいけど……」


 あの場面を思い出すに、突然現れた見た目三十くらいのあの女性は、桜花に鬼火の照準を合わせていたように見える。それを、信康が身代わりになって、あの甲冑の怪人になったという流れだ。


「あの人、菜奈芽さんって言って、ナナちゃんの前任なんだって」

「ナナキの? ……ってことは、元々はこの町の神様だったってことか」


 前任というと、確か……菜奈神様の存在を信じてない人にまで、無差別に願いを叶えすぎてしまったせいか、支部長に目玉を食らって僻地に左遷されてしまったのだったか。


「何で戻ってきたのかについては、大方、自分を押し退けてこの町に着任したナナちゃんに逆恨みして報復に来た、っていうのがナナちゃんの見解」

「え、なにそれ、器小さすぎんだろ」

「元々そういう人らしいよ。妙に嫉妬深くて、傲慢で、自分より業績の良い同僚への陰湿な嫌がらせが酷くて、元はある程度美人だというのに性格が性格だから、同僚の男の人にはことごとくフられてるんだとか」

「ダメなOLかっ!?」

「自分で二十四歳って言ってるけど、肌の曲がり角具合から絶対にサバ読んでるとも」

「それはわりとどうでもいいよっ!」


 いろいろ残念すぎるというか、神様にもきちんと年齢があるのだろうか? となると菜奈姫は何歳なのだろう? わりと気になる……じゃない。気になるけど、気にしている場合ではない。


「つーか、そんなダメ要素しか見つからないヤツに、先輩は怪人にさせられちゃったのか? なんかすげームカつくな」

「いや、それがね。ナナちゃん曰く、地力は強いらしいよ?」

「? マジで?」

「町の人々の検索力、行動力、願いを叶えるための加護の力。どれを取っても、ナナちゃんよりは上だし、経験も豊富なんだって」

「…………」


 自信家の菜奈姫にそうまで言わせるということは、偽りはないのだろう。

 それに、よくよく考えてみると――那雪の手帳の、怪人のページにあった紫の鬼火。菜奈姫はそれを制御できていなかったが、あの女性には制御できていたようにも見える。

 実力を計るには、それで十分なのかもしれない。

 業績が低迷したとか菜奈姫が言っていたのは、やはり性格面からなのか。


「他にも、恋愛欲とか、支配欲とか、独占欲とか、そういう自分から他者に絡む欲望みたいなのには、嗅覚がかなり敏感みたい」

「やたら俗な神様だな。でもまあ、思い当たる点が、あると言えばあるのか」


 今まで戦ってきた、怪人の素となった人のことを思い出しながら、那雪は一息。偶然にも、知り合い率高いよなとも思いつつ。

 ――となると。


「あいつが桜花に目を付けたってことは、桜花にも、あったのか? こう……他人への欲望っていうものが」

「――――」


 ふと思いついたことを那雪が口に出すと、桜花は、一瞬だけ固まった。

 だが、本当に一瞬だけのことであり、息を吐いて、


「あるよ」


 そのように答えて、



「――わたしね、好きな人が居るから」



 ハッキリと、告げてきた。

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