第40話 我は必ず帰ってくるぞ


「まったく。ようやく上を説得して、出張ってきてみれば……」


 ――その決戦を。

 遙か高く上空で、見ていた人影が二つ。

 一つは長身の女性で、もう一つは小柄な少女。共に白の着物と朱の袴、刺繍入りの桃色の羽織と言った和装である。


「あとはあたしに任せておけばいいって言ったのに、あの子はもう……」


 長身の方が、呆れたように溜息を吐くのに、


「んー、いいんじゃないッスか、支部長」


 小柄の方が、手のひらに自前のカミパッドを浮かべて、のほほんと答えつつ、


「ほらほら。姫っち、あんだけ派手に立ち回っときながら、しっかり町や人の子への影響ゼロに加護をコントロールしてたんだから。支部長ほど完璧とはいえないけど、大した才能っしょ」

「才能や手際は、あたしの認めるところでもある。だが、如何せん、神様としての自覚が足りん。一歩間違えば大惨事だった上に、待機命令無視の背任行為、しかもあんな違反スレスレの技術まで……」

「んー、いいんじゃないッスか、支部長。ボク達の手間も省けたんですし」

「……おまえもおまえで、お気楽すぎて自覚が足りない気がするぞ」


 再度のほほんとしたコメントを残す少女に、支部長と呼ばれた長身の女性は二度目の溜息。


「この件、どのように上に報告するか……」

「でも、支部長もあの桐生少年を……というか厳密には、姫っちの立場とか他いろいろ守りたくて、上を説得したんでしょ? その要領で、もう一度交渉すればいいだけの話ッスよ」

「他人事のように言うな。……まあ、そのつもりではあるけども」

「やー、支部長、昔から姫っちに厳しいようで、実はすげー甘いッスよねー。やっぱ、歳が離れてるとはいえ、実の妹さんだからッスかね?」

「そのような私情を持ち出しているつもりはない。あのアホの芽衣子めいこの代わりに姫をこの町に推したのも、純粋に力量を見てだな」

「でも、支部長ったら、詰め所で事務仕事してるとき、いつも『はぁ……姫、ちゃんとやってるかな……』なんて、年齢に似合わず年頃の乙女のように憂いに満ちた顔を――」

「してないぞっ!? そ、そ、そんな、姫のことなんて一ミリも心配じゃないぞっ!? 休憩中も、食事中も、夜寝てる時とかも、ま、ま、まったく気にかけてなんてなかったんだからなッ!?」

「お、おう……」


 笑みながらも少し引いている少女に、支部長はハッとなって、コホンと咳払い。


「とにかく。今からまた忙しくなりそうだから、鈴木さん達のところには後日お詫びに行くとして。あとは……あの子に自覚を持ってもらうためにも、一度、とっちめてやらんとな」


 そう言って、支部長もカミパッドを展開して、タイピングを始めた。



  ☆  ★  ☆  ★  ☆



 最後の紫の煙――もとい、手帳の紙片の回収。

 決戦に伴う、町への影響のコントロール。

 壊れた社と一帯の修復。

 菜奈芽の捕縛および収納。

 今回、巻き込まれた人達――北原加織、草壁尚樹、そして桐生信康の護送。

 菜奈姫が急ピッチで以上の作業を終えた、その直後に。


 みょい~~~~~ん みょい~~~~~ん


 操作していたカミパッドから、聞いたことのある雅楽系の音が鳴り響いた。


「ナナちゃん、支部長さんからの呼び出し?」

「これは電文じゃな。着信音が微妙に違うじゃろ?」

「いや、わかんねーよ……」


『YOU GOT NEW MAIL!』と英文が表示されていた箇所を菜奈姫が指先で触れると。

『姫へ。おつかれさまです、神咲みさきです』という入りから、要約すると『早急に詰め所に戻れ』という旨の文面があった。


「……どうやら、我々のしたことを既に把握しているようじゃな」


 カミパッドを閉じてから、菜奈姫は神妙に呟く。


「でも、文章がすごく丁寧だから、そこまで怒ってないんじゃね?」

「否、あの人、普段はわりと簡潔に書くから……すごく怒ってる証拠じゃ」

「すごく……」


 ビビって震え上がっている菜奈姫。桜花も桜花で何となく想像がつくのか、少々苦笑しながら菜奈姫を宥めている。

 那雪だけ面を合わせたことがないのでイマイチ想像できないのだが、やはり、すごいのだろうか?


「まあ……見ての通りじゃな。我はいったん、戻らねばならん」

「そっか。……なあ、ナナキ、私も連れてってくれないか」

「なんだと?」

「ゆっきー?」


 那雪が突然そのように言うのに、桜花は少し目を丸くしたようだが……すぐに、那雪が何を思ったのかを感じとっていた。


「ナナちゃん、よければわたしも」

「おい、何を言っておるんじゃ」

「だって、おまえ、最後の最後で一人で背負い込むつもりだろ」


 ――菜奈姫は、支部長の言いつけを破って、信康のことを助けようとした。

 行いの正悪はともかく、それは違反行為であり、おそらく何らかの処罰があるだろうことは容易に察しがつく。

 菜奈姫も、それを覚悟の上で動いていたのだろうが、


「ナナちゃん、わたしやゆっきーも共犯だからね」


 その責を菜奈姫一人だけに負わせるつもりなど、那雪と桜花には毛頭なかった。 

 小憎たらしくて、傲慢で、いつも馬鹿にされたり笑われたりと、思うことはたくさんあるけど。

 町と人のことを大事に想える、いい神様になる。

 それだけは間違いない、と確信できる。

 もし、この件のせいで――大元を辿れば那雪が残していた手帳がきっかけで、菜奈姫が本当の神様になれないなんてことになるのは、那雪としては我慢ならない。


「……まったく、わかっておったが、なかなかのお人好しとのう」


 それを受けて、菜奈姫は少々肩を竦める。


「昨日も言うたが、菜奈芽が絡んでいたからには、これは我々神の側の問題じゃ。お主達は事の解決に存分に尽力した。我は我の役目を果たさんとな」

「ナナちゃん」

「おまえ、それでいいのかよ」

「それが神様というものじゃ。なーに、心配は無用。お主らの欲望の大きさに、こちらも勇気をもらえた。それだけで我には充分よ」


 エラそうにふんぞり返りながら、菜奈姫は言う。

 ただ、単なる自己犠牲とかそういうものではなく。先の那雪と同じく、今、そうしたいという意志を目の前の小さな少女から感じたからこそ、


「おまえだけだよ、私の神様は」


 気づけば、那雪の口からその言葉が突いて出ていた。


「ほう……お主からそのような言葉が聞けるとは、明日は雪かのう」

「う、うっせー、本心だよ」

「わたしは、ナナちゃんのこと出会ったときから神様だと思ってたし、大好きな友達だよー」

「オーカ、そこまで我のことを……」

「おおぅいっ! だから、なんで私と桜花で応対にそこまで差があるんだよっ!?」


 いちいち扱いの差が不可解な神様であったが、


「わかっておる。お主のことも、しっかりと友だと思っておるぞ、ナユキ」

「ぬ……~~~」


 また、あの穏やかな笑顔で言われると、那雪は何も言えなくなってしまった。

 そういえば、いつの間にか自分への呼称が『チンクシャ』から『ナユキ』に変わっていたのに、今頃改めて気づいて、


「……わかってんよ」


 何となくそれを光栄に思いながら、那雪は苦笑した。


「さて、談笑も程々にしておいて、そろそろ戻るとするか」


 と、やんわりと会話を打ち切って、菜奈姫はその場で柏手を打つ。

 すると、菜奈姫を中心として、空に向かって琥珀色の光の柱が立ち、天上への道が形成される。

 その道を辿って、菜奈姫はゆっくりと浮上を始め、そのまま天へと帰ろうとするのだが……その前に。


「おお、そうじゃ、ナユキ」


 思い立ったかのように菜奈姫は手のひらにカミパッドを形成し、その中から何かを取り出して、こちらに投げ渡してきた。

 那雪の手帳だ。


「返しておくぞ。手帳の紙片は、すべて回収できておる。陰の気の封印もきちんと処理済みじゃ」


 確かに、怪人のページだけ真っ黒になっているものの、破れた形跡についてはなくなっていた。一部を除いて、元通りということだ。

 ……あの陰の気の解放から、やたらと時間がかかった気がする。


「手帳を元に戻す過程で、お主等と過ごした日々は楽しかったぞ」


 それを、菜奈姫自身も感じているのかもしれない。

 ちょっとした感慨が、那雪の頭の中をよぎったのだが。


「バーカ、お別れみたいな湿っぽいこと言ってんじゃねーよ」

「ナナちゃん、絶対にこの町に戻ってきてね。待ってるから」

「……――」


 那雪の鷹揚な返事と桜花の笑顔を見て、菜奈姫は、少しだけ顔を俯かせたが、


「そうじゃな」


 その少しの間の後は、やはり、いつも見せていたシニカルな笑みを浮か

べ、



「――我は必ずここに戻ってくるぞ、ククク」



 そのように言い残して。

 この町の仮襲名の神様である菜奈姫は、天上へと昇っていった。


「…………」


 後に残ったのは。

 那雪と桜花の二人と、修復された社の広場だけだ。

 破壊された社も、割れた大地も、真っ二つに斬りとばされたた木々も、一切合切、元に戻っているのに、先程までの激闘がまるで夢のように思えてしまうのだが。

 もちろん、夢などではない。

 この社の広場で、七末那雪が菜奈姫と出会って、今このときに至るまでのすべてが。

 夢で片づけるなど、出来はしない。


「ナナちゃん、大丈夫かな」

「大丈夫さ。そうじゃなくても、あれこれ考えてどんな手を使ってでも、私達で大丈夫にする。だろ?」

「うん、そだねー」


 そして、その夢のような出来事は、まだ続いていくかもしれない。

 それは、七末那雪と鈴木桜花、二人が共有する想いだ。




「……で、ゆっきー。その手帳、どうするの?」

「そうだな」


 さて。

 事件の発端となったこの手帳について、処遇を考えねばならない。

 一週間ほど前の那雪なら、確実に焼却を選択するところであるのだが。

 実はもう、答えは決まっている。


「とりあえず、机の引き出しの奥だな」

「だよねー」


 ――踏ん切りがついたと思えば、まだまだ長い付き合いになるかも知れない。

 那雪は苦笑すると共に。

 まあ、それもいいか。

 いろいろなことに向き合う一歩として、那雪は手帳を制服の胸ポケットに仕舞った。

 思い出を抱いていくかのように。

 大事に、大事に。

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