第5部 決戦と未来と私のやりたいこと

第33話 危機の先にあるもの


「……やはり、この一帯に人払いがかけられているようですね」


 信仰の程は微妙であるものの、この町で菜奈神様の存在を知る者は多い。

 信じている者も信じていない者も、町に住んでいるならば、一度は言い伝えを聞かされていることだろう。社についても、町の外れに位置するとはいえ、お参りに足を運ぶ人も決して少なくはない。

 しかし。

 今日に限っては誰一人、社に向かおうとする者が居ない。

 誰もが、町の神様の存在を忘れたかのように、各々の生活を謳歌している。

 原因は誰もが知ることはなく、誰もが理解できないのだろうが――元はこの町の神様を務めていた菜奈芽にならば、理解できる。同業者が扱う力の流れを感じ取れるのは、ひとえに積み重ねてきた経験というやつだ。

 まったく、ここまで出来るというのに、どうして支部長および上層部は自分を左遷したのかまったく理解できないのだが……まあ、今はどうでもいい。


「姫は、こちらに仕掛けてくる気ですか」


 菜奈姫。

 真名は不明。同期や支部長には『姫』と呼ばれているので、とりあえず、自分もそう呼んでいる。

 出身も不明。ただ、支部長の秘蔵っ子であるとは聞いたことがある。

 養成所の資料を見ると、欠点は運動神経が壊滅的なだけで、その他については多くの科目で高水準の成績を修めており、上層部からの期待度も大きいのがわかる。これにつては、菜奈芽ですら目を見張ったほどだ。

 だが、成績はあくまで成績であり、実務経験はまだまだヒヨッ子だというのは、誰の目から見てもわかるはずだった。

 だというのに、ベテランである自分を押し退けて、あの子は町一つを任されるようになってしまった。

 この屈辱を、思い出すだけで――


「……っと、行けません、冷静に冷静に」


 そう。苦汁を味わったとはいえ、菜奈姫との自分の力の差は歴然であるし、何より今、大いなる欲望が我が手にある。

 菜奈姫のセンサーによる捜索から隠蔽しつつ、力を試している最中で、菜奈姫とその協力者に何度か妨害されてしまったのだが、問題はない。

 大いなる欲望の核となる力が具現化した存在は、昨日にその協力者を圧倒したし、その上、力の欠片もまだいくつか手元に残っている。

 手持ちの戦力は充分。菜奈姫が何度挑んでこようが返り討ちだ。

 そうしてあの子の無力を突きつけてしまえば、支部長も人選を考え直すに違いない。

 未来への視界は良好。そのためにも、まずは――


「ふ、フフフ、来ましたね」


 人払いの力が働く中、町の高校の女子制服を纏った小柄な少女が、まっすぐに社に向かって歩くのが、菜奈芽には見えていた。

 ――少女の名は、七末那雪。

 菜奈姫の協力者であり、かつて、大いなる欲望の持ち主だった者だ。



  ☆  ★  ☆  ★  ☆


 

「……先輩」


 社の広場に出て、那雪は、彼がそこに居るのがすぐにわかった。

 メタリックブルーの甲冑とマントに覆われた、身長二メートル超の異形。社の前で腕組みをしながら、彫像のように仁王立ちしている。

 ライトニングメビウスソニックナイト――いちいち長いので、今ここで称するならば、桐生ライトニングと言ったところか。


「――――」


 その姿を見るだけで、一瞬、那雪の奥底に棲んでいる昨日の大敗の記憶が表に出てきそうになるが……『大丈夫、大丈夫』と心の中で繰り返し、深呼吸することで、心をリラックスさせる。

 次いで、身体の状態を最終チェック。

 五体の感覚は万全。昨夜は眠れなかったので少し睡眠不足であるが、先ほどに一時間ほど仮眠を取ったのと、菜奈姫に各所の疲労回復のお願いをしたので、問題はない。

 いつでも戦いに臨めるように、一歩、一歩と社へと近付いていくと、


「来たようですね」


 上空から、女性の声が降ってきた。

 声のする方に視線を向けると、上空、見た目三十前後の、模様入りの白の着物と朱の袴といった和装の女性が、不敵な笑顔でこちらを見下ろしている。

 見たのは二度目だが、その姿を、那雪はもちろん忘れていない。


「来てやったぜ。あんたが菜奈芽ってやつか」

「姫から聞いているようですね。そういうあなたは、七末那雪さんですか」

「…………」


 その女性、菜奈芽に名前を知られていることについては、那雪は驚かない。

 菜奈姫よりも前に菜奈神様を務めていたのは菜奈芽であり、当時中学生だった那雪は、彼女の居る社に何度もお参りに行ったことがあるのだ。

 それを思うと、自分としては、言わなければいけないことがある。


「実のことを言うと、あんたには感謝してる。あんたのおかげで、私は高校受験を乗り越えられたんだからな」

「いえいえ、何度もお参りに来て、わたしの業績を伸ばしてくれたのですから、そこは持ちつ持たれつですよ」

「……それはそれで台無しな発言だよな」

「あと、年初の冬に一度、体操服姿で、お百度参りみたいに桶いっぱいの水をかぶってきて、震えながら手を合わせていたのは記憶に新しいものです。その後、偶然居合わせた社の管理人さんに怒られていましたっけ?」

「ほわ……ぐっ、ぐ、ぬぬぬぬ」


 いちいち要らないことまで憶えられてて、那雪は地面をのたうち回りたくなった。

 まだ少し確信を得られていなかったが、どうやら、今目の前に居る女性が、先代の菜奈神様であることに間違いはないようだ。


「……何度も私に力を貸してくれたあんたに、そのついでで、もう一個、私からお願いがある。今そこにいる人を、元に戻してくれねーか?」

「出来ないお願いですね。彼は、わたしが手にした力の象徴です。それに――」

「? それに?」

「わたしがあなたに加護を与えていたのも、元はと言えば――あなたという存在の先にある、大いなる欲望のためだったのですから」

「大いなる欲望。……まさか」

「ええ、これのことです」


 と、菜奈芽の手元に、紫の鬼火が浮かぶ。

 この一週間ほどの間で、もう何度も見てきたものだ。

 手帳に宿っていたと言われる、欲望の陰気。


「あなたがこれを所有していると、わたしは知っていました。だから、あなたに加護を与えつつ、なんとかそれを引き出させるように誘導をかけたりもしたのですが……」

「…………」


 心当たりはある。

 受験勉強中や高校入学後なんかも、何度かこの手帳の存在を思い出し、その処遇を考えた。思い出す度に拒否反応が働き、なるべく考えないようにはしていたのだが、それでも気にかかってしまった。

 まさか、こいつが原因だったとは。


「それも時間切れでした」


 自虐気味に、しかし、ぬるりとした不気味な笑みで、菜奈芽は言う。


「支部長に左遷を言い渡された時は、それも姫に横取りされてしまうのかと絶望しかけたものです。ただ、規則を破ってこの町に舞い戻った矢先に、偶然にもその欲望が目前を漂ってきたのですから、わたしのサクセスストーリーはまだまだ終わってないってものです」

「あー」


 もしや、あの時か。

 持ち主である那雪の存在と菜奈姫の力が鍵になって、手帳の陰の気が解放されたタイミングで、菜奈芽が帰ってきていたと、そういうことか。

 となると、ここ一連の騒動は、偶然ではなく菜奈芽によって起こされていたのだ。


「で、その力で、この町の神様になろうとしているナナキの邪魔をしようってか」

「認めましょう。わたしを押し退けたあの子を、許すわけには行きません。姫には、自分の無力さを思い知ってもらいます」

「その結果、この町が危機に陥っていいのかよ?」

「なんですって?」


 ピクリと、菜奈芽が反応する。

 やはりと言うべきか、聞き捨てならないようであった。


「今、この町を支える加護がどんどん減り続けているんだ。そこに居る、甲冑の怪人が吸収していっているらしい」

「…………」

「早く止めないと大変なことになるのは、あんたにだってわかるはずだぜ」

「それは……」


 さすがに、事態の深刻さを理解しているらしい。元はこの町の神様だったのだから、それも当然と言うべきか。

 ならば、ここで態度を軟化させるのも自然な流れだ……と思われたのだが。


「ふ、フフフ」


 はたして、返ってきたのは、最初に聞いたあの不気味な笑い声であった。


「大変なことになるって、当たり前じゃないですか。わたしは、あなたから得た欲望を制御できるのですよ? では、そのように仕向けているのが誰なのか、わからないあなたではないでしょう?」

「なっ……」


 一瞬、息を呑み、そして那雪は言葉に詰まった。


「このまま町が失くなってしまえば、姫の信用も地に陥るというものです」

「テメッ、それでもここの元神様かよっ!?」

「関係ありませんしっ!」


 菜奈芽が言い放つと共に、手元にある紫の鬼火はほの暗い輝きを放つ。


「全てはわたしの出世のためですしっ! 権力さえ手に入れてしまえば、わたしになびかない男は居ませんしっ! そうして世の男どもは我が膝元にひれ伏し、恐悦至極のドキドキの日々がわたしを待っているにょ……いりゅのですっ!」

「……うっわー」


 高笑いする元神様は、菜奈姫など問題にならないほどの俗物だった。あと、何故か最後に台詞を噛んでいた。

 全部ひっくるめてドン引きだったが、ここで退くわけには行かない。

 もはや、説得も交渉も不可能かと感じると共に、



『チンクシャ、代われ』



 後頭部の奥から、声が聴こえた。

 その声に帯びている冷たさは、那雪の背筋を震え上がらせるものであり。

『冷たい』という形容を取れていても、今、彼女が何を思っているのかは、調子からはっきりとわかった。


「――すまん、ナナキ」

『お主が謝ることではない。ともかく、代われ』

「ん……」


 言われたとおりに那雪は頷き、両手にイメージを集中させると、横長方形のモニター――カミパッドが浮き上がった。

 まだ慣れないな……などと思いつつ、カミパッドが浮かび上がった両手を握り締め、コツンと拳と拳を軽くぶつけると、視界はそのままであるものの、意識の方が後ろに引っ張られるような感覚を得る。

 そして、自分の身体の表に出てきて、


「そこまで墜ちたか、菜奈芽」


 声を放ったのは、菜奈姫であった。

 そう。

 今、那雪は、菜奈姫と身体を共有している。

 かつて桜花がやっていたのを、今は、那雪がやっている形だ。


「おや、姫、居たのですか」


 少し驚いた様子の菜奈芽だが、動揺はない。

 まるで道端の小石を見つけたかのような感覚で、彼女は笑みに歪んだ紫の眼で、こちらを見下ろしてくる。


「居ったわい。一部始終、聞かせてもらったわ。町が失くなっていいだのと、よもや、貴様の口からそのような台詞が出てくるとはな」

「ふ、フフフ、なんなら姫、わたしの元に下りますか? この力を以てすれば、いつも無理難題をふっかけてきた支部長を潰すのも容易でしょうし、その上までをも掌握できるかも知れませんよ?」

「黙れっ、この恥知らずがっ! もはや貴様と話すことなど何もないわっ!」


 菜奈姫がここまで感情を露わにしたのは、那雪の知る限りでは三度目だ。

 一度目は、町の人の子に手をかけるな、と那雪に警告した時。

 二度目は、昨日、先輩の排除の可能性について那雪が詰め寄ったのに対し、人の子の犠牲に成り立つ神の座など御免だと言った時。

 そして、この三度目は。

 町を想い、人を想う菜奈姫の、最も強い怒りなのかもしれない。


「菜奈姫の名の許に、其の記述を七末那雪の力とする!」


 だが、今はそれについて考える暇はない。

 カミパッドから手帳を浮かべて祝詞を唱え、力を天上に浮かべた後に、那雪式で設けられた交代の合図である両の拳を合わせる菜奈姫の挙動には、一分の迷いも見られない。

 ならば余計なことを考えず、那雪も、全力を尽くすのみ。


「光臨っ!」


 手のひらを空に向けて言霊を放った直後、右手に琥珀の光が降りてきて、それを握りしめると共に、視界は灰色に染まる。

 この瞬間、いつも那雪の胸の中に湧き上がっていたのは、ヒーローとして正義を行う高揚感であったのだが……今は違う。

 かと言いつつ、焦りや恐怖といった、負の感情でもない。

 今、私のやりたいことは、一体何か?

 答えを、己の中で再確認する時間。


 ――そして、それは、既に決まっている。


「シュバルツスノウ、ここに参上!」


 その答えを行うために。

 殻を破り、ダークグレーのボディスーツと白の装甲線のヒーロー、シュバルツスノウとなった那雪は名乗りを上げた。

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