第10話 人々を笑顔にすること


「ミスった……決定的にミスった……」


 春も深まり、ぽかぽか陽気に包まれたのどかな放課後。

 東緒頭高校より徒歩数分の場所に位置する商店街の大通りを、那雪は寺の鐘が重苦しく鳴り響きそうな雰囲気で歩いていた。

 今、この商店街は季節の恒例イベント『町を元気に! 緒頭商店街食べ歩きウィーク!』の期間まっただ中であり、主に飲食店の前で多くの屋台や露店が軒を並べている。

 大通りを歩く老若男女は一様に活気と笑顔に溢れており、そんな中での重苦しさとなると、完璧に浮いた存在であると那雪は自覚せざるを得ない。

 それもこれも、朝に那雪が見せた立ち回りが原因だ。

 今まで、学校では大人しめのキャラで通してきたというのに、桜花を守らんとする本能がああいう失態を引き起こしてしまった。


「まあまあゆっきー……もしゃもしゃ……そのキャラ作りが原因で……ふもふも……クラスにあんま溶け込めてなかったんだし」


 当の桜花は、那雪と肩を並べて歩きつつ、ついさっき通りがかった屋台のたい焼きに舌鼓を打っている。

 実際、クラスメートと微妙に距離があったのは桜花の言う通りであり、何とかしなければならないとは思っていたのだが……それにしても、まさかああいう形で地が出てしまうとは。

 おかげで、休み時間はずっと質問攻めの嵐で、今の放課後もなんとかクラスメートに謝り倒して、桜花と共に退避してきたという状態だ。


「でもさ、別に正義の味方キャラが嫌ってわけじゃないんでしょ?」

「……嫌じゃないけど、必要以上に目立ってしまうのはいろいろ恥ずかしい。前に言った通り、高校生活をもう少し平穏に暮らしたいのもあるし」

「平穏に暮らしたいったって……あ、うん、ちょっと待ってね」


 と、桜花が何かに気付いたように一言だけ残し、周囲には見えないように、手のひら上に小型のモニターを浮かべ、自分の瞳にそれを投影する。

 すると、焦げ茶色の垂れ目は、瞬時に琥珀色の吊り目へと切り替わった。


「ククク、なにを今更、叶いもせぬ夢に想いを馳せとるんじゃ」

「……半分はおまえのせいだからな、ナナキ」


 桜花の中に棲む仮襲名の神様である菜奈姫が、表に出てきたのだ。

 手のひらにカミパッドを浮かべて眼に投影する過程は、先日、桜花と菜奈姫との間で取り付けられた、人格切り替えのタイミングを合わせるための合図だ。

 最初見たとき、右手のスナップの利かせ方がなかなかカッコいいと思ったのは、那雪だけの秘密である。

 ともあれ、事の顛末を桜花越しに見ていたであろう菜奈姫は、いつもほんわかな桜花とは真逆とも言える、小憎たらしい笑みを浮かべた。


「後悔するのはやめにすると、昨夜に誓ったばかりじゃろう。まったく、意志の弱いチンクシャよのう」

「ぬぅ……」

「そこまで気がかりであれば、お主が正義の味方であるという人の子達の認識を、我が力で逸らしてやろうか? 規模で言えば結構な徳を集められそうじゃ」

「要らねーよ。自分の撒いちまった種だ。私自身で踏ん切りをつける」


 で、隙あらば自分に願望を叶えさせようとする営業根性もブレていない。

 別に願望を叶えることにそれと言ったリスクはないのだろうが、何もかも神頼みなんてしていたら、それこそ自分はダメ人間になってしまう気がする。こいつに力を借りるのは、あくまで有事のみにしておきたい。


「ふむ、稼ぎ損なったか。やれやれ……と、ここじゃな」


 と、桜花の食べ残した手の中のたい焼きを食べ終え、どこか満ち足りた様子で菜奈姫はぴたりと足を止める。止めた先には、築数十年を越えていると見た目だけでわかる立派な木造の建物があった。

 入り口には、『屋月葉』とある、筆字で書かれた木造看板。

 老舗和菓子屋『葉月屋』の店舗だ。

 創業百十三年。昔も今も数々の老若男女に愛されている、緒頭町の誇る名店の一つであると共に――菜奈姫が定期的に加護を与えてるという、言わば『得意先』である。

 昨日と一昨日は手帳の紙片収集の調査をしていたのだが、今日は菜奈姫が先に得意先を回っておきたいと言ってきたので、那雪はこうして彼女の営業活動に付き合っていた。

 菜奈姫が普段どんなことをしているのかについては、那雪も少し興味がある。


「御免、この店の主にお目通りをして頂きたい」


 トコトコと店内を歩き、菜奈姫は店番をしている店員の女性に声をかける。

 最初、女性は眉をひそめていたのだが、


「失礼、こういう者じゃ」


 手のひらに小型モニター……もとい、カミパッドを浮かべて画面を見せると、女性は合点がいったように頷き、次いで深くお辞儀をした。

 それから女性が奥の部屋に声をかけると、中から強面の初老――この店の五代目を襲名する店主のオヤっさんが出てくる。

 出てきた時こそは質実剛健という四字熟語をそのまま外見に表したような男性だったのだが、


「これはこれは菜奈神様、いつもお世話になっとります。ようこそお越しいただきました」


 カミパッドを掲げる菜奈姫の姿を目にした途端、イメージ丸崩れの破顔でペコペコと頭を下げた。

 ……なんだか、見てはいけないものを見てしまった気がした。


「ふふん」


 あと、店主のオヤっさんに声をかける傍ら、菜奈姫がこちらしか見えない角度でドヤ顔を向けてくるのに、那雪はものすごくムカついた。

 それから和気藹々といくつか会話をした後に、菜奈姫と那雪は、店主のオヤっさんにカウンターの奥へと通された。

 招き入れられたのは、和菓子を作る工房ではなく、仏間みたいな趣のある間取り六畳の部屋だ。 


「ん、チンクシャはここで見ておれ」


 と、那雪を部屋の隅に留めておいて。

 菜奈姫は先頭に立ち、店主のオヤっさんと他数名の職人の男性、および先程に店番をしていた女性と共に、部屋の一角で奉られている小さな祭壇に向けて、両手を合わせた。


「よし……菜奈姫の名の許に、我が加護を葉月屋の繁盛の糧とする」


 一分あまりの瞑目の後、祝詞と共に菜奈姫が柏手を打つと、琥珀色のオーラが祭壇を包み、わずかな発光をした後に元の祭壇に戻る。


「おお、活力が漲ってくる気がする……」

「また、新商品のアイデアが浮かんできそうかも……」

「ありがたやありがたや……」


 直後、部屋の中にいる者達全員が、晴れやかな笑顔になっていた。

 ……なんだろう。店内で笑顔を浮かべるみんながみんなで、危ない薬に手を出しているような胡散臭さを感じるのは気のせいだろうか?

 そして、その中心でふんぞり返る神様(仮)の姿は、怪しい宗教団体の教祖のようにも見えなくもない。


「菜奈神様、今後も葉月屋をよろしくお願いします」

「うむ。さらなる繁盛を目指して励むが良い」


 店主のオヤっさんが、笑顔で商品の入った紙袋を菜奈姫に献上する様が、この一連の、ある意味ものすごい光景のフィナーレであった。


「ククク、待たせたな」

「……おう」


 意気揚々と戻ってくる菜奈姫に、那雪は気のない返事をするしかない。


「どうじゃチンクシャ、我の偉容に言葉も出まい」

「うん……この町って知らないうちに怪しい宗教に染まってたんだなーって」

「……お主、今、ものすごく失敬な物言いをしておるからな」


 オヤッさんと店員の女性、職人の人達に見送られて、『葉月屋』を後にしつつ。

 道中、菜奈姫は紙袋から葉月屋の人気商品である『月天草』を一つ取り出してパクつき始める。一つ二百五十円と、学生には少々値の張る品であるだけに、那雪には少し羨ましい。


「さて、もう三件ほど付き合うてもらうぞ。調査はその後じゃ」

「まだ回るのか?」

「然り。得意先の需要を疎かには出来ん」

「…………」


 断ってやろうかと一瞬思ったのだが、那雪にはそれが出来なかった。

 菜奈姫の傍に居た方が、有事の際には対処できるというのもあるのだが、理由で言えばもう一つ。

 ――自分の仕事には真剣なんだよな、こいつ。

 先の葉月屋で手を合わせていた時の、菜奈姫の姿を思い浮かべてみると、なんとなくそう思えたし。

 次に得意先として足を運んだ、三丁目のスナック『ゆーとぴあ』でも。


「ママさん、約束通り来たぞ」

「あんらー? もしかして、この前に来た新しい菜奈神ちゃん? どしたの、そのカッコ」

「故あって、人の子の身体を借りておってな」

「あんらー、なかなか素敵じゃない。今度、アタシの身体も借りてみる?」

「ククク、機会があったらのう。この身体も負けてはおらぬが、ママさんの衰えぬ美貌ならば、同僚や支部長に自慢できそうじゃ」

「あんらー、またまたお上手ねー」


 ただ願いを叶えるだけではなく、得意先に居る人とのコミュニケーションも大切にしているようだし。

 他、菜奈姫の上司のツテで、まだ回っていなかった得意先――例えば、ラーメン屋『雲龍』でも。


「おぅ、今回の菜奈神様はやけに若々しいなっ」

「否、これは仮の姿に過ぎぬ。本来はこの通りとなっておる」

「おおぅ、これはこれで……断然ありだなっ」

「……『雲龍』の店主よ、支部長からもお主のことを聴いておったのじゃが。爺の童女趣味は長生きできぬぞ」

「おおおぅ、これまた手厳しいなっ。だがよぅ、倅がいつまで経っても孫の顔を見せてくれなくてなぁ。あんたみたいな孫が欲しくて欲しくて……いっちょ、なんとかしてくれねぇかい、菜奈神様よぅ?」

「ふむ、ならばこの加護はどうじゃ? 縁結びにもってこいじゃ」


 このように、人の身の上話を聞いたりもしている。本来とは別の新たな商標(?)を出したりもしているが、これも顧客(?)を思ってのことなのだろう。

 そして、得意先を後にする際、人々は決まって笑顔で送り出してくれる。

 そんな彼女の仕事振りを見せられると、今まで小憎たらしいと言う印象が大半だった菜奈姫に、異様な貫禄を感じざるを得ない。


「ふぅ、終わった終わった……ん? どうしたチンクシャ、辛気くさい顔をしておるのう。痔か? 便秘か?」

「おまえな……」


 すべての得意先回りが終了して。

 商店街を抜けた先にある広場のベンチにて休憩しつつ、今日集めた徳と、得意先からの献上品にホクホク顔になった菜奈姫の下品な問いかけに、那雪は半眼になりながら一息。


「……おまえって実はすごかったんだな」

「『実は』というのが少々引っかかる物言いじゃが……ククク、さしものチンクシャも、やっと我が力の壮大さを認める気になったようじゃな」

「ちげーよ。……いやまあ、力あってのことなんだろうけどな」

「? 何が言いたい?」

「人々を笑顔にすることって、実際こう言うことなんだなって」


 目の前を通り過ぎていく人々の流れを見ながら、那雪は思う。

 ヒーローは、人々の笑顔と未来を守ると言うが。

 違う形であれ、町の人々を笑顔にする活動を間近でこうも見せられては、昔、那雪のやっていた町の不良討伐というヒーローの真似事が、とてもちっぽけに思えたりする。

 今でこそシュバルツスノウに変身して戦ったりしているが、定番の悪の組織が居るわけでもなく、単なる自業自得によるものであり、決して誰かのために戦っているわけではないのだ。


「ふん、履き違えるでないぞチンクシャよ。我は、いずれは支部長をも上回る立派な神様になって、人の子のみならず、他の地区の神様からも崇められるような存在になるために努力しているのであって、誰かのためになどというお題目は二の次じゃ」

「……神様がそれ言っていいのかよ。それはそれで問題発言じゃね?」

「問題であってなるものか。神様に限らず人の子の生活に於いても、まずは、己を軸に据えなければ何も始まらん。その行いの結果が他者の幸福にも繋がれば万々歳じゃ。それに、自らが他者に行う善行というものは、己が望みを持って初めて良い形を成す。違うか?」

「…………」


 その通りだ。

 那雪の憧れるヒーローは皆、義務ではなく意志で誰かを救っている。

 誰かを救って笑える者も、誰かを救えずに悔いる者も、原動力は己の美学――つまりは自分のためである。那雪が先ほどから感じている自分に足りないものとは、その美学で誰かを笑顔に出来るという結果なのかも知れない。

 そして、違う形であるとはいえ、こいつにはそれが出来る。

 ……私は、ヒーローに向いてないのかもな。

 苦笑する。

 ただ、菜奈姫のように、自分のために誰かを笑顔に出来るというのは、とても素敵なことだと思える。

 ヒーローとか神様とかそういうものに限らず、どんな形でもいいから、自分も誰かを笑顔にしてみたいな、とも。


「まあ我の場合、自分の得と顧客の得とを、上手くすり合わさねばならんのだがのう。なるべく我の得になるように持っていくのがわりと面倒じゃが、これはこれでやりがいはある」

「だから、なんでおまえはそんなに台無しなんだよ……つか、おまえ今、さらりとサイテー発言したよな」


 訂正。

 神様には美学も何もなく、現実的なビジネスしかないようであった。


「まあともあれ、付き合ってくれた駄賃じゃ。お主も食え」

「ん……え、くれるのか?」


 と、菜奈姫が差し出してくるのは、最初に回った得意先『葉月屋』が誇る名菓・月天草だ。先に説明した通り、一つ二百五十円と学生には値の張る品であるだけに、那雪は少し気後れする。


「ククク、先程から物欲しそうな顔をしていたからのう。神のお恵みというやつじゃ。どうじゃ、ありがたいか」

「……やっぱ要らねえ」

「冗談じゃ。きちんと感謝しておるから、もらっておけ」


 ムカつく物言いの中に『感謝』という言葉が菜奈姫の口から出たのに少し驚きつつ、那雪はもらった月天草の封を切る。

 その名の通り、月天草は草餅の和菓子である。鮮やかな緑色で、大きさにしてみれば一口半のサイズなのだが、味わいを一瞬で済ませたくないと言う貧乏根性から、三分の一の大きさにちぎって口に運ぶ。


「――――」


 美味しい。

 口の中に広がるよもぎの風味とか、中のこしあんの控えめな甘みのアクセントとか、口に残らないあっさりした後味だとか、そういう料理番組や漫画のような表現を面倒くさいと片づけられるほどに、ただただ美味しい。自然と頬が緩んでくる。

 それに、和菓子だというのに、ほのかに柑橘系の爽やかな香りが漂うのは、隠し味か何かだろうか?


「うむ、先も味おうたが、いい仕事をしておるのう。後はオーカに残しておくとして、次は……」


 一方、菜奈姫は月天草を一口で放り込み、租借しながら、他にも貰った献上品の入った紙袋を物色している。何とも有り難みのないやつであった。


「おい、あんま食べ過ぎんなよ。桜花が太っちまうから」

「心配するな。我の見立てでは、オーカは先天的に視力が弱いだけで、基本的に肉体の血と気の巡りが良くてな。滅多なことでは太らんようにできておる」

「な、なん……だと……」

「ああ、例外で胸部の方はこれからも増量の余地ありと推移できるがな」

「……………………」

「ククク、あまりの事実に声も出ぬか。まあ気に病むなチンクシャ。我が推移するまでもなく、これから先、お主の胸部が絶望しか待たぬ未来であろうと……お?」


 と、菜奈姫が何かに気付いたかのように、周囲を見渡し始める。

 そして、那雪も那雪で、既に今の異変を理解していた。

 ――先ほどまで広場を歩いていた人達が、こちらを見ている。

 ただ見ているだけならいいのだが、その眼の色が全員が全員で同じであり、その色は、最近ではもう何度も見た色でもある。

 紫。


「……明らかに尋常ではない気配じゃな」

「ああ」


 しかも紫の眼をした人達は、徐々にこちらに近づいてきている。一歩一歩ゆっくりと、だが――確実な殺気を持って。

 その姿は、まるでゾンビを彷彿とさせた。


「早急に退散するぞ、チンクシャ」

「言われなくても」


 三人や四人くらいなら対応できるだろうが、こちらに向かってくる人数は少なく見積もっても三十を超える。となれば、無理に交戦するべきではない。

 手の中にあった月天草を口に放り込み、味わう間もなく飲み下し、那雪はベンチから立ち上がる。

 ゆっくり味わいたかったのに、勿体ないよなちくしょー、などと思いつつも、菜奈姫が手に浮かべたカミパッドの中に、献上品の紙袋と桜花の通学鞄を収納するのを確認してから、那雪達は走り出した。


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