第6話 地に縛られしもの (1)

「地縛霊?」


 木下副長の声が思わず裏返った。総務課の谷本課長は「はぁ」と申し訳なさそうに返事をした。

「以前は工場区画だった第三十七居住区なんですが、そこの端の方の比較的静かな一角にある空家で、霊を見たという目撃証言が多数……」


 木下副長は、ある意味非常にまともで、ある意味非常に間の抜けた質問をした。

「でもこの船、秒速二十kmで飛んでるんだぞ?」

「は?」

「こんな高速で飛んでる乗り物に地縛霊なんて憑くのかな?霊は振り落とされたりしないの?」


 谷本課長は再び「はぁ」とため息に近い返事をした。額に汗がうっすらと浮かんできている。

「でも副長、それを仰るのであれば地球だって秒速三十kmで公転しています」

「それはそうだなぁハハハ。まぁ放っておきなさい」


 あっさりとした木下副長の回答に、谷本課長は焦った。

「あ、あの副長……いや、せめて該当区域周辺の立入禁止措置くらいは行っておいたほうがよろしいのでは?」

 しかし木下副長は穏やかに笑ってこう答えた。

「今はもう、死亡事故を起こした資材置き場も廃止されて、危険な物は何も残ってないんだろ?

 それに人が集まってるっていっても、押しくらまんじゅうで将棋倒しになるとかそういう人数じゃなくて、怖いもの見たさにパラパラ人が来る程度なんだから、我々は何もする必要はないよ」

「ですが、何も対策を打たずに万が一の事があった場合に、共生会から当局の責任を問われる可能性は――」


 木下副長はそこで、穏やかな笑顔からキュッと一瞬で真顔に変わると、鋭い語気で谷本課長に言い切った。

「地縛霊騒ぎに当局が何か対策を打ったりなんかしたら、それこそ当局が地縛霊の存在を認めたようなもんじゃないか。いよいよみんな面白がって騒ぎが余計ひどくなるだけだよ。

 何でもかんでも早めに対策を打てばいいってもんじゃない。この件は実際に人的被害が出かねないと判断されるまでは一切無視だよ。いいね?」

 心配性の谷本課長は、再びはぁ、と弱々しく答えた。


 問題となっている地縛霊の出る建物は、居住区画の中心地から少し外れた、人通りの少ない一角にあった。

 輸送船「しきしま」の居住区には土地の所有権が設定されていて、多少の規制はあるものの、基本的には地球上の土地と同様に個人が自由に売買する事ができる。

 それはつまり、持ち主の事情によっては、宇宙船という乗り物の中でありながら、空き家や手入れの放棄された場所などの無駄な場所が発生してしまう可能性があるという事でもある。


 その地縛霊が出る家は二年前から空き家となっていて、両隣の区画は空き地である。そもそも「しきしま」の居住区の広さは、船内の人口や世帯数に対して若干余裕がある程度で、決してあり余っているわけではない上に、地域による過密や過疎が生じないよう、都市機能が特定の場所に偏在せず適度に均一になるように区画が設定されている。だから、偶然でもここまで空き地や空き家が続く閑散とした区画ができてしまう事はかなり珍しいといえた。

 そして二ヶ月ほど前から突然、人気の少ない区画に立つこの空き家に、幽霊が出るという噂が艦内に広まり始めたのである。


 噂によると、この場所が居住区画になったのは前回の地球出発時で、それまでは工場区画だった。当時、この家があった場所は資材置き場だったが、その置き場に積まれていた鉄筋が崩れる事故があって、四十代の男性作業員一名が崩れてきた鉄筋に下敷きになってしまった。作業員は何本もの鉄筋に体を串刺しにされて即死だったという。

 この人身事故の後、すぐにこの工場区画は閉鎖され、地球到着後、何事も無かったかのように居住区に変更された。それはまるで事故の事実を隠蔽するかのような唐突さであったが、この区画変更の結果、事故の痕跡は跡形も無く消滅してしまった。

 しかし、その作業員の無念だけはその場所に地縛霊として残留し、俺を忘れるな、俺はここにいると毎晩毎晩周囲を通りがかる人に訴え続けているのだという。


 噂によって多少の差はあるが、幽霊の由来はおおむねこのような筋である。幽霊を目撃した人の証言はどれも似ていて、全身血みどろで頭頂部の禿げた男が、空き家の中から無言でじっと外を見ているというものであった。背中に細い鉄の棒が二・三本刺さっているという証言も共通している。


「この船で、まさか人身事故の隠蔽みたいな恐ろしい事があったとは思えないですけどね、でも……何しろ前回の行程の時の事なので私には何とも……」

 谷本課長は噂を疑う事を知らない。基本的に善人なのだ。


 しかし、木下副長の口調は醒めていた。

「どう見てもそれ『MASAKADO』だろ」


 笑うでもなく馬鹿にするでもなく、それ以前に、そもそも何を騒いでいるのか理由が全く分からないといった体で、あっさりと真顔でこう言い切った。

「その地縛霊、あの映画の落ち武者ゾンビそのままじゃないか」


 ちょうどその時「MASAKADO」というハリウッド製作のゾンビホラー映画が世界的に大ヒットしていた。

 その映画は、平将門の怨霊が落ち武者のゾンビ軍団を従えて人類に宣戦布告するという荒唐無稽な内容なのだが、巧みに日本風味を取り入れた事が、アメリカ人をはじめ世界中の人の心を捉えた。

 日本でも、劇中に登場する少々奇妙な日本観が逆にジワジワとくる面白さがあると、むしろ好意的に迎え入れられている。


 この「MASAKADO」が予想外の大ヒットにつながった最大の原因は、映画に登場する落ち武者ゾンビ軍団の怖さと面白さだった。背中に刺さった数本の矢がトレードマークで、額から血を流し、ざんばら髪を振り乱して襲い掛かってくるその強烈な造形とキャラクターの人気は、もはや独り歩きして一種の社会現象のようになっていて、「オチムシャ」は一躍世界中で通じる日本語となっていた。


 そして木下副長は、今回の地縛霊騒ぎを、このゾンビ映画の影響だというのである。

 映画を見た事で、潜在意識のどこかにゾンビの強烈なイメージを刷り込まれた人が、例の空き家の前を通る。そこで偶然、視界の端に映ったものを幽霊と見間違える。「幽霊を見た!」という衝撃が、潜在意識にあった落ち武者ゾンビの映像と無意識のうちに結びつく。


 かくして、「何だか分からないが謎のものが見えた。あれは落ち武者だったかもしれない」というボンヤリとした勘違い情報が発見者の脳内に作られる。かといって、宇宙船の中に落ち武者の霊が出てくる訳はない。

 そこで混乱の中で「自分が見たのは落ち武者ではなく、背中に何かが刺さった禿げ頭の人の幽霊だったのではないか」というイメージの脳内補完が進む。


 そして、一回誰かがそういうイメージを作ってしまったら、後はもう誰もが「あそこには背中に何かが刺さった禿げ頭の人の幽霊が出る」という先入観に沿って風景を見るようになるので、今までは普通の風景だったところに、幽霊が次々と「見える」ようになる。


 人間は、正体不明の謎の存在に遭遇すると、信憑性などは二の次にして、とにかく少しでもその謎に関する情報を増やして安心したいと思うものである。

 突然見え出した謎の幽霊に対して、そのうち「幽霊の背中に刺さっていたのは鉄筋ではないか」と誰かが勝手に架空の情報を付け足す。さらに、この区画が昔は工場だったという偶然に気付いた人が「これは工場の事故で死んだ中年男性の霊だったのではないか」という推測を付け足す。最初はぼんやりとしていた幽霊のキャラクターが、徐々に肉付けされていく。


 こうして、別々の人が思い思いに推測を付け足して構築してきた幽霊像に、最後「船側による事故の隠蔽工作」というドラマを追加したのは一体誰なのだろう。

 巨大な組織が自分の知らない所で巨悪を働いているという陰謀論は、耳にとても心地よい。世界には、自分にはよく理解できない謎の多い事象がたくさん存在していて、それはとても気分が悪く落ち着かないものだ。そんな漠然とした不安感に、陰謀論は明確な答えをくれる。


 幽霊という、ただでさえ正体不明でモヤモヤする存在に、「この幽霊はそもそも船が事故を隠蔽したことが原因で生まれたものなのだ」という明快な「正解」を示してくれるこのストーリーに、多くの人々は「その話は腑に落ちる」と飛びついた。

 いや、飛びついたという自覚もなく、ただ「あぁ、なるほどそういう話なのね」と疑いも検証もせずスンナリと自然に受け入れたのである。


「背中に矢が刺さった、ザンバラ髪の落ち武者ゾンビの流行と、背中に鉄の棒が刺さった禿げ頭の地縛霊の噂。

 これが同時に起こるなんて、どう考えても怪しいよ」


 そう言い切って平然と笑うことで、木下副長は谷本課長を安心させようとしたが、木下副長ほどキッパリと自分の考えに自信が持てない谷本課長は、やっぱり浮かぬ顔でハァ、と答えるしかなかった。

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