第2話 予算狂想曲 (1)

 八月の艦長会議は、上期予算の着地が最大の争点となった。


 六月から予想外に急速な円高が進んだため、水素のドル建て価格自体はほぼ変化がなかったにも関わらず、円に換算した場合の水素販売単価が下落。それに伴い輸送船「しきしま」の上期運行予算が、このままでは若干未達となる見込みが示されたのである。

 鍋島艦長は各部に対して、予算の必達にむけて経費の削減と不要不急の修繕工事の延期を指示し、各部は一週間後までにその数字の積み上げ結果を提出することになった。


「――なんなんですかね、予算って」


 運行管理部管理課の芝田君が、隣の席の池上係長にぼやいた。一体コイツは突然何を言い出すのかと池上係長は一瞬たじろいだ。

「だって、円高なんて我々の力じゃどうしようもない事だし、そんなの正直知ったこっちゃ無いじゃないですか。

そんなもののために、何で俺達がこんな、経費削減とかしなきゃいけないんですかね」


 池上係長は笑いながら、若い後輩をさとすように言った。

「そりゃ、これは商売なんだから仕方ないだろうよ。確かに、為替の円高だの円安だので我々の収入が増えたり減ったりするのは釈然としないけどな。

 でも、水素の値段が下がったら、どんなに文句を言っても事実、我々の収入は否応なしに減っちゃうんだから。そしたら我々も何かを削って埋め合わせしないといけないでしょ。

 わざわざ四年もかけて木星まで行って帰ってきて『結局損しましたゴメンナサイ』では済まされないしね」


 しかし、若い芝田君は全く納得していないようだ。

「まぁ、損にはできないってのは確かにその通りなんですけど……」


 そして、憤懣やる方ない様子で訴えかけるように言った。

「でも、なんだかやってる事がセコ過ぎて悲しくないですか?

 だって、この船の乗務員にはいい大学出た優秀な人たちも腐るほどいるのに、そんな賢い人たちが集まって、あぁでもないこうでもないと何日も何日も議論して、それで〇・一パーセントのコスト削減を〇・二パーセントに増やしましたとか言ってるんですよ。

 もう少し、その時間と能力を別の事に使ったほうがいいんじゃないかと思う時があるんです」


 池上係長はにこにこしている。

「割合ではたった〇・一パーセントでも、動力課とかのコスト削減だったら金額にしたら数億円だぜ?全然無駄な事じゃないよ」


 芝田君はさっきから、自分の中にわだかまっている釈然としない気持ちを、うまく言葉にできずにずっとモヤモヤしているという感じの表情をしていた。

 とりとめもなく思いついた事をそのまま口に出しながら、自分の考えを整理しているような感じだ。


「うーん。なんだろう。うまく言えないんですけど、細かいところは馬鹿丁寧にやるのに大事な部分はほったらかしというか。目先の利益を取るためなら一年後どうなってもいいというか。

予算関係って、そういう話やたら多くないですか?」

 まぁ、そうだなと池上係長はそこで初めて芝田君に同意した。


「例えば、こないだの二五四八地区のソーラーセイル補修工事の件、予算未達のあおりで上期の稟議発案枠が確保できなくなっちゃったせいで、もともと八月に実施予定だった工事を十月に先送りしましたよね」

「そうだな」

「その二ヶ月の間、ソーラーセイルは故障してて電力も推力も発生してないんだから、我々は確実に損をしてるわけですよね。

 どうせ工事の費用なんて、今やっても二ヵ月後にやっても同じなんだし、そんなの今すぐ修理しちゃったらいいじゃないですか。

 それを予算のためだけに二ヶ月間先延ばしにするなんて、やっぱりバカバカしいですよ」


 池上係長は苦笑した。確かにこれは一理ある。

「あの修理の件ね。理屈は確かにその通りだね」


 そして、苦しい説明だなぁと自分でも思いつつも、新人のまっすぐな質問にはきちんと答えなければと言葉を続けた。

「まぁ……あれは故障といっても程度が軽かったから。

ソーラーセイルが破れた面積も少なくて、推力と電力の低下もせいぜい誤差の範囲だったから、その程度の損失なら無視していいだろうという、ちゃんとした理由付けをした上で予算の方を優先させたんだよ。

 別に、何が何でも予算予算って、一切考え無しに予算達成のために色々と犠牲にしているわけじゃないよ。そこはちゃんと上の人たちだって、総合的な損得を考えた上でやってるって」

 芝田君をたしなめながら池上係長は思った。そうだ俺も入社二年目の頃は同じような事で腹立てていたなぁと。

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