第四十二話 『一矢』② 富士坂茜

「私、もう大丈夫ですから。それ私が持ちます」


「気にしなくていいよ。それに、これは危険だから私が持ってるよ」


 現世に戻る為に、この呪物が必要だ。小屋に着いたら日本人形と成海を繋ぐ呪いを断ち切らないといけない。それから由良さんの言う通り、先生が塞がるのを阻止している『天』への入口に人形を放り込んで浄化し、この公園に渦巻く呪いの力を弱める。そうする事で公園を飲み込んだ楽園を引き離す事が出来る。


「私の荷物だから、ずっと持ってもらうのは悪いです。自分で持ちますから」


 ただでさえこの子は無理をしているのだ。強くあろうとする気持ちを無碍にしたくはないけれど、これを持たせる訳にはいかない。


「まだしばらく歩かなきゃいけないから、成海さんは体力を温存してて。これは私が持ってるから」


「そうですか…… わかりました」


 少し残念そうにする成海を見て、悪い事をした気持ちになった。しかし、こんな危険な物を持たせてしまうなんて、それこそ『ヘマ』だ。私の選択は間違ってはいない。


 魁と一緒に歩き出すと、後ろにいる成海の足音が聞こえない。


 振り向いて確認すると、成海がこっちを向いたまま立ち尽くしている。


「早く行こう成海」


「成海さん、どうかしたの?」


 成海は私とかいの言葉に返事をする事なく、ピンク色のスマートフォンを私に向けた。


 右手にはペンのような物が握られている。


「……何してるんだ?」


 成海の不可解な行動を魁が不信がった直後、右手に握られたペンがスマートフォンの画面を切りつけるように動いた。


 その瞬間、激しい衝撃が胸に伝わる。


 倒れこんだ私は咄嗟に胸を押さえた。


 手の平に伝わる感触。


 シャツの内側で八芒星のネックレスが粉々に砕けている事に気付く。


「うがあああっ!」


 成海が立っていたはずの場所から、苦痛に塗れた男の叫び声が聞こえる。


「なんなの!?」


 上体を起こした私の視界に入った光景。


 そこに映る、幾つもの異変が示す情報を処理するように努めた。


 再び姿を消した成海。胸を押さえて倒れ込むスーツを着た男。地面に落ちているピンク色のスマートフォンとペン。私の壊れたネックレス。


 何らかの呪いが私に向けて飛ばされ、私の身を守ったネックレスが呪いを反射した。


 反射した呪いを受けたと思われるスーツの男は、血が流れる胸を押さえながら悶え苦しんでいる。


 呪いを発した呪物は、地面に落ちているスマートフォンかペンか、あるいは両方なのか。


 成海が何処へ消えてしまったのかは解らない。


 だが、自分に向けて呪いが発せられたのは紛れもない事実だというのは理解出来た。そして、それを実行したのが目の前でもがくこの男だと言う事も。


 立ち上がり、スマートフォンとペンを拾う。


 唖然として男を見つめている魁に声をかける。


「魁くん! 逃げよう!」


 戸惑いに支配された魁の腕を掴み、引っ張る。


「今のは…… 成海が急にあの男に」


 走りながら困惑する魁が発した言葉から、またひとつ新たな情報を入手する。


 成海が消えて、あの男が現れたのではない。


 あの男が、成海になっていたのだ。


「今は、とにかくっ、走ろう!」


 突然、私の手から魁の腕がすり抜ける。


「うわぁっ!」


 倒れ込んだ魁の足にしがみ付いている男の左目は、赤く染まり血が流れている。


「かえ…… せ…… オレの…… 呪物を!」


 魁の足に腕を絡めた男がおぞましく叫ぶ。


 男の左手に握られている狐の面。明らかに不自然だ。


 それが呪物である事を悟る。


「はっ、離せ!」


 魁が男の腕と頭を掴み、引き離そうとする。


 私は男の負傷した胸を目掛けて力一杯、足の甲を振り上げた。


「あああぐぅ!」


 傷口にめり込んだであろう私の足から放たれる痛みを受け、魁から腕を離した男は再び胸を押さえてのたうち回った。


「早く! 立って!」


 魁は私の呼びかけに反応しない。


 虚ろな目で、痛みに悶える男を見つめている。


「どうしたの!? しっかりして!」


 顔を覗きこみ叫ぶ私を見て、魁が我に返る。


「逃げよう!」


 もう一度声をかけると、魁は頷いて立ち上がった。


 走りながら振り返る。


 遠ざかる男の姿を確認する。


 あの狐の面は間違いなく呪物だ。出来れば奪取したいけど、あまりに危険過ぎる。


 あの男は呪物で私を攻撃した。ネックレスのおかげで助かったけど、もし呪いが魁に向けられていたら一巻の終わりだった。


 どうして…… あの男は一体何のつもりでこんな事を。


 魁が激しく転倒したのを見て、私は足を止めた。


「大丈夫!?」


「うぅ……」


 魁はすぐに立ち上がらず、蹲って涙を流し始めた。


 まだ男からそんなに離れていない。きっとまた追いかけてくるに違いない。


「魁くん。辛いけど、今は頑張って。あいつから逃げなくちゃ」


「成海はもういません」


「え?」


「成海も死んでしまった」


 まるで息絶える成海を見たかのようにそう言い切った。


「死んでなんかない。きっと無事だよ。さっきのは偽者だったみたいだけど、本物の成海さんは絶対大丈夫だよ」


「全部解ったんです。成海はさっきの、あの男に殺された」

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