第三十話 『楽園』② 由良貴信

 森を抜けて、かいたちと出会った山道に戻ってきた。さっきと違うのは、全てが夕焼け色に染まっている事、そして折山おりやま陽子ようこ昌樹まさきの姿が消えている事だ。


「これ、陽子のスマホです」


 魁が折山陽子が蹲っていた場所に落ちていた携帯電話を拾い上げた。


「見せてくれないか」


 魁から携帯電話を受け取った私は、すぐに着信履歴を開いた。


 その中にいくつか、祐里ゆり先生の携帯からの着信があった。しかし、どれも通話は開始されていない。


 既に亡者によって意識を侵食されていた陽子は、先生と話す事を拒んだのだろう。


 電話が繋がらない事で先生は全てを察し、手紙の内容を手掛かりにしてこの山に訪れた。


 自殺者が集まる山奥の公園。増え続ける亡者たちの怨念が呪物を生み、その呪物によって命を奪われた者たちも亡者となり、増大した怨念がこの山から現世を飲み込んでしまったのだろうか。


「きっとわたしのせいだ…… わたしが呪いの人形なんか使ったから」


 暗闇から夕焼けの世界へと一瞬で変化した光景。そして友人二人が姿を消してしまった事で成海なるみが自分を責め始めた。


「いや、これは君のせいじゃない。今は悲観するよりも気をしっかり、強く持つんだ」


 この状況で最も注意すべき事は『亡者』の存在だ。現世に未練や強い恨みを持ち、『境目の世界』に留まる霊。ここは既に彼らの巣窟。生者である私達の命を奪いに来るに違いない。


『おばけってのはな、怖がってるやつに集まってくるんだぞ』


 父の言葉を思い出す。


 まず、今ここにいる魁と成海の安全を確保しなければ。


「由良さ~ん!」


 駐車所がある方向からあかねが手を振って走ってくるのが見えた。


 茜は、巻き込まない様に黙って出ていこうとした私に詰め寄った。


 先生を探しに行くと言ったら無理矢理着いて来たが、何かあったらすぐに逃げられる様に車のキーを渡して駐車場に停めた車の中で待機させていたのだ。


 茜は息を切らしながら話し始めた。


「由良さん…… この夕焼けって、まさか」


「あぁ、折山陽子が『写真』の力を解放してしまったみたいだ」


「駐車場から街のある方角を見たんですけど、その…… 何もなくて」


「何もない?」


「全部消えてるんです。街へ向かう山道も、街そのものも全部。砂漠みたいになってて」


 駐車場からは街の明かりが見えていた。現世が楽園に飲み込まれてしまったのなら、当然、街も飲み込まれているはずだ。だが、この公園がある山以外の全てが消えているという事は……。


折山おりやま夕子ゆうこが現世と楽園を繋ぐ扉となり、折山陽子が扉を開く鍵の役目を果たす『写真』を発動した。それでも、楽園に飲み込まれたのはこの山だけ……」


 池の向こうに見えた山の光が脳裏に浮かぶ。


「あの光は…… 『天』への入口? 『天』に繋がる扉が塞がるのを食い止めているのか」


「食い止めてるって、一体誰が…… まさか」


 私が言おうとしている事を茜も察した。


「先生が……?」


 折山陽子と連絡がつかず、現世と楽園を繋ぐ扉が開くのを防げないと悟った先生はこの山に訪れ、『天』への扉が存在する展望台へ向かった。亡者たちの呪いの力によって『天』への扉が塞がれてしまうのを、身を挺して食い止めている。『天』から流れ来る浄化の力によって、楽園はこの公園のある山だけを飲み込むだけに留まっている。


 腕時計を確認する。現在時刻は2時45分。


 先生が一体どれほどの時間、呪いの力に耐えられるのか全く見当がつかない。


 先生が力尽きた時、先生自身の命は無論の事、現世の全てが楽園に飲み込まれてしまう。そうならない為に、私に出来る事は……。


「先生を助けなきゃ…… でも、どうすれば」


 茜が焦り始める。


「亡者の呪いの力を支えている物を除呪するんだ。そうすれば力は弱まる」


「折山陽子の持っている『写真』ですか?」


「あれはただの『鍵』に過ぎない。他にあるはずだ。今この公園に存在している呪物が。これほどの強大な力だ。ここにある呪物はひとつやふたつどころではないだろう」


 成海のリュックから日本人形を取り出し、茜に見せる。


「これはこの成海という子が所持していた呪物だ。この公園にある他の呪物を見つけだして全て除呪じょじゅする。それしか方法は無い」


「そんな…… 呪物をひとつ除呪するだけでも大変なのに、こんな呪いの力が強い場所でそんな事、わたしに出来るかどうか」


「いや、茜ちゃんが頑張る必要はないよ」


「どういうことですか?」


 私は森の向こうから僅かに差し込む光を指した。


「呪物を『天』に放り込めばいい。先生が塞がらない様に食い止めている、あの『天』への入口に」


「浄化の力で呪物を消滅させるんですか? でもそれだと……」


 茜は喋るのを止めて、唖然として立ち尽くす魁と成海の顔を見た。


 茜が懸念している事は解る。


 さっき私は茜に、成海が呪物を所持していたと伝えた。当然、成海が既に呪物を使用したと考えただろう。そして実際にその通りだ。


 呪物を使用した者は楽園から出られない。


 例えば成海の日本人形を『天』へ放り込んで浄化した場合、人形から成海に流れ込んだ呪いも浄化するのか、それとも成海の魂は既に亡者と見做されてしまうのか、どちらか解らない。


 出来れば人形と成海を繋ぐ呪いを除呪してから、人形を『天』に放り込むのが一番確実だ。だが、それは除呪師である茜の負担が大き過ぎる。


 長考する私の心中を察した茜が神妙に話し始めた。


「由良さん、大丈夫です。わたしやれます。先生も頑張ってるんだもん」


「あの…… すみません」


 おそらく全く話の内容が理解出来ない事に業を煮やしたのか、魁が口を挟んだ。

「これ、今何が起こってるんですか? それに、ジュブツとかジョジュって……」


 茜と視線を交わす。


 魁と成海にどう説明するべきか考える。下手に不安を煽る訳にはいかない。


「よく聞いてくれ。私たちは今、この山の公園に閉じ込められた。駐車場に戻って車に乗っても、ここから出ることは出来ない。でも、脱出する方法はある。とにかくまず、いなくなった友達を探そう。いいかい?」


「昌樹と陽子の居場所も解るんですか?」


「いや、それはまだ解らない。だからみんなで歩きながら探そう。バラバラにならないように」


「はぁ……」


 この魁という青年はかなり慎重な性格なのだろう。私が折山陽子の容態を確認している時も、素性の知れない私に対してずっと警戒していた。だが、宣言通り成海を発見した事で多少なりとも私を信じてくれた様だ。


「二人を連れて歩くんですか? 亡者が現れたら危険なんじゃ……」


 茜の心配は最もだった。まずは二人の安全を確保するのが最優先だという事は解っている。


 本来、ここにいる四人の中で亡者の姿が見えるのは、普段から霊を見る事の出来る私だけのはずだ。


 しかし、呪物を使用した成海も亡者が見える様になっているだろう。 


 この公園には大きな池がある。


 霊は水場に集まりやすい。亡者が現れるとしたらあの池からだろう。だとすれば、池から離れるほど安全度は増す。しかし、公園の外の砂漠に退避するのは危険だ。現世と楽園が引き離された時、公園の中にいないと砂漠に取り残されてしまう可能性がある。公園の中で確実に安全な場所、それはひとつしかない。


「あの展望台へ向かおう。先生がいるあの光の下へ」


 亡者は浄化される事を怖れる。ならば、『天』への入口があるあの展望台には寄り付かないはずだ。


「駐車場で見た公園の案内図は覚えてるか? 池の西にあるフラワーエリアの北に管理小屋があったはずだ。まずはみんなでそこに向かおう。管理小屋のすぐ北には、展望台への登山道がある。展望台に辿り着いたら、茜ちゃんは魁くんと成海さんと一緒にそこで待機していてくれ」


「由良さんはどうするんですか?」


「この子たちの友達と、呪物を探しに行く」


「そんな、一人で危険ですよ」


「大丈夫だ」


 近くで呪物が作動していれば耳鳴りで解る。私の吸っているタール12ミリグラムの煙草の強い香りが突然消えたら、亡者が近くにいる。もし誰かが呪いにかかれば、煙草の煙を使った『霊煙』で呪いを送っている呪物の場所を判別出来る。


 今まで先生の下で培って来た全ての力を駆使して呪物を探し出し、収集するのだ。


「霊は水に集まりやすい。亡者が現れるとしたら池の方からだろう。とにかくまず池から離れよう」


 全員で歩き始めた時、森の方から視線を感じた。


 すぐに煙草に火をつけたが、臭いは消えていない。亡者ではないとすれば、生きている人間の視線だろうか。


「昌樹君か?」


 森に向かって声をかけるが返事はない。

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