呪物公園

ぴぃた

前編

第一話 『写真』折山陽子

 前略 私たちを助けて下さい。


 私は折山陽子おりやまようこと申します。今は大学生で、カラオケ店でアルバイトをしています。二つ年の離れた夕子ゆうこという姉がいます。


 母は私が生まれた後に鬱病になり、幼かった私と姉は母から虐待を受けていました。とても育児が出来る状態ではなかった母の代わりに、父が私たちの面倒を見てくれました。


 どんなに酷い暴力を受けても気丈に振る舞う姉と優しい父のおかげで、辛い毎日をなんとか乗り越えていました。


 私が十一歳になり、母の症状も次第に治まってきたある夏の事です。


 私と姉は、父に連れられて近くの山へハイキングに行きました。その山には大きな公園があって、静かな池や登山道の風景がとても綺麗な場所でした。現在では自殺の名所になってしまっている場所です。


 当時中学一年生だった姉が、入学祝いに父から貰ったデジタルカメラでずっと写真を撮っていたのを覚えています。


 姉はとても写真が好きでした。


 展望台に辿り着き日も暮れ始めた頃、突然、父がいなくなったのです。


 行楽に来ていた旅行者に事情を説明して一緒に探してもらったのですが、父は見つかりませんでした。


 数日後に捜索が開始され、展望台の崖下から父の遺体が見つかりました。転落死だったそうです。


 父の死を知った日の夜、姉が一枚の写真を見せてくれました。ハイキングに行った日、あの山で撮ったものです。


 展望台で撮られたその写真に映る景色は全体的に異常なほど赤くなっていて、夕焼けの様な空と真っ黒に染まった山々がとても不気味に感じました。


 父がいなくなったあの日の夕方、空がこの写真の様に赤くなっていた記憶はありませんし、同じ時間帯に撮影された他の写真は、青い空が広がっているものばかりでした。


 私はその写真が気味が悪いと感じたのですが、姉はとても綺麗だと言って気に入っていました。


 それからは姉が母と私の面倒を見ながら、食事を作ったりしてくれました。父がいなくなった事で欝病が悪化した母はとても働ける状態ではなかったのですが、暴力を振るう事はなくなりました。


 中学生になった私は姉と一緒に家事をするようになり、姉は高校生になってからアルバイトを始めました。姉の様子がおかしくなり始めたのはその頃からです。


 父がいなくなってからも、姉はデジタルカメラでよく写真を撮っていました。


 ある日を境に、姉は真っ赤に染まった街の写真を毎日の様に私に見せるようになりました。


 不気味な夕焼けの写真が次々増えていく事を姉は喜んでいましたが、私はそんな姉を見て、辛い生活を続けてきたストレスのせいでおかしくなってきているのではないかと心配しました。


 姉がアルバイトに出掛けている時、勉強の為の参考書を借りに姉の部屋に入った時でした。


 夕焼けの写真が何枚も散らばる机の本立てに手を伸ばした時、マウスに肘が当たってスリープ状態になっていたパソコンが起動したのです。


 モニターに映し出されたものを見て、衝撃を受けました。


 街の景色の写真が、画像編集ソフトで赤く染められていたのです。


 アルバイトを終えて帰宅した姉を問い詰めました。


 赤く染まった街の写真は、姉がパソコンで編集して作ったものだと認めてくれました。ですが、父がいなくなった日に展望台で撮った写真は本物であると主張していました。


 それから姉が涙を流しながら話し始めた不思議な体験談は、今でもはっきりと覚えています。


 姉が高校生になった夏のある日、アルバイトに行くために駅までの道を歩いていると、突然、街が夕焼け色に染まったと言うのです。街の人達もみんな忽然と消えて、物音ひとつしない夕焼けの世界に立っていたそうです。


 そのうち、顔が黒い影になった人々が直立不動の状態で空をゆっくりと飛んで行くのを見ました。姉は飛んでいく人たちの中に、一人だけ顔が影になっていない人物を発見します。


 それが父であると気付いた直後、姉はいつも通りの騒がしい街に戻っていたと言うのです。


 もう一度、夕焼けの世界に行く事が出来れば父に会えるのではないかという想いから、姉は赤い写真を撮ろうと必死だった様です。しかし、一向に展望台で撮った時の様な赤い写真が撮影出来ないので、パソコンで写真を赤く加工して心の平静を保っていたとの事でした。


 私は姉が迷い込んだ夕焼けの世界が、父を失った事へのショックで見えた幻覚であると思っていました。


 やがて赤い写真についての話をしなくなった姉は高校を卒業し、私を大学に行かせる学費を稼ぐために進学せず就職しました。


 私が大学生になった頃、母の欝症状はかなり回復していて、私と姉は実家を出てそれぞれ一人暮らしをする事になりました。


 実家を出る時、姉は展望台で撮った赤い写真を私にくれました。私はその写真が好きではなかったのですが、姉が『お父さんが遺してくれたお守り』だと言ったので、素直に受け取りました。


 それからは時々、姉と連絡を取り合いながら大学に通い、カラオケ店でアルバイトを始めました。


 そんなある日、私の銀行口座に突然三百万円が振り込まれ、すぐに姉に連絡しました。

 姉は私の学費や生活費のために借金をして、事務の仕事に加えて『夜の仕事』を始めたと言いました。私は勝手にそんな行動に出た姉を強く批判しましたが、同時にとても心配になりました。


 それからしばらくして姉と連絡がつかなくなり、心配になった私は姉のアパートを訪ねましたが、私に何も言わず別の場所へ引っ越したようでした。念の為、実家に帰って母にも姉の行方について尋ねたのですが、母も何も知りませんでした。


 行方が解らなくなってしまった姉を心配しながら、カラオケ店でアルバイトをしている時の事です。


 お客さんからフードの注文が入り、それを届けに部屋に入ると、スピーカーから酷いノイズが鳴り、歌詞が表示されるモニターが真っ赤に染まりました。


 気味悪がったお客さんから苦情が来てどうすればいいか解らなかった私は、とりあえず店長に報告しました。


 ところが店長が部屋に行った時には、もうスピーカーもモニターも正常に戻っていたとの事でした。


 その日から、私の身に奇妙な出来事が次々に起こり始めました。


 毎晩、父がいなくなった日の夢を見て目が覚めるようになって、時々、テレビや携帯電話の画面が赤く染まって見えるようになりました。


 そして数日前、アルバイトへ向かう途中、私はかつて姉が言っていた話は本当だったのだと確信しました。


 突然街が、目の前の全てが夕焼け色に染まったのです。


 街を歩いていた人たちは姿を消し、誰もいなくなった異様な光景の中で私が感じていたのは、恐怖ではありませんでした。


 姉から話を聞いていただけで実際にこの世界を見たのは初めてなのに、何処か懐かしく、そしてとても寂しい気持ちになったのです。


 私は足を止めて、呆然とその場に立ち尽くしていました。すると、顔が影になっているたくさんの人達が空を飛んでいくのが見えました。そしてその中に、父と、姉の姿を見たのです。


 いつの間にか元の世界に戻ってきた私は、すぐに姉に電話をしました。ですが、やはり繋がりません。


 この手紙を書き終えたら、警察に行って姉の捜索届を出すつもりでいます。


 ですが、私は姉があの夕焼けの世界に行ってしまったのではないかと考えています。全ては、父のいなくなったあの日、姉が展望台で撮影した夕焼けの写真のせいではないかと思っています。


 この写真は、呪われているのでしょうか。


『呪われた物』というワードで手掛かりを探しているうちに、よろず様に行き着きました。


 私の身に振りかかる怪奇な現象はどんどん酷くなっています。自分が自分でなくなってきている感じもしています。時々、意識が朦朧として、姉の様にあの夕焼けの世界が恋しくなる事が増えてきました。


 お願いします。私たちを、せめて姉だけでも助けてください。


 私の携帯番号を記載した紙を同封しておきますので、一度、直接お話をさせてください。


 最後に、この手紙を書いている途中にひとつだけ思い出した事があります。


 この手紙には、ある箇所だけ真実ではない事が書かれています。


 それについては、姉を救うための重要な手掛かりになるかもしれません。


 しかし、それをここに書く事は出来ません。どうか、私と会ってください。


 連絡お待ちしています。


                                                 草々

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