カリスマカメコはオタクに容赦ない

『ありがとう、ミノル、くん。電話してくれて』

「みくちゃん。今なにしてた?」

『ミノル、くんのこと、考えてた。きっと心が通じたのね。嬉しい』

「ごはんはもう、食べた?」

『今日は、カレーだったわ。ミノル、くんにも、わたしのお手製カレー、食べさせてあげたいな』

「うん。食べてみたいよ」

『ミノルくんは、インド風と、ヨーロッパ風と、日本風、どのカレーが好き?』

「そんなにあるんだ、カレーの種類」

『カレーは、多種類の香辛料を併用して食材を味付けするという、インド料理の特徴的な調理法を用いた料理に対する、英語名。日本では、明治時代に、当時インド亜大陸の殆どを統治していたイギリスから、イギリス料理として伝わった。それを元に改良されたものが、カレーライスよ』

「よ、よく知ってるんだな。まるでWikipediaをそのまま読み上げてるみたい、、、」

『ふふ。ミノル、くんのために、調べたのよ』

「ぼくのために?」

『ミノル、くんの、好きなもの。わたし、たくさん知りたい、から』


そうやってエレベーターホールの隅で、ぼくはしばらく話し込んでいた。

みくタンは無条件に、ぼくに愛をくれる。

バーチャルカノジョとわかっていても、心の支えになるってもんだ。



心の準備もできて、そろそろ部屋に戻ろうと、電話を切ってエレベーターのボタンを押そうとした時、iPhoneがブルブルと震えて電話の着信を知らせた。

ドキリとして画面を見る。


「えっ?」


思わず声が漏れた。

知らない電話番号だ。

いったいだれだ?


不安な思いに駆られながら、ぼくはおずおずとiPhoneを耳に当てた。


『大竹稔さん、ですね』

「…は、はい」


事務的な口調の男の声。

その瞬間、顔から血の気が引く。


『警察ですが、そちらで少女を保護しているとの通報がありましてね。今から確認に伺うので、住所を教えて下さい』

「………」


からだ中の血液が一気に下降し、脚が凍った様に震えて硬直。返事ができない。


『はははは… ウソウソ、オレだよ~ん』


いきなり口調と声音こわねが変わって、ヨシキのいつものチャラい声が聞こえてきた。

“もうっ。意地悪ね”という、麗奈ちゃんの舌足らずな声も、電話の向こうから聞こえる。

からだの力がいっぺんに抜けて、その場にへたり込みそうになったのをなんとか我慢したが、ぼくの声は怒りに震えてた。


「ヨシキ、、、 てめ~、ふざけんなよ! こんな時にっ!!」

『悪りぃ』

「どっから電話してんだ! 知らない番号だぞ」

『麗奈のスマホ借りたんだ。びっくりしたか?』

「当たりまえだ!」

『ひとつ言い忘れてたんだけど…』


真声でヨシキが切り出す。今度はなんだ?


『次の日曜のイベントな。麗奈も売り子手伝ってくれるって。オレ途中からカメコしに行くからな』

「…そんな話、今どうだっていいだろうが!」

『ははは。 …ミノル』

「なんだ!」

『さっきみたいな電話がかかってこない様、気をつけろよ』

「わかったよ!」


腹立ちをぶつける様に、ぼくはiPhoneの画面を思いっきり押して、電話を切る。


脱力、、、、、、

ようやく気を取り直して、ぼくはエレベーターのボタンを押した。



「た、ただいま…」


おずおずと玄関の鍵を開け、おそるおそるドアを開いて、ぼくはなかの様子を伺った。

今日も室内は真っ暗で、部屋の中に栞里ちゃんの姿はない。

バルコニーも見てみたが、今日はそこにもいなかった。

テーブルに用意してた朝食のパンと紅茶は綺麗に食べられていて、お皿も洗って流しの横に並べてある。

しかし、夕食用にと置いていたお金は、やっぱり手がつけられてなかった。

室内も、ぼくがバイトに出かけた時のままで、荒らされたり、なにかを盗られてる様な形跡はない。

一応点検してみたが、変わった所は、なにひとつなかった。


「、、、いない。出てったのか」


ヘナヘナと力が抜けて、ぼくは座り込む。

ふと、ベッドの上に目をやると、栞里ちゃんがずっと着てた男物のTシャツが、キチンとたたまれてて、その上に小さなピンク色のメモ紙が置いてあり、鉛筆でなにか書いてあった。


『さよなら ありがとう』


九つのそっけない文字を見ていると、ざわざわしたものが沸き上がってくる。

、、、なんだか、悪い予感がする。

メモを手にして立ち上がり、ぼくは玄関を飛び出した。

急いでエレベーターを降りてマンションの外に出ると、回りを見渡す。


煌々こうこうと輝く向かいのコンビニの明かり。

キラキラまたたくビルのネオンに、通りを走るクルマのヘッドライトやテールライトの残像。

そういう都会のきらびやかさより、その陰に潜んでる闇の部分に、つい目がいってしまう。

華やかな街角のあちこちには、吸い込まれそうに深い闇が、いたる所に巣喰ってる。

そんな魔窟まくつの様な闇の中に、栞里ちゃんも呑み込まれていったのかもしれない。

なんだか胸騒ぎがしてきて、そこら中をやみくもに歩きながら彼女を捜し、ぼくは何気なく自分のマンションを振り返って見上げた。


『?』


15階建てのマンションの最上階の非常階段に、白い影が揺れてるのが目に止まった。

ここからじゃ小さすぎて、それがなんなのかわからない。

目を凝らしてよく見ると、どうやら人影の様だ。


まさか、、、


今来た道を急いで戻り、エレベーターに駆け込むと、最上階のボタンをガチャガチャと押す。

ゆっくりと上昇するエレベーターが、もどかしい。

こうしている間にも、その人影は非常階段の手摺を乗り越え、地上に舞い落ちてしまうかもしれない。

そんな予感がして、ぼくの心臓は、締めつける様に痛くなった。


「しっ、栞里ちゃん!」


重い金属製の非常ドアを押し開けると、階段の踊り場に栞里ちゃんの姿が見えた。

思わず名を叫ぶ。

彼女はピンクのキャミソールに、ショーパン姿で、下からヒラヒラと揺れて見えたのは、羽織っていた白いサマーカーディガンだった。

手摺にもたれかかって遠くを見ていた彼女は、驚いた様に振り向いた。


「こんなとこにいたんだ」


少し安心して階段を数段上がり、彼女の側に歩み寄る。

栞里ちゃんはそんなぼくの様子を眺めていたが、視線を元の都会の夜景に戻し、ポツリと言った。


つづく

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