ロウリュする人たち ――丸森サウナ/東北サウナフェス



 11月の東北というのはずいぶんと冷え込むものだが、その日は暖かかった。

 曇りのち晴れ、小春日和。

 降り注ぐ赤と黄色の落ち葉を車がかきわける。辿り着いたのは森の中のキャンプ場だった。

 宮城県伊具郡丸森町は不動尊公園キャンプ場で、その日行われていたのは東北初のサウナフェス――東北サウナフェスだった。

 駐車場に車を止めると、宮城県をはじめとした東北ナンバーの車の中に東京やさらに遠くのナンバーも目に入る。すでに東北のみならず全国各地からサウナーたちが集まっているようだった。

 受付を済ませて、会場であるキャンプ場の中に入る。見渡すと、すでにサウナフェスの始まりを待つ人々が見えた。秋の行楽シーズンでもあるから、ただ紅葉を見に来た人々も多かったが、その区別は簡単だった。

 サウナーはサウナハットを被っている。

 いつもならやけに目立ってしまうサウナハットは、ここに来た人々にとって当然の装いであったようだった。それが正装だと言わんばかりに、お気に入りのサウナハットを頭にかぶり、勝負タオルを首から掛けている。水着の上はただ防寒用の上着やバスローブだけを羽織り、足下はサンダルで、いつでもサウナに入れる体勢になっている。

 私もすぐさま水着に着替え、バスローブを羽織ると、お気に入りのサウナハットを頭に乗せて、サウナーたちの群れへと溶けて、フェスの始まりをただ待った。

 森の中のキャンプ場、その一角で一つのサウナが産声を上げようとしている。

 ここにいる誰もがそのサウナで整うことを楽しみにしていた。




 11月10日。この日行われた東北サウナフェスは、一つのサウナの誕生の日でもあった。

 ――丸森サウナ。

 宮城県は丸森町、その一つの町おこしとして立案されたそれは、その日華々しくデビューを飾った。東北サウナフェスはそれを記念したイベントでもあった。

 丸森サウナは、キャンプ場の中に建設された、通常営業では3時間区切りでの貸切営業を行うプライベートサウナだ。キャンプ場の中では、コテージと見間違えそうなログハウス風の建物で、最大八人収容のサウナとシャワー室、休憩スペースを完備する。キャンプ場のすぐ脇には川が流れており、サウナからは徒歩20秒。キャンプ場であるため、当然ながらそのままキャンプして泊まることもできる。周りは森に囲まれ、ちょうど東北サウナフェスが行われたときには、紅葉が見頃になっている。

 森に囲まれ、川を擁するサウナ。それが丸森サウナだ。

 それはサウナの本場、フィンランドでの伝統的なサウナのあり方に近い。

 フィンランドでのサウナというのは、日本で言うところの風呂に近い存在であり、今でこそサウナは各家庭に必ずといって良いほどある。しかし、元来、森と湖に囲まれた土地で暮らすフィン人にとって、サウナとはそうした自然と共にあるものであった。

 都市型のサウナが増えた現在において、フィンランドでもそうした“森の中のサウナ”への回帰する動きがある。都市郊外の自然の中でサウナに入り、湖に入るというのが、ある種のブームとなっているようである。

 思い返してみれば、私が良く整うサウナというものは、ある種、森の中にいるような感覚を湧き起こす――言うなれば、“森感”とでも言うような感覚、その“森感”の強いサウナが多いように思える。

 例えば、静岡のサウナしきじのベンチに座ると、不思議な香りに誘われて、まるで森林浴をしているような感覚に陥るし、天窓から入る日の光は、まるで木々の木漏れ日のように心地良い。東京鶯谷のサウナセンター大泉の水風呂、からりとした浴場に響く流水の音は小川のせせらぎのように感じる。また名古屋ウェルビー栄店のベンチは、“森感”どころか、もはやフィンランドの森そのものをイメージして作られており、木の香りに安心して整えることができる。

 私が気に入るサウナというのは、そうした森の要素を含んだものが多い。いや、あるいはサウナというもの、それそのものが常に“森感”というのもを持つものなのやもしれない。

 兎角、私はどうやら“森感”のあるサウナが好きなようなのだ。

 つまりは本場フィンランドの伝統的サウナというもの、それに未だ入ったことはないものの、少なからずそうした要素を愛している。

 森に囲まれ、小川をはべる立地にある丸森サウナは、まさに古き良きフィンランドサウナであると言ってよかった。“森感”どころか本当に森だ。

 日本に良いサウナというのはたくさんあるが、しかし、こうした本当の森に囲まれた場所にあるサウナというのは、数えるほどしかない。東北に住む私にとって丸森サウナの誕生は大きな喜びであったが、そうした意味でも丸森サウナは希少なサウナと言えた。

 丸森サウナがオープンするとという情報をキャッチしたとき、思わず小躍りをしてしまうほどに喜んだ。


 しばらく待つと東北サウナフェスは、静かにひっそりと――いかにもサウナらしく始まった。

 丸森サウナの前の広場で、たき火で温められたサウナストーンに、主催者がロウリュをする。オープニングロウリュ――初めて聞くが鏡割りみたいなものだろう――をすると、ぱらぱらとマイペースに集まった人々が、ぼんやりとそれを見届けて、拍手を送った。

 フェスはそうして始まった。

 東北サウナフェスで用意されたサウナは四つ。

 丸森サウナと気仙沼から出張してきたサウナトースター、それとサウナテントが二張りだ。

 当然、私は丸森サウナに一番乗りした。

 バスローブを脱ぎ捨てて、サウナに入るとドアの脇にはセルフロウリュができるように、水の入った桶と柄杓があった。挨拶がてらにひとロウリュをして、私は二段あるひな壇の上段にどしりと座る。

 サウナに入ると木の香りが体をくすぐった。真新しい木のベンチが心地良い。温度計は75℃。電気式のサウナストーブでサウナストーンがよく熱せられている。

 サウナストーンをL字に囲む二段のひな壇。天井はそれほど高くないが、その狭さが森の片隅にあるサウナらしい。

 壁には小さな小窓が一つ。フィンランドの古いスモークサウナを連想させる、その小窓からは柔らかな外の光がひと束。窓の外をのぞくと森の木々が見えるだけだ。

 ――森のサウナ。

 それに相応しい佇まいに思えた。

 私を含め入り込んだのは6、7人。それぞれが一度づつロウリュをした。

 座り込んでしばしすると、どうも湿度が不十分なように思えた。

 少しからりとしすぎている。このサウナにはもっと湿度が必要だと思った。

 産声を上げたばかりのサウナは、どうやら緊張をしているようだった。その湿度の低さがまさにそれを表していた。

 もう少しロウリュが必要かと思い、私が柄杓を手に取ろうとしたところで、一人の男がドアを開けた。

『サウナしきじ』

 そうでかでかと書かれたタオルを持った男。

 サウナしきじのタオル! それだけで只者ではない。その佇まいも落ち着いて並々ならぬ様相を呈している。私が思わず半分浮かせた腰をベンチに戻すと、彼は落ち着いた声でこう言った。


「少しロウリュをさせていただきます」


 サウナしきじのタオルが是非欲しいとか、男は一体何者なのかとか、そうした疑問を全て置き去りにして、男はロウリュをする。幾度かサウナストーンに水を掛けると今度は肩から掛けたサウナしきじのタオルを広げて、サウナ全体を扇ぎ始める。

 ――じわり。

 湿度が上がり、サウナストーンの温度が確かに肉体へと伝わっていく。

 6、7人でいっぱいになる室内で、男がしきじのタオルを巧みに回す。ぐるぐると回るタオルにサウナの空気が舐られると、水蒸気はサウナ全体に充満して、体感温度はぐんぐんと上がる。汗が噴き出す。

 じわりじわりと湿度が上がる。そうして、湿度が上がるたびにサウナは柔らかくなっていく。

 サウナの緊張が解けた。

 水分を含まなかった、生まれたてのサウナに湿度が満ちる。水蒸気が生まれるほどに、空気が攪拌されるほどに、サウナに柔らかさが生まれ、その緊張はほぐれていく。サウナの緊張がほぐれるほどに暖かで、それでいて芯に届く熱が生まれ、体がサウナに溶けていく。

 フィンランドではサウナストーンに掛けた水の蒸気には森の神が宿ると言われる。ロウリュという名の所以である。

 男の作り出すサウナの蒸気、それはまさに森の神々がこのサウナの誕生を祝うようだった。蒸気が生まれるたびに、サウナは生を受けた喜びに震え、心地良さを増す。

 今まさに新たなサウナが生まれた瞬間だった。

 男の作り出す蒸気は、丸森サウナの産声そのもの。

 森の中に一つの生が声を上げた。


 男はロウリュのみならず、一人一人にアウフグース(タオルで蒸気を含む風を送ること)まですると、最後にひとロウリュして去って行く。

 落ち着いた小さな声で「ありがとうございました」と言った男に拍手が鳴った。

 それはまたあるいは新たに生まれたサウナに対する祝福の音だったかもしれない。

 拍手が鳴り止んでしばらくすると、一人、また一人とサウナを出て行く。

 それを見送ってから、少しすると私もサウナを出た。

 75℃の低めの温度のサウナだ。ゆっくりと時間を掛けて熱するべきサウナだが、熱波師の男のおかげで、体はちょうど頃合いだった。

 サウナを出ると、外で待機していたスタッフに川へと誘導された。事前に知らされていた『川まで徒歩20秒』という、魅力的なキャッチフレーズ通り、川はすぐ目の前だ。

 丸森サウナに水風呂はない。あるのは川だ。

 正直なところ、私はこの川に入るという行為が不安だった。

 東北の秋は寒い。11月ともなれば朝はずいぶんと冷え込むし、霜だって降りる時期だ。今日が暖かな小春日和だとは言え、水温はどう考えても低い。

 いくらサウナの後とは言え、いつも入る温浴施設の管理された水風呂とは違うのだ。冷えた東北の川は刺すように冷たく、痛い。東北に生まれ育った人間だからこそ、その恐ろしさが身に染みて分かっていた。

 目の前にある川を見やると、先にサウナを出た幾人かが穏やかな顔で川に浸かっている。それを見て私も意を決して川へと足を浸けた。

 意外にも川の水はやさしく感じた。

 川に浸けた足先から感じるのは、水の柔らかな感触。秋の東北の川の刺し殺すような冷たさではない。足先に確かな冷たさはあるが、川の水の柔らかな感触がある。

 ――ざぶん。

 もっと思い切ってみる。体をひと息に川の水へと沈めてみる。

 やはり寒くない。心地良さが体に通る。

 沈めた体の表面を川の柔らかなせせらぎが撫でる。川の流れに撫でられて、確かな水の冷たさが体の火照りとともに流れゆく。不快感はない。

 体を川に浮かせてぼんやりと空を眺めた。

 曇った空にちらほらと青。時々秋晴れ。

 木々のささやきが聞こえた。川のせせらぎが聞こえた。

 近くの人々の声が遠くなり、爽やかに森の音だけが耳に届いた。

 それは単純に気持ちよかった。

 しばらくのあいだそうしていると、流水に徐々に寒さを覚えるようになった。のっそりと私は立ち上がり、川から上がった。用意したバスローブで体を包み、近くの岩場に座り込んだ。

 朝、出かけるときにはひどく冷たかったはずの風は、ふんわりと気持ちよかった。

 水に濡れた体が秋風に晒されて、凍えるように冷えるかもしれない。そういう恐怖感は川と共に大海へ向かった。

 川の水で体は冷えたが、それでもサウナの熱は確かで決して寒さを感じない。

 ぼうっと座っていると、だんだんと頭までもがぼんやりしてくる。

 ――あぁ、整うなあ。

 普段からサウナに入っている人間には、整う瞬間が明確にわかる。サウナという空間に体が溶けて、ある一瞬に浮かび上がる感覚。瞬間、体は、心は整っていく。

 けれど、今、私が感じている整いは、そうしたビビットなものではなかった。

 例えば、風に舞う落ち葉がゆらり地に落ちて、その風景になっていくような感覚。

 ゆっくりと自然の中に、異物であったはずの私が風景の一部となる。森の中に受け入れられていく。

 そうして、ゆっくりと時間をかけて体が整う。整い続ける。

 かつて人類がそうであったように、自然の中にいる野生の一人。今の私はそれだった。

 醒めやらず、ずっと長い時間整っている感覚が離れない。いつまでも整う感覚が体の中に存在し続けていた。


 必ず整うと名高いサウナにいくつも行った。

 サウナしきじ、サウナセンター大泉、アスティル、ウェルビー、スパプラザ、ニュージャパン梅田、etc。そのどれもにそれぞれの良さがあった。その良さは今ここでは語り尽くせないが、重要なのは“森感”であった。

 人口のサウナという施設の中で、森の中にいるような感覚。良いサウナに入り、良い整い体験があるとき、私は常にその“森感”を感じていたのは確かだった。

 かつてフィンランドの古いサウナが森の中にあり、人々はサウナを森の恵みであるとした。UNESCOに無形文化遺産に指定されたエストニアのサウナ文化は今もまだ森と共にある。

 サウナとは森とともにあるものなのだ。

 そして、丸森サウナにあったのは、人工の“森感”ではない。森そのものである。

 森の中に佇むサウナに入り、森の中の川に入る。そうして、森の中に溶けるように整っていく感覚は、都会のサウナにはない全く別の感覚だった。

 柔らかかった川の水のように、ほんのりとした整い感覚がのんびりと体に居座るのだ。ガツンとくるような整いではない。体の中で何かちょっと整っているなぁ、という感覚がずっと体に有り続ける。そのちょっとの感覚が奇妙にも、自分自身が森の一部であると思わせるのだ。そして、その感覚は他のどんなサウナで得た感覚よりもずっと長く、いつまで経っても体にある。

 柔らかに整い続ける感覚。

 それは他のどんなサウナにもない感覚だった。

 エストニアはヴォル地方のサウナ、ムースカファーム。そこでは伝統的なサウナ文化を体験できるが、サウナの中で森の神々に感謝を捧げる歌を歌う。サウナとは森の恵みであるからだ。

 それを物の本で読んだとき、漠然と面白そうだなあ、行きたいなあと思ったものだが、私は今その理由を実感として知った。

 森の中で整う感覚は、自分がこの森という大自然の一部に過ぎないと否が応でも認識させる。この整う感覚は確かに森の中だからこそあるものであり、必然、森に感謝をしてしまう。感謝という感情が、森の恵みを得ているという事実を明確にさせ、それ故に森の神々の輪郭が露わになる。

 サウナは森とともにある。

 ウェルビーの熱波師のお決まりの一節。

「サウナストーンに水を掛けます。水を掛けることによって蒸気が発生します。この蒸気をサウナ発祥の地、フィンランドではロウリュと呼び、森の神が宿るといわれます」

 ウェルビーの常連客はご存じであろうこの文句は、森のサウナに入り、森の恵みに感謝をした今、正に事実であると言わざるを得ない。

 本物の森のサウナ。人工の“森感”で得る整いとは全く別の整いがある。

 断っておくが、私は人工の“森感”だからと他のサウナ施設が丸森サウナより下だと言いたいわけではない。人工の“森感”は時に本物の森を越える。人類の叡智は自然をも越える。それはサウナにおいて、往々にしてあることだ。

 けれども、本物の森のサウナには、本物の森にしかない、得がたい感覚がある。私はその特殊性を述べたいのだ。

 丸森サウナにはそれがある。

 新たにできた森のサウナは確かに森の神々を祝福を得ていた。


 突如現れた熱波師の男は普段は所沢で熱波師をしているらしかった。

 話しかけると親切にもサウナしきじのタオルは普通にしきじで買えることを教えてくれた。結局は聞かなかったものの、彼は運営スタッフの一人として来ていたようで、丸森サウナだけでなく、ゲストサウナとして来ていたサウナトースターとサウナテントにも周りロウリュをしてくれていた。

 彼のロウリュは最高の一言であったが、しかし彼に頼らずに自らがロウリュをするというのも風流だった。

 「少しロウリュしてもいいですか?」

 互いにそう声をかけあって、ロウリュをする。その気遣いが心地良かったし、そのシチュエーションはまるでフィンランドのサウナに入っているような気分にさせた。フィンランドの公衆サウナではこうした光景がよくあるのだと本で読んだことがあった。周りが大自然に囲まれているというのも、そうした本場の雰囲気を醸し出していたのかもしれなかった。

 セルフロウリュは経験がないわけではなかった。

 けれど、こうしてこよなくサウナを愛する見知らぬ人々とともにロウリュを楽しみ、サウナを楽しむのは普段のサウナではできない楽しさだった。

 いつも行くサウナで毎回見かけるサウナーに会った。

 普段は見知らぬ他人でしかない彼は、今日は私のよき隣人だった。そうした良き隣人たちとともに、互いの知らぬオススメのサウナを教え合い、変わったサウナでの体験談を笑い合う。

 サウナーの日常において、サウナについて熱く語り合える人間は希少である。大抵に人間はサウナに偏見を持っていて、サウナに興味を持たないからだ。全ての人間がサウナを好きになるべきだとは思わない。けれども、もう少しサウナ好きは増えても良い。

 だが今日、この場においてはいくらでもサウナの話ができた。それこそが最も盛り上がる話題であった。

 見知らぬ隣人たちとの話題は尽きることはなかったが、ときに心地の良い沈黙がサウナに流れた。

 そうして誰かが言った。

 「少しロウリュしてもいいですか?」

 笑顔は絶えなかった。

 



 新たに生まれた丸森サウナを堪能した私は、その後、東北サウナフェスということで特別に用意されていたサウナトースターやサウナテントにも入り、ひたすらにサウナを楽しんでいた。

 開会式のときにはまばらだった人の数も時間を追うごとに増えていき、東北サウナフェスは盛況だった。

 こうしたゲストのサウナのほか、地元の人の出店もあり、うまい飯にもありつけた。

 東北サウナフェスは、一日目は午後7時までサウナを開き、二日目は朝サウナ。宿泊はキャンプ場のコテージか持ち込みのテント。

 私は実はキャンプも好きなので、大好きなキャンプとサウナを組み合わせることにワクワクとしていたが、残念ながら所用があり、一日目で帰ることになっていた。

 後ろ髪を引かれながらも、私はサウナを楽しむ人々を横目に着替えを済ませ、車へと乗り込んだ。

 帰り道、山道を走っていると、少し開けた場所に出た。

 木々の途切れたその場所は空がよく見えた。雲間から光の束が何条も地へと注がれた。それはまるで空から神様がロウリュをしているようだった。

「少しロウリュしてもいいですか?」

 空からそんな声が聞こえた気がした。

 体はまだ整い続けていた。




【SAUNA DATA】

丸森サウナ(不動尊公園キャンプ場内)

サウナ:75~80℃

水風呂:川(増水など、気象条件によって入れない場合もある)

ロウリュ:セルフロウリュ

宿泊:不動尊公園キャンプ場(キャンプサイト、コテージ)

営業時間:貸切営業のみ(3時間の貸切)

     午前の部(10時or11時~)、午後の部(16時or17時or18時~)

料金:2名8,000円~

HP:https://www.marumori-sauna.jp

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