第42話 空っぽの心に②







「…………………………」

 群青楓は胸倉を掴まれて怒鳴られているというのに、まるで他人事のようなリアクションを薄さだった。


 まばたきをしない濁った黒い瞳で気だるそうに私を見上げるが、口が開く様子はない。彼氏の話をしても無反応とは。


 その態度に、私はさらに苛立ちを覚えた。


 改めて間近で群青楓の顔を見るが――中々どうして酷い顔ではないか。

 ひっかき傷でボロボロになった肌。睡眠不足で隠しきれない目元の隈。暫く会っていない内に、頬は痩せこけ唇は乾燥でひび割れていた。髪なんかもっと酷いもので、顔を髪で隠したらまんま貞子だった。


 白鹿にやられたのだろう。一之瀬も。血の繋がった双子の妹をカッターで脅すぐらいだ、私なんかが想像も出来ないような恐ろしい手段で楓の心をズタズタにしたのだろう。


 哀れだなぁとは思う。辛そうだなぁとも思う。

 ――でも、だからどうした。



「私、あんたを助ける気はないから。群青楓が立ち直ろうと野垂れ死のうと私はどうだっていいし、あなたに同情するなんてあり得ないから! もしあんたが嘘っぱちでもいいから優しくしてっていうなら耳障りのいい言葉を吐いてあげるけど、どう?」

「…………………………」


 反応はない。


「正直あんたにはこれっぽっちも興味ない。だけど、太一が探すためにあんたが必要なの。……借りた鍵で太一の家に入ったけど、だれもいなかった」

「…………………………」


「一之瀬の見舞いに行っているのかもって病院も行った。白鹿の家も行った。……でもいなかった。連絡も返ってこない。……これって、私の予想なんだけど――」







「もしかしたら、あんた一之瀬みたいに――今度は太一が白鹿に拉致されたんじゃないかな?」



 私は不安で震える声で一言一句はっきりと伝わるように言う。今私が思い描いているのは最悪のシナリオ。


「……………………っ!」


 群青楓の顔が動いた。痛みに耐えるような苦悶の表情。すぐに慌てて表情を消したが、隠そうとしたという事実そのものが動揺したという証拠だ。


 私は畳みかける。


「だから、教えて――あんたを拉致した場所を。もうそこぐらいしか思い当たる場所が無いの」

 反応はない。

「無駄骨になるかもしれない。見当違いかもしれない。でも、後悔したくないの。私は太一が好きだから。どうしようもなく好きだから」

 反応はない。

「ねぇ? あんたもそうでしょ? 行きたくないのなら行かなくていいから。だから、場所だけでも知ってるなら教えて」

 反応はない。

「ちなみに私は絶対にあんたと違って諦めるつもりはないから。何なら脅してでも口を開かせて――――」












「もう黙ってよ!!!!!!!」



 群青楓はヒステリーに叫ぶ。そして私の掴んでいた手を振り払い、三歩下がって近くにあった毛布で全身を覆う。一度私を泣きそうな顔で見ると、頭を抱えて丸くなった。完全な防御態勢だ。


「煩い煩い煩い煩い煩い煩い!!! 何で何で何で何で何で私なのよ煩い!!! もう私は関係無いから関わらないでよ!!!! もう嫌だから今すぐ消えてよお願いだからぁああああああああああああ!!!」



「……どっちがうるさいのよ」



 私のツッコミは当然のごとく無視されて、しばらくの間彼女は叫びながら、近く物を投げる壊すの大暴れしている姿をずっと眺めていた。彼氏である太一ならばこの場にいられない程の痛々しい光景だと思うけど、生憎私はただの他人だ。いくら群青楓が発狂しようが目的が達成するまでこの部屋を出る気はない。



「ぜぇ…………ぜぇ…………」


 彼女の突発的に行われる投擲を何個か手で弾き落としていると、次第に声のボリュームが下がっていった。息が荒くなり、肩を上下に揺らす。そりゃこれだけ叫べば疲れるに決まっている。



「で、ダダこね終わった?」

「…………う……うる、……さい」


 暴れたせいで汗を流す彼女が、私を怒りを込めた視線で睨む。……嫌われただろうなぁ。


 ま、今更か。


「何度も言うけど、あんたの力が必要なのよ。私のためじゃなくて、太一のために手伝ってよ」

「……………………」

「ねぇ。聞いてるの?」



 私が一歩進むと群青楓は「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。先ほどまでの荒々しさとは打って変わって、私という部外者に恐怖を覚えたらしく体を震わせて挙動を窺い始めた。まるで幼ない子供のごとく情緒が不安定だ。



 ――だけど、無反応の時よりは数段やりやすくなった。



「あんた。太一の彼女じゃないの? いいの? あんたと同じ目に合うかもしれないよ?」


「…………………………う、うう……」



「ちゃんと答えてよ」


「………………し、知らないッ! 私、関係ないから!!!! 太一とはもう会いたくない!!」



「知らないで済まないから今私がきてるじゃないの?」


「とにかく知らない知らない知らない知らない!!! うう……も、もうお願いだから出て行ってよぉ!」


 以前の群青楓なら死んでも言わなそうなセリフがポンポンと飛び出して面白くない。


 面白くない。

 ふざけんな。

 張り倒すぞゴラ。


「……あっそ。だったら――別れてよ、今すぐ!」

「…………ッ!!」


 下を向く群青楓の頬を摘み、顔を持ち上げる。なんとも弱々しくて――腹が立つ顔をしてるだコイツは。顔に新しい傷をつけてやりたくなる衝動をグッと我慢する。


「譲ってよ、太一を私に。関係ないんだったら、いいよね?」

「………………………………」



 群青楓はポロポロと涙を流して苦悶の表情を浮かべながら、












「……………………うん」









「――――――ふざっけんなッ!!!!!!」






 我慢の限界だった。

 私は今にも死んでしまいそうな彼女の横っ面に全力で張り手をぶちかました。








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