第24話 天国と地獄②



 増田夏祭り会場は六時を過ぎた辺りから急激に人が増え、七時ごろには屋台が並ぶ通りでは満員電車のごとく人でごった返していた。


 そんな今年度も大賑わいの夏祭りで僕と楓というと、


「はい。口を開けなさい。勘違いしないでよ。これは私がしたいじゃなくって、貴方が二度と飼い主を忘れないように躾けてあげているのよ。これは仕方がなくやってるのよ」

「お、おう」

「ちゃんと返事をしなさい」

「はい! 楓様!」


 屋台とは少し離れた神社に、石垣に隣り合わせに座る僕たちがいた。


 楓が手に持つ綿菓子を僕に近づけてくるので、僕はそれをパクリと食らう。相変わらず綿菓子と言うのは食べずらい。どうしても口以外の箇所で接触してしまうため、口の周りがベタベタと気持ち悪い。


 だが、そんな不快な気分を打ち消すどころか楓の「あ~ん」は僕の幸せゲージは限界突破せん勢いまで上昇させた。無意識に口が緩み「ニヤニヤしないで気持ち悪い」と楓に咎められるが、一度だらけた顔は簡単には引っ込みそうになかった。


『浴衣で夏祭りデート』『あ~んをしてもらう』僕が決めた楓にして欲しいことランキング10をまさか今日一日で二つも達成するなんて、何かとんでもないことが起きる前触れかと思うほどにとんでもない出来事だった。


 半年以上かけて――いや、付き合う前から積み上げて来た好感度がここに来て目に見えた結果として現れた。あの天邪鬼の楓がこんなカップルっぽいことを自ら行うなんて、最高かよ。照れながらかなり苦しい言い訳をしながらしている所も最高にグット!


「……頬っぺたに綿菓子をつけてニヤニヤしないでよ気持ち悪い。……はぁ。こんな犬が私の彼氏なんて、盲目もいいところだわ」

「恋の?」

「うるさい。犬は黙っていなさい」

「ふぁふあうあああああふあふあ」


 楓は僕の両頬を長い指でムニュッと潰す。顔が真っ赤になってるから彼女なりの照れ隠しだろう。可愛い。


「……全くもう。貴方のせいで指に綿菓子が付いたじゃない」


 両頬から手を離した楓は、指についた綿菓子を不快そうな表情で見ると、


「この駄犬」


 ――楓は僕あざ笑うと、指についた綿菓子を舐めとった。舐めとった後の指先は楓の唾液でややテカっており、その光景に僕は思わず生唾を飲み込んだ。その一連の動作がとんでもなく官能的だった。


 間違っても普段の楓じゃあり得ない行動だった。急激な変化に喜びを超えて心配になる。だが――


「…………今の忘れて。違うから」


 耳まで真っ赤にさせた楓が、そっぽ向いて足をバタバタとさせていた。時間差で羞恥心がやって来たようだ。やっぱり楓はそうでなくっちゃ! と謎の安心感を得る。


「恥ずかしいならやらなきゃいいのに」

「全然全くこれっぽっちも一ミクロも別に恥ずかしくなんてないわ。何で駄犬を躾けるのに恥じる必要があるのよ」

「だったらそっぽ向かず、僕の目を見て言ってよ」

「………………無理」無理らしいです。


 僕は楓が落ち着くまでしばらく待っていると、落ち着いた雰囲気だった神社に少しずつ人が増えて騒がしくなっていた。


 僕と楓は集合時間よりも二時間早く合流したのだが、そのおかげてゆとりを持って動けた。屋台をゆっくりと回ることも出来たし、知る人ぞ知る絶好の花火観戦ポイントも確保することが出来た。


 それにしても――


「可愛いなぁ」


 心の底から楓を可愛いと思う。半年付き合っても好きという思いは薄れるどころか、会うたびに強くなっていた。


 始まりは一目惚れだったかもしれないけど、楓の捻くれた殻の中の誰よりも奇麗で純粋な心を知って僕はますます好きになった。どこで聞いたか忘れたけど、直感は七割正しいらしい。つまりそういうことなのだろう。


 楓は僕の好きを受け入れてくれた。僕を選んでくれたことがたまらなく嬉しい。今日だって駄犬扱いだけど誘ってくれたことが嬉しくて仕方がない。


 恋で頭がやられたのかもしれない。それでもいいと思う。この胸いっぱいの幸福感を味わってられるなら。


「ねぇ」


 楓はそっぽ向いたまま、呟く。その声は夜の闇に溶けてしまいそうな小さな呟きで、僅かに怯えが含まれているような気がした。








「…………いつもごめん」

「へ?」


 僕は驚いて、間抜けな声を上げた。

 極めて珍しい――楓の謝罪。


「………………私って、めんどくさいでしょ? ウザイよね。頑張って直そうとしてるけど、ちっとも直らない。太一が好きな間に直さないといけないのに」


 ボソボソと呟く楓の声色は恐怖で震えていた。楓の天邪鬼は心の中の弱い所を守るための殻。つまり彼女にとって本音で語るということは弱点を自ら剥き出しているのに等しい行為であった。


 否定されるかもしれないかもしてない。そんな恐怖に怯えつつも本音で語る楓の消えそうな声を、僕は聞き逃さまいと耳に全神経を注ぐ。


「……で、……でも。……わ、…………たし…………は。……嫌…………だか、ら。絶対に嫌、だか、ら。太一の、こと――」










 


 ――大好きだから、絶対に別れたくない。







「……………………別れないよ。絶対に。僕も楓のことが大好きだから」

「ほ、本当……?」

「何度も言ってる気がするけどなぁ」


 僕の返答に、やっと安心したのか楓は顔を真っ赤にさせて僕と目を合わせた。見ると瞳が少し潤んでいた。


「でも、太一の周りに私より可愛い人いっぱいいるし」

「いやでも、好きなのは楓だけだし」

「加々爪とキスしていた」

「…………むぅ」

「一之瀬さんとキスしようとしてた」

「……………………すみません」


 ぐぅの音も出ないとはまさにこのことだった。僕としては友達と恋人と間にきっちりとした線が引かれているのだけど、それを伝えても理解されない気がする。花音も加々爪も僕の意思でキスをしようとした訳じゃないけど、第三者から見たらただの浮気な訳で。


「でもまぁ、いいわ。私は優しいから許してあげる」


 髪を掻き分けて、いつもの調子を取り戻した楓は得意げに笑う。

 ……楓は早く天邪鬼を直したいようだけど、やっぱり彼女は自信満々に煽ってくる姿が似合っている。僕としてはこのままでもいいと思うけどなぁ。


「そうだったわ。忘れてたわ。貴方は私のことが大好きだったわね。はい。あ~ん」

「ふはいあああうあは」


 楓は再び綿菓子を雑に僕の口に放り込む。意図的に綿菓子を動かされて、必死に追いかける僕の姿に楓はクスクスと笑う。


「ふふ。確か……『やっぱり僕は楓以上にに魅力的な女性を知らない』だったかしら? よくそんな恥ずかしい言葉を真顔で言えるわね」

「――――ッ!!!!」


 その言葉に急速に記憶が掘り起こされる。確か――この発言は加々爪の断る時に確かに言った。だけど、あの場には楓はいなかったハズ――


「加々爪が言ったのか?」

「さぁ?」


 嬉しそうに口元に手を当てて得意げに笑う楓。畜生! はぐらかされたら嘘かどうかも分からないではないか! ……もしかして、あの告白を見てたなんてことないよね?


 思い出される恥ずかしい発言の数々に、僕は恥ずかしくて死にそうになる。顔が熱い。


 それを見た楓はさらに上機嫌になった。悔しいと思う反面、全身を震わせながら笑う楓が表情があまりに可愛くてドキッとした。


「……あ、そういえば。貴方って一日私の犬だったわね」

 ふと思い出したような口調で楓は言う。

「今日一日、なんでも言うことを聞くのよね?」

「うっす」

「ワンと言いなさい」

「ワン」

「ふふ。いいことを思いついたわ。そうね、この場で貴方が私のことを好きなのを証明すればいいのね」


 いいことを思いついたと言う割には、サディスティックな笑みを浮かべる楓。誰の目からもわかる。これば何かよからぬことを企んでいる顔だ。


「ねぇ太一。私という彼女がいながら、浮気したことを反省している?」

「いや別に浮気じゃ……」

「口答えしないで」

「はい! 楓様! とても反省しております!」

「許してほしい?」

「はい! 許して欲しいです!」

「だったら――」



 楓は顔全体を朱色に染めながら、自分の唇をチョンチョンとつついた。














「彼氏の証明を、してみなさい」


















 それから数秒後、記念すべき一発目の打ち上げ花火が打ち上がるのだが、僕と楓は見ることが出来なかった。





 ――楓にして欲しいことランキング10をまた新たに達成した瞬間だった。





 



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