第3話 僕の彼女は世界一可愛い①



 僕は自宅に着くと、財布から鍵を取り出して玄関の扉に差し込んだ――が。


「あれ、鍵が開いている……?」


 胸の奥で嫌な予感が渦巻く。決して鍵閉めるの忘れたまま入院してた? とかではなく、先客がこの家にいるかもしれないという不安。


 ちなみに両親は海外出張なので家にいることはあり得ません。僕宛に送られた両親のメールには、申し訳ないけど日本にはしばらく戻れないと言った内容が記されていた。一応僕が事故ったという連絡は両親に届いているようだ。


 では、誰が僕の家に勝手に入っているのだろうか? ……一人しか思い当たる人がいませんね。


 ゴクリと唾液を飲み込み扉を開けると――




 般若みたいな顔をした彼女――群青ぐんじょう かおるが仁王立ちしていた。長くて艶やかな彼女の髪はまるで生きているかのように揺らめく。なんか彼女の周りからオーラのようなものが見えるですけど? 念かよ。

 彼女はたぶん具現化系。


「た、ただいま……」

「………………チッ」


 舌打ちッ!? 舌打ちですか楓さん!!


 あまりに激しい怒りに僕は震えながらも靴を脱ぐ。その間ずっと刺さるような視線を浴びせられる。純粋に怖い。彼女が家にいるわーいわーいとかはマジで今はちっとも思わない。ただただ逃げ場がないことに恐怖。


 僕は楓を恐る恐る見る。唇の端はピクピクと小刻みに痙攣していたのを確認して僕は死を覚悟する。


 軽くキレてる時は眉間にシワが寄り、ややキレてる時は腕を組み、ブチ切れている時が唇の端が痙攣する。はいブチ切れですねお疲れ様です。来世にご期待下さい。


「心配をかけてごめんなさい!!」


 僕は頭を下げる。楓は言い訳も屁理屈も無駄口も嫌うので、素直が謝罪が一番効果的だ。まぁ、あくまで一番マシというだけで、殺されないかどうかはフィフティーフィフティーっすわ。


「………………」


 楓がわなわなと震える。もはやここまでか――死を覚悟した瞬間、楓の細くて奇麗な手が――頭を撫でた。


「へ?」

「怒ってないから。私全然怒ってないから」

「いや、本当に怒ってない人はそんなこと言わない――」

「怒ってないから!」彼女の鋭い爪が頭皮にぶっ刺さる。


 やっぱ怒ってるじゃん!!


「いい? あなたの飽き飽きするような阿呆さと視野の狭さと単細胞生物さと馬鹿間抜けすかぽんたん」

「落ち着いて! 怒りすぎて日本語になってないから!」

「……ちょっと頭を冷やしてくるわ」


 そう言い残すと楓はフラフラとした足取りでリビングへと向かったので、僕もスリッパを履いて彼女についていく。


 リビングにつくと楓は台所に直行する。お茶を冷蔵庫から取り出し、コップに注いで一気飲みする。まるで自宅にいるような堂々とした振る舞いだった。


「……ふぅ。とりあえず言っておくわ。退院おめでとう」

「ど、どうも」

「おそらく帰る途中で幼馴染(笑)に説教を受けたと思うから、私から言うことは何にもないわ。ただ私はあなたが無事そうなのを素直に喜べばいいのかしら?」

「なんで疑問形なんっスか」


 楓は台所から出ると、食卓の椅子にどさりと腰かけて足を組む。学校が終わって直接僕の家に来たのか、彼女は制服を着ていた。太ももと椅子の隙間から見えるチラリズムにこんな状況なのについつい視線が奪われる。


 僕の彼女は――自慢じゃないがかなりの美人だ。彼氏という色眼鏡を抜きにしても、マジで世界で一番かわいいと断言できる。


 付き合ったのはつい半年前で告白したのは僕。最初の告白は無視され、次の告白でははぐらかせれ、次の告白では罵詈雑言を並べられたが――次の告白で彼女が折れた。


「なんか貴方、私が断っても死ぬまで告白してきそうだから、私としては嫌々だけど付き合ってあげる。これっぽっちも好きじゃないけど。迷惑だから仕方がなく」彼女の照れながら言った言葉はきっと一生忘れないだろう。


 ちなみに付き合ったと言っても、彼女はこのような性格なのでまだキスも出来てなかったりします。僕らの明日はどっちだ。


「喜びなさい。今日は貴方が九死に一生を得ちゃった残念デーだから。仕方ないから優しくしてあげるし、ある程度のことならやってあげる。不本意だけど」

「……くっ。ツッコミどころが多すぎる」


 楓は付き合って半年たったのに、まだ仕方がないから付き合ってあげるスタンスでいるらしい。そんなツンのメッキが剥がれているのに気丈に振る舞うウチの彼女マジで可愛い。


 楓は眉間をピクピクさせながら下手くそな微笑みを浮かべる。


「お腹が空いたでしょ。あなたに一服盛るために態々作ったご飯があるから、まずはご飯でも食べましょう」



 * * * * *



 群青楓は天邪鬼である。ツンデレというかひねくれ者。自分が正しいと思っている場合でも口だけは逆を向き、特に僕が相手の時はその傾向が強い。


 ――しかし、嘘はよくつくが得意というかむしろ下手な方であった。本人は気付いていないと思うが、感情が動作になって本音がダダ漏れなのだ。半年も付き合うと、楓の嘘で何が言いたいのかおおよそ検討がつくようになった。


 例えば今――彼女は奇麗な箸使いでお米を口に運んだ後、いつもの仏頂面のまま唇を尖らした。『褒めてor構って』だ。超絶可愛い。先ほどの怒りは空腹が満たされて少し収まったらしい。


「ご飯滅茶苦茶美味しいね! いやホント、僕はこんな素敵な女性が彼女で幸せ者だよ!」

「……ふん、白々しい。そんな薄っぺらい言葉で誰が喜ぶのよ」 


 そう言って楓は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。だが甘い。僕の脳内に埋め込まれた嘘発見器がビービーと鳴り響く。


 表情は相変わらずの仏教面で何も伺えないが――しかし、箸を拾うフリをして僕は頭を下げながら床に手を伸ばし、楓の足元を見る。


 楓の両足が食卓の下でめっちゃジタバタしていた。何この可愛い生き物。いきなり背後からギュっとして殺されたい。


「いやぁ、楓は本当に可愛いなぁ! 好き好き大好き超愛してる!」

「……気持ち悪い」


 そう言って楓は口元を抑えて吐き気を堪えるような動作をするが、手の隙間から見える口角は上に吊り上がっていた。ニヤける顔を隠したかったらしい。


 楓は褒められるのに慣れていない。褒められるのは嫌いと言うが、それは褒められた時にどんな表情をすればいいか分からないからである。つまりさいかわ。


 しかも凛々しくてツンツンとした口調に反して、根は誰よりも優しい。目の前にズラリと並べられた料理はおばあちゃん家のご飯みたいな優しい味がするし。


「あ、そういえば病院にチョコの山が置いてあったんだけど、あれって楓だよね?」

「……私じゃないわ。だって貴方の見舞いなんて一度も言ってないもの」


 楓がプイとそっぽむく。まぁ、チョコの山にタンポポを乗せるなんて常人じゃ考えられないセンス、彼女以外あり得ないと思うけどなぁ。


「そんなことよりも貴方は明日は学校に来るの? 私としては来てくれない方が嬉しいのだけど」

「そうだなぁ。楓に朝起こしてくれるなら喜んで行くけどね」

「は? どういうこと? ……え?」


 途中で僕の言いたいことに気付いたのか、目を見開いてピタリと箸の動きが止まる。まずは耳が朱色に染まり、たった数秒で顔全体が真っ赤になった。


「え、え、え、え。あなたの、いいたい、ことが、分から、ない、の、だけ、ど」

「だから、今日はウチに泊まってくれるんだよね?」

「――――――ッ!!」


 必死に動揺を悟られまいと眉間にシワを寄せてキレた風の演技をするが、目が落ち着きなくキョロキョロと動き、箸でつまんでいたプチトマトが落ちたことすら本人は気付いていない。


 実は楓には何回か家に呼んでご飯を作ってもらったことがある。食材は自由に使っていいと言ったし、いつ来てもいいように合鍵も渡した。


 だが、いずれも楓はご飯を食べると冷蔵庫に保存食を大量に残して帰った。今日もそのつもりだったらしく、まさに楓にとっては想定外の発言だったのだろう。


「え、でも。両親が、心配、する、わ」

「電話して聞いてみなよ?」

「着替、え、もって、着て、な、い」

「花音の置きっぱなしのジャージがあるよ。僕の服も全然貸すけど?」


「……なんで幼馴染(笑)のジャージがあるのよ」

「うん? 前に泊まった時に花音が忘れていきやがって――うん。ごめん僕が悪かったからそんなに睨まないで」怖ぇから。

「そう。幼馴染(笑)も泊まったことがあるのね……。でも、お断りよ。エブリデイ発情期の貴方と同じ家で一夜過ごすなんて……鈍器がいくらあっても足りないじゃない」

 ……わー。この人撲殺する気満々だー。というか僕が彼女を襲う前提だー。まぁ、興味が無いってことはないけどね!


「そういう訳でお断りよ。馬鹿も休み休み言いなさい」

 そう言い、楓は何も掴んでいない箸を口へと運ぶ。数秒してプチトマトが机に落下していることに気付き、慌ててそれを拾い上げる。

「ほう――お断りか。今日はある程度のことならやってくれるんじゃなかったのか?」

「泊まるのがある程度な訳がないじゃない」

「なるほど……だが甘いな! 僕は一度決めたことは曲げない男だ! だから――」


 テンションが上がってしまったのだから仕方がない。泊まって欲しいのだから仕方がない。


 僕は立ち上がり、玄関廊下の前で大見得を切る。 




「僕はどんな手段を使っても楓を帰らせない! エブリデイ発情期舐めんな!」

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