6-4 進むべき道

 隊長と魔導技師の思いがけない関係を知ってしまった後、キリクは彼らと雑談し、昼を過ぎた頃に皇室師団本部のある方へ歩いていた。キリクは夕刻の鐘の前までは外出が許されているが、イルフォード中尉はそういうわけにもいかないのだろう。ひとまず本部の前までは一緒に歩こうと、無言のうちに決めていた。

 もう一人、レクシオとは、喫茶店を出た時点で別れている。「ヴィナードは、今日は休業なんでね。帝都散策としゃれこむか」などと言っていた。ステラは、身が軽く足の速い夫を苦笑とともに見送っていた。


「いや、いきなり連れ出しちゃってごめんね」

 大きな建物の軒先を借り、馬車の一団が通りすぎるのを待っていたとき、ステラが突然に言った。壁面の大きな文字が躍る広告に目を奪われていたキリクは、軽く首をかしげた。

「楽しかったですよ。いろいろ……いろいろと、話を聞けましたし」

「あははー」

 少年の口調に含むものを感じたのだろう。ステラは、乾いた笑いをこぼした。

 それから先、沈黙する二人の前を、二頭立ての馬車が通りすぎてゆく。車輪の演奏に笑い声の歌が重なって、雑然とした道の上をなでてゆく。曲の余韻のみが残ったころあいに、女性の声がぽつりと落ちた。

「ねえ、キリク君。あたしたちのこと、覚えてた?」

 唐突な問いであった。だが、今だからこその問いでもあった。キリクは、見開いた瞳をすぐに細めて、上官を正面から見る。

「覚えていました。すぐには結びつかなかったですけど」

「正直ね」

 笑いを含んで言い返される。キリクは赤くなってそっぽを向いた。

「あたしとレクは、すぐに気づいたよ。君が軍部にいるって知ったときは、そりゃあもう、飛び上がりそうだったわ」

 余計な補足が続く。少年の耳はさらに熱を帯びた。

 ステラの方を見ないようにしていたキリクは、雑踏のただ中に視線をひきつけられる。赤い頭を見いだしたのだ。もちろんそれは、彼の友人のものでなく、どこかの工房の下働きであろう、少年のものだった。鳶色の瞳がキリクの方を一瞬見たが、すぐにそらされ、彼は少年からいないものとして扱われた。

 ため息とともに諸々の感情を胸へ押し込めて、少年は女性へ視線を戻す。

「ステラさん。ひとつ、訊いてもいいですか」

「何かしら」

 ステラの声が低くなった。それでも彼女は、彼女らしい笑みを崩していなかった。そのことに安堵して、少年は言葉をつむぐ。

「なぜ、あなた方は、セルフィラ神と戦ったんですか。それが、課せられた役目だったからですか」

 黒茶の瞳が、大きく見開かれた。


 いつからだろうか。少年の頭から、ひとつの神話が離れなくなっていた。

 それは、世の神官たちにしか伝わらない、秘された物語。干渉することを嫌うラフィア神が、地上へ行う数少ない干渉の記録だ。

 何百年、あるいは何千年かに一度、地上から二人、神の代理人が選ばれる。彼らは特異な魔力を得る。常人の持ち得ぬ力と宿命を負った人々は、『翼』と呼ばれることとなった。

 ステラたちがそうであるという確実な証拠はない。だが、それを感じさせる面はいくつもあった。

 神や信徒の事情、心情に通じていること。セルフィラと戦ったという事実。そして――彼女の剣を覆った、銀色の光。銀色と金色は、女神の魔力の象徴である。


 セルフィラは絶対的な悪ではない。そう言いながらも彼女らと戦ったのは、その魔力と宿命ゆえなのか。少年の鋭い指摘に、けれど軍人は、目もとをゆるめた。

「あたしね、成績悪かったのよ」

「――は?」

 なんの脈絡もない言葉に、キリクは呆然と反問する。しかし、ステラは構わず続けた。

「宮廷騎士団――あ、皇室師団の前身の組織のことだけど――を目指してたのに、試験の点数は下から数えた方が早かった。そのたびに秀才のレクシオ君に泣きついて、綱渡りしながら、なんとか生き抜いてった。そんな学生時代だったわ。物事を論理的に考えるのが苦手だったのよね。今も苦手だけど。

 加えて言うなら、ラフィア神への信仰心はその頃から篤くなかった。帝国臣民の標準、くらいかしらね。形式として祈りはするけど、心から敬ってるかって言われると……ってね」

 やわらかい色の唇に、自嘲とからかいの混じった笑みがよぎった。

「そんな学生が、いきなり女神に選ばれたからって、使命感に目ざめるはずもないわ。自分のことで精いっぱいなのに」

 ステラはあっけらかんとしている。キリクがうまい切り返しをできず棒立ちになっているうちに、彼女の視線は通りの方に投げかけられた。

「あの頃の六人の間じゃ、あたしが選ばれたことは、今でも事故だって言われるくらいよ。もう一人にしたってそう。ラフィア様からしたら厳選したつもりでしょうけど、あたしたちにとっては偶然以外の何ものでもなかったわ。そして、『翼』の自覚もないまま、ずるずると戦いに巻き込まれ……気づけば、主神の妹以下神様たちと戦争、ってことになってた」

 本当に困った、とばかりに語る彼女の横顔に、けれど気負いの影はない。キリクは悩み、言葉を探して、結局はさいぜんと同じ問いを繰り返すことになった。つまり、「どうしてそんな状況で、セルフィラと戦ったのか」と。ステラは、ほんとにそうよね、と笑い飛ばした。その後にふっと、まじめな表情を作る。

「どうして戦えたのか――あたしも、後になってから、いっぱい考えた。で、結論は、馬鹿みたいに単純だった」

 沈黙の後、唇は、穏やかに動く。

「死にたくなかったから。そして、友達を死なせたくなかったから」

 ひゅ、と空気が鳴る。息をのんでいたのだと、遅れてキリクは自覚した。

 どうすることもできなかった。もう質問を重ねる気持ちは消えている。キリクがそうして立ち尽くしているうちに、ステラの方が勝手に話を切り上げてしまった。伸びをして深呼吸した彼女は、振り向きざま、キリクの胸を軽く小突いた。「わっ」と声を上げたキリクに向けられた顔は、悪戯小僧を思わせた。

「だからさ、キリク君も、考えすぎない方がいいと思うわよ。理由はいつでも単純なんだから」

「いつでも単純、ですか」

「うん。頭やお尻に理屈をくっつけたがる人もいるけどね。それを取っ払えば、後に残る理由なんてちっぽけなもんよ」

 だから肩の力を抜いていけ。ステラはそんなようなことを言うと、馬車の通りすぎた道に元気よく踏みだしてゆく。キリクも慌てて、後を追った。

「ねえ。君はこのあと、予定があるの」

 振り返らず、彼の上官は訊いてくる。キリクは軽く笑って、「いえ」と首を振った。

「とりあえず、寮に戻ります。……それで、久しぶりに、実家への手紙を書こうかと」

「お、いい心がけね。実家との連絡はつけておいた方がいいわ。一度ご無沙汰になると、後が面倒だから」

「ご忠告、痛み入ります」

 キリクがわざと慇懃に言うと、ステラは少しだけふてくされたような空気を醸し出した。実家と揉めたことがあるのかもしれない。彼女の表情を勝手に思い描いたキリクは、久方ぶりに、穏やかな微笑を口もとに刻んだ。

 寮に戻って、手紙を書いたら、聖典をすみずみまで読んでみよう。そう、心ひそかに決意する。

 もしかしたら、ほんの一片でも、セルフィラの記述が残っているかもしれない。それを読みとけばセルフィラとその信者に――導師の少年の思いに近づけるかもしれない。

 知ってどうするのだと、あざけってくる自分もいる。

 構うものか。知りたいから、知る。それで十分だ。理由はいつでも単純なのだから。

 キリクは己に強く言い聞かせ、力強く地面を踏みしめた。

 石畳からは水のにおいが立ちのぼってきた。もうすぐ雨が降るかもしれない。爽やかな夏にはまだ届かぬ、雲と雨の多い季節である。けれども、少年の心には、一筋の光が差しこんでいた。


(旭日落涙・完)

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