5-4 旭日落涙

 銀の光が、獣を薙ぎ払う。魔獣どもは身の毛もよだつ悲鳴を上げたが、血のしぶきが激しくなるごとに、その叫びは小さなものとなった。対峙する女性は瞼さえも動かさず、剣を手にしたまま体を反転させる。相方の背に食らいつこうとしていた一頭を、たったの一突きで仕留めた。神のたまわり物、という呼び名がばかばかしくなるほどたやすく葬られる獣どもを目にして、夜色の衣の魔導士たちも、さすがにひるんでいた。

 ステラ・イルフォードの存在は、帝国の若い世代の中で「強い女性」の代名詞となりつつある。その一番の理由が、卓越した剣の腕。

 魔導士たちもそのことは知っていたが、話に聞くのと実際に見るのとではわけが違う。彼らはこの短い時間で警戒心を最大にまで高めた。特にファーガソンは、その変化が顕著であった。血走った目を娘と呼んでもよい剣士に向けると、声を出さず、魔導士たちに指示を出す。つまり、あの女を狙え、と。

 ステラはそれに気づいていなかった。気づいていなかったが、予想はしていただろう。それでも振り向くことをせず、黙々と魔獣相手に剣を振るう。

 華奢な背を狙い、夜色の中から魔導の光が殺到した。だが、それは、ステラの背に到達する寸前で、弾かれて溶けた。術を弾いた金色の幕が音もなく消えてゆく。――やったのは、言うまでもなく、レクシオだ。彼は魔導士たちの視線を受けると、あえて挑発的な笑みを浮かべる。彼らの反応を待たずして、鈍く光る鋼線を振った。それは何人かのこめかみや顎を強打し、彼らを行動不能にする。

 ステラとレクシオ。互いの背中が、再びぶつかる。

「よう。調子はいかがかね」

「まあまあね。部下と誰かさんのおかげで」

「そりゃ重畳ちょうじょう

 鋼線と剣を振るいながら、ささやきを交わす。魔獣の群が途切れたとき、栗毛がふわりと動いた。レクシオは、やや鋭い視線を感じて、取り繕った笑みを浮かべる。

「ところでレク、導師はどうなったのよ」

「ノーマン一等兵なら、キリク君が相手してる」

 隊の新兵の名前が出たからか、ステラは息をのんだ。しかし、次には非難がましい声がレクシオの耳を打つ。

「キリク君って、じょ、冗談でしょう!? 彼は戦ったことなんてないのよ」

「わーかってるさ。でも、彼自身が望んだんだよ。友人だから、けじめをつけたい、って」

 青年は肩をすくめる。炎を目にとめ、ついでに鋼線を振った。銀色の糸はあっさりと炎のかたまりを打ち消す。術をかけていたおかげか、金属が熱を帯びたのは一瞬のことだった。

 その間、ステラの言葉は返らなかった。

 どうせまた、あれやこれやと柄にもなく、難しいことを考えているのだろう。学生時代からの付き合いであるレクシオには、それが手に取るように分かるのだ。苦笑したレクシオは、声を励ました。

「心配しなくても大丈夫さ。俺も彼を死なせる気はない。そのために、渡すものも渡したし」

「渡すもの?」

 魔獣の断末魔に一瞬気を取られた。その後、ステラはレクシオの言葉を反芻する。レクシオは、目だけで彼女を振り返ると、いつもの表情を作ってみせた。それからふと、予感にかられて天をあおぐ。

 瞬間、白みはじめた空に、甲高い発砲音がこだました。

 誰もが息をのみ、つかのま、戦場が停滞する。まっさきに動いたのは、レクシオと彼の魔導具を知るステラ・イルフォードだった。ひと息に魔獣三頭を屠ったあと、薄闇をにらんだ。

「遊撃隊、セレスト一等兵を援護しろ!」

 凛とした声が、薄明の戦場に響き渡る。了解の声は返らなかったが、遊撃隊の機敏な動きは隊長の指示によく応えた。軍人たちの掛け声で我に返った魔導士は、当然何が起きたか慌ただしく推測する。青ざめたファーガソンが、魔導士たちを振り返った。

「導師をお助けするぞ」

 こちらも応答の声は上がらない。彼らは、いたって静かに動きだした。同時、レクシオも後を追って駆けだす。彼は、黙ってディーリア中隊への妨害を許すようなたちではなかった。術で鈍くした鋼線を振るい、魔導の網を投げて、魔導士たちを止め、時には進路をふさぐ。

 しかし、彼の立ち回りにも限界があった。レクシオの術を切り抜けた魔導士たちは、すぐにディーリア中隊の遊撃隊とぶつかった。やっかいな魔獣をひととおり片付けたステラが事態を察して、苦々しい表情をしたレクシオに追いついてくる。彼は必死で乱戦の中を動き回っていたが、いかに強力な魔導士でも、一人で収められる混乱ではなくなっていた。

 魔導士と兵士が次々と衝突する。銃声と爆音が、そこかしこで連鎖した。

 レクシオが、ステラに向かって首を振る。彼女は強くうなずいた。それから大声で隊士たちに呼びかける。隊長の顔を取り戻したステラのもとへ、戦場をくぐってアリシア・ブレンダ軍曹がやってきた。そこまでを見届けると、レクシオは戦場を離れて木にのぼる。枝と枝を飛び移りながら、浮き立つ赤毛を探した。

 若草の瞳はやがて、不自然に夜色が群れているところを見つける。ひと呼吸置いてから、彼は魔導術の光を生み出し、地に降らせた。連続する白の瞬きの中で悲鳴が上がる。同時、レクシオは木からとびおりた。

「無事か」と誰にともなく叫びながら駆けよれば、草地のまんなかで、葉と土にまみれた少年二人が軍人に囲まれていた。



     ※



 駆けつけたレクシオの声を聞く頃には、キリクはクリストファーから引き離され、逆にクリストファーは上官たちに取り押さえられていた。精根尽き果てたのか、単にあきらめたのか、赤毛の少年は抵抗する様子を見せない。ぼんやりとそれをながめていたキリクだが、足音を聞くと、立ち上がる。髪の毛や服に草のかけらがひっついていたのは分かったが、わざわざそれを払う気にはなれない。

 キリクが緩慢に振り向けば、外套のフードを目深にかぶった青年が立っていた。布の下から、緑の瞳が憂いをたたえて見つめてくる。曖昧に笑いかけた少年は、なんとはなしにまわりへ視線を投げた。

 空が明るくなってきている。騒ぎの方も少しずつ収まってきていた。頭目である導師が軍人の手中に収まったからだろうか、魔導士たちも戦意を失くしている。投降の意志を示す者も多かったが、同じくらいかそれ以上、ひきつった声がこだまする。下草が新たな血を吸って湿り、鉄錆のにおいを振りまいた。

「……ま、止めきれないだろうな」

『ヴィナード』が呟く。その声は苦渋と虚無感に満ちている。キリクは思わず気遣って見やったものの、年上の青年にかける慰めの言葉は持ち合わせていなかった。少年が茶色い頭を振ったとき、青年は薄い笑みを刷いて彼に目を向けてきた。

「なんとか、乗り切ったみたいじゃないの」

「……はい。ありがとうございます」

「気にすんな。あと、あの魔導銃もあげるから。威力が弱くなったら、持ってきてくれれば調整もするし」

 キリクは、ハシバミ色の目を瞬いた。青年は不敵に笑む。

「先行投資、って言ったろ? せいぜい有効活用して、名をあげて。そのあとにうまい飯でもおごってくれりゃ十分だ」

 ぬけぬけと言った彼の顔に、偽りの気配はない。すべてが本心かどうかは判然としないが、とりあえずうなずいておいた。

 軍人の鋭い怒声が聞こえてくる。二人は同時にその方を向いた。青年はその場で背を向けたが、逆にキリクは声のした方へ駆けだす。ディーリア中隊の隊士が、三人がかりで導師を引き立てているところだった。

「クリス!」

 名前を呼んで、すがる思いで目を向ける。先輩たちは揃って彼を止めようとしたが、キリクは構わなかった。振り向いたクリストファーの、その視線の上に立つ。

「キリク」

 彼は、力の抜けた声で少年の名を呼ぶと、ふっと笑った。

「心配しなくても、俺は自分で命を絶ったりしないよ。それが、俺にとってのせめてもの抵抗ってやつだ」

 呟きは虚しかった。キリクは言葉に迷い、顔をゆがめる。

「そうじゃ、なくて」

「あと、あまり俺に近づかない方がいい。あらぬ疑いをかけられたくは、ないだろう」

「クリス」

 一方的に話を打ち切ろうとするクリストファーをきっと見すえ、キリクは語気を強めて呼びかけた。そこでやっと、彼は目を瞬き、口をつぐんだ。木々の隙間からうす青い空がのぞく中、キリクはただ、相手の瞳だけを見ていた。

「……おまえは、最初から最後まで、導師だったのかもしれない。けど、俺は――俺は、おまえのこと、仲間だと思ってた。同じ屋根の下で過ごして、同じ飯を食って、同じ訓練をした。馬鹿な話で盛り上がって、励まし合った。俺にとっておまえは、仲間で、親友だった」

 胸が締めつけられる。うずくまってしまいたい。それでも、少年は、笑った。

「教会の息子にこんなこと言われて、迷惑だよな。でも、俺はずっとそう思ってたし、これからも、そう思ってる」

 沈黙が落ちた。そして、導師は顔をそむけた。かたわらの軍人になにかを言う。クリストファーは、軍人に引きずられるようにして、歩きだした。キリクは手をのばす。けれど、途中でその手を止めて、うなだれる。

 もう、届かないのだ。きっと、永遠に。

 キリクは唇をかんだ。その耳に、土をこする音が響いた。キリク、と、やわらかい呼び声が降ってくる。

 クリストファーが振り向いていた。そして、ほほ笑んでいた。小心者の新兵の笑顔だった。

「確かに、教会の息子の君は敵だけど。キリク、おまえは俺にとっても、友達だよ――きっと、これからもずっと」

 彼は再び、前を向いた。赤毛がそよ風に揺れる。そばかすの散った顔は、もう見えない。キリクが何かを言うより早く、クリストファーと軍人は、遠ざかっていく。長くのびていた影すらも、やがては薄くなり、草の中に消えてゆく。それでも、キリクは見送った。彼の足音の名残がすべて、消えるまで。

 導師が連行されると、あたりはにわかに騒がしくなる。キリクは深く息を吐き、振り返った。あたりを隊士が行き来しているが、黒い外套をまとった青年は、いつの間にか姿を消していた。呆然としていたキリクは、すぐに、まぶしさに目を細めた。

 木々の隙間から、明かりの筋が差しこむ。戦いの終わりと、一日の始まりを告げるように、丸い太陽が顔を出していた。朝を迎えた空は、生命を吹き込まれたかのごとく色鮮やかになった。

 旭日きょくじつは、立ち尽くす少年をも照らす。うるんだハシバミ色を撫ぜる。光は彼の足もとに白い涙を一粒、落とした。

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