3-3 灰色に想う

 予想外の任務の後、予想外に時間が空いた。というのも、その後予定されていた訓練がすべて中止になってしまったのだ。「緊急任務で上官が出払うため」としか説明されなかったが、キリクにはその詳細の予想がつく。ここ最近の、セルフィラ絡みの事件に進展があったのだろう。

 本部内に大きな乱れはなかった。兵士たちは喜びと不安がないまぜになったささやきを交わしながらも、方々に散ってゆく。ある者たちは武器の手入れに取りかかり、ある少年たちは自主訓練に向かう。そうでない者たちは、これ幸いと延長した休憩時間を満喫しているようだ。

 そんな中でキリク・セレストはどうだったかというと――全く別の任務を課せられることになった。

「隊長に市街の巡回を頼まれたんだ。君たちも一緒に来ないか?」

 キリクたち少年兵は、ヴィナードと別れた後、先輩兵士にそう声をかけられた。突然の誘いに驚き、三人の少年はお互い視線を交わしあう。彼らのもやもやした心のうちを見透かしたのか、明るい色の髪を後ろで束ねた先輩は、ことさらに陽気な笑顔を見せた。

「巡回といっても、警察官のおまけみたいなもんだよ。ちょっと堅い散歩くらいに思ってくれて大丈夫だ」

「うーん……」

 クリストファーが、首をひねる。彼はキリクたちを振り返り、「どうする?」とささやいた。

「いいんじゃないの。やってみよう、巡回」

「同意。どうせこれも命令のうちなんだろうし」

 二人は消極的に、先輩の提案を受け入れた。ロベールが言ったのは、先輩兵士が彼らを巡回に誘うことじたい、上官の誰かに命令されたことなのではないか――ということだろう。

「……なるほど!」

 遠回しな命令、という可能性に思い至らなかったのだろう。クリストファーはしきりにまばたきしながら、感嘆した。キリクとロベールは苦笑して、肩をすくめる。

 ともかく、少年たちの答えは決まった。大急ぎで寮に戻って準備を整え、取って返す。先輩と四人、しばらくぶりに街へ繰り出した。

 騒がしく、陽気で、それなのにどこかほの暗い。帝都市街の様子は、この前の休日とはまた違った風景に思えた。キリクたちの状況が違うからか、別の原因があるからか――理由はきっと、誰にも分からないのだろう。

 ひとつ確かなことがあるとすれば、人々の軍人を見る目はとても厳しいということだ。休憩中の作業員も、肉と野菜を詰め込んだ買い物袋を抱える婦人も、若い犬を散歩させている男性も、キリクたちの姿に気づくと湿った視線を向けてくる。あるいは、気まずそうに避けていく。

 反応ひとつひとつを見るたび、キリクは胸のあたりに何かがうごめくのを感じた。さりげなく左右に視線を投げれば、クリストファーとロベールも顔をしかめている。大なり小なり居心地の悪さを感じているのだろう。

 だが、先輩の兵士は人々の目をさほど気にしていないようだ。くすぶる悪感情をすり抜けて、どちらでもない人には声をかける余裕もあるようだ。小さな鞄をさげた少年に新聞を突き出されると、それを受け取って小銭を差し出していた。少年に手を振る兵士の後ろ姿をながめ、少年たちは思わず顔を見合わせる。

 気まずさと先輩の偉大さを感じながらも、巡回はつつがなく進んだ。幸い、軍人が割り込まなければならないような事件は起きていないようだ。軍部まわりは何かと騒がしいこの頃だが、街の営みは簡単には崩れない。人々のたくましさに、キリクは温かい微笑を誘われた。

 太陽が傾きはじめた頃、少年と兵士一人は小さな教会の前で足を止めた。小休憩である。どっしりと佇む教会を見上げ、ロベールが息を吐いた。

「こんなところに教会なんてあったんだなあ」

「ここの神父さん、街の人に評判らしいよ。話が分かりやすいって」

「へえ、そうなの? なんでノーマン、そんなこと知ってんだ?」

 クリストファーの解説にロベールが食いついた。少年兵たちは、なぜかそのまま教会談義を始めてしまう。呆れながらその姿を傍観していたキリクだが、先輩の声に肩を叩かれた。

「セレスト一等兵は、教会に興味ないのか?」

 明るい碧眼を細める兵士。その姿をじっと見上げたキリクは、同期たちの様子を確かめてから口を開いた。

「興味はないですよ。今さら尋ねる必要がありますか? オルディアン連隊長」

 少年の鋭い言葉を真っ向から浴びて、男は軽く目をみはる。意外そうな表情は、見覚えのある笑みに取って代わった。

「なんだ、気づかれていたか」

「明らかにほかの兵士と空気が違いますから」

「そうか、困ったな。おちおちお忍びもできない」

「お忍びしなくていいです。第一、なんで連隊長がここにいらっしゃるんですか?」

 キリクが爽やかな笑顔をねめつけて問うと、アーサーはわざとらしく顎に手を当てる。

「実地調査という奴さ。ここ最近の事件に関わるセルフィラ信徒が、どこに潜んでいるか分からんからな」

「連隊長の仕事じゃないでしょうに。外出なさってる間に、本部で何かあったらどうするんですか」

「やらなければならない業務は済ませてきた。緊急事態になったら連絡がくるようになっている。君に心配されるほどのことはない」

 ほほ笑みながら、彼は荷物の端から何かを取り出した。黒い直方体。それが何かを察したキリクは、沈黙する。アーサーがここにいるという状況について、もっと何かを言わなければいけない気はするのだが、いかんせんよい反論が思い浮かばない。

 しかめっ面で黙っている少年を見下ろし、第一連隊の隊長は笑みを消す。

「君は、イルフォード中尉に似ているな」

「え? どこが、でしょうか?」

「丁寧な態度で小言をぶつけてくるところが、そっくりだ」

 なんだかひどい追い打ちだ。キリクは今度こそ無言になってしまった。

 折よく、と言うべきかどうか、、とにかくこのとき、クリストファーの声がかかる。

「先輩! キリク! 行きましょうよ」

「――ああ、そうだな」

 アーサーは、さっと兵士の仮面をかぶり、手を挙げた。その態度の変わりように文句を言いたいが言うわけにいかず、キリクはうなずいただけだ。

「先輩」は少年二人の方に歩み寄ると、教会の入口を手で示す。いちいち優雅な所作に、キリクはひとり顔をしかめる。失礼かもしれないが、少し腹が立った。

「そろそろ本部に戻ろうと思っているけど、その前に。教会の神父様に挨拶だけでもしていこう」

「そうっすね」

「そうしましょう」

 クリストファーとロベールはすなおにうなずいた。キリクは、彼らの注目がこちらに集まるより早く、さっと手を挙げた。

「あっ。じゃあ、俺はここで見張りやってます」

「そうか。なら、よろしく頼む」

 アーサーはさらりと答えてくれたが、教会に入る直前、思わせぶりな視線を向けてくれた。――いや、ひょっとしたらそれは、気まずい思いをした少年の錯覚だったのかもしれない。

 三人の姿が、建物の奥へ消えていく。そして小さな話し声が聞こえだした。

 キリクは、ふっと息をついて、白い壁にもたれかかる。

 壁と頭がぶつかった。なんの気もなしに上を見る。三角錘の屋根と、鐘撞かねつきであろう、へこみが視界に入った。一見、灰色に見える屋根。しかし、素材によっては色々な色が少しずつ混ざっていることを、司祭の息子は知っていた。

「きれいな建物だなあ……くらいにしか、思わなくなったもんだな」

 自嘲で味付けた呟きを、少年は口の端に乗せる。


 喧嘩別れ同然の状態で家を出て、帝都まで来て、軍に入った。それから二年にはなるか。それだけ経てば、すさんでいた心も落ち着く――ものなのだろうか。

 少なくともキリクにとって、二年という時間は、そこそこの薬だったのだ。帝都に来た当初は、教会の建物を見ただけでも気分が悪くなっていたのだから。


 キリクが感傷に浸っているうち、足音が戻ってきた。思いのほか早いな、と思いながら身を起こす。そして戻ってきたのがクリストファー一人だと分かって、もうひとつ意外だった。

「あれ? クリスだけ戻ってきたのか?」

「うん。『キリク一人じゃ不安なので、俺も外で見張りします』って言ってきた」

「おまえ後で覚えとけ」

 キリクがうなれば、クリストファーは笑って顔の前で手を振った。

「建前だよ。実は俺も、教会がちょっと苦手なんだ。雰囲気独特だし、堅苦しいでしょ?」

「……そうなのか。なんか意外だな」

 釈然としないながらも矛を収め、キリクはまた壁にもたれた。クリストファーは相変わらずにこにこして、彼の隣に歩いてくる。この態度は、豪胆なのか、単に空気を読んでいないのか――出会った頃からキリクが抱いている疑問は、そろそろ疑問から謎へ進化しそうだ。

「そういや、キリクのお父さんは司祭なんだっけ? でも、教会苦手なんだな」

「だから苦手なんだよ。たぶん」

「ふうん。そういうもん?」

「だって、想像してみろよ、クリス……」

 ため息をついたキリクは、無意識のうちに腕を組んでいた。半分ほどに細めた目で、そばかす顔の友人を見やる。

「毎日毎日、好きでもない聖典を暗唱させられ、作法にケチつけられながらお祈りさせられ、勉強の合間には教会の掃除をさせられる。遊ぶ時間なんか、もらえやしない。そんで週末には、大人の神官と一緒に退屈なお話を聞かなきゃならないんだ。しかも、俺の場合、いつも跡継ぎになる気満々の兄貴と比べられる一大特典つき。嫌気も差すってもんだろ」

「…………それは、確かに……嫌かも」

 いつものほほんとしているクリストファーが、頬をひきつらせる。目と口の形は笑顔だったが、心には冷や汗をかいているのだろう。彼をおびえさせるつもりはなかったが、結果としてそうなってしまったことに、キリクは申し訳なく思った。しかし、ここで謝るのも変な気がする。悩んだ結果、言い訳がましいことを付け足した。

「別にラフィア神やお祈りが嫌いなわけじゃないんだ。むだに堅苦しいのが嫌なだけで」

「じゃあやっぱり……セルフィラだっけ、あの神様も嫌だと思う?」

 クリストファーがそんな質問をくれるのは、珍しいことだ。だが、それもこんな状況だからだろう。キリクは虚空を見つめ、組んでいた腕をとく。

「どうだろうなあ。嫌ってのは違う気がする」

「そうなのか?」

「邪神って言われてはいるけど、どこがどう悪いのか、ほとんど教えてもらってないからな。知らないものを嫌がりようがないだろ」

 なるほど、と相槌を打つクリストファーの声は、いつもと違う響きを持っていた。ようやっとそのことに違和感を抱いたキリクは、友人に顔を向ける。しかし、その時にはもう、いつものクリスの顔になっていた。アーサーとロベールが、戻ってきたところだった。


 巡回は平和に終わりそうだ。神父への挨拶と注意喚起も済ませた。そういう理由もあって、四人とも、その通りを歩いている間は機嫌がよかった。キリクは、アーサーに対するわけの分からない反感と戦っていたのだが。

 それでも心のうちを少し吐き出したからか、すっきりとした気分だった。

 悲しいことに、すっきりとした気分は長続きしない。本部へ向かうために大通りへと踏み出したところで、非日常な騒音が心を凍りつかせた。端的に表すなら、それは怒鳴り声。アーサーが目を細め、一歩を踏み出す。

 連隊長の背後から、キリクはそっと騒ぎの方をうかがった。ちょうど、広場の出入り口。そこに人だかりができている。よく見ると、人の群れは、二つに分かれていた。

 拳をにぎる。嫌な予感が駆け巡る。

 その予感は、的中した。

「セルフィラ神が、再び我々に加護を与えてくださるに違いない! 先の事件はその前兆なのだよ! ああ、我らが女神に栄光あれ!」

 人だかりの中から、高い声が上がる。その声は、ぞっとするほどの熱をはらんでいた。

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