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カゲトモ

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 しとしとしと。

 窓の外はゆったりとした雨。しとしと、と言う言葉がぴったりと合う。

 この言葉を最初に使った人って凄いなぁとふと考える。弱く降る雨の音を聞いて、しとしと、という言葉を口に出せるなんて。なんて柔軟で素敵なセンスだろうか。俺には無理だと思う。

 昔の人は凄いなぁ。

 なんて、センチメンタルか。雨はきつくなくても外の気温はとても低い。今日は特に朝から太陽が出ていなかったから早い時間から暗くて、そんな日はだいたい客入りが悪い。

 数人のお客様と、ジャズ、それから小さな雨音。店の中はそれだけの空間だった。時折グラスをテーブルに置く音くらいのもので、街の至る所で鳴っているようなソシャゲの音なんて野暮なものは絶対に流れない。敷居の高いバーでもない俺の店でも、お客様は何も言わずにそうしてくれている。それがバーに飲みに来るマナーだとでも言うように。

 話し、酒、音楽、時間。それ以外の楽しみはNG。取り決めなんてしていないけど、正直嬉しい、なんて。

 憧れたマスターのお店がそうだったから。

 俺はこの空間がとても好きだ。

 かろん。

「いらっしゃいませ」

 グラスを拭いていた手を止めて扉に向かう。

「おや」

「こんばんは」

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 こつん、こつん。真紅の厚底の靴を鳴らして彼女がスツールに腰かける。少し背の低い彼女にはスツールが高すぎるかもしれない。小さく「っしょ」と聞こえた。

「雨、大丈夫でしたか?」

「はい、傘、差して来ましたから」

「お召し物、濡れませんでしたか」

 そう言ってそっとタオルを差し出した。

「あ、ありがとうございます。助かります」

 彼女はうっすらと口角を上げて白い腕を伸ばしてタオルを受け取った。

「今日も雨でしたね」

 彼女にタオルを差し出したのはこれで二度目だ。

「あ、ふふ、はい。憶えていて下さったんですね」

「貴女のような可愛らしいお客様は忘れたりしませんよ」

「え、ふふふ」

 彼女はコロコロと笑う。その容姿はまるで美しい球体関節人形のよう。陶器のように滑らかな白い肌、肩で切り揃えられた艶やかな黒髪、黒真珠のような瞳、赤いリップ。纏っているのはスモーキーベージュの上品なワンピースで、ワインレッドのリボンがアクセントになっている。今日はヘッドドレスではなく、リボンの付いたベレー帽を被っていた。

彼女の周りだけ、なにか特別な空気が流れているような気がする。

「あの、プリンセス・メアリー、お願いしてもいいですか」

「気に入って頂けたようで何よりです」

「何度でも飲みたいです」

「嬉しいことをおっしゃってくださいますね」

「ふふふ」

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