メメントモリオ!!!!

殻半ひよこ

【プロローグ(#009) 悪友と、ありふれた夏の一日】

001→【夏休み、水面に浮かぶ馬鹿二人】



 七月十九日。

 夏休みが始まった、終業式の日。

 学生服も着たままで、馬鹿がプールに浮いている。

 つまりは俺が、空を見ている。


「なあ、山田やまだ


 呼び掛けに応えて、水面から新たな顔が浮かび出る。

 

「なんだい、杜夫もりお


 そう微笑む奴こそまさに、水の滴るなんとやらだ。

 整った目鼻立ち、甘い声、白い肌、そして何より午後の光に輝く髪――いや、非常に申し訳ない。

 こういうロケーション、相手が美女なら相応に絵になるだろうに、いるのは俺みたいなので。


「後悔してるか、こんな状況になっちまって」

「全然」


 背から倒れ、仰向けになり、俺たちは揃って雲一つない空を見る。


「人生はこうでなくっちゃいけない。これだから面白い。僕ぁね、最高の気分だ。やるべきことをやった。やりたいことをやった。後悔なんてするはずはない。問題があるとするなら、確かに、どうやってここから脱出しようかってことだよね」


 そこまで言ったところで。

 にわかに聞こえてきた足音に、俺たちは同時に、示し合わせたように潜水した。


「おぉぉおおい! いたか、あの変態共は!」

「いや、入り口には鍵が掛かってる! 荷物も無いし、フェンスをよじ登った形跡もない!」

「あぁもう忌々しい! 出るんだよな夏が来るとああいう手合いが! このクソしんどい時に何をハッスルしやがってんだってんだよ!」

「騒ぐな騒ぐな、うっとうしくて余計暑い! 俺はこのまま裏門のほうにいくから、そっちは正門側に回ってみてくれ!」

「最っ低だよ……追い詰められたからって普通、小学校に逃げ込もうなんて考えるかね……」


 ――次第に遠ざかる、何人もの声と足音。周囲を伺い、人気が失せたところで顔を上げて、思いっきり息を吸う。

 今のはおそらく――教師陣と、町会の青年団か。まったく忌々しいしつこさだが、しかし。


「ククク……甘いなァ、甘い甘い。入り口? フェンス? それだけチェックすればオッケーと思うなんてのは、まさしく油断よ……」


 人生とは、過去にしておいたどんなことがいつ役立つかわからない。

 まさか在学中は完成が遅れ使う機会のなかった、外から更衣室床下に抜ける秘密のルートを使う機会が、卒業から四年後に巡ってくるとは思わなかった。


「結論が出た! どうやら今の僕らはツイてるぞ、杜夫!」


 胸から下を水面に隠したガッツポーズ。


「そうとわかればこうしちゃあいられない! そうとも、閉じ込められてなんていられるか! だって、夏は有限で、青春はひと時なんだから!」


 恐れも知らず、迷いもせず、山田は水から上がり、腰に手を当て、胸を反らして、空を仰ぐ。

 滑りやすいプールの縁で、キレッキレのブーメランパンツを履いた尻が。


 ――そもそも、こうなった経緯というのが、実にくだらない。

 数時間前、夏休み突入の終業式を終え、俺たちは普段通りに中庭でダベり、こんな話をした――


『なあ山田。もし、今日死ぬとしたら、おまえ、何かしたいことある?』

『童貞を捨てたい』


 驚くほどの脊髄反射、動物的模範解答。

 潔すぎる欲望に感服した俺は、『よっしじゃあ夏の開放感で身も心も股も緩くなった美女をゲットしよう』と、そのままナンパに繰り出した。


 そう。

 気温三十度越えの今日、誰もが集まる涼の穴場――

 ――市民公園の、なんか地面からパーって水が噴き出てる、子供とかが水着とか来たりしてはしゃいでるヤツのところへ。


 何度考えても着眼点はよかった。

 というのも、普通のプールや真っ当な攻め方では、俺はともかく山田の主義――『真実の愛は奇行の中から生まれ来る』に反するからだ。


 我が悪友とも山田、この男といえば、真っ当な恋というものを信じられない悲しき心の傷を背負ってしまっている。

『変わった自分を受け入れてくる相手こそ求める伴侶』であると信じている。


 友人の主義に口を挟めるほど自分が品行方正である自惚れも無い。

 俺はただただ友人の決意に付き合い、『ブーメラン山田In市民公園の水がバーッと噴き出てるところ』を決行し、


 そして順当に警察が呼ばれた。

 世界はやさしくなんてなかった。


 俺たちは逃走を余儀なくされ、途中川を越え、林を抜け、それでも追跡を緩めない、どうも俺たちを最近街で有名な不良グループの一員だと勘違いしているらしい警察の方々の猛追たるや凄まじく、『これはもう誤解が解けるまで身を隠す他に無し』と、かつて通い慣れた小学校のプールに命からがら潜伏することになったのだった。


 ――というのが、ここまでのたのしいたのしい経緯です。なので俺は、初期状態からしてブーメランだった山田と違い、学生服の夏服のままずぶ濡れなのです。。

 いやあ、夏休みに突入した、解放感全開のテンションってこわいねえ!


「気の置けない友人と二人で水遊びも実に楽しい! だが、ここには決定的なモノが足りない! そう思わないかい!?」

「わかるよ。すなわち、女のケツとでっかいオッパイだな」

「それでこそ!!!! ここまでの真実がわかっていて、これ以上ぐだぐだしていられるか! 脱出、いいや、僕たちを取り囲む壁を、突破していこうぜ杜夫!」


 懲りに無縁、反省ゼロが美点で長所(本人談)。

 山田が今日も変わらぬ、後ろを見ない前向きさで振り返りつつ、力強くサムズアップした。


 そんなことするから、当然のことになる。


「あ、」


 足を滑らせ、肩から水面に落下する。水柱が立ち、激しい音が鳴り、


「いたぞぉおおおおッ! あ、あ、あいつら、ぬけぬけと、プールなんか入ってやがった!」

「ふざけんなっ! こっちがどんなに苦しみながら探してたと思ってんだあの馬鹿どもは!」

「捕まえろッ! 即刻捕らえて、焼けるグラウンド百周引き回しの刑に処せぇぇえぇえっ!」


 一瞬で頭が冷える。

 初手、沈んだ馬鹿をサルベージ。更衣室に飛び込み、奥の床板を引っぺがして床下に逃げ、賊を包囲せんと息巻く集団を回避して、


「よう。お久し振り、馬鹿共」


 まんまと頭を出した先で、目が合った。

 逆光を浴びる、身長百七十越え赤ジャージ。

 Lサイズで尚隠せない、内側から押し上げる鍛えられた肉体の圧――登場、燃える炎のメスゴリラ。


「――いやあ、本当、お元気そうで何よりです、武中たけなか先生」

「うん。元気だ。おまえらが卒業してからも、ずっとずっと元気だぞ、こっちは」

「ところでですね、俺が思うに、昨今の教育事情というのはまこと厄介の一途を辿り、」

「安心しろ」


 と。それはそれはもう心臓が潰れそうなぐらいに恐ろしくにっこりと、


「卒業しようがどうなろうが、一度受け持ったからにはおまえらは一生自分の生徒だよ、山田と杜夫ヤマモリコンビ。そして、あの時から一切変わらず――」


 ええ、存じていますとも。


「――自分は、世間や親の苦情怖さに、叱るべきところで子供を叱らないことはない」


 振り上げられる拳骨アイのムチ

 鉄格子の外れた通気口から上半身を出し、後ろにはもう一人の馬鹿が詰まっていて、どうにも逃げ場のない脳天に、


「この大馬鹿共がッ! 世間様を騒がせるのも大概にしろッッッッッ!」

「ひぎぃぃぃっ!!!!」


 夏の真昼に似つかわしくない星が、瞼の裏で瞬いた。

 ちかちか、くらくら、ふらふらする、ああくそもう、涙が出そうに懐かしい――


「――い、ぃ、…………ぃよぉいしょぉーーーーっ!!!!」

「セイッ!!!!」

「きゃんっ!?」


 やってやった。打撃を受けても怯まず、というより“くる”とわかっていた分だけ心構えがあり、反撃に転じられた。

 拳骨を食らった瞬間、足でひそかにサインを送り、山田に足を思い切り押してもらった。絵としては、馬鹿が一匹通気口から発射されたかたちである。


 あまりに想定外だったのだろう、奇妙で小癪なありえない飛び出しをしてきた俺に足を掴まれ、タケセンは哀れ尻餅という寸法よ!

 さぞかしヤワらかいものができるでしょうなあ、そのでかい尻でついた餅は!


「こ、この、待て、待ちなさいヤマモリ……ッ!」

「残念に御座る先生、我々影に生きる者にて! 今宵は失礼仕る!」

「いや知らなかった、結構可愛い声出すんですね先生!」

「…………ひぅッ!?」


 山田のお世辞とかじゃなくて百パー本音な意見赤面してガチっと固まるタケセンは、実際ギャップが素敵だよ!

 あっ、いやゴメン、これ言葉じゃなくて四年振りに再会した元教え子が立派に成長した破廉恥なブーメランパンツを見せたからかもしれないね!


「ま、ま、待てコラーーーーッ! 何はともあれ事情ぐらい教えんかーーーーッ!」


 すいません出来ません。何故なら絶対怒られるからです。

 夏休み、卒業した小学校のプールに真昼間から闖入した高校生共、なお片方は着替え無しで固定装備のブーメランパンツ――これはどんな正当性を語ったとて許されるものではない類の蛮行だったいうわかるぐらいには、ぼくたちおとなになったんです、先生。

 ただひとつだけ言わせてほしい。


「いや、それにしても山田!」

「うん。今日が、もうお休みで良かったね!」


 俺たちにだってありますよ、一応良心とか。多少は特殊ですけれど。

 流石に他の子たちがいる中で飛び込もうものなら、羞恥と罪悪感でどうにかな


 って、


「――――マジか、あれ」

「うん?」


 白昼堂々不埒な餓鬼共をとっ捕まえんと、警察や青年団の皆様方が、正面からやってくる。

 やってくるが、俺の視線は、別のほうを向いている。釘付けにさせられている。


 具体的には。

 懐かしき、通い慣れた校舎の、その屋上を。


「――悪い、山田。ちょいと急用が出来た。ここ、ちょっと頼める?」

「おいおい、マジかよ?」


 山田は肩を竦めて、


「そんなオイシイとこ、独り占めにさせてくれるわけ?」


 俺たちは拳を打ち合わせ、前と、横に別れて走る。

 まさか突入するつもりかあいつを止めろと声がする。そんなものより僕を見ろと馬鹿馬鹿しい叫びがある。


 昇降口に飛び込んで、走りにくいサンダルを脱ぎ捨てる。

 順路なんて、考えるまでもなく走る。

 六年通った母校を、懐かしさを感じる間も無く駆け抜ける。


 階段を、上がる、上がる、走る、上がる、そして、至る。

 形ばかりの立ち入り禁止、思い切りノブを回して開け放ち、刹那、吹き付ける風を受ける。

 夏の匂い、夏の気配。見慣れた屋上の景色、不意に胸を差す懐古。


 そして、そこにいる、初めての顔。


「よーう。ここ、いい場所だよな」


 信じられないものを見る目。有り得ない馬鹿を見る目。

 転落防止のフェンスを越えた、あと一歩で死ねる少女が、それはもう冷たい目で俺を見た。



    ●○◎○●


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