ファイル15「真相」


「もう卒業だから言うけど、実はずっと江崎さんのことが好きでした。卒業して離れ離れになるけど、もしよろしければ高校生になってもよろしくお願いします」


 七周目のループで、なおかつ三回目の告白ということもあり、告白の言葉はかなりスムーズに口から出ていった。まるで脚本に書かれている台詞を稽古によって馴染ませたかのような滑らかさだ。


 初めての告白は当然緊張するし、自分が何を言っているのかがわからなくなってしまう。でもそれが恋を楽しむ要素になっていることを、僕は三回目の告白で学んだ。なんというか、三回目となるとさすがに慣れてしまい、新鮮さがなく緊張感を持てなかった。どうやら告白は最初の一回が重要であり、何回も繰り返してするものではないようだ。愛の告白は鮮度が大事らしい。


 僕の告白に、江崎さんは心底驚いた様子だった。目を見開き、両手で口を覆って固まっていた。


「えっと、あの――」


 江崎さんはそのままの状態で反応するが、しかし一向に続く言葉が出てこない。そしてお互い身動きしないまま時間だけが過ぎていく。保健室の時計が刻む秒針の音がやけにうるさく聞こえる。


 とまあ、これまでと全く同じシチュエーションで告白したので、江崎さんの反応はこれまでの反応と全く同じだった。なのでこのあたりのことは割愛させていただく。重要なのは僕が江崎さんに告白したという事実を作ること。これによって、僕が抗うべき時間の数式が始まるのだ。


「――だから別に稲垣君のことが駄目とかじゃなく、その、時間が欲しいだけなの。稲垣君の気持ちにしっかり向き合えるだけの時間が、ね」


「そうか」


 僕は当たり障りのない返事をする。三回目の保留なので動じることはなかった。


「あ! でも、卒業式は明日だから、明日までにはちゃんと返事するから。一日かけて頑張って考えるから!」


 明日が卒業式で、それが過ぎればもう会えないことに思い至ったのか、江崎さんは慌ててフォローした。明日、ね。江崎さんが無事明日を迎えられるよう善処するしかない。


 というわけで、宙ぶらりんな状態となった告白のせいで、僕たちの間に妙な沈黙が支配した。そしてその空気に耐え切れなくなったのか、


「あ……えっと、じゃあ、明日。返事、必ずするから」


 いきなり立ち上がった江崎さんは僕を見下ろしながらそう言い残し、僕の反応を待つことなく逃げるように保健室から出ていった。僕は無言で見送る。


 その後教室へ戻るとホームルームがちょうど終わったところで、江崎さんは安西グループの面々とともに教室を出ていこうとする。そして安西グループはドア付近で僕を迎えに来た真音とすれ違い、集団最後尾にいた隠れオタクの三上が真音と小さな挨拶を交わす。


「……帰るぞ、慎也」


 三周目の遼にも催促され、真音と合流して下校。話の内容から歩き方までこれまでの再現をする。家近くの横断歩道前まで来たところで二人と別れた。


 直後、僕のスマホに着信が入った。スマホを取り出して表示を確認すると、遼からメッセージが来ていた。


『首尾はどうだ?』


 僕が保健室で江崎さんに告白している間、遼は何かの行動を起こすわけにもいかず、また状況を確認する術もないので、事情を知っている遼としては歯がゆい思いをしたことだろう。こうして別れた途端に状況確認してきているのが何よりの証左だ。


『今のところ問題ない。無事告白できた』


 僕がそう返事すると、すぐさま「グッジョブ!」と返事が来た。


 そんなこともありつつ、僕は帰宅後しばらく自室で待機することに。その間これからの行動のため休息をとる。そして日が暮れる少し前に遼が家に来て、僕の部屋を勢いよく開け放った。


「慎也行くぞ……お前、なんちゅう恰好しているんだ?」


 遼は開口一番そう指摘してきた。


「いや、寒いかと思って」


 何重にも重ね着をし、その上に厚手の上着を着込んでいる。さらに首元はマフラーでぐるぐる巻きにし、帽子も手袋も用意。その恰好のまま雪山にでも登山できるのではないかというくらいに重装備を僕はしていた。


「いやまあ寒いけどさ、お前、何? これからスキーでもしに行くのか?」


 僕だって好きでこんな格好しているわけではない。ループの間で江崎さんのマンションを見張ることがあったけど、そのときは寒さで断念してしまったからこれはその対策なのだ。一応この格好をするのは二回目だけど、でもタイムリープ新参者の遼は初見だった。そんなに変な恰好かな……。街中でここまで重装備しているのが目立つのかな?


「まあいい。行くぞ」


 比較的おしゃれな冬の装いの遼に促され、重装備の僕は家を出発した。そのまま二人で目的地に向かう。


「ここでいいのか」


 辿り着いた場所は、江崎さんが転落するはずの橋の下、縦長の巨大な池の周りに整備された公園内の東屋だった。


「ああ。ここでいい」


 遼は東屋のベンチに腰掛け、そして双眼鏡で橋の方を眺めていた。


「でもここからだと微妙に遠くない?」


「考えてみろよ。江崎があそこから転落して亡くなるらしいけど、その直前で俺らのことを見つけた江崎がなにか行動を変えるかもしれん。それで死ぬのを阻止できればいいが、事態が悪化したら元も子もない。ならギリギリまで見つからない場所で見守って、動きがあったら助けに行けばいい。幸いここからなら走ってすぐだ。途中で大声でもかけて近づけばなんとかなるだろ」


 遼はそう算段をつけていた。まあ、元バスケ部のエース様なら間に合うのでしょうね。鍛えられた体力と足の長さによる歩幅が僕とは違うからね。


 日が落ち薄闇に包まれた橋は、いくつもの街灯と行き交う自動車のライトで無駄に明るい。この橋は巨大な池とそれを囲う公園をまたぐように作られているため、必然的に転落した場所は橋の中央部分だと思われる。僕は明るい橋のちょうど真ん中あたりを注目するが、僕の視力では行き交う人々の姿がぼんやりと見えるだけだ。遼みたいに双眼鏡でも持ってくればよかった。


 公園内の景観を楽しむためなのか、僕たちがいるこの場所には壁などなく、ただ柱と屋根があるだけだ。そのため風通しが非常によく、時折吹きすさぶ風が僕たちに襲い掛かってきて、その度に僕は身を縮こまらせていた。外見上遼より僕の方が厚着しているはずなのに、僕は遼以上に寒がっていた。今更ながら僕は寒さに耐性がないことを気づかされた。


 以前のタイムリープでは、二十一時頃にはもう転落していて、野次馬の中心で警察が処理をしていた。そこから考えると精々一時間前か早くても二時間前くらいに落ちたのではないかと予想された。


 でも僕たちは日暮れ頃からここにいる。結局のところ念のための保険として余裕を持った行動をしているに過ぎない。予想は所詮予想だ。それに警察がどういう風に事件を処理しているのか全く知識がないので、転落した時刻を正確に予測するのは不可能だ。卒業式前夜という事前情報が確定しているので、やはりこの時間から橋を監視するしかなかった。


 時折トイレや温かいものを求めて近くのコンビニに向かっていた。それにより東屋の真ん中にある木製のテーブルにはコンビニ袋が散乱していた。そんな東屋を占拠している僕たちのことを、たまに通りかかる人が怪訝な表情で見ていく。きっと「近頃の若者は……」と思われているかもしれないが、こっちからしたら夜の公園を歩いているそっちの方が不審者だった。犬とか連れていれば散歩だとわかるが、一人でいるおっさんとか何しているんだよ。


「おい慎也。江崎が来たぞ」


 僕が公園内にいるおっさんを警戒していたまさにそのとき、双眼鏡を覗き込んでいた遼がやや興奮気味で状況を知らせてきた。


「来たか!」


 僕は遼以上に興奮しながら遼の隣に座り橋を見上げた。橋まで距離があるので肉眼ではよく見えないが、でも女の子と思われる姿が橋の灯りに照らされていた。


「あれは……何しているんだ?」


 江崎さんと思われる人物は橋の歩道を進み、そしてちょうど中心部分で立ち止まった。欄干に寄りかかっているのか、こちらからでは後ろ姿しか見えない。


「誰かを……待っているみたいだな」


 双眼鏡で橋の上の様子を見ている遼はそう推測した。江崎さんが橋の上で立ち止まって数分が経過したが、一向に動き出そうとはしない。客観的に見れば、橋で待ち合わせをしている風にしか見えない。


「誰って……誰?」


 問題は待ち合わせしている相手は誰なのかということだ。その人物は、どう考えても江崎さんの転落に関与しているはずだ。


「俺らが推測したことが本当に起こっているのなら、安西から情報を得られた誰かだろうな」


 僕たちの推測では、僕に告白された江崎さんはその後安西に相談し、その安西はあろうことかその相談を暴露してしまったと思われる。そのためその先の展開は安西の暴露を知ることができた人物だ。それは誰だ?


「しかし動きがないな」


 遼は双眼鏡で橋の上の人物を監視し続けるが、待ち人が来ることも何か行動をすることもない。体感ですでに十数分くらいは経過していると思われるが、事態が進展することはなかった。


 僕は一度視線を橋から外し、スマホで正確な時刻を確認しようとした。もし今回が失敗に終わりまたタイムリープする羽目になったときのことを考えると、正確な時間を把握していた方が無駄はなくなるはずだ。しかし上着のポケットに手を突っ込んだ瞬間、


「誰か来たぞ!」


 遼は双眼鏡を眺めながら興奮気味に前のめりになった。その遼の声を聞いた僕は反射的に橋の方を向いた。


 この距離ではぼんやりとしか見えないが、確かに橋の中心部分で佇立している人物のもとに誰かが近づいている。なんとなくの雰囲気から、近づいてくる人物は女性だと思われる。


「僕にも見せてくれ」


「悪い。一瞬たりとも目が離せない。あとでちゃんと教えるから勘弁してくれ」


 僕も双眼鏡で詳しい状況を見たかったのだが、確かに遼の言う通り双眼鏡を手渡しているわずかな間に事態が進展する可能性もあった。考えられるとしたら、再び双眼鏡を覗き込んだ際に見失うとかね。目が離せない状況であるのは僕も理解しているので下手に駄々をこねることはしなかったが、しかし歯がゆい気持ちになるのも確かだった。


「今合流した。そのまま何か話している」


 橋の上の状況を遼は実況する。僕はその情報を意識しながら肉眼で見えるぼんやりとした様子を補完していく。橋の上では二人の女性が向かい合って何かしている。


「相手はわかるか?」


 重要なのは、江崎さんが待っている相手だ。


「相手は……、え? はあ!?」


 僕の質問に答えるため遼は今来たばかりの人物の特定をしようとする。が、突如遼が驚愕した様子で声を荒げた。


「あのバカ! 何してんだよ」


 僕の視力では橋の上の人物を特定することができないため、遼が一体何を見たのかがわからなかった。しかしその遼は切羽詰まった様子であり、即座に双眼鏡を捨てたのち、


「慎也行くぞ!」


 と言い放って走り出してしまった。


 事態の急変に僕は反応が遅れてしまった。双眼鏡を拾って遼が何を見たのか確かめようかと思ったが、遼を追いかけて橋の上に行けば判明することだったので、僕も橋に向かって駆け出した。


 公園内を走り、橋へ向かう階段を一段飛ばしで登っていく。巨大な池と周囲の公園を跨ぐ橋だから、橋自体が相当な高さがある。途中体力の問題でペースは落ちてしまったが、でも必死で駆け上ったので割と早くこの長い階段を登りきることができた。


 階段を登り終えたところで荒くなった呼吸を少しだけ整え、僕は橋を渡る。前方を見やると、橋の中心部分で一人の女性がもう一人の女性に掴みかかっており、欄干に体重がかかっていた。このままでは欄干を乗り越えて転落してしまう!


 しかし僕の遥か前方には先行した遼がいた。遼は走る勢いを止めることなく掴みかかっている女性に突進。体当たりされた女性は勢いで相手の女性から手を放し、地面に倒れこんだ。そして遼はそのまま倒れた女性に跨り、手を拘束して身動きが取れないようにする。


 遅れて現場に来た僕は、状況を確認するために一同を見やる。案の定橋の上にいたのは江崎さんであり、彼女は欄干を背にして突然の出来事に怯えていた。


 次いで僕は、遼が取り押さえている人物を見る。顔は地面に伏せられているので直接は見えないが、しかしその雰囲気は僕がよく知る人物だった。


「お前、何してんだ?」


 僕は軽蔑するかのように冷たく言い放った。その人物の正体が意外で驚きはしたものの、僕としては怒りの感情の方が勝っていた。


 その人物は僕の声に反応せざるを得ない。だってその人物にとって、僕はかけがえのない存在なのだから。


「慎、ちゃん……」


 遼が取り押さえている人物、僕の幼稚園からの幼馴染の牧瀬真音は、僕の声に反応して顔を上げた。


 橋の上で江崎さんに掴みかかっていたのは真音だった。そして状況から判断するに、別の時間で江崎さんをこの橋から突き落としたのは、紛れもない真音だった。




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