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ファイル6「挫折」


 未来人ことアスによって瞼に圧力が加えられたけど、そのアスが「ではいきます」といった次の瞬間、その圧力ははなからなかったかのように消え去ってしまった。指を緩めて圧力を加えるのをやめたのかと思ってしまいそうだが、しかしやめるというより途切れる感じで消え、そのことに僕は不安を覚えた。瞼の圧力と同じく、両手で頭を押さえつけられていた感覚も消え去っていた。二度目だけど今までに体感したことのない感覚なので、そうそう慣れるものではなかった。


 僕はゆっくりと目を開ける。目が光りを認識する。


 しかしその光は昼間の住宅街の自然光ではなく、人工の光であるかのような調整された光だった。


 自分の足と床が視界に入る。その足には学校の上履きが履かれており、床は塗装され光沢を帯びた木材だ。


 僕は、視線を上げて周囲を見渡す。すると幾人もの生徒が並べられたパイプ椅子に着席していた。皆じっと座っているだけで、何か行動を起こそうという人は誰もいない。さらに視線を上げると、アーチ状の天井。横を向くと鋼鉄の扉と二階通路が視界に入る。そして衣服越しには、底冷えする冷気が伝わってくる。風通しが悪いうえに中途半端に暖められたのか、全身を覆う冷気は外の空気よりも淀んでいて重たい。


 ここは体育館で、今は卒業式をしていた。いや、卒業式の予行練習をしていた。卒業式は明日だ。


 タイムリープに成功、三周目に突入。


 前回はタイムリープ初回ということもあり動揺して立ち上がってしまったが、しかし今回はもうタイムリープが成功すること前提で戻ってきたので、特段大袈裟に驚いたりはしなかった。精々パイプ椅子に座りながら周りをキョロキョロ見渡す程度だ。前回注意した担任も、僕を茶化した遼も、今は僕のことなど気にかけることなく式の予行練習に集中していた。


 しかし……江崎さんの死があまりにもショックで、それを必死に覆そうと決意したことが起因とはなっているけど、でも僕すんなりタイムリープを受け入れてしまっているな。順応が早いと言えば聞こえはいいけど、所詮無我夢中であり得ないことにしがみついているだけだけどね。


 そんなこんなで僕が騒ぎを起こすことなく、順調に予行練習は行われていく。僕は適当に立ったり座ったりのタイミングを合わせて怪しまれないよう気をつけながら、これからのことを思案する。


 まず最重要目的は、もちろん江崎さんの死をなかったことにすること。死んでいるよりは生きている方がいいに決まっている。一周目では生きていて二周目では死んでしまうのなら、まずそこを改善しなければならない。


 次いで江崎さんへの告白だ。本来こちらが本命の目的ではあったが、しかしさすがに命と引き換えにするほどのものではない。江崎さんの死がなかったことになってから改めて告白すればいいだけの話だ。


 ではどう行動するべきか。


 手っ取り早いのは、江崎さんが死ぬところに介入して死を阻止することだろう。現状僕の知っていることといえば、卒業式前夜――三周目の現在では今夜――に例の池の橋から転落して溺れ死んだことだけだ。なら改変するポイントはそこになるだろう。橋へ向かう前に声でもかければ、あとは流れでなんとかなるかもしれない。


 しかし卒業式前夜といっても具体的な時刻がわからない。夜ということだから日が暮れてから精々日付が変わるくらいまでだろうか? いやあまり遅くまでいると補導されかねないからもっと短いかもしれない。でも夜になると寝静まる街だから補導されないと踏んで朝方までという可能性も捨てきれない……。


 あーッ! そんなこといったら切りがない!


 と僕が頭を悩ませていると、思考に意識を集中させ過ぎたせいか起立するタイミングを逃し、僕は一瞬遅れて立ち上がった。その失態は外から見たら目立ったのか、脇に控えている担任が「しっかりしろ」と誰に言うでもなく呟いた。でもたぶん僕のことだよな。


 気を取り直し、周りのタイミングに合わせて着席しつつ思案を続ける。


 ある程度の妥協は必要だ。それに女神的な江崎さんが補導されるような時間帯に外出するとは思えない。加え僕だって両親がいるから深夜まで外出するのは現実的ではない。遅くても夜の十時くらいが限度かと思われる。


 なら夕方の日が暮れてから夜の十時くらいまで、あの橋へ向かう江崎さんを待ち伏せするしかない。確か遼の情報によれば、江崎さんの家は駅前の大きいマンションだったはずだ。


 僕がそこまで考えたところで、ちょうど式の予行練習が終了した。ずっと同じ空間で立ったり座ったり、歌ったり返事したりで、皆どことなく疲労が蓄積したようで、予行練習が終わると多くの生徒がその場で伸びをして身体をほぐしていた。そののちクラスごとに教室へ戻ることなり、僕は列が進むに任せて歩き出した。前回は初めてのタイムリープということもあり精神的に疲弊したので保健室に向かったが、今回はそうしなかった。


 今保健室に行けば江崎さんがいる。別に江崎さんと遭遇することがまずいことではなく、むしろ僕の気持ちとしては嬉しいが、今現在の最優先事項は江崎さんの命を救うことだ。江崎さんが助かる方法が判明したのち、改めてアスに頼んでタイムリープし、そこで告白を含めた正解ルートを辿ればいいだけだ。今回のタイムリープは余計なことはせず助ける方法を模索することに専念しよう。


 保健室に行かなかった僕はそのまま教室に戻り、少しの間待機してホームルームが始まったが、そのホームルームも卒業式前日ということもあり実にあっけなく終わってしまった。


 今までと同様ホームルームが終わった後に戻ってきた江崎さんは、自分の席で帰る支度をしつつ、クラスメイトにホームルームの内容を伺っていた。それに安西や三上が適当に答え、そして江崎さんを含めた安西グループが教室から出ていく。その際ドア付近で僕を迎えに来た真音とすれ違い、集団最後尾にいた三上が真音と小さな挨拶を交わす。


 このあたりのことは、一周目では気にしなかったが、しかし二周目と全く同じ流れだった。そしてその後遼に催促され真音と合流して下校する流れも、会話の内容から歩き方まで一周目及び二周目と全く同じ。三回目の何気ない会話も適当に受け答えし、主観でつい先程アスにタイムリープしてもらった横断歩道前まで来たところで二人と別れた。


 ここからが前回とは違う行動をする時間だ。


 前回はタイムリープした混乱と流れで江崎さんに告白してしまったことにより心が落ち着かず、ずっと自室に引きこもっていた。初回は記憶に残っていないほどどうでもいい過ごし方をしていた。しかし今回は江崎さんを救う方法を確立するため有意義な行動をするのだ。


 これから長期戦になる。半日で学校が終わってしまったこともあり、僕は日が暮れるまで仮眠をとることにして、スマホのアラームを設定した。その後問題なくアラームで起きた僕は厚着をして外出、途中スーパーで暖かいペットボトルの飲み物を買って駅前へ向かった。


 日が落ち薄闇に包まれた駅は、明るく点灯した構内から帰宅する人たちを次々と吐き出していく。そんな駅の目と鼻の先に高層マンションが建っている。ここ三年か四年くらい前に完成したこのマンションは、広告で「駅から徒歩二分!」と宣伝されており、いかにもベッドタウンとして発展してきたこの街らしいマンションだ。


「確かに、大きいな……」


 僕は駅前マンションを見上げながら呟いた。前回の時間で遼と二人っきりで話をしたとき、遼が「駅前のでかいマンション」と言っていたが、まさにその通りだった。何階建てか数えようとしてみたけど、日が落ちて辺りが暗いということもあり、七階くらいで挫折した。でも七階で大体半分くらいだろうか。僕が暮らす住宅街にも同等の高さのマンションはあるが、こちらの方が比較的新しいので、より高級感のある見栄えだった。


 さて、これからマンションの出入り口を見張り、江崎さんが出てきたところで橋へ向かうのを阻止しなければならない。しかしマンションの住民ではない人物がマンション前で張り込みをしていれば、当然不審者として通報されかねない。だがここは駅前。ちょうどこのマンションは駅のロータリーに面しているため、バスか何かを待っているふりをして遠くから見張っている分には怪しまれないはず。僕はバス停の目立たない位置から見張ることにした。


 待機を始めた僕の目の前を、帰宅していく人たちが通り過ぎていく。バスに乗らない人は駅前の駐輪場へ向かい、そして各々の自宅に向かってペダルをこいでいる。ロータリーでは時折人をたらふく飲み込んだバスが出発していく。


 例のマンションは、ごく稀に住民の出入りがあるだけだ。江崎さんの姿は現れない。


 僕はここで起こることのすべてを見逃さないよう、広範囲に目を凝らす。だが一向に変化が訪れない駅前で集中力を維持するのは難しい。最初は意気込んでいたが、時間が十分か二十分経過すると飽き始め、惰性で周囲を観察し続けた。


 もう結構時間が経っただろうと思いスマホを取り出して時刻を確認してみると、待ち伏せ開始からまだ一時間程度しか経過しておらず、そのことに僕は軽い絶望を抱いた。この時間ではまだまだ帰宅する人が途絶えることはなかった。


 手持ち無沙汰なので自然と手にしているペットボトルを飲んでしまう。一応暖をとるために買ってきたのだが、しかし飲み続ければ無くなるのは当然で、早々に中身が無くなったペットボトルを持て余すようになった。暖が無くなったことにより夜の寒気が僕を包み込む。夜風の冷たさで肌がヒリヒリした。身体はとうに冷え切っており、僕は襲い掛かってくる寒さに必死で耐えていた。


 二十時を過ぎても江崎さんが姿を現すことはなかった。この時間になっても帰宅する人は減らない。皆何事もないかのように通り過ぎていく。駅前で立ち止まっている人は僕くらいなものだ。


 僕は寒さに挫けそうだった。いやもう挫けているのかも。張り込みをする刑事さんのすごさがよくわかった。こういうのは僕みたいなひ弱な精神力しかない人には向いていないようだ。


 結局、僕は二十一時頃と当初の予定よりも早く切り上げた。もう寒さに耐えられないし、ここで見張っていても何も収穫はなさそうだ。


 それに、僕はここに来てようやく気がついたが、未来人のアスを助ければその都度タイムリープできるのだから、一回で日暮れから深夜までの警戒をするよりは、複数回に分けて少しずつ警戒した方が現実的なのかもしれない。タイムリープしている時点で現実的とは言い難いが、しかしその方が無理することもないし、なにより親に不審に思われることもない。いいこと尽くめだ。


 だが一方で、僕はその考え方に失望した。いや僕は僕に失望した。


 もうタイムリープできることを前提で計画していることは否定しないが、しかしこの方法では時間を細かく分ければ分けるだけ江崎さんが死亡してしまう。そのことは身を割かれるほどつらく悲しいことなのは当然なのだが、でもタイムリープさえしてしまえばそれら悲しみのすべてをリセットできてしまう。江崎さん本人も自覚することなく何度も同じ時間を繰り返し、そして何度も同じ死に方をする。


 タイムリープできることによって、僕は早くも大切な人の命を軽視し始めていた。何度繰り返したとしても守ってやると決意したのに、その目的のために捨て回を設けるなど言語道断だ。なのに僕はそれを是としてしまった。最終的に助かるために、そのやり方を受け入れてしまった。そのことに僕は嫌悪感を抱いた。


 僕は歩き出してゆっくりと橋を渡り家路につくが、その間僕は自分のことを呪い続けていた。



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