ファイル4「死亡」


 僕が教室に戻ると、ちょうど帰りのホームルームが始まるところだった。教壇の担任が「稲垣、どこ行ってたんだ?」と聞いてきたので、僕は保健室にいたことを適当に告げて自分の席についた。


 ホームルームだけど、卒業を明日に控えた生徒に対して特別な連絡事項とかはあまりなかった。精々遅刻しないように、とのこと。むしろ卒業生や担任にとっては、明日の式の後に行われる最後のホームルームの方が重要度は高いかもしれない。なにせ本当の意味で最後となるので、誰しもが感慨深くなることは当然なのだから。


 そんなわけで前日であるこのホームルームは実にあっけなく終わってしまった。終わるころには江崎さんも教室に戻ってきて、自分の席で帰る支度をしつつ、クラスメイトにホームルームの内容を伺っていた。


 江崎さんがこのクラスでよく話しをするのは、安西あんざい弥生やよいという女子生徒だった。安西は「全然、なんもなかったよ」と当たり障りのない内容で答えた。


 この安西というクラスメイトはいかにも今どきの女子中学生という印象で、このクラスのヒエラルキーの頂点とでもいうかの如く目立つ生徒だ。しかし嫉妬深い性格なのか、いろいろと評判が悪い一面もある。そのひとつが江崎さんとの関係だ。


 独特の雰囲気と愛らしい容姿から男子に人気がある江崎さんを、自分のグループに引き込んでいる。ただ安西自身は人気者の江崎さんのことを妬ましく思っているらしく、表面上は友人のふりをしつつ、裏では江崎さんのありもしない噂を、SNSの裏グループを活用してまで流して評判を落とそうとしているらしい。安西が流した噂が妙にリアリティがあるのは、表の友情を利用して情報収集しているからだ。


 そうやって江崎さんに寄ってくる男子を自分の方に方向転換させている。あ、江崎さんがモテない理由は、もしかしたら安西の工作によって横取りされているのかもしれない。安西は江崎さんと違って男子とも確かな交流を持っているしな。


 ちなみに僕がなぜこんな事情を知っているかというと、親友である遼が教えてくれた。女子に人気がある遼は当然女子たちと接点があるので、女子間の人間関係の情報が入ってくるらしい。僕が知っているこの学校の事情は、すべて遼経由だ。


 江崎さんが安西の本性を知らずにいるのか、はたまた知ったうえで持ち前の包容力をもって黙認しているのかは、ようとして事情が知れない。ただ江崎さんは安西だけではなく、その隣の生徒にも穏やかな表情のまま視線をやった。


 視線を向けられた派手な生徒、三上みかみ小百合さゆりという女子は「ああ、なんか遅刻するなだって」と江崎さんに答えた。三上は安西グループの実質ナンバーツーといえる立場だが、もしかしたら安西よりは信用できる存在なのかもしれない。江崎さんが三上にも答えを求めたのは、その場の流れによる偶然かもしれないけど、でも信頼の差があるのかも。あと関係ないけど、遼の情報によると三上は隠れオタクらしい。そう聞くと妙に親近感がわいてくるから不思議だ。


 そんなこんなで帰る支度を済ませた江崎さんは、安西グループの面々と一緒に教室を出ていこうとする。僕はそれを眺めつつ「江崎さん、告白したのに普段と変わらないな」と思った。いやあからさまに様子が変わって安西とかに悟られるのはごめんだが、しかし告白したのにいつも通りにしていると若干不安になってくる。僕、告白したよな?


「慎ちゃーん。帰るよ」


 僕が勝手に不安に駆られていると、隣のクラスの真音が僕の教室まで来て声をかけてきた。その際、教室のドア付近で真音と安西グループがすれ違い、集団の最後尾にいた三上が真音を見つめながら小さく手を振っていた。真音も三上に視線をやり、小さく手を振り返す。なんだろう? オタク同士何か見えない波長でも合ったのだろうか。オタクの真音とギャルな三上の組み合わせは意外だった。


「おら、帰るぞ慎也」


 僕は遼にも催促され、遼と二人で教室を出て真音と合流。そのまま家路につく。いつもと変わらない下校だけど、会話の流れが昨日の下校と全く同じことに気がついた僕は、いつの間にかタイムリープしたことを意識しなくなっていたことに気づく。普通ではあり得ない現象で、実際に卒業式の予行練習中に混乱していたのに、今ではそれを受け入れている自分がいる。


 さすがに昨日の何気ない会話の細部などいちいち覚えていられないので、僕は二回目の下校の会話をその場の流れに任せて適当に受け答えした。そうしていると僕の感覚では数時間前、実際の時間では明日にアスと遭遇した場所で二人と別れ、高速で自動車が駆け抜けていく横断歩道を一人信号待ちする。さすがに時間が違うのか、周りを見渡しても未来人アスの姿はどこにもなかった。


 帰宅して自室に籠ると、タイムリープした混乱と江崎さんに告白した事実がないまぜとなり、非常に悶々とした。相反する感情が互いに打ち消しあって心が落ち着かない。僕はベッドに寝転がりながらのたうち回り、結局このまま一日を過ごした。


 翌日。僕にとって運命の日。いつもなら真音がアニメに登場するような幼馴染よろしく僕の家まで迎えに来るのだが、しかし今日に限って迎えに来なかった。でも正直今はどうでもいい。もうここまでくるとタイムリープのことよりも江崎さんの告白の方が気になりだしたので、真音のことまで気にかける余裕はなかった。僕は江崎さんの返事のことだけを考えながら緊張し登校、自分の教室へと向かった。


 チャイムギリギリに教室へ入った僕だけど、入った瞬間教室の空気がいつもと違うことに気がつく。それは卒業式当日だからという空気ではなく、もっと沈痛な空気であり、僕は形容しがたい違和感に襲われた。前回の卒業式の朝はこんな空気じゃなかった。なんだこの違和感は?


 僕は恐る恐る教室を進み、教室の一角の人だかりを遠目から注視する。その集団からは「これ、なに……」とか「いじめ? 卒業式なのに?」といった困惑の言葉が漏れていた。僕はそれを事前情報として捉えながら、人の隙間から集団の中心に目をやる。


 それは江崎さんの席だった。江崎さんの机の上には、花瓶に生けられた花が添えられていた。


「え?」


 僕は予想外のものを目にして思考が停止した。花に詳しくないから何の花なのかはわからないけど、でもその白い花が机の真ん中に飾られているということが何を意味しているのかは、知識として知っていた。


 だが、僕はそれを認めたくなかった。否定したかった。だって、江崎さんとその白い花が全然線で繋がらないから。なぜ江崎さんの机に飾られているのかが全くもってわからない。僕は思考が停止したまま、ただ人と人との間から白い花を見つめることしかできなかった。


「皆さん、席についてください」


 ふと教室の入り口から覇気のない声がして、僕の停止していた思考が動き出した。その声は先生だ。振り返り担任を見やる。いつもは人生にくたびれた感じの中年なのだが、今日の雰囲気はそんなレベルの話ではなかった。人生にくたびれたというよりは、人生に絶望したかのような、今にも消えていなくなってしまいそうなくらい悲愴感が漂っていた。


「先生、あの……」


 江崎さんの机に一番近いところにいた安西が、動揺を隠しきれない様子で尋ねた。いつも江崎さんを妬んで株を落とそうと画策している安西だが、さすがにこの状況を喜ぶほど人として腐ってはいなかったようだ。表面上ではあったが友人だったことは確かなのだ。


 安西が何を聞きたいのかを、先生は当然察していた。


「それは私が置きました。早朝、近所の花屋さんに駆け込み、事情を話して花を売ってもらいました。そのことについて、皆さんにお話ししなければならないことがあります。大事な話です。席についてください」


 先生は自分が花を置いたことを認め、抑揚のない喋り方で着席を促した。その不穏な空気を敏感に感じ取ったクラスメイトは、いつもなら騒がしく着席するのに今回は物音を立てず、誰も無駄話をすることなく着席した。


「では、お話します」


 教壇に立った先生を僕はじっと見つめながら、机の下ではギュッと制服を掴んでいた。


「昨夜のことです。そこの学校前の道路をまっすぐ進むと、すぐに大きな橋がありますよね」


 教室の窓から見える片側二車線の大きな通り。先生は教壇から窓の方を指差し、そしてその指を西側の方にスライドさせる。確かに道なりに進めば、この学校から徒歩で十分かからないくらいで橋に辿り着く。橋の向こうにもマンションがあるので、毎日橋を渡って登校する生徒もいるはずだ。


「昨夜、その橋から江崎さんが転落しました。誤って落ちたそうです。すぐに通報され救助が到着しましたが、夜間で正確な落下位置が特定できず発見が遅れ、そしてこの気温ですから水温が低く、救助されたときにはかなり体温を奪われていて意識がありませんでした。そのまま、意識が戻らないまま、搬送された病院で死亡が確認されました」


 先生は言葉を発するのが苦痛であるかのように、表情を歪めながら事の次第を話した。当然だ。卒業式前日に自分が受け持つクラスの生徒が亡くなれば、どんな先生だって絶望するはずだ。そしてそれはクラスメイトも同様で、皆衝撃的な事実を知って心を痛めていた。中には涙を流す人もいた。


 僕だってそうだ。江崎さんの机の花と今の話で、江崎さんが亡くなったことは紛れもない事実なのだが、しかし何かの冗談だと思いたくてたまらなかった。卒業の日にサプライズとして仕掛けるが不謹慎過ぎて全く笑えないドッキリなのではと、そう現実逃避したかった。あまりの事態を受け止めることができず、僕はただただ話をした先生を見つめることしかできなかった。


 その後話は続いたが、正直全然頭に入ってこなかった。思考が完全にフリーズしていた。そして延長された長いホームルームが終わり、卒業式を執り行うから体育館へ向かうようにと指示されたが、しかし僕は席から立ち上がることができず呆然とし続けていた。心配した遼が僕の席まで来て何か言ってきたが、僕は遼の声に反応することさえできなかった。


「ちょっと、トイレ行ってくる」


 僕は辛うじてそれだけを言うことができ、そのまま教室を出ていった。足元がおぼつかず、ふらふらになりながら歩く僕を見ていられなかったのか、遼が肩を貸してくれて支えてくれた。


 教室から一番近いトイレに向かい、入り口で遼と離れ、僕は個室に籠った。便座に座り、膝に腕を乗っけ、そのまま手で顔を覆った。


「どうして……」


 何がなんだかわからない。どうして江崎さんが亡くならなければならないんだ。大体、こんなこと前回の卒業式にはなかったぞ。


「そうだ、前回」


 予想外の出来事にフリーズしていた僕だけど、そのことをようやく思い出した。前回、僕がタイムリープする前の卒業式では、江崎さんはちゃんと出席していた。式中にチラチラ江崎さんを見ていたからそのことは確かなはず。それに式前のホームルームで江崎さんが亡くなった話などしなかった。机に花などなかった。江崎さんはあのとき確実に教室の席に座っていた。なのに今回は亡くなったことになっている。なぜ?


「何かが、前とは違うんだ」


 前回と今回で異なったことが起きるということは、それはタイムリープしたことによる影響としか考えられない。僕がタイムリープしたことによって、江崎さんは亡くなったのだ。


「わからない……もう、何がなんだかわからない」


 片想いの女の子の死が、もしかしたら僕の行動によって引き起こされたのかもしれない。そんな可能性を認識すると、僕は自分自身を呪い殺したくなってきた。僕がタイムリープしなければ、江崎さんは死なずに済んだかもしれない。というより、事実前回の江崎さんは生きていたのだから。しかしなぜ江崎さんが亡くなったのかが皆目見当がつかない。


「慎也、大丈夫か?」


 僕がふさぎ込んでいると、個室の扉の向こうから遼の心配する声が聞こえてきた。


「遼か。卒業式は?」


「出ているならここにいないだろ」


「なんで?」


「お前、今にも死にそうな顔していたから」


「……優しいな。そんな奴だったか?」


「いや、ただ今のお前は見ていてつまらんし、たとえ面白かったとしても、俺が楽しめる状態でもないからな。お前ほどではないけど、俺もさすがにクラスメイトが死んだことにだいぶやられてる。起きたことは仕方がないとは言わねぇ。けど、お互いさっさと普段通りに戻ってやるのが、江崎によっていいことなんじゃないか。自分の死でいつまでも悲しんでもらいたいとは、生前の江崎を見てて思わないしな」


 なんだが、遼らしいや。


「慎也、早退するか?」


「早退?」


「お前そんな状態で卒業式を途中出席する気か? 中学の卒業式は諦めて帰った方がいい。俺も付き合う」


 遼の気遣いになんだかホッとしている自分がいる。僕は遼の提案に「じゃあ、そうする」と返した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る