ファイル2「未来」


 アスと名乗った人物は、尻餅をついた状態から立ち上がり僕と向き合った。しかし尻餅をついていたのが僕の足元ということもあり、立ち上がって振り向いたアスの顔は非常に近いものとなった。僕はたまらず後退って距離をとる。


 一目で若い人とわかるが、しかし成人なのか未成年なのかがまるでわからない。それどころか、男なのか女なのか、いや少年なのか少女なのか判別がつかない顔立ち。髪も男としては長いが女としては短いような気がするし、体格も全体的に細身で性別を判断する材料にはなり得なかった。色白の肌に、体形に合わせた白いシャツと白いスラックスを身に着け、脱色したかのような髪色をしているので、第一印象としては得体の知れない白い人といったところだろうか。


「えっと……なんだって?」


 一度聞いた問いだが、その答えが理解できなかったのでもう一回聞くことにした。


「ハイ。ワタシは未来人です」


 あー、オーケーオーケー。未来人さんですね……って、納得できるわけねえだろ。


「あの、頭大丈夫ですか?」


 いや今会ったばかりの見ず知らずの人にいきなり頭大丈夫ですかって聞くのは失礼だと思うけど、でもさすがに自分のことを未来人と名乗る人は健常者ではないような気がした。そうであれば何か保護とかした方がいいのかもしれないし、見た目若そうだから保護者みたいな人を探すべきなのかもしれない。いやもしかしたら中二病とか電波さんみたいなただの痛い人なのかもしれない。もしくは不審者。


 とにかく、関わってはいけない人だということは理解した。どういう人物なのにせよ、とりあえず警察とか呼んだ方がいいのかな、と考えていると、


「アナタはワタシの命の恩人です。何かお礼をさせてください」


 目の前のアスはスッと僕の手を両手で握り、僕の瞳を直視しながらそう言ってきた。


「いえ、結構です。そういうのはお気持ちだけで充分です」


 アスの手はとてもひんやりとしていて、生気がまるで感じられなかった。僕はアスの冷たい手を意識しながら、アスの申し出を丁重に断った。


「そうだ、お礼としてタイムリープさせてあげます。未来に送ると困惑してしまうでしょうから、過去に送りますね」


「いやそういうのは大丈夫ですから。というより、いい加減手を放してください!」


 語気強めに言うと、アスはすんなり僕の手を離した。しかしアスは僕を見つめたまま視線を動かそうともしない。……というか今気がついたけど、こいつ瞬きしてる? さっきから瞼が動いているようには見えないけど。


 そんな様子のアスを見て、僕はより一層気味が悪くなった。しかしアスはそんなことを気にすることなく、


「なにか、やり直したい過去とかありませんか?」


 と尋ねてきた。


 その言葉が、僕の内に秘めた何かに引っかかった。


 やり直したい過去。やり直せるなら――


 ――もしやり直せるのなら、もっと早く江崎さんに告白したかった。


 それはついさっき思ったことだ。中学校生活を送っている間、僕は江崎さんに片想いをしていて、結局想いを伝えることはできなかった。もし過去をやり直せるのなら、卒業式後江崎さんが帰る前に声をかけられるかもしれない。いや、もっと前の過去に戻れるのなら、卒業式前に告白することだってできるかもしれない。もし本当に、過去に戻れるのなら……。


 そこまで考えて、僕は正気に戻った。


「タイムリープなんかできるわけないだろ。どうやってやるつもりだよ」


 僕はアスに向かって正論を叩きつけた。タイムリープなんてものは所詮創作物の中にしかない。フィクションの世界だ。たぶんどっかの研究機関が真面目にタイムマシンとか作ろうとはしているかもしれないけど、そんなものが成功したなんて話は聞いたことない。ましてはこんな昼間の住宅街で出会った奇妙な人が、単身でタイムリープを行うのはありえない。危うく話に乗っけられるところだったけど、この人の話を真面目に聞いてはだめだ。


 しかしアスは僕の正論をうけても表情を変えなかった。それどころか、


「タイムリープの方法について質問ですか?」


 とぬかした。


「いいですよ。お教えしましょう。詳しいことは説明の理解をしやすくするため割愛しますが、そこはご了承ください」


「いや別に――」


 僕は正論を言って、そして後悔した。それを言ったことによってアスの何かしらのスイッチを入れてしまったらしく、アスは嬉々として――表情が変わらないからよくわからないけど口調でなんとなく――説明を始めてしまった。


「まずアナタの時代から少し経つと、液体コンピューターというものが実用化されます。言葉通り液体のコンピューターです。そして人体の中で無駄に水分を保有している器官が眼球です。その眼球の、硝子体という眼球の形を整えているゲル状の器官に、適応するよう調整された液体コンピューターを注入することで、眼球そのものを補助脳、つまり生体コンピューター化することに成功します。ア、眼球に液体コンピューターを入れる発想は、二〇一四年に世界的に有名な企業が特許を申請しています。細かい方法は異なりますが、でも基礎的なアイデアはそこがもとです」


 別に聞きたくはないけど、しかしアスは僕の呆れた反応を無視して説明に没頭している。しかし……眼球にコンピューターを入れるって、なんか怖いよ。


 アスは僕が望んでいない説明を続ける。


「デ、その液体コンピューターが技術の向上によりさらに発展して、眼球だけではなく人体の体液のほぼすべてに適応させることに成功しました。そのことにより人は全身コンピューター化することを実現させた。脳単体での処理能力を遥かに凌駕したのはもちろん、それまであった既存のコンピューターよりもハイスペックなコンピューターが体内に宿り、そしてさらに時代が進むとついには量子コンピューターのスペックと並びました。そうなると人類は新たなステージへと進化した」


 一応アスの説明に耳を傾けてはいるけど、正直アスが何を言っているのかこれっぽっちも理解できていなかった。話が難しいよ……。そもそも、タイムリープの方法を説明しているはずなのに、一向に時間についての説明が出てこないんだが……。どうしようこれ。どうしたらいいの?


 僕が困惑している間、アスは変わらず説明を続けていた。


「情報主義社会。それまでの資本主義などの社会に代わり、情報がすべてを支配するようになった。情報主義では、人による全身生体コンピューターと据え置きの量子コンピューターによって、あらゆる物質や事象が情報化されるようになった。それはもちろん、時間や空間といった概念的なものも情報化されている」


 なんかとんでもない方向に話が進んでいる……。


「その情報主義を支える膨大な処理能力を生かして肉体を解析、情報化して圧縮したのち、同じく情報化した時間を改ざんしてセットで転送する。すると改ざんされた時間に導かれて情報化した肉体は過去や未来に飛んでいきます。転送後に情報は自動で物質化され、転送先の時代で肉体を構築することでタイムリープを実現させたのです」


 ……なるほど、……わからん!


 ただ何となくタイムリープができそうなことだけは伝わってきた。全く、これっぽっちも理解してないけど、でも妙な説得力だけはあった。


 話はよくわからなかった。だけど話自体は面白かった。そんな感想を抱いたからこそ、僕はその話に乗っかってちょっとからかってやろうと思った。


「でもさ、じぁあタイムリープしたら、その時代に同じ人が二人も三人もいることになるのかよ。それによるタイムパラドックスとかの心配とかはどうなるんだ?」


 ここまでSFチックな設定を考えられた電波さんもとい中二病患者なんだから、当然そのことについても考えているんだろうな。


「もちろんタイムリープしたことによる弊害はあります。でも今はあまり関係ないかな。それに最初に言ったでしょ。詳しい説明は割愛させてもらうって」


 僕はちょっと答えを期待していたけど、でも失望した。こいつ、逃げたな。さすがにタイムパラドックス云々を易々解決できる設定は思いつかなかったか。こいつの話、一気に胡散臭くなってきたぞ。


「あー、さっきお礼にタイムリープさせるって言っていたけど、でも僕、過去に戻ったときに過去の自分と遭遇するのは嫌だよ」


「そのことについてはご心配なく。アナタを過去にタイムリープさせる際、アナタの意識しか送信できません。今のアナタの意識を過去のアナタの肉体に転送させ、意識の情報を上書きするだけです」


「なんで僕は意識しかタイムリープできないんだ?」


「それは簡単です。最適化できないからです。自分の身体を一番理解しているのは自分です。同じように、マシンのことを一番理解しているのはそのマシンです。自分自身を情報化する際は、自分の身体ということもあり無駄な工程を簡略、または省略することができます。しかし他者を情報化する場合は、その人物のことをより詳しく解析したうえでないと情報化できません。そしてそこにリソースが割かれるため、ワタシのスペックでの他者の情報化は、精々意識程度しかできません。ご理解いただけましたか?」


 理解できたかどうか問われているけど、理解はできていない。ただ自分と他人とでは勝手が違うということだけは何となくで理解できた。


 というか、こいつの話は難しすぎてもう嫌だ。なんとかして話を切り上げなければ。


 僕がこの局面をどう切り抜けようか思案していると、


「では他にご質問もないようなので、早速タイムリープしますか。いつに戻りたいですか?」


 アスはタイムリープすることを提案してきた。そして僕はその提案に対して「これだ!」と活路を見出した。


「どのくらい前までの過去に戻れるんだ?」


「そうですね、どこまでも戻れますが、でも戻りすぎると状況を把握するのに時間がかかり、そして混乱してしまうでしょう。ですから、初心者はまず一日、昨日に戻ることをオススメします」


 昨日か……。まあいいか。どうせタイムリープなんでできっこない。ここでタイムリープをしようとして失敗すれば、さすがのこいつも現実を見るだろう。そこで「やっぱタイムリープできないじゃん!」とでも言えば、それを口実にしてこの場を離れることができそうだ。よし、 それでいこう。


「じゃあ、昨日でいいや。昨日の午前中にしてくれ」


 僕はアスの言葉に従って戻りたい日にちを伝える。午前中にしたのは気まぐれだ。咄嗟に出てきたのが午前中という言葉だった。


「わかりました。昨日の午前中ですね。では目を閉じてください。今から頭を押さえて親指を瞼に添えます」


 僕はアスの言う通りに目を閉じた。するとアスの冷たい手が僕の頭を両側から押さえつけた。そしてそのまま親指を瞼に押さえつけていく。……って、力強い。こいつ僕の眼球を潰す気じゃねえだろな。圧迫感が半端ないぞ。


「ではいきます」


 悶える僕を無視して、自称未来人のアスは何かを始めた。





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