死に際のR

化茶ぬき

序章

 ストラ歴三十七年――世界は未だ魔王の手の中にあった。

 千の魔術を扱う魔王は次から次へと魔物を作り出し、大陸は二つに分けられた。魔王軍が治める紅蓮の園と、最も深部に王都を構える人間が住む大地。しかし、明確な境目があるわけではなく、徐々に進行してくる魔王軍の行進によって凡そ十年単位で人間の住む大地は侵されている。

 しかし、王は魔王が現世に生誕したことを占い師より聞くと即座に対応を取った。人間の住む大地にある二百人前後が暮らす町には屈強な戦士が育ち、王都を守る近衛兵にも勝る者が多く育つ。それに加え、この世界では全ての人間が魔法を使え――その町では殊更強大な魔力を持った者が多く生まれていた。

 王からの魔王討伐使命を承ってからというもの、町では生まれた子供たちへの魔法の適性検査と戦闘訓練を義務付け、十八歳を迎えた男女は討伐に向かうかどうかの選択肢を迫られ、その内の八割は同じように育った数人と組んで町を出ていく。

 人間の住む大地は至る所に町があるが、魔物に襲われないよう頑強な塀に囲まれているのは王都を除く五つの都市だけであり、魔王討伐を目指す者は、人間の大地に侵入している野良の魔物を倒しながら一番近い都市を目指すのが常である。

 そして、ここにも町を出て三か月の新人が都市を目指していた。

「待て……ウォルフ級の魔物が三体、正面から来るぞ」

 ウォルフは四足歩行で鋭い牙と爪を持つ体長一メートル程度の肉食系の魔物である。普段は家畜を襲って血肉を貪るが、彼らの縄張りに足を踏み入れた者には容赦なく襲い掛かる新人殺しの魔物だ。

「さすがはアンテナ持ちだな。オレにゃあまったくわからん!」

「とにかくノウのアンテナは外れないわ。イアン先頭に」

「はいよ。下がってろ、ノウ。いつもの陣形だ」

 前に出たイアンは背負っていた自らよりも巨大な盾を体の前に立て、片手に剣を構えた。

「あと三秒、二、一――」

「固有魔法『鉄の狂像』発動!」

 草むらから飛び出してきた三体のウォルフは一直線にイアンへと向かって牙を突き立てた。まるで、それが極上の獲物だと言わんばかりに食らい付いて放さない。だが、イアンは噛まれながらも表情を変えることなく一体のウォルフに剣を突き刺した。

 続いて背後に控えていたノウが飛び出し、二体目のウォルフの首を落とすと、同胞の血の臭いで正気を取り戻したのか、最後に残ったウォルフは牙を放して、最も後方で杖を構えた女のほうへ向かった。

「ノウ! ミカが狙われた!」

「わかってる。『石壁フリーフォール』」

 ノウが地面に手を当てて魔法名を唱えると、ミカの目の前にウォルフを遮るように石の壁が地面からせり上がってきた。

 進行方向に壁ができたウォルフだったが急に停まることができず激突すると、ノウはそれに合わせて握っていた剣を投げ飛ばして頭を貫通させた。

「……終わりか?」

「ああ、付近にこいつら以外の魔物の気配はない。また出番が無かったな、ミカ」

「まぁ、ヒーラーとして出番が無いのは良い事だと思うわよ? でもね、ノウ。あなた確実に私を囮にするつもりの位置取りをしていたでしょ!?」

「あ~……ほら、たまには緊張感を持たないとな」

「何が緊張感よ。未だにレベルは十未満だし使える魔法だって初級で、緊張感を持っていないわけがないでしょ。高レベルの戦士ならウォルフの三体程度は剣の一振りか魔法で一掃しているところよ」

「落ち着け、二人とも。とりあえず俺たちだってノウのことは言えないだろ。ガードの俺も、ヒーラーのお前も、レベルは十未満だし固有魔法を除けば使える魔法も初級クラス。要は三人ともまだまだってことだ。さぁ、先を目指そうぜ。都市は目と鼻の先だ」

 イアンが上手いこと纏め上げると、三人は倒したウォルフの毛皮を剥ぎ、牙と爪を回収して再び都市に足を向けた。

 ノウとイアンとミカ――三人ともが十八歳の駆け出しチーム。

 しかし、大抵のチームが約一か月で、仮に一人旅だとしても二か月もあれば確実に着くであろう都市までの道程を、寄り道することなく純粋に魔物を倒したながら進んでいるだけなのに、すでに三か月が過ぎた。

 故に、彼らが立ち寄った町では過去の中で最も最低な――最弱のチーム。ひいてはチームのリーダーであるノウ自身が『最弱の戦士』と呼ばれている。

 それから二度ほど魔物との戦闘を熟し、三人は漸く最初の都市へと辿り着いた。

「全員ケガなく着いたわね」

「ノウのおかげだな。褒美にアンテナをホニホニしてやろう」

 都市に着くなりイアンはノウの頭に付いた獣のような耳を指で弄り出すと、ミカも同じように弄り出した。ノウは複雑な表情を見せながらも諦めたように肩を落とした。

「……はぁ。とりあえず宿を取ろう。そしたら、鑑定士を訪ねてレベルの確認。二日で装備を整えたら次の都市に向かって出発だ」

「そうだな、まずは飯だ!」

「宿な」

「そうね、まずはお風呂!」

「宿。まぁ同じようなものか」

 宿探しを二人に任せたノウは、魔物から剥ぎ刈り取った素材を加工屋へと持ち込んだ。

「ふ~む……物は悪くないがウォルフ程度じゃあ大した額にはならんぞ。この量なら、これで新しい装備を作ったほうが早いと思うがのう」

「かもしれないが、今回は買取で頼む。今は先立つものほうが必要だからな」

「駆け出しか。ならば一割増で買い取ろう。新人戦死よ――〝前向きに踊れ、さすれば未来はやってくる〟」

「……土竜族流の手向けか。なら俺からも送ろう。〝大地に向かって叫べ〟」

「どういう意味じゃ?」

「さぁな。いろいろとあるらしいが俺は、どんな時でも諦めて天を仰がずに、大地を踏み締めて進め、と教えられた。まぁ、もしかしたら家で代々伝わっているだけの言葉かもしれないが」

「それでも良い。親元を離れたとて、言葉と心で繋がっている証拠じゃわい。ほれ、金だ」

「助かる」

 大した額ではないと言っても宿に泊まり装備一式を買い揃えるには充分に足りる。加工屋を出たノウは二人と合流し、飯無し風呂無しの格安宿に泊まることになった。

 飯は近くの食堂で、風呂は風呂屋へと。

「取れたのは一部屋か。俺は椅子で寝るからお前らはそれぞれベッドを使え。明日は朝一で鑑定士に会いに行く。寝坊するなよ」

「は~い」

「十レベを超えてれば上出来だな」

 そうして床に就こうとしたとき、突然地を揺らすほどの大きな爆発音がして起き上がると、三人は窓の外に視線をやった。

「……煙が上がっているな」

「事故か事件か……魔物の可能性もあるか?」

「ここは塀に囲まれた都市の内部よ? 仮に入ってきていたとしてもノウのアンテナが――」

 二人が視線を送ったとき、ノウの頭に付いたアンテナは音を拾うように小刻みに動いていた。

「あまり遠いと俺のアンテナでも拾えないが……確かに居る。街の中に亜人種の魔物が十数体。それに――」

 言い掛けたところで部屋のドアが激しくノックされた。

「旅の者! 起きてくだされ!」

「はいよ、起きてるよ。魔物だろ?」

 ドアを開けたイアンが何食わぬ顔で言うと、宿の店主は蒼白な表情のまま縋りついてきた。

「そう、魔物だ! 街の中に魔物が現れたのだ! すでに滞在している戦士たちが討伐に当たっているが、数が多いに越したことはない!」

「だとさ。行くか? ノウ」

「当然だ。魔物退治は俺たちの仕事だからな。準備しろ」

「出来てるよ~」

「よし、行くぞ」

 ノウとミカが窓から飛び出すと、残されたイアンは急いで装備を整えて同じように窓から飛び出した。

 待っていた二人と合流すると、早速目の前から亜人種の魔物が襲い掛かってきたがノウとイアンの剣がその体を引き裂いた。

 街の至る所では悲鳴と煙が上がり、亜人種と戦士たちが戦っている。しかし、ノウは立ち止まり何かを探るようにアンテナを動かし始めた。襲い掛かってくる亜人種はイアンとミカが相手をしながらノウを守っていると、ぐるりと都市を囲む塀に作られた扉に視線を向けた。

「イアン、ミカ。塀の外に魔物がいる」

「そりゃあこんだけの亜人種がいれば外にもいるだろうよ」

「違う! 俺たちよりも上の戦士が殺されるレベルの魔物だ!」

「私たちよりも上? でも――行くつもりなんでしょ?」

「少なくとも街に入るまでの時間稼ぎにはなるはずだ! イアン、行くぞ! ミカは――」

 その先に繋がる言葉が予想できたのかミカはノウの肩を思い切り掴んだ。

「私も、行くに決まっているでしょ」

「……わかった。この場は他の戦士に任せて俺たちは行くぞ」

 都市を囲う塀へと向かう三人は戦士と亜人種の戦闘を避けつつ、所々で攻撃を防ぎつつ進んでいくがノウだけはアンテナで外の状況を知り、冷や汗を掻いていた。

 ノウのアンテナの感度はそれほど高くないと自負しているが、にも拘らず、この距離で何が起きているのかわかるほどに感じているということは、それだけ強い魔物だということ。しかし、そうは言ってもここは最も王都に近しい位置にある最初の都市であり、今まで大規模な魔物の侵攻も無く、上位の魔物の侵入すら許したことは無い。

 だからこそ――多少の油断はあった。

「これはっ……」

 普段から強気な姿勢を見せるイアンでさえ息を呑んだその光景は、見るも無残に殺された戦士たちの姿だった。

 塀を一歩出た先には、ガードやヒーラーだけではない屈強な戦士たちが四肢を裂かれ、転がり落ちた頭は悲愴な表情を浮かべていた。

「ミカ、生きている者はいるか?」

「……いえ、誰も……」

 ノウが見据えるその先に佇んでいるのは、その頭には大きな二本の角を生やし、両刃の巨大な剣を地面に突き立てる人型の魔物だった。

「ハッハッハ、脆いな人間共よ! 盟約により王都へ攻め入ることは適わないが、この街の人間を皆殺しにすれば強者の一人も現れようぞ! 聞けい! 我は魔王直属四天王が一人、乱破のウジクである! 貴様らを皆殺しにする者の名だ! しかと拝聴せよ!」

 ただ叫んでいるだけの言葉はずが臓器を揺らし、頭に響く鐘の音が自らの心臓の鼓動だと気付くことすら数秒の時間を要した。戦地で――死地で、その数秒は文字通りの命取りである。

「なぁおい、ノウ。こいつはヤバいんじゃねぇか? 向かい合っているだけなのに汗が止まらねぇよ」

「さすがは四天王ってところだな。だが、相手が強いからと言って、勝てないからと言って、それは戦わない理由にはならない! イアン、ミカ、動け! あいつを殺すぞ!」

 自らへの発破でもあったが、そのおかげで竦んでいた脚を動かすことができた。剣を握り締めて駆け出したノウの後ろ姿を見て、盾を構えたイアンは脚に魔力を溜めて跳び上がった。

「なにやら羽虫の音が聞こえたな。……我を殺す、とか」

 近付いてくるノウに対して片手を翳したウジクだったが、ノウの目の前に降ってきたイアンが守るように盾を構えた。

「固有魔法『鉄の狂像』発動!」

「ん? ――おおっ」

 突如としてイアンのほうへと引っ張られたウジクは疑問符を浮かべながらも、脚を踏み込んで引っ張られるのを防いだ。

「……なるほど。それは敵を引き付けて自らに注目させ、そして自らの体を高度な鉄に変化させる魔法、か。だが、残念だったな! その引き付けの効果があるのは雑魚共だけだ! 我には効かん!」

 一歩一歩着実に近付いてくるウジクを捉えながら、ミカは魔法を発動したまま動かなないイアンに肉体強化魔法を掛け、ノウはウジクに斬りかかった。

「ふん――お前は後だ」

 振り下ろした剣を指先で弾かれると、ノウは体ごと吹き飛ばされた。

「まずはチンケな魔法で我を倒せると思い上がった雑魚からだ」

 イアンに近付いたウジクは両刃の剣を地面に突き刺して、拳を握り締めた。

「舐めるなッ!」

 振り下ろされる拳に盾を構え、カウンターを狙うように真っ直ぐ最短で剣を伸ばした――が、拳を受けた盾と腕は衝撃に耐えらずに弾け飛び、イアンの体は衝撃波で肌を切り裂かれ血塗れのまま後方へと吹き飛ばされた。

「ほう。体ごと消し去るつもりだったが……確かに舐めていたようだ」

「イアン! 待ってて、すぐに回復するから! 固有魔法『天使の息吹』」

 イアンの下まで駆け寄ったミカが息を吐き出すと、それを浴びたイアンの体が光に包まれて傷口を塞ぎ始めた。

 その様子を見ていたウジクはイアンの落とした剣を拾うと、それをミカのほうへと放り投げた。

「っ――ミカァア! 避けろ!」

 ノウの声が届いたときにはすでに遅かった。剣は脇腹を貫き、ミカは血を吐きながらイアンの上に倒れ込んだ。

「これで二匹。もう少し骨があっても良いのではないか?」

 つまらなそうに呟いたウジクに向かってノウは駆け出していた。当然、ウジクも気が付いているが剣を構えることなく片腕を前に出した。それを見たノウは剣を握り締めて跳び上がった。

「『鉄錬金アイアンメイク』!」

 そう叫ぶと握っていた剣は形を変えて腕を包み込む鉄の籠手になった。すると、ウジクは、ただ前に出していただけの腕で拳を作り、ノウが振り下ろしてくる拳に合わせた。

「っ――!」

 何故か殴り掛かったほうのノウが後方に弾き飛ばされて地面に着地した。ウジクが追撃してこない姿を見るや否や、即座に地面に手を着いた。

「『石壁』――『石壁』! 『石壁』! 『石壁』!」

 地面からせり上がった石の壁はウジクの四方を隙間なく囲むと、ノウは石壁の上に立ち真上から手を翳した。

「『火球ファイアーボール』! 消し炭になれ!」

 手から放たれた火の球が石壁の中に落ちると炎の渦を上げた。距離を取ってその様子を見詰めているノウは鉄の籠手を嵌めた拳を握り締めて、いつでも攻撃に移れるように体勢を整えた。

 予想は的中し、崩れた石壁と漏れ出した炎の中から出てきたのは無傷のウジクだった。

「こんなものか。やはり、雑魚であったな」

 いつでも対処できるよう構えていたノウだったが、目では追えない速度で動くウジクの攻撃を避けられるはずも無く、指先で頭を弾かれただけで首の骨が軋むほどの衝撃で吹き飛ばされ、起き上がろうとも脳が揺れて嘔吐することしかできなかった。そこに追い打ちするように近付いてきたウジクが、ノウの腹部に蹴りをお見舞した。

「っ……が、はッ……」

 血を吐きながら起き上がったノウは疑問符を浮かべながら、ウジクに向かって拳を構えた。

「どう、してだ……なぜ、ころさない――?」

「知れたことを。我は弱者を甚振るのが好きなのだ。やはり、お前を残して正解だったな。盾を持った雑魚よりも、回復魔法を使う雑魚よりも――これまで殺してきた戦士たちの誰よりも、お前は弱い」

「なっ――」

「なんだ? もしや、それなりに戦えている、などと思っていたのか? 思い上がりも甚だしいな、最弱の戦士よ。しかし、そろそろ街に入った魔物共も全滅している頃合いだ。いよいよ我自ら赴いて人間共を虐殺する時だ」

 両刃の剣を抱えたウジクはノウを無視して街に向かって脚を踏み出した。

「行か――せると思うのかっ!? 俺ではお前に勝てずとも、最弱と呼ばれようとも負けるわけにはっ――……っ」

 立ち塞がったものの、何食わぬ顔のウジクが伸ばした腕はノウの体を貫いていた。

「勝ち負けではないのだよ。雑魚は、等しく死ぬだけなのだ」

 ずるり、と地面に落とされたノウの体には風穴が開いたが、それでもまだ死んで堪るものかと意識を保っている。

 頭を過るのはあの言葉――

「大地に向かって叫べ」

 すでに死に掛けの虫の息だが、諦めるにはまだ早い。傍から見れば戦いにすらなっていないその現状でも、ノウは再び立ち上がろうとしていた。

「ま、ける……わけ、には――」

 無理矢理に起き上がろうとしたものの体が言うことを聞くはずは無く、力なく地面に倒れ込むと広がる血溜りが、まるで自らを包み込んでいるような気がした。霞む視界に映るのは街へと向かうウジクの後ろ姿だけ。

「く、そ……俺はっ――」

 握り締めた拳は砂を掴むばかりで何にも届きはしない。

 ノウはただ、誰かを救いたいという思いを抱いて町を出た。唯一の救いがあるとすれば薄れゆく意識の中、機能しているアンテナがイアンとミカの心音と呼吸音を拾っていることだった。二人は助かるかもしれない――その可能性だけが、ノウが死ぬことを許す事実だった。

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