私をみつけて 3

 古い時代に祈人たちが祈りを捧げてきた場所とは変わっているだろうけれど、その人たちと同じように祈りを紡いでいる自分がいるのはなんだか不思議な心地だった。その人たちも同じように悩んだのだろうか、神に祈りを届けたいと希求することもあったのだろうかと想像する。

「……具合はどうですか?」

 話題を探して口にできたのはそれだった。

「ん? ……ああ、まあまあだな。夢見は悪いが病人というわけじゃないから無理はきく。まだ心配するほどじゃない」

 でもいつか心配しかできないほど悪化していくのだ。

 けれど以前ほど自分が彼を助けられる想像ができなくて、エルセリスは密かに拳を握り締める。

 弱っているところを見せたくない――失望、されたくない。助けられないと思わせたくない。

 立ち上がろうとしたエルセリスだったが、オルヴェインが口を開く方が早かった。

「……負けたくなかったんだよなあ」

 彼は背もたれに身体を預けて天を仰ぐ。

「お前、昔から剣舞をやってただろ。同じ頃に俺は王族の必修でやらされてた」

 目を向けられ、浮かしかけた腰を下ろし、頷く。

「ライオネルたちとも、遊びでやりましたね」

「そう。いちばん上手いのは俺だと思ってたら、最年少のお前が軽々剣を振り回すからめちゃくちゃ焦った。多分あれが負けたくないと思った最初だったな」

 最初の呟きはそれにつながるらしい。体勢を戻して両手を組むように前に身体を傾けて、オルヴェインは遠い目をした。

「学術都市に行ってもお前のことを思い出してた。聖務官になって剣舞をやってるんだろうと思いながら、自分も剣舞をやって『負けたくねえなあ』って考えてた。お前にもう一度会えるかはわからなかったけど、でもまた会うときが来たら、一緒に舞うこともできるかもしれない、なんてことも考えたな。簡単に言うと共通の話題が欲しかったんだ。姑息だろ?」

 悪童のままの笑顔で言われて、エルセリスも少し笑った。

「そうしていつの間にかわかった。剣舞は嘘をつかないんだと」

「……嘘をつかない?」

 そうだと彼は頷く。

「剣舞は舞う者の心を綺麗に写し取る。鍛錬を怠れば舞は歪み、道具を粗末にすれば刃がこぼれる。どんな不純な動機や願いや祈りがあったとしても、その剣舞が美しいと讃えられるならすべて間違っていると思わなくていいんじゃないか、そう思ったんだ」

 オルヴェインが言うそれは、エルセリスの迷う心を目指す方向へと導く光のようだった。

 不純とされるような自己中心的な理由や、傲慢な願いから始まったものであっても、美しい剣舞を奉じているのならそれは正しい方向へと祈りを投げかけることができているからだ、と彼は言っている。

「……でも私は自分のためだけに舞ってしまっていた。祈りのための剣舞を道具にして、自分の……」

 そうして失敗したのだから間違っていた、自分自身を許せないでいるエルセリスにオルヴェインは静かに語りかける。

「だからお前は聖務官なんだろう。お前は自分が奉じるべき祈りの形を知っているから、いまの自分がそこに届かないことがわかっていて許せない」

 はっとなってオルヴェインを見た。

「何度だって舞えばいい。自分が納得できる形になるまで。そうやって俺たちは変わってきた、そうだろう?」

 込み上げたものを飲み込んで、頷く。

 いちばん遠くに離れていたはずの彼が自分をいちばん理解していることが胸に迫る。授業も学習も鍛錬も目指すところを見据えて繰り返すことで身につけるもの。道が逸れそうになって、思った形にならなくて、想像した通りにできないことに歯噛みしながら、目指すものにする。そうしていまの自分が出来上がることをエルセリスたちはよく知っていた。

 オルヴェインはエルセリスに手を伸ばし、ふと我に返った様子で動きを止めた。頭を撫でようとしたらしい高さをさまよった手は結局下ろされてしまう。

(不器用なところは変わってないんだ)

 いまにして思えば、オルヴェインの起こした様々な事件にはちゃんと理由があった。

 ベッドに蛙を入れられた王太后陛下は当時王妃陛下をいびっていると有名だった。

 傘に毛虫を詰め込まれた公爵夫人はその取り巻きのひとりだった。

 母をいじめる相手とそれを助長させる周囲に意趣返しするつもりだったのだろう。オルヴェインは仲間で遊んでいるときも暴力的な言動が目につきやすかったけれど、仲間とみなした人間を不当に追い出したり排除したりはしなかった。うまく立ち回ることのできない子どもだっただけだ。

 だからエルセリスは彼らと行動を共にした。そこは居場所だった。聖務官になる将来が決まっていて大事にされる自分が、同年代の少女たちと違う、という疎外感を感じていたエルセリスにとって、何をして遊ぼうかどこへ行こうかと考える毎日は楽しみで、明日が待ち遠しかった。

 そんな信じていた相手に『お前を好きになるやつなんていない』と否定されれば、悲しくもなるし裏切られた気持ちにもなるだろう。お前はいらないと弾き出されたように感じられたから、許せなかった。だってあの頃にエルセリスには、彼らと一緒にいることが世界のすべてだったからだ。

 エルセリスの肩から、ふっと力が抜けた。

 過去の出来事はなかったことにはできないけれど、それをどのように受け止めるかという自分の気持ちは、以前とは違って変化しているのを感じた。

「……ありがとうございます、閣下。失態は犯しましたが、もう一度剣舞と向き合えました。自分の目指すものが何なのか、わかった気がします」

 その上で告げる。心を込めて。

「尊敬します、閣下。聖務官として、あなたのように舞えたらと強く思いました」

 彼は大きく目を見開き、戸惑いながらも頷いた。自分の見えざる努力を恥ずかしがっているようだった。

「こちらこそ、ありがとう。そう言ってもらえて、報われた気がする」

 エルセリスがわだかまりをなくして告げた言葉をきちんと受け取って信じてくれた、その真剣な眼差しのまま彼はそっと囁いた。

「変わりたいと思っていたが、いまも強くそう思う。変わりたい。お前に許してもらえる、お前を傷付けない人間になりたい」

 エルセリスもまたオルヴェインの言葉に真っ直ぐな想いを感じ取った。

「変わることは難しいとわかっている。だが好きになってもらえるよう努力すべきだと思うんだ」

 端々に灯る熱を感じてエルセリスは目を伏せた。「好き」という単語を聞き取った耳は赤く、頬も同じ色に染まっているはずだ。

(オルヴェインが、私に好きになってもらおうと懸命になっている)

 恋するただの男になってしまっている彼に、胸がきゅんとした。不器用な男が必死になって気持ちを繋ぎとめようとしていると思うと、どきどきして落ち着かず余計な想像までしてしまう。

 もしこのまま手を取ったら彼はどんな反応をするだろう。いやそれよりも、エルセリスこそ彼に触れたかった。そっと手を握ってその熱と感触を確かめれば、自分の気持ちがちゃんとわかるような気がしたのだ。

 だがそれは叶わなかった。

 静かに近付いてきたヴィザードがオルヴェインを呼んだのだ。

「閣下。確認を求めていた件について回答が参りました」

 そうして彼の隣にいるのがエルセリスだと気付いて驚いた顔をしたが、騎士らしく胸に手を当てて一礼され、エルセリスも会釈を返した。

「きたか」

 オルヴェインはにやりとして立ち上がった。

「謹慎明け、楽しみにしてろ。怠けていると後で後悔するかなら」

「言われずとも」

 むっとして言い返すエルセリスを楽しそうに笑って、オルヴェインはヴィザードを連れて封印塔を出て行った。入れ違いにアトリーナが戻ってきたが、エルセリスを見るなり呆れた顔で肩をすくめる。

「ああいやだいやだ。ちょっと目を離した隙に恋する女の顔になっちゃって」

「え!?」

「ばれてないかどうかなら心配しなくていいわ。付き合いの長い私だからわかるの」

 それなら家族にばれそうだとひやりとし、アトリーナの視線がまったく外れないので急いで封印塔の管理官を探してその場から逃げ出した。これ以上近くにいるとすべて見透かされそうで怖かった。

「……そうして私はひとりになるのね」

 アトリーナがそう言ったのも、聞こえていなかった。

 ようやく管理官を捕まえて祈りを奉じる許可を取り付けたエルセリスは、自身の感覚が鈍っていないことを確かめて思い描いたとおりの剣舞をやりきった。舞っているのがエルセリスだと知った人々が「もう大丈夫そうだな」とか「まだ調子が悪いんじゃないかしら」なんて囁く声も聞こえたけれど、心を揺らされたりはしなかった。

(私の目指すもの。それは大事な人たちを守るための祈りを込めた剣舞)

 気持ちの置き場所をきちんと定めたいま、不安になる必要はどこにもなかったからだった。



 そうして謹慎が明けたエルセリスは、塔再活性化事業の進捗を聞く。

 活性化事業の要、遺棄された塔の浄化に当たる儀式を首都勤務の聖務官三名で行うこと。その最も重要な役である、最後の祈りを行うのは、エルセリス・ガーディランに決まったこと。

「なるほどね」

 聖務官執務室の自分の机に置かれていた報告書を読んで、オルヴェインの別れ際の言葉の意味がわかったエルセリスは唇の端に笑みを乗せた。

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