愛を告げないで 2

「内密にすると約束したのは、オルヴェインの弱みを握れたと思ったから? それとも見る影もなく穏やかになったオルヴェインを哀れに思ったからか?」

 薄く研いだ刃物がすっと首元を撫でたような気がした。

 人をおもちゃにしているように見えて、実弟に危害を加えるようならば許しはしないとアルフリードは言っている。

 エルセリスは下手な誤魔化しをする気はなく、不敬にならないように気をつけながら本心を口にした。

「このさきも生きていてほしいと思ったからです」

 アルフリードは説明を促す仕草として首を傾ける。

「事実を明かしたとしても王家の方々への非難は免れないでしょう。なら内密にしたまま、封印等を設置して、何事もなかったかのように生きていただこうと思いました」

「その心は?」

「オルヴェイン閣下は、とても有能な、いい上官です」

 彼の仕事ぶりは聞くところだったのか、エルセリスの笑顔が本心とわかったらしくアルフリードは小さく噴き出した。

「仕事の能率を求めると。なるほどね。そう、もともとできる子なんだよ彼は。自分の力の使い方を長らく知らなかっただけで」

「おかげさまで大変助かっております」

 主に予算が。

 王子であるオルヴェインが長官に就任したため、来年度は大幅に予算が増額されるという噂だ。その分塔活性化事業が忙しいということだろうけれど、潤沢な予算によって助かる部分はたくさんある。

 生真面目に返すエルセリスに今度こそアルフリードは笑い出した。

「国王陛下の判断は正しかったようだね」

「……何のことですか?」

 この話と国王のつながりが見えずに尋ねると、くつくつと笑いながら教えられた。

「オルヴェインが帰ってくることになって、どの仕事をさせようかという話し合いになったとき、昔馴染みの君がいる典礼官がいいのではないかとおっしゃったんだよ」

(オルヴェインを典礼官長官に配属したのは陛下だったのか!)

 余計なことを! と不敬な台詞が飛び出しそうになったが、言っても仕方のないことだ。

「いい歳した大人の男に人見知りも何もないだろうと私は思ったんだけど、いまとなっては君が近くにいてよかった」

 アルフリードがそう評価するなら自分の行動は及第点だったのだろうと思い、「恐れ入ります」と言って頭を下げた。

「それで、わたくしは何をすればよろしいでしょう?」

 その問いは、自分はあなたの配下になります、という宣言でもある。

 塔再活性化事業の秘密を知ったエルセリスは彼らにとって見過ごせないものとなっただろう。だったらうまく立ち回るよりも使われてやろうではないかと考えたのだ。

 エルセリスは祈るしかできない聖務官だ。権力を持ち、国を動かすことのできる彼らとは持つ力が違う。オルヴェインの命を助けるためには、祈るだけでも、権力だけでもいけない。なら手を組むべきだ。

 そうした潔さはアルフリードの気に入るところだったらしく、彼の笑顔は貼り付けるだけのものではなく彼自身の好意が表に出た、少し恐ろしくて厳かなものだった。

「塔の再活性化を成功させ、オルヴェインの呪いを解け。君は神に祈りを届けるのに最も近い場所にいる聖務官だ。予言を聞いたのも君が神に見初められたからだろう。君が、封印塔を作るための最初の祈りを捧げるんだ」

 私が、と胸を打つ言葉は「しかし」と続く。

「君の祈りが届かないとき、オルヴェインは死ぬ。君は神に手が届かなかった無才の聖務官として放逐も覚悟せねばならない」

 失敗すれば聖務官の任を解かれる。

 背筋がぞっとしたが、拳を握って前を見据えた。

 何も賭けることのない祈りに神が答えるとは思えない。これまでの聖務官人生で最高の剣舞を舞うことができなければ、エルセリスはオルヴェインを救えず、聖務官として終わってしまうだけだ。だから自らの進退を恐れることはない。

(私の聖務官としての誇りにかけて)

 祈るべき祈りを奉じるだけ。そしてオルヴェインとの約束を果たすだけだ。

「聖務官としての務めを果たします」

「期待している」

 満足そうに頷いたアルフリードは、そうして声の調子を和らげた。

「同時に弟の補佐をしてくれるとありがたいかな。彼は昔から結構うっかりなところがあるからね。案外打たれ弱い子なんだよ、あの子は」

「は……」

「兄貴!」

 うっかり「ひえっ」と声が出そうになった。

 アルフリードの背後から駆けてきて庭に降りてくるのは、そのオルヴェインだったのだ。

「てめえ! 俺に内緒であいつを呼び出し、……っと、わ、悪い。客がいたのか」

「オルヴェイン、具合はいいのか? 医師はどうした」

 アルフリードが言ってエルセリスは素早くオルヴェインの顔を盗み見た。確かに顔色が悪い。あまり眠れていないのか疲れた顔をしているが、アルフリードに向ける眼光は鋭い。

(……体調が悪いのは呪いのせい、か?)

「医者に診せてもこれはどうにもならん。それよりも……」

「なら奥にいても服はきちんと身につけろ。だらしないところを見せたいのなら別だが」

 オルヴェインは上着を着ずシャツ一枚、高官に許された剣も持たず、剣帯だけを巻いている状態だった。着替え中に飛び出してきたかのようだ。

「……失礼した。とにかく、兄貴、じゃない、兄上。後で話がある」

「ここで話せばいい。エルセリスのことなんだろう? 本人がこの場にいるのだから時間を置く必要はない」

 ぱっと、目が合った。

 ぎょっと見開かれていく目を見る前から、なんとなくそんな気はしていたけれど。

「ご紹介に預かりましたエルセリス・ガーディランですが私に何か?」

「え、エルセリス……!? ちょっと待て、その格好は」

 やっぱり初見ではまったく気付いていなかったらしい。懐かしいくらいの怒りがめらめらと燃えてくる。オルヴェインの頭の中には、いまも昔も、女性としてのエルセリスは存在していないらしい。

 するとオルヴェインの顔は温度計のようにぱーっと赤くなっていった。

「な……な……な……なんて格好してるんだお前!!?」

「はあ?」

 身に覚えのない指摘に顔を歪めると、思いきり指をさされた。

「そんなに肌を出して胸を見せつけて! 馬鹿かお前、慎みを持てっ!」

「ばっ、馬鹿なんて言われる筋合いはありません! このドレスはいま流行している形なんですっ。適当に詰襟を着ていればまあまあ見られる男性には理解し難いかもしれませんけど、それなりに身分の高い淑女は流行のドレスを着ていないと『ちゃんとしていない』って言われるんです! 好きでこんなに露出しているわけじゃありません!」

「お前は世間体と慎みとどっちが大事なんだ!?」

「慎みですよもちろん。慎みのない格好で殿下の御前には出られませんからね!」

「じゃあその格好はなんだって言うんだ! その胸を強調する服が慎み深いっていうならお前の価値観はぶっ壊れてる。さっさと着替えてこい!」

 こめかみにぴきりときた。

「……似合っていないから着替えろとおっしゃる?」

 低く問えば、苦々しい頷きが返ってきた。

「少なくとも、お前には」

 エルセリスは血の気の引く音を聞いた。

 流行の形の、自分に似合う色のドレスを着て、きちんとした場にやってきたところでこうしてぐしゃりと心を潰される――あのときの再現だ。自分のすべてを否定された気がして、震えて萎えそうになる足を必死に踏みしめる。

「エルセリス」

 しかし別の声に呼ばれてはっとした。忘れていたがアルフリードもそこにいたのだ。

 だが彼は第二王子に対する言葉遣いについて叱責はしなかった。

「下がっていいよ」

 ただそう言って促した。エルセリスは膝を折ってじりじりと後ろに下がり、距離をとったところで素早く背を向けて庭を出る。

 その直前アルフリードがオルヴェインに何事か囁こうとしているのが見えた。

 気になったが立ち止まることはせず、駆け足にならないよう、けれど足早かに回廊を抜けながら、エルセリスは唇を噛み締める。

 悔しい。悲しい。この十二年、彼に言われた言葉を否定するために自分を磨いてきた。自分は変われたと、そう思っていた。

 なのにオルヴェインには何ひとつ変わって見えていなかったのだ。

(嘘つき。綺麗になったって、言ったくせに……)

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